紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
罪を知る者と罰を乞う者④(アレク視点)
「鍛冶屋の裏手に馬車を用意している! まずは馬車でオルレーヌの丘の北東にある名もなき森へ向かえ! 森の入り口付近の泉に翼竜を待機させてあるから、そこから先、どこに向かえばいいかは二人で考えろ!」
「考えろ――……って、お前はどうするんだ! アレクシオ!」
「俺はここに残って時間を稼ぐ! その間に少しでも王都から遠く離れた場所へ行け!」
緊迫したアレクシオの声にいち早く行動を起こしたジオルドが、悪いな、子猫ちゃん、と耳元に囁きかけながら、眠っているミオの身体を抱き上げ、酒樽でも運ぶが如く、ひょいっとミオを肩の上に担ぐ。
その傍らで必要最低限の荷物を詰め込んでいたレナードは荷袋を肩に引っ掛けながら、アレクシオを見返した。
「死ぬなよ、アレク」
「そんな簡単に俺が死ぬように見えるか?」
「うーん、見えない……かな、」
「だったら余計な心配はするな、レナード」
「っていうか、お前たちはどうしてこういう状況下でも、笑って、そんな会話を交わせるんだ? まったく二人ともいい根性してるよなあ。んなことよりもレナード急ぐぞ! こんなところで、うだうだと下らねえ話をしてる場合じゃないだろうが」
「言われなくても分かっていますよ。ジオルド副師団長殿。食堂の床に子供たちが作った秘密の抜け道があるので、そこを通れば、連中に見つかることなく、教会の敷地内から抜け出すことができるでしょう。まあ少し狭いのでミオを抱えて通るとなると、かなり苦労するとは思いますがね」
「なるほどな。子供たちもたまにはいい仕事をするじゃねえか。いいだろう。その秘密の抜け道とやらに早く案内しろ」
そんな会話を交わしながら、ミオを肩に担いだジオルドと荷物を抱えたレナードが、部屋から出てゆくのを見届けていたアレクシオは、言い忘れていたことがあったのを思い出し、立ち去ろうとした二人の背中を引き留めた。
「ああ、そうだ。言い忘れていた。お前たちが荷担したことが、万が一にも、外部に漏れたとしても、何の罪にも問われないよう、根回しはしているから安心しろ。それからジオルド」
「ああ? なんだ、アレクシオ」
肩にミオを担いだまま、名指しされたジオルドが、訝しげに眉を顰めながら振り向く。
「後のことは頼んだぞ」
何を、とは具体的に口には出さず、自分が言いたいことを短い言葉で一方的に伝えると、アレクシオは犬でも追い払うかのような仕種で、早く行け、と促す。
そんなアレクシオのいけ好かない態度に、むうっ、と眉間に皺を寄せると、ずいっ、と前に一歩踏み出し、ジオルドは、ぐっ、と握り締めた拳を、アレクシオの腹に軽く叩きこんでやった。
不意打ちのそれに彫刻のような整った顔を歪めたアレクシオを見下ろし、ジオルドは、ざまあみろ、とほくそ笑む。
「てめえの後釜なんざあ、こっちから願い下げだ。俺は愛すべき女の子たちの相手をするので手一杯なんだよ。師団長なんて面倒くせえものなんかになってやるもんか。いいか、アレクシオ。耳の穴を掻っ穿って、よーく聞いておけ。俺は俺なりの方法で必ずお前を助け出す。だから城塞の地下牢で臭い飯でも食って、少しでも長く生き永らえてろ。途中で力尽きて死ぬような真似でもしてみろ。一生恨み続けてやるからな」
つらつらと物騒な言葉を並び立てるジオルドを見返し、殴られた腹を押さえながら、くっ、と咽喉を鳴らして不敵な笑みを浮べると、アレクシオは挑戦的な感情を燈した瞳で、ジオルドをまっすぐに見据えた。
「師団長なんて面倒くさい役職には就きたくないんだろう? だったらこうすればいい。俺が死なないよう、知恵を振り絞って必死に考えろ。そうして俺を必ず助け出せ。いいか、ジオルド。これは命令だ」
「くっ、面白え。いいだろう。その命令、しかと受け取ってやる」
