紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
激動の果て②
――……えっ、って、うそ。
目前に迫りくる巨大な石の塊に、ぴきり、と固まってしまう。
どうやらディハルトが放った魔法の衝撃に耐えきれず、民家の一部が崩壊したらしい。
らしい、というのは、その直後、地面に押し倒され、覆い被さったアレクに視界を遮られて、最後まで見ることができなかったからだ。
ずうぅぅぅぅんっ、と腹の底を揺らす地響きがして、形や大きさの異なる瓦礫の破片が、バラバラと降り注ぐ。
雹のように降り注ぐ破片は、私たちの上にも容赦なく打ちつけ、地面に激しく当たっては、粉々に砕け散る。
どれくらい、降り続けたのだろう。
ようやく地響きが収まり、瓦礫が落ちてこないのを確認して、身体を動かそうとした瞬間、胸の上にずしり、と重さを感じた。
「えっ……って、ちょ、アレクっ!?」
驚いてアレクの身体を揺らしてみるけれど、その身体はピクリとも動かない。
瓦礫のかたまりは想像以上の力で、アレクの身体を痛めつけたらしい。
騎士団に所属する騎士には、白銀の鎧甲冑が正装として支給されるらしいが、重厚な鉄板でできた鎧は、とても重く、防御性や耐久性には優れているものの、動きやすさに関しては、その重さゆえ、非常に動きにくく、機動性に欠けるため、戦地に赴く際か公の式典や催事に着用するくらいで、ほとんどの騎士は普段は鎖帷子を愛用している。
身丈の長い黒のコートに白いシャツという軽装が、定番ファッションのアレクも、普段は上着とトラウザーズの下に鎖帷子を着けていると言っていたはずだ。
だから多少の衝撃には耐えられるとは思うけれど、重い瓦礫のかたまりが無数に身体を直撃したとすれば、それは大変なことだ。
「アレク! しっかりして、アレク! ねえ、私の声、聞こえる!?」
もし頭なんかに衝撃を受けていれば、脳挫傷を起こしているかもしれない。
この世界に脳外科医だとか外科医はいるんだろうか、と思いつつ、なるべく刺激を与えないようにと、アレクの身体に下敷きにされた状態のまま、自由に動く腕を伸ばして、アレクの肩をゆさゆさと軽く揺さぶってみたものの、アレクは、ぴくり、とも動かない。
(えっ、うそっ! ま、まさか、打ちどころが悪くて、死んじゃったとかないよね!?)
頭を過った最悪な結末に、ざざっと血の気が引いてゆく。
「ってアレクっ! ねえ、アレクってば、聞こえているなら返事してよ!」
「――……っ、う、」
お願い死なないでー! と心の中で半泣きになりつつ、刺激を与えない程度に肩を揺さぶりながら、アレクの耳元で、わーわーと騒いでいたら、微かに呻き声が聞こえて、そのすぐあと、掴んでいたアレクの肩が、ぴくり、と動いた。
「アレクっ!?」
「――……っ、大丈夫、か? 美緒、」
どうやら軽い脳震盪を起こしたらしい。
額を押さえながら、のそり、と上半身を起こしたアレクが、その表情を僅かに歪める。
「って、な……なんで人の心配ばかりすんのよ! 大丈夫じゃないのはアレクの方でしょ! なんで――……っ、」
見下ろす藍色の瞳と目が合った途端、なんだかいろいろな感情が綯い交ぜになって、ぼろぼろと涙が溢れてきた。
「なんで私のことなんか庇うのよ。あんなひどいこと……言った、のに……っ、ふえ……っ、く、」
「――――……美緒、」
涙を見られるのが、いやで、腕で顔を覆い隠す。
アレクの前で涙を見せたのは、これで何度目だろう。
物心がつき始めてからは、パパやママの前ですら、こんな風に泣いたことなんか、ほとんどなかったのに。なのに、どうしてアレクの前では、これだけ素直に涙を流せるのだろう。
そんなことを思いながら、次から次へと溢れる涙を、どうしても止められなくて、猫みたく、身体を丸めようとして、顔を隠していた腕を掴まれた。
