紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~

追い詰められた少女の選択肢⑥

「どうして……こんな、」

 予期せぬ事態に頭が真っ白になってしまい、何も考えられず、先ほどから口を突いて出てくる言葉はそればかりだ。
 無残にも崩れ落ちた橋の残骸を茫然と見ていた彼女は、かつり、と響いた小石を踏み鳴らす音に背後を振り返り、視線の先にユリウスの姿を認めるなり、痛烈なまでの憤りを含んだ眼差しを投げつけた。

「――……っ、貴方が……貴方がやったのね!」
「一体、何の話です? 姫」
「とぼけないで! 貴方が橋を切り落としたんでしょう!?」

 感情を露わにして声を荒げる彼女のらしからぬその様子に、ユリウスは少し瞠目したが、すぐにその表情を打ち消すと、やれやれと言った体で小さく肩を竦めてみせた。

「私はひどく嫌われていますからね。姫がそう思われるのも致し方ないでしょう。ですが、以前より、この渓谷に渡された橋の耐久性に問題があったことは、姫もご存じだったのではありませんか? だからといって、橋が崩落した原因が、劣化によるものだと言い切れる確たる証拠は、どこにもありませんが」

 自嘲混じりの軽口のようにも聞こえるが、けれどもユリウスが口にしたことは、どれもこれも尤もなことだ。

 ガレス渓谷の両端を結ぶ橋の耐久性については、かなり昔から、その危険性が指摘されており、少数ではあるが、腐敗した橋床から足を滑らせ、谷底へ転落して死亡するという事例が、毎年のように報告されていて、一部の民からは、橋の利用を禁止すべきだ、との声も上がっている。
 だがしかし、そもそも辺境の地であるこの場所を訪れる者など、ほとんどいないなどの理由により、補修工事はおろか通行を禁じるなどの対策も講じられないまま、十数年以上も放置されているのだ。
 いつどのようにして橋が架けられたのかは分からないが、かなり劣化していたのは確かだろう。
 だがいくら劣化が進んでいたからと言って、頑丈な蔓(つる)で造られた橋が、そう簡単に根元から崩れ落ちてしまうことなどあるのだろうか。

 到底、納得がいく話ではないが、ユリウスも口にしたように、確たる証拠がなければ、誰かの手によって、切り落とされたとは主張できない。それに今ここで橋が崩れた要因を言及したところで、何が変わるわけでもない。
 今、確実に分かっているのは、関所に向かうための、唯一の移動手段であった吊り橋が崩落したという事実であり、その事実が彼女を極限の状態にまで、追い詰めているということだけだ。

 極限状態の中に身を置きつつも、あれこれと思案したことによって、昂ぶっていた神経が幾分か落ち着き、冷静さを取り戻した彼女は、自分を追っていた人間が、ユリウス以外にもいたことを思い出し、ざっと周囲に視線を巡らせた。

「ヴォルハラム達のことなら気にする必要はありませんよ。ちょうど姫とゆっくりと話をしたいと思っていたところでしたので、彼らには少し離れた場所で待機してもらっていますから」

 彼女が取った行動を見逃さなかったユリウスが、先手を打って、口を開く。
 口元に酷薄な笑みを浮かべながら、淡々とした口調で言い放ったユリウスの言に、彼女は訝しげに眉を寄せた。

 ユリウスが持ちかけてくる話など、ろくでもないものに決まっている。

 できるものなら、今すぐにでも、踵を返して立ち去りたいところだが、底の知れない深い断崖に背後を捉われている状態では、そうすることは難しいだろう。姿こそ確認できないが、すぐそばにはヴォルハラム達だって、身を潜めているはずだ。
 八方塞がりのこの状況を打破することは、ほぼ不可能だと思えたが、それでも彼女は彼らに掴まるわけにはいかなかった。

「――……話って何?」

 警戒心を解かぬまま、ユリウスの要望に渋々応じれば、それが意外だったのか、ユリウスが瞳を丸くさせる。けれどもすぐに真顔に戻ると、ユリウスは遠慮なく口を開いた。

「そうですね。何からお話し致しましょうか?」
「ふざけないで。要件を言いなさい」
「やれやれ、相変わらず、つれない態度ですね。婚約者だというのに――……それはそうと久しぶりの外出は満喫されましたか? 姫」

 何気なしにユリウスが溢した一言に嫌悪が募り、反論しかけたが、そのすぐ後に続いた妙な言い回しに違和感を覚えて、彼女は彼が口にしたその単語を口の中で転がすように反芻した。

「――……外出?」

 普段であれば、気にもかけない有り触れた言葉だが、なぜだか妙に引っかかる。
 どうしてこんなにも気になるのだろうかと、その要因を探ろうとして、その答えはほどなくユリウスの口から齎された。

「ええ、そうです。フォルトゥナの離宮にお見えになられてから、長期間に渡り、離宮内に引き篭もられ、ずいぶんと窮屈そうにされていたので、たまには外に出る機会もあった方が良いかと思い、その機会を差し上げたのですが、お気づきになりませんでしたか?」

 つらつらと饒舌に言葉を並び立てる物言いは、丁寧ではあるものの、その口調はどこか軽々しく、どうにも馬鹿にされているようにしか思えない。
 けれども彼が無駄に長く話してくれたおかげで、彼女はユリウスの発言の節々に垣間見える不自然さが、何であるかにようやく気づいた。

