紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
罪を知る者と罰を乞う者②(アレク視点)
開け放たれた窓から吹き込む風に煽られ、淡い色合いのカーテンが、はたはたと靡く。街の喧騒が微かに届く中、ベッドに身体を横たえ、ミオは静かに眠っていた。
ベッドの傍らにあった椅子に腰を下ろし、眠っているミオの顔を覗き込む。
「――……ミオ、」
彼女の耳元に唇を寄せ、囁きかけてみたものの、反応はなく、まぶたは固く閉ざされたままだ。
目を覚ます気配のないミオを、しばしの間、見下ろしていたアレクシオはやがて、そろそろと腕を伸ばすと、眠っているミオの髪にそっと触れてみた。
窓から差し込む日差しに照らされ、淡く光る栗色の髪を指に絡め取り、彼女の柔らかい髪を撫でる。
それでも固く閉ざされたまぶたが開く様子はない。
すう、すうと寝息を立てて眠るミオの寝顔は、昨夜のことなんて、何もなかったかのように、あどけなく、とても穏やかなものだ。
けれどそんな穏やかな寝顔とは裏腹、彼女の左肩や首には幾重にも包帯が巻かれ、それだけでも痛々しいというのに、 淡く色づく彼女の頬には、何かの拍子についたのであろう傷が、薄っすらと残されていた。
指の先に絡め取っていた栗色の柔らかい髪を解き、彼女の頬に残る小さな傷跡に、そっと触れる。
一生残るほどの深い傷ではないものの、それでも顔に傷をつけるなど、許されるべき行為ではない。
それを平然とやってのけたディハルトの、人を人とも思わない残忍極まりない非道さに、ふつり、と腹の底から怒りが湧く。
だがそれ以上に許せなかったのは、凶行に及んだディハルトを止めきれなかった己の不甲斐なさだ。
「――……どうしてあのとき逃げなかったんだ、」
ぽつり、と落ちたアレクシオの問いかけは、けれどミオの耳に届くことなく、窓から吹き込んだ柔らかな風に流され、開け放たれた窓の向こうにある喧騒に掻き消されてしまう。
『私は絶対にアレクの傍から離れない』
朦朧とする意識の中ではっきりと聞こえた彼女の声。
結果としてそれがセレネリウスの毒に侵され、生死の境を彷徨っていたアレクシオの魂を、死の淵から引き上げることとなったのだが、その代償として、ミオは心身ともに完膚なきまでも、痛めつけられてしまうことになってしまった。
「殺めなければならなかったはずの『月に呼ばれし異端者』に命を救われるとは皮肉なものだな」
誰に言うでもなく呟いて、傍らで静かに眠るミオを見下ろす。
もしも彼女を見つけたのが自分ではなく、他の誰かであったならば、彼女は今でも生きていたのだろうか、とそんな考えが頭を過り、おそらくそれはなかっただろう、と瞬時に弾き出された自答に、何とも言えない複雑な心境に陥り、前髪を、くしゃり、と掻き上げると、アレクシオはそのまま額を抱えこんだ。
「本当にどうしてこんな面倒なことに巻き込まれなければいけないんだ」
『月に呼ばれし異端者』と関わりを持つこととなった一年前のあの日から、数えきれないほど、何度も口にしてきたお決まりの愚痴を溢して、アレクシオは、はあ、と溜め息を吐く。
叶うのであれば、こんなにも厄介で面倒なことからは、一日でも早く解放されたいと思うのが本音だ。
けれどこの煩わしさから解放されるには『月に呼ばれし異端者』である彼女を殺める以外に方法はないだろう。
だがしかし彼女を手にかけることなど、アレクシオには到底できるはずもない。
そもそも、そうすることができなかったから、今こうして永遠に解決することのない問題に直面し、苦渋を味わされる羽目となっているのだ。
それでも彼女を殺める以外の方法を、まったく考えなかったわけではない。
彼女の動向を一定期間観察し、危険因子がないと判断した時点で、彼女をどことなりに逃すことだって、できたはずなのだ。
実際、彼女を逃すためには、どうすればよいか、その方法を具体的に模索したことだってある。
けれど剣や魔法が使えないばかりか、この世界に関する知識をほとんど持たない彼女が、誰の助けも借りず、たった一人で生きていけるわけなどなく、彼女をどこかへ逃すことは断念せざるを得なくなり、最終的にレナードに預けるという形で落ち着いたのだ。
もっと欲を言うのであれば、彼女が生まれ育ったという『二ホン』に帰らせてやるのが、自分にとっても、彼女にとっても、そしてこの世界にとっても、一番の最善策であっただろう。