ありがたく思えよ、と皮肉をたっぷりと込めた言葉を残すと、入り口で待つレナードのところまで行き、去り際に一瞥をくれてやると、もうアレクシオを振り返ることなく、ばたばたと慌ただしく、立ち去ってゆく。
二人の気配が完全に立ち去ったのを確認してから、もう一度、窓辺から眼下に広がる庭を見下ろせば、ちょうど入れ替わるように、大勢の取り巻きを引き連れ、孤児院に突入してくるヴィクトールの姿が見えた。
と同時に階下で、バターン、とけたたましい音を立ててドアが開き、立て続けにどやどやと大勢が立ち入る靴音が響く。
やれやれと溜め息を落とすと、騒ぎが大きくならないうちにと、アレクシオは自分から出向いてやることにした。
部屋から抜け出し、急いで階段を駆け下りれば、わらわらと大勢で入ってきた騎士たちに驚いて、何事が起きたのかと、子供たちがドアの隙間から不安げな表情で眺めやっている。
とその時だった。
「見つけたぞ! ひっ捕らえろ!」
アレクシオの姿を見かけた騎士の一人が大声を上げ、その声に合わせて、屈強そうな面構えをした騎士たちが一斉に武器を構える。
がなり立てる声と異様な雰囲気を感知した子供たちが、びくり、と怯えたことに気づき、ちっ、と舌打ちをすると、アレクシオは自ら大勢いる騎士たちの前へ進み出た。
「俺はどこかに逃げたり、隠れたりはしない。ここは子供たちが住まう孤児院だ。大声を上げたり、乱暴な行為に出るのは止めろ」
凛と澄んだ声を響かせて、アレクシオが言い放てば、大勢いる騎士たちのどこかから、生意気な口を叩くな、と罵る声が上がる。
その声を発端にざわざわと不穏に揺れる騎士たちを見遣りながら、この場を鎮めるにはどうすればいいんだ、と思考を巡らせようとして、意外な場所から救いの手が伸びた。
「まったくアレクシオの言う通りだよ。周りを見てごらんよ。子供たちがあんなにも怯えているじゃないか。君たちの中には同じ年頃の子を持つ親だっているだろう? 大人げない行動は慎んでもらわないと困るよ」
至極真っ当な意見を述べながら、武器を構える騎士たちを掻き分け、前へと進み出たのはヴィクトールだ。
アレクシオはこの男のことが大嫌いだが、この時ばかりは、ヴィクトールのような人間であっても、たまにはまともな発言をするのだなあ、と自分が置かれた状況も忘れ、ヴィクトールのことを見直したほどだ。
だがしかしアレクシオが、そんな暢気なことを考えられたのは、そこまでだった。
つい、とさらに一歩前へ進み出たヴィクトールが、薄いレンズ越しに瞬く瞳を細め、にたり、と薄く嗤う。
薄気味悪いその嗤いに虫唾が走るのを覚えながら、それでも冷静さを装うと、アレクシオは何事もなかったかのように口を開いた。
「これはこれはヴィクトール卿相殿ではないですか。このようなむさ苦しい大勢の取り巻きを引き連れて、子供たちが住まう孤児院にまで押しかけてくるとは、よほどの事情があってのことでしょうか?」
むろん、ヴィクトールがここまで出向いた理由など聞くまでもなかったが、にこり、と心にもない愛想笑いを浮かべて、ところどころに皮肉を込めて言ってやれば、片方の眉を、ぴくり、と持ち上げて、ヴィクトールはいたく不愉快そうにその貌を歪める。
けれどすぐにその表情を打ち消すと、ヴィクトールは早々に本題を切り出してきた。
「事情ってそれは君が一番よく知っているんじゃあないのかい?」
「さあ? 何の話でしょうか? 私には心当たりはありませんが」
「いやだなあ、アレクシオ。冗談も休み休み言いなよ。昨日も言っただろう。『月に呼ばれし異端者』かもしれない彼女に是非とも会いたいってさ」
「確かにそう仰っていましたが、顔合わせをするのは、明後日の昼――……すでに日付は変わっていますから、明日の昼に、というお話ではありませんでしたか? ヴィクトール卿相殿」
「確かにまあそう言ったんだけど、少し状況が変わってね。連絡も寄越さず、大勢で押しかけてしまったことについては心から詫びるよ。すまなかったね」
心から詫びているという割りには、ヴィクトールの口調は軽いものだ。先ほど一瞬だけ見直したが、やはり、この男のことは、好きになれそうにもない。