「――……そんな顔して泣くな」
ものすごく困ったような顔。
「――……っ、だったら、見なきゃいい、でしょ、」
精一杯強がって、そう言ったものの、一向に涙は収まらない。
口が減らないのは、きっと私も一緒だ。
「――……泣くな、」
躊躇うように伸びてきたアレクの指が、涙を伝う頬に触れようとして、ざりっ、と地面を踏み締める靴音が響いた。
「ちいっ……少しやり過ぎたか」
「――……っ、ディハルト!」
「魔法なんて久しぶりに使ったから、力加減をすっかり忘れちまった。多少やり過ぎたかも知れねえなあ……くっ、青筋を立てた総帥の顔が目に浮かぶぜ」
土埃の向こうから現れたディハルトを目にして、体勢を立て直したアレクが、素早く立ち上がる。
さっき脳震盪を起こしたばかりなのに、急に立ち上がったりして大丈夫だろうか、と心配になったものの、緊迫した状況を考えれば、のんびりと構えているわけにもいかない。
ぶかぶかの上衣の袖で、ぐしぐしと涙を拭いながら、アレクを見習って立ち上がれば、炎に包まれた辺りを見渡しながら、ディハルトは薄く笑う。
「ディハルト、お前がしたことは重罪だ。許されるべきことじゃない」
「ああ? 何言ってんだ? だったらてめえも同罪だ。てめえが下手な芝居を打って『月に呼ばれし異端者』を逃がそうとしたから、こうなったんだろうが。言っただろ? 俺は目的のためなら手段は選ばねえ、って」
「どうしてそこまで拘る?」
「ああ? なんだあ、アレクシオ」
「どうして、お前がそこまで『月に呼ばれし異端者』に拘るんだ?」
「ンなことはてめえには関係ねえだろうが。余裕こいて無駄口叩いてんじゃねえよ。まだ終わったわけじゃねえんだぜ?」
くっ、と咽喉を鳴らして、嘲笑を浮かべながら、ディハルトはすらりとした刀身をアレクに突きつける。アレクが傍にいるから、という安心感も手伝ったのかもしれない。
少し前まで怖さしか感じなかったディハルトに対して、ふつり、と別の感情が湧きだす。
「――……して?」
微かに震えた声音に、ディハルトが、片眉を、ぴくり、と動かす。
「ああ? 何だ、小娘……おっと失礼。『月に呼ばれし異端者』、だったか?」
「その呼び方はやめて!」
鼻につくような言い方に腹立たしさを感じて声を荒げれば、ディハルトは唇を歪めて薄く嗤いながら、怖えなあ、とわざとらしく肩を竦めてみせる。
そうしてからディハルトは仄暗い視線の先を、ゆっくりとアレクへと向けた。
「まったく気の強え女だな。師団長殿も、さぞかしお困りなんだろうよなあ」
「――……っ、ふざけないで! どうして? どうしてこんな酷いことをするの? 貴方はこの国を護るべき立場なんでしょう!? なのにどうして……」
「なんだあ? 小娘。その蔑むような瞳は? 偽善ぶりやがって反吐が出らあ。俺はただ己の力を誇示したいだけだ。この街がどうなろうと、俺には関係ねえ。そもそもこうなったのは誰のせいだと思ってんだ?」
「ディハルト、やめろ!」
「てめえは黙ってろ!」
制止に入ろうとしたアレクの喉元に鋭い切っ先を突き立てながら、ディハルトは視線の先を私へと戻す。
「いいか、よく聞けよ、小娘。俺がここまでしたのは、お前が原因なんだぜ? お前が『月に呼ばれし異端者』でなければ、こんな風にはならなかったはずだろう? なあ、そう思わないか?」
薄い唇を、くっ、と歪ませながら、淡々と告げられたそれに、どくり、と、心臓が大きく脈打った。
瓦礫に埋もれた人々の呻く声。燃え盛る炎に包まれる家。逃げ惑う人々の悲鳴や怒号や叫び声。
周辺のそこかしこで巻き起こっている凄惨な状況が、見開いた瞳から流れ込み、許容を超えた情報が、ディハルトの声と一緒に、頭の中に一気に雪崩れ込んでくる。
(この状況を作ったのは――――私?)