 不自然なのは直接的な言葉は一切口にしないその言い回しだ。

 彼女から言わせれば、自分は身に覚えのない罪を着せられ、潔白の身でありながら、フォルトゥナの離宮に半ば無理やりに幽閉され、それまで当たり前のようにあった自由を奪われたのだ。
 窮屈な思いをしていたのは確かだが、自ら望んでフォルトゥナの離宮に来たわけでもなければ、好き好んで引き篭もっていたわけでもない。
 それに彼女が起こした一連の行動が、仮に『外出』なのだとしたら、人の目を避けて夜中にこっそり抜け出したり、万が一の事態に備えて小細工を仕掛けたり、手間暇かけてそんな手の込んだ面倒なことなどしないだろうし、ましてやこれが『外出』なのであれば、剣や弓などの武器を携えた屈強な騎士たちが追ってきた挙句、威嚇攻撃をしてくることなどありえないだろう。
 不可解な彼の言い回しにどんどん不穏が募ってゆく。

 ――……一体、この男は何を考えているのだろうか。

 ふとそんなことを思いながら、少し離れて立つユリウスを、ちらり、と見遣って、冷淡な色を湛えた瞳と視線がかち合う。
 何を言うでもなく、冷ややかな視線を返すとともに、薄い唇が弧を描くのを見て、次の瞬間、彼が言わんとするその真意に気づき、彼女は大きく目を見開いた。

「どうやら気づかれたようですね、姫」
「――……っ、」

 口角を吊り上げて嘲るように、薄く笑うユリウスに対して、言いたいことはたくさんあるはずなのに、まるで張りついたかのように、声が咽喉の奥に痞(つか)えて思うように出てこない。
 言葉を失くして、ただ立ち尽くすことしかできないでいる彼女を、ユリウスは冷酷な色を湛えた瞳で見下ろしながら、小さく首を傾げて見せた。

「どうしてそのような表情をされるのですか? 久しぶりに外出できたのですから、もっとお喜びになられてはいかがです?」
「――……っ、これは外出なんかじゃないわ!」

 この期に及んでも尚、小馬鹿にしたような物言いをするユリウスに、苛立ちはついに頂点に達し、咽喉の奥に痞えていた声を、どうにか振り絞って反論に転じるなり、ユリウスは意外なことを聞いたとでも言わんばかり、ほう、と片方の眉を持ち上げた。

「外出ではないと仰るのでしたら、一体何なのです? 姫」
「それは――……っ、」

 亡命に決まってるでしょ! と声を張り上げて言ってやりたいところだが、それを実行に移してしまっては、ユリウスの思う壺に嵌まるだけだ。それに自分の立場をますます悪化させてしまうことは目に見えている。
 そもそもこちらから事実を明白にせずとも、ユリウスは全てを見通しているはずなのだ。
 けれど彼は決して、自らの口で当事者の悪事を暴露するようなことはしない。
 粗方の概要を把握していながら、何も知らない風を装って、言葉を巧みに操り、真綿で首を締めるがごとく、精神的に追い詰め、最終的に当事者本人の口を割らせて自白させるのが、ユリウスの常套のやり口だ。

「答えたくないのなら、それでも構わないでしょう。無理に聞き出す必要もありませんから。ところで姫、不思議には思われなかったのですか?」

 下手に答えるわけにもいかず、押し黙っている彼女を一瞥し、ユリウスがそんな質問を投げかけてくる。何の話だと眉を顰めかけて、けれど彼の薄い唇に不敵な笑みが瞬いたことに気づき、彼女はぞくりと背筋を震わせた。
 何だかすごく嫌な予感がする。
 これ以上、彼の話に耳を傾け続けるのは危険だ、と本能が警鐘を鳴らすが、前方をユリウスに塞がれ、後方を踏み外せば間違いなく、一巻の終わりを迎えるであろう、深い渓に挟まれた状態ではどうにもならない。
 彼女が抜き差しならぬ極限状態にあることは知っているだろうに、さらなる追い討ちをかけるよう、ユリウスは容赦なく、二の矢、三の矢を放った。

「数時間といえど、毎週のように一度だけ、空白の時間が生まれるような偶然が、本当にあると、お思いになられていたのですか?」

 嫌な予感は最悪の形となって的中した。
 悪意に満ちた笑みを浮かべながら、ユリウスが吐露したそれに、透き通った彼女の肌から、すうっ、と血の気が引いてゆく。

(ああ、全て彼が仕込んだことだったのだわ)

 彼女とて浮彫りとなった不自然な空白の時間を不審に思わなかったわけではない。
 他の者ならともかくユリウスでさえ姿を見せないなんておかしいと感じ、すぐにでも計画を実行に移したい気持ちを抑え、相手の動きに異変がないか、さらなる時間を費やし、慎重に慎重を重ね、その後も辛抱強く、観察し続けたのだ。
 万全の注意を払った上で、計画を実行に移した彼女に、落ち度や不手際があったわけではない。
 今回ばかりは相手が悪かったとしか言いようがないだろう。
 つまるところ、ユリウスの方が、彼女よりも一枚も二枚も――いやそれ以上に上手だっただけ、という話なのだから。
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