できるものなら、今すぐにでも回れ右をして、この場から立ち去りたかったが、さすがに今日ばかりはそうすることは許されないだろう。
などとそんなことを考えていたら、時を告げる鐘楼の澄んだ音色が、遠くの方から聞こえてきた。
一度だけ鳴らされたそれは三十分おきに鳴らされるものだ。
ひとつ前の鐘が打ち鳴らされたのは、ミオが異端者であることを、レナードやジオルドに伝えたくらいの頃だったから、逆算すれば、レナードとジオルドがミオを連れて、孤児院を抜け出してから、おそらく十五分以上は経過しているはずだ。
いつもとは明らかに異なる異様な雰囲気に、子供たちはすっかり怯えてしまい、ドアの隙間に隠れたきり、誰一人として部屋から出てこようとはしない。
本来であれば、孤児院の敷地内の広い庭を駆け回り、階段の手摺りを滑り台に見立てて遊び、元気にはしゃぐ声が、そこいらで飛び交っているはずだろうに。
子供たちのことを考えれば、あまりここに長くいるのは良くないだろう。
そう思ったアレクシオは一気に畳みかけることにした。
「彼女なら朝から出かけていて、ここにはいませんよ」
「そうかい。それは残念だね。けれど今日はここで引き下がるわけにはいかないんだよ。アレクシオは異世界から来たという、黒目の彼女と仲が良いらしいじゃないか。今日、訪れたのだって、彼女と会うために来たのだろう?」
「ええ、まあ、そうですね。ですが私自身も肩透かしを喰らって、ちょうど今から寄宿舎へ引き返そうかと思っていたところですよ」
「本当にそうなのかい? アレクシオ、君は彼女の居場所を知っているはずだろう?」
くっ、と口角を歪ませながら、また一歩、足を前へと踏み出し、距離を詰めてきたヴィクトールから、今度はアレクシオが堪りかねて、一歩、後ろへと引き下がれば、それに気づいたヴィクトールが薄らと嗤う。
「いえ――……残念ながら私自身も、彼女がどこにいるのかはわからないのです。居場所さえ、わかっていれば、私だって彼女に会いに行きますよ。ああでも甘いものに目がない彼女のことですから、もしかしたらメープル通りの菓子店巡りでもしているのかも知れませんね。私は寄宿舎の方へ戻りますが、どうしても彼女に会いたいと言うのであれば、メープル通りの菓子店を一軒一軒見て回ってはいかがです?」
まったく気味が悪い男だ、と嫌悪感を抱きつつ、言葉を巧みに操り、それとはなしに孤児院から早く立ち去るよう仕向ければ、このまま話を続けていても、いつまで経っても埒が明かないと、判断を下したのだろう。
「仕方がないなあ。ここで長々と喋っていては、子供たちも居心地が悪いだろうから、場所を移してゆっくりと話そうじゃないか。アレクシオもその方が都合がいいだろう?」
「ええ、まあ――……そうですね」
ひどく嫌な予感がする。
ヴィクトールの問いかけに頷きつつ、研ぎ澄まされた鋭い感覚で、アレクシオがそう感じ取るのと、ほぼ同時に、背後に控える騎士たちに、ちらり、と目配せをしたヴィクトールが、ぱちり、と指を弾く。
それを合図と受け取った大勢の取り巻きの騎士たちが、ざっと一斉に散らばり、四方八方を塞ぐように、アレクシオの周辺を囲った。
「これは何の真似です?」
「何の真似、って説明する必要があるのかい? 彼女の居場所については、城塞の地下に設えた監獄の中で、たっぷりと聞かせてもらうよ。先に言っておくけれど、隠し立てをしようとしても無駄だよ。君がその固い口を割るまで、死なない程度に拷問にでもかけて甚振ってやるからさ」
曲がっていたヴィクトールの薄い唇が、さらに湾曲して、歪な形へと変わってゆく。
さらに深くなった薄気味悪いその笑みは、最早、アレクシオの目には、生身の人間が浮べているようには見えなかった。
悪魔のそれと同等――いやそれ以上に醜く歪んだ笑みを浮べながら、アレクシオの周辺を囲う騎士たちに向かって、ヴィクトールが地を這うような声で、アレクシオにかけられた罪状を言い放つ。