そんな考えが過って、次の瞬間、心の中で、ぷつり、と何かが切れた。
「っ、い、や――……っ、いやああああああああ!」
「美緒!」
頭を掴みながら蹲った私の傍に、血相を変えたアレクが屈みこむ。
顔を覗き込んで、しっかりしろ、と肩を揺さぶられたけれど、その感覚が、どこか遠くのものに感じる。
急激に込み上げてきた吐き気を我慢しながら、がくがくと震える手で髪の毛を掻き毟る。
寒くもないのに、がたがたと身体が震え出して止まらない。
知らない。知らない。知らない。私は『月に呼ばれし異端者』なんて知らない。もう何も聞きたくない。もう何も見たくない。
苦しい。苦しくて、苦しくて、心が壊れそうになる。
いやだ、こんなの、もういやだ。
帰して、私を元の世界に帰して――――
ふわり。
身体を包み込む温もり。
「落ち着け、美緒」
静かに落ちてきた声が鼓膜を震わせる。
身体を包み込む温もりが、凛と澄んだ柔らかい声が、春の陽射しみたいな香りが、まるで魔法をかけるように、受け入れがたい現実に圧し潰されそうになっていた心に優しく溶けてゆく。
いつしか身体の震えは止まっていて、ゆっくりと顔を上げれば、覗き込む藍色の瞳と目が合った。
伸びてきたアレクの指が頬に触れて、そのまま、上向かされる。
「こうなったのは俺のせいだ。お前のせいじゃない。今回の件は俺が責任をもって後始末をする。だから自分を責めるな。お前は何も悪くない」
両方の手でしっかりと頬を包み込むと、聞き分けのない子供に言い聞かせるように、少し強めの口調で言って、アレクはゆっくりと立ち上がる。
そうしてからディハルトをまっすぐに見据え、アレクは帯剣していた大振りの剱を鞘から引き抜くと構えた。
「これ以上、お前に勝手な行動はさせない。ディハルト、その命で自ら犯した罪を償え」
「はっ、おもしれえ。俺を殺すつもりか?」
ディハルトが鼻先で軽くあしらう。けれどアレクは何も応えない。
強い眼差しで、ただ真っ直ぐに、ディハルトを射抜くだけ。
おそらくそれがディハルトの自尊心に油を注いでしまったのだろう。
薄く開いていた唇を真一文字に閉ざし、ぎりっ、と奥歯を噛み締めると、ディハルトは激しい怒りに滾った瞳で、アレクを強く見据えた。
「てめえのその瞳が気に入らねえんだよ! 二度とその面で俺の顔を見れないよう、この場でなぶり殺しにしてやらあ!」
咆哮を上げたディハルトが地面を蹴って、アレクの懐に潜り込む。そうしてから握っていた剣を下から上へと突き上げた。
ディハルトの繰り出したその攻撃を、一歩、後退って、躱したアレクが、素早く切り返すものの、動きを読んでいたディハルトは身を捻って、アレクが放った一撃を避け、すぐさま次の攻撃へ転じる。
アレクが押せば、ディハルトが身を引き、ディハルトが押せば、アレクが身を引く。
両者の力の差がほとんどないせいか、どちらも一歩も譲らず、剣と剣が激しくぶつかり合うたび、乾いた金属音が辺りに響く。
――――――キンっ!
これまでで一番大きな金属音が空気を震わせ、お互い剣を重ね合わせたまま、二人は動きを止めると、激しく睨み合う。
呼吸をすることさえも、躊躇われるような緊張感の中で、ただただ息を呑んで、目の前で繰り広げられる激闘を見ることしかできなくて。
「大口を叩いて勝負を挑んできたわりに、さほど実力はないんだな。ディハルト」
「くそが! ふざけんな! だったら本気でやってやらあ!」
言葉を交わすことなく、睨み合ったまま、重なり合った刃をじりじりと押し返していたアレクが、形の良い唇を薄っすらと開き、挑発的な言葉を紡ぐ。
またしても要らぬことを口にして、煽り立てるアレクに激昂したディハルトが、かっと目を見開く。
咬ませ合っていた刃をいったん退き、体勢を整え直すと、ディハルトは間髪入れず、地面を蹴って、一気に間合いを詰めると、剣を横に薙ぎ払った。
ひゅっ、と音を立てて、閃いた白刃が何もない空を斬る。
ディハルトが放った攻撃を素早く避け、足を踏み込んで身を深く屈めると、アレクは鞘の中に剣を納め、ディハルトの鳩尾に鞘を叩きつけた。
「――……ぐ、っ!」
「ただ剣を振り回すだけでは、一生かかっても、俺を捻じ伏せることはできないぞ、ディハルト」
渾身の一撃を喰らい、ディハルトがよろめく。
ディハルトの手元を狙い済まし、繰り出したアレクの次の攻撃が、ディハルトが構えていた剣の胴体を捉えた。強い力に押し出され、ディハルトの身体が、後ろへ吹き飛ぶ。
凄まじい衝撃を受けた剣は大きな音を立てて、真っ二つに折れ、弾け飛んだ刃が、吹き飛ばされたディハルトの頬を翳め、地面に深々と突き刺さる。
う……うそ!? アレクってこんなにも強いの!?
