紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~

激動の果て③

「この短剣の刃には即効性の猛毒を持つセレネリウスを塗りつけているんだよ。セレネリウスに解毒剤なんてものは存在しねえ。どんなに強靭な身体を持っていようが、毒が回り、いずれ死に至る……そこで倒れているアレクシオも、だ」

 現実を突きつけるように、さきほど言い放ったそれを、ディハルトが、もう一度、繰り返す。冷たく響いたその声に、すうっ、と、血の気が引いてゆく。
 淡々とした口調で告げられたそれはあまりにも非現実的すぎて、すぐには理解できない。

 猛毒……って、なにそれ? 解毒剤が存在しない、って、どういうこと? っていうか、アレク、死んじゃうの?

 頭の中で、ぐるぐると回るそれらの疑問に、心臓が、きしり、と軋む。
 自分の腕の中で、苦しげに呼吸を繰り返すアレクを見下ろせば、顔色は今や土色に変わろうとしていた。

「――……けて、」

 声が擦れる。

「……っ、アレクを助けてっ!」

 ディハルトに助けを乞うなんて、そんなの死んでも嫌だったけれど、でも今アレクを救えるのだとしたら、毒を精製した彼しかいないと、ためらう気持ちをかなぐり捨てて、アレクを助けて欲しいと懇願したものの、端からこちらの願いなんて聞く気はないらしい。
 ディハルトは私の声を無視すると、地面に転がり落ちていた、アレクの剣を拾い上げた。

「――……そこを退け、小娘」

 泥に塗れた剣を手に取り、ディハルトがこちらに引き返してくる。
 ディハルトのその行動に嫌な予感を覚えて、背中の後ろにアレクを庇えば、ディハルトは泥に汚れた鋭利な刃先で、つう、と首筋を撫でた。
 肌を嘗めるひんやりとした感触に、ぶわり、と鳥肌が立つ。
 背中に嫌な汗が流れ落ちた。

「聞こえなかったのか? そこを退け」
「い……や、退きたく、ない、」

 声を震わせながら、ディハルトの要求を拒めば、ディハルトは紫紺の瞳を眇め、小馬鹿にしたように、鼻先でせせら笑う。

「言っただろう? セレネリウスに解毒剤などないと。てめえがどんなに懇願しようが、そいつは助からねえ。さっきまでさんざん罵っていたくせに、今さら何を庇う必要がある? 見捨てて逃げていれば、命拾いできたものを、」
「――……っ、」

 ぎゅっ、と唇を噛み締める。知らず溢れ出した涙が頬を伝った。
 ディハルトの前で涙を見せるなんて悔しい。
 でもそれ以上に取り返しのつかないことをしてしまった、と自分を責め立てる思いが、色々な感情と綯い交ぜになって、心を激しく揺さぶり、涙と一緒に後悔の念が、次から次へと溢れ出す。

(私のせいだ。私のせいでアレクは――……)

 帰ろう、と差し伸べられた手を素直に受け止めていたら、こんな風にアレクを命の危険に曝すことはなかった。

 悔しい。

 悔しくて、悔しくて、心が砕けてしまいそうだ。

「けっ、くだらねえ感情を抱きやがって……何度も言わせるな。そこを退け、小娘。殺されたいのか?」

 一段と声を低くさせて、ディハルトが柄を持つ手に力を加える。

「い――――……っ、!」

 血に飢えた鋭い刃が、肉に喰らいつき、焼けるような痛みが、全身を貫く。
 堪らず歯を食い縛れば、ぬるり、とした生暖かいものが、首筋を伝い落ちた。

「これ以上、俺を怒らせない方がいいぜ? 俺は己の目的のためなら、それが女子供であろうと容赦はしねえ。どこかの師団長殿と違ってな」

 理性の欠片すら持たない獣のような獰猛さを滲ませた瞳で見据えられ、ぞくり、と心臓が震える。
 人を人とも思わない冷酷さ。全てを腕ずくで捻じ伏せようとする残忍さ。
 彼ならその剣でためらいなく、私の胸を貫くかも知れない。