「ディハルト・クレセント殺害容疑並び『月に呼ばれし異端者』を隠匿した罪で、身柄を拘束することを許可する! アレクシオ・クロウディアを今すぐ捕らえよ!」
「考えろ――……って、お前はどうするんだ! アレクシオ!」
「俺はここに残って時間を稼ぐ! その間に少しでも王都から遠く離れた場所へ行け!」
緊迫したアレクシオの声にいち早く行動を起こしたジオルドが、悪いな、子猫ちゃん、と耳元に囁きかけながら、眠っているミオの身体を抱き上げ、酒樽でも運ぶが如く、ひょいっとミオを肩の上に担ぐ。
その傍らで必要最低限の荷物を詰め込んでいたレナードは荷袋を肩に引っ掛けながら、アレクシオを見返した。
「死ぬなよ、アレク」
「そんな簡単に俺が死ぬように見えるか?」
「うーん、見えない……かな、」
「だったら余計な心配はするな、レナード」
「っていうか、お前たちはどうしてこういう状況下でも、笑って、そんな会話を交わせるんだ? まったく二人ともいい根性してるよなあ。んなことよりもレナード急ぐぞ! こんなところで、うだうだと下らねえ話をしてる場合じゃないだろうが」
「言われなくても分かっていますよ。ジオルド副師団長殿。食堂の床に子供たちが作った秘密の抜け道があるので、そこを通れば、連中に見つかることなく、教会の敷地内から抜け出すことができるでしょう。まあ少し狭いのでミオを抱えて通るとなると、かなり苦労するとは思いますがね」
「なるほどな。子供たちもたまにはいい仕事をするじゃねえか。いいだろう。その秘密の抜け道とやらに早く案内しろ」
そんな会話を交わしながら、ミオを肩に担いだジオルドと荷物を抱えたレナードが、部屋から出てゆくのを見届けていたアレクシオは、言い忘れていたことがあったのを思い出し、立ち去ろうとした二人の背中を引き留めた。
「ああ、そうだ。言い忘れていた。お前たちが荷担したことが、万が一にも、外部に漏れたとしても、何の罪にも問われないよう、根回しはしているから安心しろ。それからジオルド」
「ああ? なんだ、アレクシオ」
肩にミオを担いだまま、名指しされたジオルドが、訝しげに眉を顰めながら振り向く。
「後のことは頼んだぞ」
何を、とは具体的に口には出さず、自分が言いたいことを短い言葉で一方的に伝えると、アレクシオは犬でも追い払うかのような仕種で、早く行け、と促す。
そんなアレクシオのいけ好かない態度に、むうっ、と眉間に皺を寄せると、ずいっ、と前に一歩踏み出し、ジオルドは、ぐっ、と握り締めた拳を、アレクシオの腹に軽く叩きこんでやった。
不意打ちのそれに彫刻のような整った顔を歪めたアレクシオを見下ろし、ジオルドは、ざまあみろ、とほくそ笑む。
「てめえの後釜なんざあ、こっちから願い下げだ。俺は愛すべき女の子たちの相手をするので手一杯なんだよ。師団長なんて面倒くせえものなんかになってやるもんか。いいか、アレクシオ。耳の穴を掻っ穿って、よーく聞いておけ。俺は俺なりの方法で必ずお前を助け出す。だから城塞の地下牢で臭い飯でも食って、少しでも長く生き永らえてろ。途中で力尽きて死ぬような真似でもしてみろ。一生恨み続けてやるからな」
つらつらと物騒な言葉を並び立てるジオルドを見返し、殴られた腹を押さえながら、くっ、と咽喉を鳴らして不敵な笑みを浮べると、アレクシオは挑戦的な感情を燈した瞳で、ジオルドをまっすぐに見据えた。
「師団長なんて面倒くさい役職には就きたくないんだろう? だったらこうすればいい。俺が死なないよう、知恵を振り絞って必死に考えろ。そうして俺を必ず助け出せ。いいか、ジオルド。これは命令だ」
「くっ、面白え。いいだろう。その命令、しかと受け取ってやる」
ありがたく思えよ、と皮肉をたっぷりと込めた言葉を残すと、入り口で待つレナードのところまで行き、去り際に一瞥をくれてやると、もうアレクシオを振り返ることなく、ばたばたと慌ただしく、立ち去ってゆく。