さすがにそうすることは、ほぼ不可能に近いことなのだが。
(――……それにしても少し深入りしすぎたな)
もう少し距離を置いて接するべきだった、と今さらながらにそんなことを思ったが、ここまで深く関わってしまった今となっては、それは遅すぎるというものだ。
アレクシオとしては一歩引いて観察していたつもりだったのだが、気がつけば、いつの間にやら、あれこれと世話を焼くことになっていたのだ。
どうしてそんなことになってしまったのか、その要因に関しては、アレクシオ自身もわからない。
ジオルドにミオとの関係性を問われたときに『森で迷子になっていた珍獣を偶然拾ってしまい、引き取り手を探したが、誰も現れず、致し方なく、自分が引き取って面倒を見ることにした』というような表現をしたが、正しく彼女に対する今の自分の心境を表すのだとすれば、飼っていた愛玩動物に情が湧いてしまったとしか言いようがないのだ。
気づかないうちに深入りしてしまったのは、彼女に対して情が湧いたからなのだろう、と結論づけようとして、アレクシオは今朝がた目が覚める直前まで見ていた懐かしい夢のことを、ふ、と思い出した。
それはアレクシオが幼かった頃の遠い遠い昔の記憶だ。
(ああ、そうか。情が湧いたというのも確かだろうが、ここまでミオのことを気にかけてしまうのは、もしかしたら幼い頃の自分を彼女に重ねて見ていたからなのかもしれないな)
そんなことを考えながら、アレクシオはもう一度、寝息を立てて眠るミオの頬にそっと触れた。
うっすらと残る傷跡が一日でも早く消えることを願いつつ、淡く色づいた円やかな頬に指を滑らせ、仄かに伝わる彼女の温もりを指先に感じ取りながら、一頻り撫でていたアレクシオはやがて名残惜しそうに、彼女の頬から指を離すと、かけていた椅子から立ち上がった。
彼女のことが気にかかる理由なんて、今となっては、どうだっていいことだ。
いずれにせよ、もう後戻りできないところまできてしまっている。
(それに――……)
昨夜、激動の狭間の最中、彼女に告げたことを思い出す。
「今回の件は俺が責任を持って後始末をするって約束したからな」
揺るがない決意を秘めた藍色の瞳で、彼女を見下ろしながら、そう言い残すと、身丈の長い黒のロングコートを翻し、アレクシオはミオが眠る部屋を後にした。
ベッドの傍らにあった椅子に腰を下ろし、眠っているミオの顔を覗き込む。
「――……ミオ、」
彼女の耳元に唇を寄せ、囁きかけてみたものの、反応はなく、まぶたは固く閉ざされたままだ。
目を覚ます気配のないミオを、しばしの間、見下ろしていたアレクシオはやがて、そろそろと腕を伸ばすと、眠っているミオの髪にそっと触れてみた。
窓から差し込む日差しに照らされ、淡く光る栗色の髪を指に絡め取り、彼女の柔らかい髪を撫でる。
それでも固く閉ざされたまぶたが開く様子はない。
すう、すうと寝息を立てて眠るミオの寝顔は、昨夜のことなんて、何もなかったかのように、あどけなく、とても穏やかなものだ。
けれどそんな穏やかな寝顔とは裏腹、彼女の左肩や首には幾重にも包帯が巻かれ、それだけでも痛々しいというのに、 淡く色づく彼女の頬には、何かの拍子についたのであろう傷が、薄っすらと残されていた。
指の先に絡め取っていた栗色の柔らかい髪を解き、彼女の頬に残る小さな傷跡に、そっと触れる。
一生残るほどの深い傷ではないものの、それでも顔に傷をつけるなど、許されるべき行為ではない。
それを平然とやってのけたディハルトの、人を人とも思わない残忍極まりない非道さに、ふつり、と腹の底から怒りが湧く。
だがそれ以上に許せなかったのは、凶行に及んだディハルトを止めきれなかった己の不甲斐なさだ。
「――……どうしてあのとき逃げなかったんだ、」
ぽつり、と落ちたアレクシオの問いかけは、けれどミオの耳に届くことなく、窓から吹き込んだ柔らかな風に流され、開け放たれた窓の向こうにある喧騒に掻き消されてしまう。
『私は絶対にアレクの傍から離れない』
朦朧とする意識の中ではっきりと聞こえた彼女の声。
結果としてそれがセレネリウスの毒に侵され、生死の境を彷徨っていたアレクシオの魂を、死の淵から引き上げることとなったのだが、その代償として、ミオは心身ともに完膚なきまでも、痛めつけられてしまうことになってしまった。