圧倒的なまでの強さをまざまざと見せつけられ、私はアレクの猛々しい雄姿から目が離せなくなっていた。
レナードから色々と話は聞かされていたけれど、これはもう予想外だ。
「もうほとんど魔力も残っていないはずだ。剣を失い、魔法も放てないお前にできることは何もない――……できることなら殺めるような真似はしたくなかったが、お前が犯した罪は重い。その命を以って償うんだな」
息を呑んでアレクの言動を見守っていたら、持っていた大振りの剱を構え直し、倒れているディハルトに近づくと、アレクは磨き上げた鋭い切っ先を、ディハルトの首筋に突きつけた。
「――……美緒」
響いたアレクの声の冷たさに、びくり、と身体を強張らせる。
「今すぐここから離れろ。騒ぎを聞きつけて、他の連中がこちらに向かっているはずだ。騎士団員を捉まえて孤児院まで送ってもらえ。話が通じないようなら、俺の名前を出せばいい」
「わ……わかった」
告げられたそれに、一も、二もなく、頷く。
このまま、孤児院に戻ってもいいのだろうか、と迷いは生じたけれど、自分がどれほどお荷物なのか、身を以って思い知らされたから、素直にアレクの指示に従うつもりだった。
ディハルトの右手が腰に伸びるのを視界に入れるまでは。
「――……っ、アレク、避けてっ!」
「死ぬのはてめえの方だ!」
ディハルトの右手で煌めいたそれが、鋭利な刃を持つ短剣であることに気づき、私が声を上げるのと、ディハルトが短剣を振り翳したのは、ほぼ同時だった。
ディハルトの放った白刃を躱そうと、アレクが身を捩るものの、一瞬遅く、短剣の刃先がアレクの腕を僅かに翳め取る。
「そんなに早死にたいのか! ディハルト!」
激昂に声を震わせ、藍色の瞳に決意の色を滾らせると、アレクは剣を突き返そうとした。
けれど切り返した刃先はディハルトを捉えることなく、アレクの手から滑り落ちた剱は、水飛沫を跳ね上げて、雨で泥濘む地面に転がり落ちる。
「ディ……ハルト、お前、何をし――……っ、!」
きん、と金属音を響かせて、泥濘みに落ちた剱を見下ろしていたアレクが、鋭い眼差しをディハルトに投げつける。
けれどアレクはすぐに苦しげに眉を顰めると、短剣が翳めた腕を押さえて、崩れるように片膝をついた。
「アレク!」
「ここから、離れろ……って、言った……だろ!」
突然に襲ったその異変に驚いて駆け寄れば、額に大粒の脂汗を滲ませながら、アレクが強く睨む。
「って、そんなこと言ってる場合じゃ――……っ、アレク! どうしたの!? ねえ、アレクってば!」
苦しげに表情を歪めるアレクを、どうにか支えようと思って、汗の粒が、びっしりと浮き上がるアレクの腕に触れようとして、びくり、と大きく身体を震わせたかと思えば、アレクの身体が、ぐらり、と傾ぐ。
崩れ落ちてきたアレクの身体を受け止めて、声を張り上げて呼びかけてみるものの、返事はない。
額に脂汗を滲ませて、苦しそうに呼吸を繰り返すだけだ。
血色の良かったアレクの顔から完全に血の気が失せ、苦痛を堪えて、噛み締める唇の色は瞬く間に、深い紫色へと変わってゆく。
時折、身体を激しく痙攣させては、咽喉の奥から苦しげな声を漏らすその姿は、目を背けてしまいたくなるほどに酷いものだ。
「――……っ! アレクに何をしたの!?」
短剣の刃が腕を翳めただけにしては、アレクの様子は尋常ではない。
なにか裏があるに違いないと、仄暗い光を湛えた紫紺の瞳を強く見据えて言い募れば、ディハルトは唇に弧を描いて薄く嗤う。
「――……セレネリウス」
「セレネ……リウス?」
聞き慣れない単語に眉を顰めながら、ディハルトを見返せば、くっ、と咽喉を鳴らすと、ディハルトはその表情を愉悦に歪ませた。