二人の気配が完全に立ち去ったのを確認してから、もう一度、窓辺から眼下に広がる庭を見下ろせば、ちょうど入れ替わるように、大勢の取り巻きを引き連れ、孤児院に突入してくるヴィクトールの姿が見えた。
と同時に階下で、バターン、とけたたましい音を立ててドアが開き、立て続けにどやどやと大勢が立ち入る靴音が響く。
やれやれと溜め息を落とすと、騒ぎが大きくならないうちにと、アレクシオは自分から出向いてやることにした。
部屋から抜け出し、急いで階段を駆け下りれば、わらわらと大勢で入ってきた騎士たちに驚いて、何事が起きたのかと、子供たちがドアの隙間から不安げな表情で眺めやっている。
とその時だった。
「見つけたぞ! ひっ捕らえろ!」
アレクシオの姿を見かけた騎士の一人が大声を上げ、その声に合わせて、屈強そうな面構えをした騎士たちが一斉に武器を構える。
がなり立てる声と異様な雰囲気を感知した子供たちが、びくり、と怯えたことに気づき、ちっ、と舌打ちをすると、アレクシオは自ら大勢いる騎士たちの前へ進み出た。
「俺はどこかに逃げたり、隠れたりはしない。ここは子供たちが住まう孤児院だ。大声を上げたり、乱暴な行為に出るのは止めろ」
凛と澄んだ声を響かせて、アレクシオが言い放てば、大勢いる騎士たちのどこかから、生意気な口を叩くな、と罵る声が上がる。
その声を発端にざわざわと不穏に揺れる騎士たちを見遣りながら、この場を鎮めるにはどうすればいいんだ、と思考を巡らせようとして、意外な場所から救いの手が伸びた。
「まったくアレクシオの言う通りだよ。周りを見てごらんよ。子供たちがあんなにも怯えているじゃないか。君たちの中には同じ年頃の子を持つ親だっているだろう? 大人げない行動は慎んでもらわないと困るよ」
至極真っ当な意見を述べながら、武器を構える騎士たちを掻き分け、前へと進み出たのはヴィクトールだ。
アレクシオはこの男のことが大嫌いだが、この時ばかりは、ヴィクトールのような人間であっても、たまにはまともな発言をするのだなあ、と自分が置かれた状況も忘れ、ヴィクトールのことを見直したほどだ。
だがしかしアレクシオが、そんな暢気なことを考えられたのは、そこまでだった。
つい、とさらに一歩前へ進み出たヴィクトールが、薄いレンズ越しに瞬く瞳を細め、にたり、と薄く嗤う。
薄気味悪いその嗤いに虫唾が走るのを覚えながら、それでも冷静さを装うと、アレクシオは何事もなかったかのように口を開いた。
「これはこれはヴィクトール卿相殿ではないですか。このようなむさ苦しい大勢の取り巻きを引き連れて、子供たちが住まう孤児院にまで押しかけてくるとは、よほどの事情があってのことでしょうか?」
むろん、ヴィクトールがここまで出向いた理由など聞くまでもなかったが、にこり、と心にもない愛想笑いを浮かべて、ところどころに皮肉を込めて言ってやれば、片方の眉を、ぴくり、と持ち上げて、ヴィクトールはいたく不愉快そうにその貌を歪める。
けれどすぐにその表情を打ち消すと、ヴィクトールは早々に本題を切り出してきた。
「事情ってそれは君が一番よく知っているんじゃあないのかい?」
「さあ? 何の話でしょうか? 私には心当たりはありませんが」
「いやだなあ、アレクシオ。冗談も休み休み言いなよ。昨日も言っただろう。『月に呼ばれし異端者』かもしれない彼女に是非とも会いたいってさ」
「確かにそう仰っていましたが、顔合わせをするのは、明後日の昼――……すでに日付は変わっていますから、明日の昼に、というお話ではありませんでしたか? ヴィクトール卿相殿」
「確かにまあそう言ったんだけど、少し状況が変わってね。連絡も寄越さず、大勢で押しかけてしまったことについては心から詫びるよ。すまなかったね」
心から詫びているという割りには、ヴィクトールの口調は軽いものだ。先ほど一瞬だけ見直したが、やはり、この男のことは、好きになれそうにもない。
できるものなら、今すぐにでも回れ右をして、この場から立ち去りたかったが、さすがに今日ばかりはそうすることは許されないだろう。