「い、や……退かな……い」

 それでも、私の口から溢れたのは、ディハルトの要求を拒む言葉。

 武器も、魔法も、使えない自分が、ディハルトを相手に、できることなんて何もない。
 それでも、このまま、アレクを置いて逃げるなんて、そんな真似だけは絶対にしたくない。そんなことをしたら一生後悔する。それに援護の騎士達が、もうすぐ来るって、アレクは言っていた。
 容赦はしないと言ったけれど、私が『月に呼ばれし異端者』だと信じているのなら、命を奪うようなことまではしないだろう。
 だったら、援護の騎士達が駆けつけるまで、何とか時間を稼ぐしかない。

『月に呼ばれし異端者』という立場を逆手に取って。

 決意を固めて、ディハルトを見返す。

「私は絶対にアレクの傍から離れない」
小賢(こざか)しい小娘が! 梃子でも退かないなら、力ずくで退かしてやらあ!」

 ディハルトを見据えて、きっぱりと要求を拒絶すれば、どうやらそれは彼の不興を買ってしまったらしい。
 凄まじい形相で睨みつけ、激しいまでの怒りを露わにしたかと思えば、ディハルトは剣を投げ捨て、ものすごい力で髪を掴みにかかってきた。

「や……離し――……っ、!」

 引き摺るように髪を引っ張られ、泥濘(ぬかる)んだ地面に、身体を投げ出される。
 そうしてから、うつ伏せたまま、動けずにいる私の背中に跨り、馬乗りになって押さえつけると、ディハルトは力任せに腕を(ねじ)り上げた。
 無理な方向へ腕を捩られ、みしみしと音を立てて、骨が軋む。

「――……や、……はな……っ、」

 あまりの苦痛に呼吸さえままならない。

「てめえごときの分際で、俺に歯向かってんじゃねえ! ああ、確かに『月に呼ばれし異端者』である、お前を手にかけることはできねえ。だけどな、死んだ方がマシだと思えるくらいの苦痛を与え続けることならできるんだぜ? 小娘、許しを請えよ。そうしたら、この苦痛から解放してやる……さあ言え!」

 激しく責め立てながら、腕を掴む手に更に力を加えると、ディハルトはそれ以上、曲がらないところまで腕を捩じ曲げた。
 ばきり、と骨が砕ける音がして、激しい痛みが全身を襲う。

「――……っ、あ、あ、ああああああ!!」

 咽喉が張り裂けんばかりの声が(ほとばし)る。

 もう限界だった。
 激痛に耐え切れず、意識を手放しかけて、視界の片隅で何かが眩い閃光を放った。

(――――な……に?)

 混沌とする意識の中、目の端で捉えた光に目を向けると、暗がりの中で淡い光を纏った何かが揺らめいた。

「き……貴様……っ! 何故だ? お前は確かにセレネリウスの毒に――……」

 同じくして闇に浮かび上がった光に目を向けたディハルトが、ひどく狼狽(うろた)えた様子で声を上擦らせたかと思うと、背中から飛び退く。

(な……に? 何が……起こった、の?)

 ずきずきと痛む左肩を押さえながら、背後を振り返った瞬間、闇に鋭く光る白刃が、ディハルトの身体を瞬時に貫いた。
 何が起こったのか理解できなかった。
 あまりにも、非現実的すぎる光景は、まるで映画の特撮でも見ているような感じで、そこに現実味はなく、大量の血を滴らせ、真っ赤に染まる刃を、私はただぼんやりと見上げるしかなかった。

「そ――……んな……ば……かな……」

 擦れた声を出しながら、ディハルトは身体に深々と突き刺さった剣に、ゆっくりと視線を落とす。

「俺……は、……死、ぬ……の……か?」

 ディハルトの声はもう微かにしか聞こえなかった。
 ディハルトの身体に突き刺さっていた剣が引き抜かれる。次の瞬間、血飛沫が辺りに激しく飛び散った。
 口から大量の血を吐き出し、苦悶の形相を浮かべたまま、腹部に手をやろうとして、ディハルトの身体が、ぐらり、と傾ぐ。
 どさり、という音とともに、その場に崩れ落ちると、ネジが切れたぜんまい人形のように、ディハルトはその動きを完全に止めてしまった。

