紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
罪を知る者と罰を乞う者①(アレク視点)
――逃げな……さい。
嫌だ! 僕は母様を守るっ!
――だめよ、早く逃げて。
嫌だったら、嫌だっ!
――お願い。貴方はお父様の希望……私達の希望、なの。
嫌だ! 僕一人だけ残さないでっ!
――生きて。強く、強く……貴方にならそれが出来るはずよ。
嫌だっ! 僕一人では何も出来ない。僕一人では何も――……
――泣かないで、愛しい私の子。ここはお母様に任せて。さあ、お行きなさい。
母、様……っ。
――どんなに離れていても、私はいつも貴方の傍にいるわ。だから、どうか希望を捨てないで。
背中の後ろに迫り来る無数の篝火。どんどん近づいて来る足音と怒号。
溢れる涙を拭い、優しい母の手を振り切ると、暗闇の中を一人駆け出した。
―――強く生きて。
そう願った母の言葉を胸にただ強く生きるためだけに――
***
どれくらいの時間、眠っていたのだろうか。
疾うの昔に捨て去ったはずの懐かしい夢から、目が覚めたアレクシオは辺りを見回した。
寄宿舎の私室とは違う見慣れない天井。
身体を横たえているベッド以外にあるのは、背の低いチェストと古びた木机だけ。
机の上には水を張った器が置いてあり、燭台の蝋燭に炎は灯されていない。
(――……ああ、そうか。ここは孤児院、か)
最低限必要なものしか置いていない室内を見回しながら、上半身を起こして、額にかかる髪を掻き上げると、アレクシオは何とはなしに自分の右腕を見下ろした。
昨夜、ディハルトに斬りつけられた腕の傷は浅く、傷跡らしい傷は残っていない。
セレネリウスの毒素が抜け切っていないのか、身体に気怠さが残るものの、動けないわけでもなく、アレクシオは固いベッドから起き上がると、窓を大きく開け放った。
明るい日差しが部屋の中に差し込み、新緑の爽やかな風が吹き込む。
昨夜のことがまるで嘘のように思える穏やかさだ。
差し込む強い日差しに目を眇めながら、窓から見える街の一角を見下ろせば、鼻を突くきな臭い匂いが、どこからか漂ってきた。
臭いがする方へ目を向ければ、真っ黒に焼き爛れた柱が、無残に残る焼け跡が視界に映る。
(――……酷いものだな)
原形を留めないほど、焼け落ちたそれが、昨夜、起きたことは嘘ではないと、切々と訴えかけてくる。
辛うじて火の手は逃れたものの、斜めに大きく傾いた家屋や、壁が崩れ落ちた家屋などが、そこかしこに何軒も見受けられ、ディハルトの放った魔法が、如何に凄まじい破壊力だったかを、まざまざと思い知らされる。
被害を被った一般居住区では、既に復旧作業が始まっており、多くの騎士や住民達が、焼き爛れた木材や瓦礫を肩に担ぎ、あっちにこっちにと忙しなく行き交いしている。
(――いつまでも眠っている場合じゃないな)
そんなことを思いつつ、見下ろしていた窓辺から離れ、身支度を整えると、アレクシオは部屋を後にした。
***
「アレク、起きても大丈夫なのか?」
部屋から出るなり、心配そうな表情を浮かべて、レナードが駆け寄ってくる。おそらく、一晩中、眠らずに看病していたのだろう。レナードの目は真っ赤に腫れ上がっている。
「ああ、もう大丈夫だ。昨夜の騒動に巻き込まれて、一般居住区で甚大な被害が出ているようだし、ゆっくり寝ている暇なんてなさそうだ」
「暇がないって、お前、少し前までセレネリウスの毒に魘されていたんだぞ!? 街の復旧なら他の連中がやっているんだから、お前が無理をする必要なんてないだろ!」
いつもは穏やかなレナードが、眦を上げて、珍しく声を荒げる。
らしからぬ、レナードのその様子に面喰いつつ、心底から心配をしてくれる誰かが、自分にもいることを再認識し、アレクシオは、ふっ、と目を細めた。