などとそんなことを考えていたら、時を告げる鐘楼の澄んだ音色が、遠くの方から聞こえてきた。
一度だけ鳴らされたそれは三十分おきに鳴らされるものだ。
ひとつ前の鐘が打ち鳴らされたのは、ミオが異端者であることを、レナードやジオルドに伝えたくらいの頃だったから、逆算すれば、レナードとジオルドがミオを連れて、孤児院を抜け出してから、おそらく十五分以上は経過しているはずだ。
いつもとは明らかに異なる異様な雰囲気に、子供たちはすっかり怯えてしまい、ドアの隙間に隠れたきり、誰一人として部屋から出てこようとはしない。
本来であれば、孤児院の敷地内の広い庭を駆け回り、階段の手摺りを滑り台に見立てて遊び、元気にはしゃぐ声が、そこいらで飛び交っているはずだろうに。
子供たちのことを考えれば、あまりここに長くいるのは良くないだろう。
そう思ったアレクシオは一気に畳みかけることにした。
「彼女なら朝から出かけていて、ここにはいませんよ」
「そうかい。それは残念だね。けれど今日はここで引き下がるわけにはいかないんだよ。アレクシオは異世界から来たという、黒目の彼女と仲が良いらしいじゃないか。今日、訪れたのだって、彼女と会うために来たのだろう?」
「ええ、まあ、そうですね。ですが私自身も肩透かしを喰らって、ちょうど今から寄宿舎へ引き返そうかと思っていたところですよ」
「本当にそうなのかい? アレクシオ、君は彼女の居場所を知っているはずだろう?」
くっ、と口角を歪ませながら、また一歩、足を前へと踏み出し、距離を詰めてきたヴィクトールから、今度はアレクシオが堪りかねて、一歩、後ろへと引き下がれば、それに気づいたヴィクトールが薄らと嗤う。
「いえ――……残念ながら私自身も、彼女がどこにいるのかはわからないのです。居場所さえ、わかっていれば、私だって彼女に会いに行きますよ。ああでも甘いものに目がない彼女のことですから、もしかしたらメープル通りの菓子店巡りでもしているのかも知れませんね。私は寄宿舎の方へ戻りますが、どうしても彼女に会いたいと言うのであれば、メープル通りの菓子店を一軒一軒見て回ってはいかがです?」
まったく気味が悪い男だ、と嫌悪感を抱きつつ、言葉を巧みに操り、それとはなしに孤児院から早く立ち去るよう仕向ければ、このまま話を続けていても、いつまで経っても埒が明かないと、判断を下したのだろう。
「仕方がないなあ。ここで長々と喋っていては、子供たちも居心地が悪いだろうから、場所を移してゆっくりと話そうじゃないか。アレクシオもその方が都合がいいだろう?」
「ええ、まあ――……そうですね」
ひどく嫌な予感がする。
ヴィクトールの問いかけに頷きつつ、研ぎ澄まされた鋭い感覚で、アレクシオがそう感じ取るのと、ほぼ同時に、背後に控える騎士たちに、ちらり、と目配せをしたヴィクトールが、ぱちり、と指を弾く。
それを合図と受け取った大勢の取り巻きの騎士たちが、ざっと一斉に散らばり、四方八方を塞ぐように、アレクシオの周辺を囲った。
「これは何の真似です?」
「何の真似、って説明する必要があるのかい? 彼女の居場所については、城塞の地下に設えた監獄の中で、たっぷりと聞かせてもらうよ。先に言っておくけれど、隠し立てをしようとしても無駄だよ。君がその固い口を割るまで、死なない程度に拷問にでもかけて甚振ってやるからさ」
曲がっていたヴィクトールの薄い唇が、さらに湾曲して、歪な形へと変わってゆく。
さらに深くなった薄気味悪いその笑みは、最早、アレクシオの目には、生身の人間が浮べているようには見えなかった。
悪魔のそれと同等――いやそれ以上に醜く歪んだ笑みを浮べながら、アレクシオの周辺を囲う騎士たちに向かって、ヴィクトールが地を這うような声で、アレクシオにかけられた罪状を言い放つ。
「ディハルト・クレセント殺害容疑並び『月に呼ばれし異端者』を隠匿した罪で、身柄を拘束することを許可する! アレクシオ・クロウディアを今すぐ捕らえよ!」