「セレネリウスは解毒剤を持たぬ猛毒だ。どんなに強靭な身体を持っていようが、いずれ死に至る――……そこで倒れている師団長殿も、例外なくな」
目前に迫りくる巨大な石の塊に、ぴきり、と固まってしまう。
どうやらディハルトが放った魔法の衝撃に耐えきれず、民家の一部が崩壊したらしい。
らしい、というのは、その直後、地面に押し倒され、覆い被さったアレクに視界を遮られて、最後まで見ることができなかったからだ。
ずうぅぅぅぅんっ、と腹の底を揺らす地響きがして、形や大きさの異なる瓦礫の破片が、バラバラと降り注ぐ。
雹のように降り注ぐ破片は、私たちの上にも容赦なく打ちつけ、地面に激しく当たっては、粉々に砕け散る。
どれくらい、降り続けたのだろう。
ようやく地響きが収まり、瓦礫が落ちてこないのを確認して、身体を動かそうとした瞬間、胸の上にずしり、と重さを感じた。
「えっ……って、ちょ、アレクっ!?」
驚いてアレクの身体を揺らしてみるけれど、その身体はピクリとも動かない。
瓦礫のかたまりは想像以上の力で、アレクの身体を痛めつけたらしい。
騎士団に所属する騎士には、白銀の鎧甲冑が正装として支給されるらしいが、重厚な鉄板でできた鎧は、とても重く、防御性や耐久性には優れているものの、動きやすさに関しては、その重さゆえ、非常に動きにくく、機動性に欠けるため、戦地に赴く際か公の式典や催事に着用するくらいで、ほとんどの騎士は普段は鎖帷子を愛用している。
身丈の長い黒のコートに白いシャツという軽装が、定番ファッションのアレクも、普段は上着とトラウザーズの下に鎖帷子を着けていると言っていたはずだ。
だから多少の衝撃には耐えられるとは思うけれど、重い瓦礫のかたまりが無数に身体を直撃したとすれば、それは大変なことだ。
「アレク! しっかりして、アレク! ねえ、私の声、聞こえる!?」
もし頭なんかに衝撃を受けていれば、脳挫傷を起こしているかもしれない。
この世界に脳外科医だとか外科医はいるんだろうか、と思いつつ、なるべく刺激を与えないようにと、アレクの身体に下敷きにされた状態のまま、自由に動く腕を伸ばして、アレクの肩をゆさゆさと軽く揺さぶってみたものの、アレクは、ぴくり、とも動かない。
(えっ、うそっ! ま、まさか、打ちどころが悪くて、死んじゃったとかないよね!?)
頭を過った最悪な結末に、ざざっと血の気が引いてゆく。
「ってアレクっ! ねえ、アレクってば、聞こえているなら返事してよ!」
「――……っ、う、」
お願い死なないでー! と心の中で半泣きになりつつ、刺激を与えない程度に肩を揺さぶりながら、アレクの耳元で、わーわーと騒いでいたら、微かに呻き声が聞こえて、そのすぐあと、掴んでいたアレクの肩が、ぴくり、と動いた。
「アレクっ!?」
「――……っ、大丈夫、か? 美緒、」
どうやら軽い脳震盪を起こしたらしい。
額を押さえながら、のそり、と上半身を起こしたアレクが、その表情を僅かに歪める。
「って、な……なんで人の心配ばかりすんのよ! 大丈夫じゃないのはアレクの方でしょ! なんで――……っ、」
見下ろす藍色の瞳と目が合った途端、なんだかいろいろな感情が綯い交ぜになって、ぼろぼろと涙が溢れてきた。
「なんで私のことなんか庇うのよ。あんなひどいこと……言った、のに……っ、ふえ……っ、く、」
「――――……美緒、」
涙を見られるのが、いやで、腕で顔を覆い隠す。
アレクの前で涙を見せたのは、これで何度目だろう。
物心がつき始めてからは、パパやママの前ですら、こんな風に泣いたことなんか、ほとんどなかったのに。なのに、どうしてアレクの前では、これだけ素直に涙を流せるのだろう。
そんなことを思いながら、次から次へと溢れる涙を、どうしても止められなくて、猫みたく、身体を丸めようとして、顔を隠していた腕を掴まれた。