「本当に大丈夫だから心配するな。昨夜の件には俺も絡んでいる。悠長に寝ている場合じゃないんだ。それよりもミオの具合はどうなんだ?」
ふと、ミオのことを思い出し、彼女の容態を聞くなり、レナードがその表情を、あからさまに曇らせる。今一つ浮かないレナードのその面持ちに、アレクシオはひどく嫌な予感を覚えた。
昨夜、落ち着いた頃を見計らって、全身傷だらけのミオを孤児院まで連れ帰ったのは覚えているが、アレクシオ自身も、孤児院に着くなり、不覚にも気を失ってしまい、翌朝、目が覚めるまでの記憶はもちろんない。
今、彼女がどういう状況にあるのか分からないが、レナードの浮かない顔つきを見れば、ミオの容態が芳しくないことは一目瞭然だ。
「――……っ、ミオ!」
「アレク、落ち着けってば!」
言い知れない焦燥感に駆られ、いてもたってもいられず、ミオがいる部屋がどこなのか、よく確かめもしないまま、闇雲に行動に出ようとしたアレクシオに驚きつつ、一瞬早く動いたレナードが、冷静さを欠いたアレクシオの肩を押し留める。
「ミオなら落ち着いて眠っているよ。ひどい傷だったけど、命に別状はないから、安心していいよ。とりあえず外傷の方は治癒魔法で、ある程度までは回復させたけど、左肩の損傷は特にひどくて、治癒魔法だけでは回復させられそうになかったから、知り合いの医師に診てもらった。完治するまでは最低でも二週間はかかるだろうってさ」
「そうか。良かった。命に別状がないのを聞いて安心した」
だったら妙に深刻な表情を浮かべるのはやめてもらいたいのだが、という苦言は呑みこみつつ、ミオが無事だったことに、ひとまず安堵の息を吐く。
とはいえ、完治するまでに最低でも二週間も要するほどの重傷を負ったのかと思えば、どうしたって心中穏やかではいられない。
とにかく一度様子を見なければ、とあれこれと思考を巡らせていたら、憮然とした表情を浮かべながら、レナードがやおら口を開いた。
「それよりもアレク。昨夜、何があったんだ? ミオにしろ、お前にしろ、あんなひどい傷を負って帰ってくるなんて普通じゃないだろ?」
昨夜は突然のことにバタバタしていたから聞けなかったけどさあ、と付け加えながら、訝しげに眉を顰めたレナードにそんなことを問われ、アレクシオは一瞬、声を詰まらせてしまった。
これから起こるであろう様々なことを予見して、騎士団寄宿舎ではなく、孤児院に身を寄せることを選んだが、そうなると最低でもレナードには、ある程度の事情を話さなければいけないだろう。
そのことは端から想定していたが、しかしいざとなると、どこまで話せばよいのか迷ってしまう。
レナードとは幼い頃からの付き合いだから、その人柄や人望の厚さは十二分に知り得ているし、いずれにしても何らかの形で巻き込んでしまうのは明確だ。
それらのことを踏まえれば、やはりレナードには説明をしなければならない義務が発生するのだが。
「そのことについては後でゆっくりと話す。とにかく今はのんびりしている時間はない。急いで準備に取りかからなければいけないこともあるしな――……その前にミオの様子を確認しておきたいんだ。少しだけでいい。彼女に会わせてくれないか」
現段階では話せないと曖昧に答えを濁しつつ、こちらの要望を伝えれば、釈然としない面持ちを浮かべながらも、抜き差しならぬ切羽詰まった状況であることだけは伝わったらしい。
「よく眠っているから話をするのは無理だと思うけど、様子を見るくらいなら構わないよ」
「ああ、それでもいい。世話をかけるな、レナード」
手短に会話を終わらせ、あの部屋にいるよ、とレナードが教えてくれた部屋の前まで行き、固く閉ざされた部屋のドアをノックする。
当然ことだが、部屋の中から返事は戻ってこない。
「――……入るぞ、ミオ」
自分の声が彼女の耳に届かないことを分かりつつも、ドアの向こうで眠っているミオに声をかけると、アレクシオは部屋のドアをゆっくりと押し開いた。
嫌だ! 僕は母様を守るっ!