「――……っぅ……や、いやあ……っ、」

 地面に突っ伏したまま、ピクリとも動かなくなったディハルトの背中から、(おびただ)しい量の血が溢れ出すのを見た途端、現実に引き戻され、私は目を強く閉じると顔を背けた。
 ディハルトのしたことを考えれば、当然の報いだろう。
 それでも鋭い刃を持つ剣が、人の身体を貫く瞬間を見てしまい、頭に焼きついた凄惨な光景に、恐怖心が迫り上がり、がたがたと身体が震え出す。

「――……っ……ぅ……」
「ディハルトの事は忘れろ」

 激しい嘔吐感に襲われ、手の甲を口元に押しつけて、込み上げてくる吐き気を必死に堪えていたら、頭上でくぐもった声が響く。

「アレ……ク?」

 いつもと声色はまったく違うけれど、それは確かに聞き慣れたアレクの声で、どうしたんだろう、と戸惑いながら、声が聞こえた方を見上げた私は、そこに立つアレクの姿を目にして息を呑んだ。

 闇に浮かび上がる左右非対称の金と碧の瞳。吹き降ろす風に靡く銀色の長い髪。そして何よりも一番に、私の目を惹いたのは、無数の淡い光を纏って煌めく、真っ白な大きな翼。

 (おびただ)しい量の血を吸い上げ、朱殷(しゅあん)に染まる剣を握り締めたまま、アレクは何の感情も読み取れない虚ろな瞳で見下ろす。
 海の底を思わせる深い藍色の瞳も、流れるような艶やかな漆黒の髪も、今はそこに面影さえも見出せない。
 けれど、どんなに見た目が変わったとしても、自分の目の前に立つその人は、間違いなく、アレク、だ。

 変わり果てたアレクの姿を、呆然と見ている私の前で、神秘的な光を纏って輝く、真っ白な翼が、バサリ、と音を立てて大きく広がり、抜け落ちた羽根が、ふわり、と宙に舞う。
 きらきらと光り輝きながら、落ちてくる羽根が、あまりに神秘的で綺麗なものに見えたから、その羽根に触れようと腕を伸ばしかけて、見下ろすアレクと目が合った。
 金と碧に揺らめく瞳はとても儚げで、とても悲しそうで、アレクは今にも泣き出しそうな顔をしている。

「――……どうして? どうしてそんな悲しそうな顔をするの?」

 私のその問いかけにアレクは答えてくれない。
 ずきずきと(うず)く左腕の痛みを堪えながら、アレクから答えが返ってくるのを待っていたら、血に染まった剣を鞘の中に戻し、傍まで近寄ってくると、アレクは身を屈め、私の身体を抱き上げた。
 いつもならお姫様抱っこをされようものなら、恥ずかしさで抵抗するのだけれど、さすがに今日は全身がボロボロに傷ついて疲れ果てているせいで、抵抗する気なんて、一ミリだって湧かない。 
 こてり、と疲れた身体を預ければ、暖かい春の陽射しを思わせる柔らかい匂いが、ふわり、と身体を包み込んだ。
 ああ、やっぱり、アレクだ。
 全身を柔らかく包み込む匂いに安心感を覚えつつ、ぼんやりとそんなことを考えていたら、アレクがその大きな手のひらで、私の瞼をそっと覆い隠した。

「これは夢だ。明日、目が覚めれば、いつもの日常が待っているはずだ。だから、もう少し眠っていろ」
「――……アレ……ク、」

 弱々しい声でアレクの名前を口にすれば、もう寝ろ、と、アレクが耳元で囁く。
 いろいろと聞きたいことはあったけど、アレクの言葉に素直に応じて、重くなってきた瞼をゆっくりと閉じる。
 間近に聞こえるアレクの心音と、上衣(うわぎ)を通して伝わるアレクの体温と、春の日だまりのように柔らかいアレクの香りを全身で感じ取っているうち、とろとろと意識が微睡んできた。

――――……おやすみ。

 アレクの声が聞こえて、ふわり、と、額に柔らかな何かが触れる。
 額に触れたそれが何かを確認できないまま、私は眠るように意識を失った――――

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