「――……そんな顔して泣くな」
ものすごく困ったような顔。
「――……っ、だったら、見なきゃいい、でしょ、」
精一杯強がって、そう言ったものの、一向に涙は収まらない。
口が減らないのは、きっと私も一緒だ。
「――……泣くな、」
躊躇うように伸びてきたアレクの指が、涙を伝う頬に触れようとして、ざりっ、と地面を踏み締める靴音が響いた。
「ちいっ……少しやり過ぎたか」
「――……っ、ディハルト!」
「魔法なんて久しぶりに使ったから、力加減をすっかり忘れちまった。多少やり過ぎたかも知れねえなあ……くっ、青筋を立てた総帥の顔が目に浮かぶぜ」
土埃の向こうから現れたディハルトを目にして、体勢を立て直したアレクが、素早く立ち上がる。
さっき脳震盪を起こしたばかりなのに、急に立ち上がったりして大丈夫だろうか、と心配になったものの、緊迫した状況を考えれば、のんびりと構えているわけにもいかない。
ぶかぶかの上衣の袖で、ぐしぐしと涙を拭いながら、アレクを見習って立ち上がれば、炎に包まれた辺りを見渡しながら、ディハルトは薄く笑う。
「ディハルト、お前がしたことは重罪だ。許されるべきことじゃない」
「ああ? 何言ってんだ? だったらてめえも同罪だ。てめえが下手な芝居を打って『月に呼ばれし異端者』を逃がそうとしたから、こうなったんだろうが。言っただろ? 俺は目的のためなら手段は選ばねえ、って」
「どうしてそこまで拘る?」
「ああ? なんだあ、アレクシオ」
「どうして、お前がそこまで『月に呼ばれし異端者』に拘るんだ?」
「ンなことはてめえには関係ねえだろうが。余裕こいて無駄口叩いてんじゃねえよ。まだ終わったわけじゃねえんだぜ?」
くっ、と咽喉を鳴らして、嘲笑を浮かべながら、ディハルトはすらりとした刀身をアレクに突きつける。アレクが傍にいるから、という安心感も手伝ったのかもしれない。
少し前まで怖さしか感じなかったディハルトに対して、ふつり、と別の感情が湧きだす。
「――……して?」
微かに震えた声音に、ディハルトが、片眉を、ぴくり、と動かす。
「ああ? 何だ、小娘……おっと失礼。『月に呼ばれし異端者』、だったか?」
「その呼び方はやめて!」
鼻につくような言い方に腹立たしさを感じて声を荒げれば、ディハルトは唇を歪めて薄く嗤いながら、怖えなあ、とわざとらしく肩を竦めてみせる。
そうしてからディハルトは仄暗い視線の先を、ゆっくりとアレクへと向けた。
「まったく気の強え女だな。師団長殿も、さぞかしお困りなんだろうよなあ」
「――……っ、ふざけないで! どうして? どうしてこんな酷いことをするの? 貴方はこの国を護るべき立場なんでしょう!? なのにどうして……」
「なんだあ? 小娘。その蔑むような瞳は? 偽善ぶりやがって反吐が出らあ。俺はただ己の力を誇示したいだけだ。この街がどうなろうと、俺には関係ねえ。そもそもこうなったのは誰のせいだと思ってんだ?」
「ディハルト、やめろ!」
「てめえは黙ってろ!」
制止に入ろうとしたアレクの喉元に鋭い切っ先を突き立てながら、ディハルトは視線の先を私へと戻す。
「いいか、よく聞けよ、小娘。俺がここまでしたのは、お前が原因なんだぜ? お前が『月に呼ばれし異端者』でなければ、こんな風にはならなかったはずだろう? なあ、そう思わないか?」
薄い唇を、くっ、と歪ませながら、淡々と告げられたそれに、どくり、と、心臓が大きく脈打った。
瓦礫に埋もれた人々の呻く声。燃え盛る炎に包まれる家。逃げ惑う人々の悲鳴や怒号や叫び声。
周辺のそこかしこで巻き起こっている凄惨な状況が、見開いた瞳から流れ込み、許容を超えた情報が、ディハルトの声と一緒に、頭の中に一気に雪崩れ込んでくる。
(この状況を作ったのは――――私?)