――だめよ、早く逃げて。
嫌だったら、嫌だっ!
――お願い。貴方はお父様の希望……私達の希望、なの。
嫌だ! 僕一人だけ残さないでっ!
――生きて。強く、強く……貴方にならそれが出来るはずよ。
嫌だっ! 僕一人では何も出来ない。僕一人では何も――……
――泣かないで、愛しい私の子。ここはお母様に任せて。さあ、お行きなさい。
母、様……っ。
――どんなに離れていても、私はいつも貴方の傍にいるわ。だから、どうか希望を捨てないで。
背中の後ろに迫り来る無数の篝火。どんどん近づいて来る足音と怒号。
溢れる涙を拭い、優しい母の手を振り切ると、暗闇の中を一人駆け出した。
―――強く生きて。
そう願った母の言葉を胸にただ強く生きるためだけに――
***
どれくらいの時間、眠っていたのだろうか。
疾うの昔に捨て去ったはずの懐かしい夢から、目が覚めたアレクシオは辺りを見回した。
寄宿舎の私室とは違う見慣れない天井。
身体を横たえているベッド以外にあるのは、背の低いチェストと古びた木机だけ。
机の上には水を張った器が置いてあり、燭台の蝋燭に炎は灯されていない。
(――……ああ、そうか。ここは孤児院、か)
最低限必要なものしか置いていない室内を見回しながら、上半身を起こして、額にかかる髪を掻き上げると、アレクシオは何とはなしに自分の右腕を見下ろした。
昨夜、ディハルトに斬りつけられた腕の傷は浅く、傷跡らしい傷は残っていない。
セレネリウスの毒素が抜け切っていないのか、身体に気怠さが残るものの、動けないわけでもなく、アレクシオは固いベッドから起き上がると、窓を大きく開け放った。
明るい日差しが部屋の中に差し込み、新緑の爽やかな風が吹き込む。
昨夜のことがまるで嘘のように思える穏やかさだ。
差し込む強い日差しに目を眇めながら、窓から見える街の一角を見下ろせば、鼻を突くきな臭い匂いが、どこからか漂ってきた。
臭いがする方へ目を向ければ、真っ黒に焼き爛れた柱が、無残に残る焼け跡が視界に映る。
(――……酷いものだな)
原形を留めないほど、焼け落ちたそれが、昨夜、起きたことは嘘ではないと、切々と訴えかけてくる。
辛うじて火の手は逃れたものの、斜めに大きく傾いた家屋や、壁が崩れ落ちた家屋などが、そこかしこに何軒も見受けられ、ディハルトの放った魔法が、如何に凄まじい破壊力だったかを、まざまざと思い知らされる。
被害を被った一般居住区では、既に復旧作業が始まっており、多くの騎士や住民達が、焼き爛れた木材や瓦礫を肩に担ぎ、あっちにこっちにと忙しなく行き交いしている。
(――いつまでも眠っている場合じゃないな)
そんなことを思いつつ、見下ろしていた窓辺から離れ、身支度を整えると、アレクシオは部屋を後にした。
***
「アレク、起きても大丈夫なのか?」
部屋から出るなり、心配そうな表情を浮かべて、レナードが駆け寄ってくる。おそらく、一晩中、眠らずに看病していたのだろう。レナードの目は真っ赤に腫れ上がっている。
「ああ、もう大丈夫だ。昨夜の騒動に巻き込まれて、一般居住区で甚大な被害が出ているようだし、ゆっくり寝ている暇なんてなさそうだ」
「暇がないって、お前、少し前までセレネリウスの毒に魘されていたんだぞ!? 街の復旧なら他の連中がやっているんだから、お前が無理をする必要なんてないだろ!」
いつもは穏やかなレナードが、眦を上げて、珍しく声を荒げる。
らしからぬ、レナードのその様子に面喰いつつ、心底から心配をしてくれる誰かが、自分にもいることを再認識し、アレクシオは、ふっ、と目を細めた。
「本当に大丈夫だから心配するな。昨夜の件には俺も絡んでいる。悠長に寝ている場合じゃないんだ。それよりもミオの具合はどうなんだ?」