「殺めなければならなかったはずの『月に呼ばれし異端者』に命を救われるとは皮肉なものだな」
誰に言うでもなく呟いて、傍らで静かに眠るミオを見下ろす。
もしも彼女を見つけたのが自分ではなく、他の誰かであったならば、彼女は今でも生きていたのだろうか、とそんな考えが頭を過り、おそらくそれはなかっただろう、と瞬時に弾き出された自答に、何とも言えない複雑な心境に陥り、前髪を、くしゃり、と掻き上げると、アレクシオはそのまま額を抱えこんだ。
「本当にどうしてこんな面倒なことに巻き込まれなければいけないんだ」
『月に呼ばれし異端者』と関わりを持つこととなった一年前のあの日から、数えきれないほど、何度も口にしてきたお決まりの愚痴を溢して、アレクシオは、はあ、と溜め息を吐く。
叶うのであれば、こんなにも厄介で面倒なことからは、一日でも早く解放されたいと思うのが本音だ。
けれどこの煩わしさから解放されるには『月に呼ばれし異端者』である彼女を殺める以外に方法はないだろう。
だがしかし彼女を手にかけることなど、アレクシオには到底できるはずもない。
そもそも、そうすることができなかったから、今こうして永遠に解決することのない問題に直面し、苦渋を味わされる羽目となっているのだ。
それでも彼女を殺める以外の方法を、まったく考えなかったわけではない。
彼女の動向を一定期間観察し、危険因子がないと判断した時点で、彼女をどことなりに逃すことだって、できたはずなのだ。
実際、彼女を逃すためには、どうすればよいか、その方法を具体的に模索したことだってある。
けれど剣や魔法が使えないばかりか、この世界に関する知識をほとんど持たない彼女が、誰の助けも借りず、たった一人で生きていけるわけなどなく、彼女をどこかへ逃すことは断念せざるを得なくなり、最終的にレナードに預けるという形で落ち着いたのだ。
もっと欲を言うのであれば、彼女が生まれ育ったという『二ホン』に帰らせてやるのが、自分にとっても、彼女にとっても、そしてこの世界にとっても、一番の最善策であっただろう。
さすがにそうすることは、ほぼ不可能に近いことなのだが。
(――……それにしても少し深入りしすぎたな)
もう少し距離を置いて接するべきだった、と今さらながらにそんなことを思ったが、ここまで深く関わってしまった今となっては、それは遅すぎるというものだ。
アレクシオとしては一歩引いて観察していたつもりだったのだが、気がつけば、いつの間にやら、あれこれと世話を焼くことになっていたのだ。
どうしてそんなことになってしまったのか、その要因に関しては、アレクシオ自身もわからない。
ジオルドにミオとの関係性を問われたときに『森で迷子になっていた珍獣を偶然拾ってしまい、引き取り手を探したが、誰も現れず、致し方なく、自分が引き取って面倒を見ることにした』というような表現をしたが、正しく彼女に対する今の自分の心境を表すのだとすれば、飼っていた愛玩動物に情が湧いてしまったとしか言いようがないのだ。
気づかないうちに深入りしてしまったのは、彼女に対して情が湧いたからなのだろう、と結論づけようとして、アレクシオは今朝がた目が覚める直前まで見ていた懐かしい夢のことを、ふ、と思い出した。
それはアレクシオが幼かった頃の遠い遠い昔の記憶だ。
(ああ、そうか。情が湧いたというのも確かだろうが、ここまでミオのことを気にかけてしまうのは、もしかしたら幼い頃の自分を彼女に重ねて見ていたからなのかもしれないな)
そんなことを考えながら、アレクシオはもう一度、寝息を立てて眠るミオの頬にそっと触れた。
うっすらと残る傷跡が一日でも早く消えることを願いつつ、淡く色づいた円やかな頬に指を滑らせ、仄かに伝わる彼女の温もりを指先に感じ取りながら、一頻り撫でていたアレクシオはやがて名残惜しそうに、彼女の頬から指を離すと、かけていた椅子から立ち上がった。
彼女のことが気にかかる理由なんて、今となっては、どうだっていいことだ。
いずれにせよ、もう後戻りできないところまできてしまっている。
(それに――……)
昨夜、激動の狭間の最中、彼女に告げたことを思い出す。
「今回の件は俺が責任を持って後始末をするって約束したからな」
揺るがない決意を秘めた藍色の瞳で、彼女を見下ろしながら、そう言い残すと、身丈の長い黒のロングコートを翻し、アレクシオはミオが眠る部屋を後にした。