そんな考えが過って、次の瞬間、心の中で、ぷつり、と何かが切れた。
「っ、い、や――……っ、いやああああああああ!」
「美緒!」
頭を掴みながら蹲った私の傍に、血相を変えたアレクが屈みこむ。
顔を覗き込んで、しっかりしろ、と肩を揺さぶられたけれど、その感覚が、どこか遠くのものに感じる。
急激に込み上げてきた吐き気を我慢しながら、がくがくと震える手で髪の毛を掻き毟る。
寒くもないのに、がたがたと身体が震え出して止まらない。
知らない。知らない。知らない。私は『月に呼ばれし異端者』なんて知らない。もう何も聞きたくない。もう何も見たくない。
苦しい。苦しくて、苦しくて、心が壊れそうになる。
いやだ、こんなの、もういやだ。
帰して、私を元の世界に帰して――――
ふわり。
身体を包み込む温もり。
「落ち着け、美緒」
静かに落ちてきた声が鼓膜を震わせる。
身体を包み込む温もりが、凛と澄んだ柔らかい声が、春の陽射しみたいな香りが、まるで魔法をかけるように、受け入れがたい現実に圧し潰されそうになっていた心に優しく溶けてゆく。
いつしか身体の震えは止まっていて、ゆっくりと顔を上げれば、覗き込む藍色の瞳と目が合った。
伸びてきたアレクの指が頬に触れて、そのまま、上向かされる。
「こうなったのは俺のせいだ。お前のせいじゃない。今回の件は俺が責任をもって後始末をする。だから自分を責めるな。お前は何も悪くない」
両方の手でしっかりと頬を包み込むと、聞き分けのない子供に言い聞かせるように、少し強めの口調で言って、アレクはゆっくりと立ち上がる。
そうしてからディハルトをまっすぐに見据え、アレクは帯剣していた大振りの剱を鞘から引き抜くと構えた。
「これ以上、お前に勝手な行動はさせない。ディハルト、その命で自ら犯した罪を償え」
「はっ、おもしれえ。俺を殺すつもりか?」
ディハルトが鼻先で軽くあしらう。けれどアレクは何も応えない。
強い眼差しで、ただ真っ直ぐに、ディハルトを射抜くだけ。
おそらくそれがディハルトの自尊心に油を注いでしまったのだろう。
薄く開いていた唇を真一文字に閉ざし、ぎりっ、と奥歯を噛み締めると、ディハルトは激しい怒りに滾った瞳で、アレクを強く見据えた。
「てめえのその瞳が気に入らねえんだよ! 二度とその面で俺の顔を見れないよう、この場でなぶり殺しにしてやらあ!」
咆哮を上げたディハルトが地面を蹴って、アレクの懐に潜り込む。そうしてから握っていた剣を下から上へと突き上げた。
ディハルトの繰り出したその攻撃を、一歩、後退って、躱したアレクが、素早く切り返すものの、動きを読んでいたディハルトは身を捻って、アレクが放った一撃を避け、すぐさま次の攻撃へ転じる。
アレクが押せば、ディハルトが身を引き、ディハルトが押せば、アレクが身を引く。
両者の力の差がほとんどないせいか、どちらも一歩も譲らず、剣と剣が激しくぶつかり合うたび、乾いた金属音が辺りに響く。
――――――キンっ!
これまでで一番大きな金属音が空気を震わせ、お互い剣を重ね合わせたまま、二人は動きを止めると、激しく睨み合う。
呼吸をすることさえも、躊躇われるような緊張感の中で、ただただ息を呑んで、目の前で繰り広げられる激闘を見ることしかできなくて。
「大口を叩いて勝負を挑んできたわりに、さほど実力はないんだな。ディハルト」
「くそが! ふざけんな! だったら本気でやってやらあ!」
言葉を交わすことなく、睨み合ったまま、重なり合った刃をじりじりと押し返していたアレクが、形の良い唇を薄っすらと開き、挑発的な言葉を紡ぐ。
またしても要らぬことを口にして、煽り立てるアレクに激昂したディハルトが、かっと目を見開く。
咬ませ合っていた刃をいったん退き、体勢を整え直すと、ディハルトは間髪入れず、地面を蹴って、一気に間合いを詰めると、剣を横に薙ぎ払った。
ひゅっ、と音を立てて、閃いた白刃が何もない空を斬る。
ディハルトが放った攻撃を素早く避け、足を踏み込んで身を深く屈めると、アレクは鞘の中に剣を納め、ディハルトの鳩尾に鞘を叩きつけた。
「――……ぐ、っ!」
「ただ剣を振り回すだけでは、一生かかっても、俺を捻じ伏せることはできないぞ、ディハルト」
渾身の一撃を喰らい、ディハルトがよろめく。
ディハルトの手元を狙い済まし、繰り出したアレクの次の攻撃が、ディハルトが構えていた剣の胴体を捉えた。強い力に押し出され、ディハルトの身体が、後ろへ吹き飛ぶ。
凄まじい衝撃を受けた剣は大きな音を立てて、真っ二つに折れ、弾け飛んだ刃が、吹き飛ばされたディハルトの頬を翳め、地面に深々と突き刺さる。
う……うそ!? アレクってこんなにも強いの!?