ふと、ミオのことを思い出し、彼女の容態を聞くなり、レナードがその表情を、あからさまに曇らせる。今一つ浮かないレナードのその面持ちに、アレクシオはひどく嫌な予感を覚えた。
昨夜、落ち着いた頃を見計らって、全身傷だらけのミオを孤児院まで連れ帰ったのは覚えているが、アレクシオ自身も、孤児院に着くなり、不覚にも気を失ってしまい、翌朝、目が覚めるまでの記憶はもちろんない。
今、彼女がどういう状況にあるのか分からないが、レナードの浮かない顔つきを見れば、ミオの容態が芳しくないことは一目瞭然だ。
「――……っ、ミオ!」
「アレク、落ち着けってば!」
言い知れない焦燥感に駆られ、いてもたってもいられず、ミオがいる部屋がどこなのか、よく確かめもしないまま、闇雲に行動に出ようとしたアレクシオに驚きつつ、一瞬早く動いたレナードが、冷静さを欠いたアレクシオの肩を押し留める。
「ミオなら落ち着いて眠っているよ。ひどい傷だったけど、命に別状はないから、安心していいよ。とりあえず外傷の方は治癒魔法で、ある程度までは回復させたけど、左肩の損傷は特にひどくて、治癒魔法だけでは回復させられそうになかったから、知り合いの医師に診てもらった。完治するまでは最低でも二週間はかかるだろうってさ」
「そうか。良かった。命に別状がないのを聞いて安心した」
だったら妙に深刻な表情を浮かべるのはやめてもらいたいのだが、という苦言は呑みこみつつ、ミオが無事だったことに、ひとまず安堵の息を吐く。
とはいえ、完治するまでに最低でも二週間も要するほどの重傷を負ったのかと思えば、どうしたって心中穏やかではいられない。
とにかく一度様子を見なければ、とあれこれと思考を巡らせていたら、憮然とした表情を浮かべながら、レナードがやおら口を開いた。
「それよりもアレク。昨夜、何があったんだ? ミオにしろ、お前にしろ、あんなひどい傷を負って帰ってくるなんて普通じゃないだろ?」
昨夜は突然のことにバタバタしていたから聞けなかったけどさあ、と付け加えながら、訝しげに眉を顰めたレナードにそんなことを問われ、アレクシオは一瞬、声を詰まらせてしまった。
これから起こるであろう様々なことを予見して、騎士団寄宿舎ではなく、孤児院に身を寄せることを選んだが、そうなると最低でもレナードには、ある程度の事情を話さなければいけないだろう。
そのことは端から想定していたが、しかしいざとなると、どこまで話せばよいのか迷ってしまう。
レナードとは幼い頃からの付き合いだから、その人柄や人望の厚さは十二分に知り得ているし、いずれにしても何らかの形で巻き込んでしまうのは明確だ。
それらのことを踏まえれば、やはりレナードには説明をしなければならない義務が発生するのだが。
「そのことについては後でゆっくりと話す。とにかく今はのんびりしている時間はない。急いで準備に取りかからなければいけないこともあるしな――……その前にミオの様子を確認しておきたいんだ。少しだけでいい。彼女に会わせてくれないか」
現段階では話せないと曖昧に答えを濁しつつ、こちらの要望を伝えれば、釈然としない面持ちを浮かべながらも、抜き差しならぬ切羽詰まった状況であることだけは伝わったらしい。
「よく眠っているから話をするのは無理だと思うけど、様子を見るくらいなら構わないよ」
「ああ、それでもいい。世話をかけるな、レナード」
手短に会話を終わらせ、あの部屋にいるよ、とレナードが教えてくれた部屋の前まで行き、固く閉ざされた部屋のドアをノックする。
当然ことだが、部屋の中から返事は戻ってこない。
「――……入るぞ、ミオ」
自分の声が彼女の耳に届かないことを分かりつつも、ドアの向こうで眠っているミオに声をかけると、アレクシオは部屋のドアをゆっくりと押し開いた。