圧倒的なまでの強さをまざまざと見せつけられ、私はアレクの猛々しい雄姿から目が離せなくなっていた。
レナードから色々と話は聞かされていたけれど、これはもう予想外だ。
「もうほとんど魔力も残っていないはずだ。剣を失い、魔法も放てないお前にできることは何もない――……できることなら殺めるような真似はしたくなかったが、お前が犯した罪は重い。その命を以って償うんだな」
息を呑んでアレクの言動を見守っていたら、持っていた大振りの剱を構え直し、倒れているディハルトに近づくと、アレクは磨き上げた鋭い切っ先を、ディハルトの首筋に突きつけた。
「――……美緒」
響いたアレクの声の冷たさに、びくり、と身体を強張らせる。
「今すぐここから離れろ。騒ぎを聞きつけて、他の連中がこちらに向かっているはずだ。騎士団員を捉まえて孤児院まで送ってもらえ。話が通じないようなら、俺の名前を出せばいい」
「わ……わかった」
告げられたそれに、一も、二もなく、頷く。
このまま、孤児院に戻ってもいいのだろうか、と迷いは生じたけれど、自分がどれほどお荷物なのか、身を以って思い知らされたから、素直にアレクの指示に従うつもりだった。
ディハルトの右手が腰に伸びるのを視界に入れるまでは。
「――……っ、アレク、避けてっ!」
「死ぬのはてめえの方だ!」
ディハルトの右手で煌めいたそれが、鋭利な刃を持つ短剣であることに気づき、私が声を上げるのと、ディハルトが短剣を振り翳したのは、ほぼ同時だった。
ディハルトの放った白刃を躱そうと、アレクが身を捩るものの、一瞬遅く、短剣の刃先がアレクの腕を僅かに翳め取る。
「そんなに早死にたいのか! ディハルト!」
激昂に声を震わせ、藍色の瞳に決意の色を滾らせると、アレクは剣を突き返そうとした。
けれど切り返した刃先はディハルトを捉えることなく、アレクの手から滑り落ちた剱は、水飛沫を跳ね上げて、雨で泥濘む地面に転がり落ちる。
「ディ……ハルト、お前、何をし――……っ、!」
きん、と金属音を響かせて、泥濘みに落ちた剱を見下ろしていたアレクが、鋭い眼差しをディハルトに投げつける。
けれどアレクはすぐに苦しげに眉を顰めると、短剣が翳めた腕を押さえて、崩れるように片膝をついた。
「アレク!」
「ここから、離れろ……って、言った……だろ!」
突然に襲ったその異変に驚いて駆け寄れば、額に大粒の脂汗を滲ませながら、アレクが強く睨む。
「って、そんなこと言ってる場合じゃ――……っ、アレク! どうしたの!? ねえ、アレクってば!」
苦しげに表情を歪めるアレクを、どうにか支えようと思って、汗の粒が、びっしりと浮き上がるアレクの腕に触れようとして、びくり、と大きく身体を震わせたかと思えば、アレクの身体が、ぐらり、と傾ぐ。
崩れ落ちてきたアレクの身体を受け止めて、声を張り上げて呼びかけてみるものの、返事はない。
額に脂汗を滲ませて、苦しそうに呼吸を繰り返すだけだ。
血色の良かったアレクの顔から完全に血の気が失せ、苦痛を堪えて、噛み締める唇の色は瞬く間に、深い紫色へと変わってゆく。
時折、身体を激しく痙攣させては、咽喉の奥から苦しげな声を漏らすその姿は、目を背けてしまいたくなるほどに酷いものだ。
「――……っ! アレクに何をしたの!?」
短剣の刃が腕を翳めただけにしては、アレクの様子は尋常ではない。
なにか裏があるに違いないと、仄暗い光を湛えた紫紺の瞳を強く見据えて言い募れば、ディハルトは唇に弧を描いて薄く嗤う。
「――……セレネリウス」
「セレネ……リウス?」
聞き慣れない単語に眉を顰めながら、ディハルトを見返せば、くっ、と咽喉を鳴らすと、ディハルトはその表情を愉悦に歪ませた。
「セレネリウスは解毒剤を持たぬ猛毒だ。どんなに強靭な身体を持っていようが、いずれ死に至る――……そこで倒れている師団長殿も、例外なくな」