紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
どうやら破滅エンドは回避できたようです。
「とにもかくにも言えることは一つです! 貴女は悪しき者の手に拠って、封印されてしまった月王様を解放するために、この世界に喚ばれた『月に呼ばれし解放者』なのです!」
「――――――……はい?」
声高に響いたアルトゥールのその宣告に、私は間の抜けた声を洩らすと、ぱちくりっ、と目を瞬かせた。
うん? あれ? 何だか違和感があるんですけれど。
えーっと『月に呼ばれし解放者』? え、でも、アレクは『月に呼ばれし異端者』だって言ってたよね?
え、なに? これは『夢』なの? それとも『現実』なの?
「え……えーっと、あのうー、一つ、お尋ねしますが、私って『月に呼ばれし異端者』なんですよねえ?」
「はい? 『月に呼ばれし異端者』? ……って何ですかそれ?」
「いや、だから、穢れた世界を浄化させるために、全てを破壊し尽くして、無に還すとかなんとかで、とんでもねえクソヤロウだ! って、この世界では恐れ慄かれている大魔王的存在のことで、その『月に呼ばれし異端者』は、私なのだと、アレクはそう言ってましたけれど」
「はああああああ!? 何を言っているんですか!? 美緒さんはそんな悪魔のような異端者などではありません! 寧ろ、月王様を解放することに成功した暁には、女神さまだとか、聖女さまだとか、はてまたは救世主さまだとか言われて、この世界で暮らす全ての人々から崇められ、奉られるような尊い御方なのですよ! 感謝こそされど、忌み嫌われる存在だなんて、とんでもない! そんな出鱈目なことを言ったのは、どこの誰なんですか!」
「いや、だから、アレクが……っていうか、本当の本当に、私は、この世界に災いを齎して、全てを無に還すとかっていう、とんでもないバケモノみたいな存在ではないの?」
「だから違いますってば! 月王様に誓って、そんなことは絶対にないと言い切れます! だから信じて下さい! それにしても、いつの間に『解放者』が『異端者』に、すり替わっちゃったんでしょうねえ。きっと長い歴史を繰り返しているうちに、変わっちゃったんでしょうけれど、まったく、くだらない噂が好きですねえ。人間界の方々は」
最後の方はほとんど愚痴に近いことを口にして、アルトゥールは心底から呆れ果てたように、はあ、と溜め息を吐く。
「あのう……念のため、もう一回、確認するけれど、今、こうしてアルトゥールから聞いていることは『夢』ではないんだよね?」
「えっ!? って、またその話ですか!?」
「い、いや、違うの! その『異端者』じゃなかったってことが、まだ信じられなくて……」
アルトゥールの中では既に解決済みになっているらしい『これは夢なのか!? はてまた現実なのか!?』問題に触れれば、翡翠を埋め込んだような碧の瞳を、ぎょっ、と大きく見開くと、アルトゥールはあからさまに、その馬面をものすごく嫌そうに顰める。
そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか、と思ったものの、私としても正直なところ、これが夢なのか、現実なのか、という点に関しては、この際、もうどっちでもいい、と思っているのだけれど、自分が『月に呼ばれし異端者』なんていう破滅フラグを持った物騒なものであるのか、否か、に関しては、きちんとこの場で白黒はっきりとさせておきたいのだ。
そんな気持ちが働いて確認したのだと付け加えれば、アルトゥールは、ああ、そういうことですか、とちょっと安心した様子で息を吐く。
「もちろん、これは『夢』ではありません。ですから美緒さんが長い夢から醒めて、現実に戻ったとしても、貴女が『月に呼ばれし解放者』であるということは、変わらない事実ですので、どうか安心してください」
「ほ……本当に? 本当の本当に『異端者』じゃないのね?」
「だーかーらーっ! 違うって何回も言ってるじゃないですかー!」
「……っ、ふえっ、く、よ……よかったああああああ!」
「うえっ!? って、み、みみみ、美緒さん!?」
ちょっと軽口なところはあるけれど、それでも一貫して、丁寧な口調で話をしていたアルトゥールが、嫌気が差して語尾を荒げてしまうくらい、何度も、何度も、しつこく確認を繰り返して、ようやく、自分がセラフィリアを滅亡させるような、破滅フラグは持っていないんだって実感するなり、心の片隅にずうっと重く圧しかかっていた『異端者』という名の枷が、ぱきりっ、と音を立てて外れる。
と同時に張り詰めていた神経が一気に解け、涼やかに揺れる金色の稲穂の絨毯の上に、へなり、と座り込むと、私はわんわんと声を上げて、子供みたいに泣き出していた。
その拍子に私の手のひらから投げ出されたアルトゥールが、泣きじゃくる私の肩の上によじ登ってくると、長く伸びる鼻の先を頬にくっつけて、すりすりと擦りつけてくる。
どうやら慰めてくれているようだ。
「ごっ、ごめん……っ、ひっくっ、な……なぐづもりはながっだんだげど、でも……っ、ふえっく、い、いだんじゃじゃあないっで、わが、わがづだら、な、なんか、うぅー、ぞの、あ、あんじんじで……」
嗚咽と鼻水とその他諸々の要因で、まともに発音することができず、えぐえぐと声を詰まらせながら謝れば、アルトゥールはちょっと困ったような表情を浮かべる。
私の肩の上にちょこんと乗っかったまま、しばしの間、うーん、と唸り声を上げて、何かを思い悩んでいたアルトゥールは、やがて仕方ないですね、と独り言ちて、私の肩からぴょこんと飛び降りると、これまでに何度か耳にしたことのある、自動翻訳機では決して変換されることのない、音色に近いそれを紡ぎ始めた。
りーん、りーん、と涼やかな音を立てる金色の絨毯と、アルトゥールが奏でる美しい旋律が一つに交じり合って、優しく凪ぐ風の中に溶けてゆく。
どこまでも澄み渡る心地好いアルトゥールの唄に耳を澄ませていたら、どうやら詠唱し終えたらしい。
美しく響く言の葉を紡いでいた口を閉じるなり、アルトゥールの身体を、柔らかい光を纏った綿毛のようなものが包み込む。
と次の瞬間、空気と一緒に、ぱんっ、と光が弾け飛んだかと思えば、ミニチュアサイズの馬だったアルトゥールが、一瞬にして、人の姿へと変わってしまった。
「――――――……っ!!!!」
あまりの驚きに思わず声を失ってしまったが、それは致し方ないだろう。
だって手のひらに載るくらいの大きさの馬だったアルトゥールが、いきなり等身大の人間に姿を変えただけでも、ものすごく衝撃的だというのに、私の目の前に現れた人間の形をしたアルトゥールは、この世に存在する美を司る女神たち全員が、嫉妬するほどの絶世の美女だったのだ!
女性とも男性ともつかない中世的な顔立ちは、人のものとは思えぬほどの素晴らしい造りで、その類い稀なる美しさは、あまりにも神々しすぎて、最早、ときめくとか、そういうレベルではない。
宝石を埋め込んだかのような萌葱色の瞳は切れ長で美しく、背中に流れる金色の髪は日差しを受けて、きらきらと輝き、ところどころに見え隠れする肌は、雪のように白く透き通っている。
上背はかなり高いものの、その体躯は触れると折れそうなくらい線が細く、纏っているローブのような白い衣が、さらにその華奢さを際立たせている。
肌白でひょろっとしているから、ぱっと見た感じでは、ものすごく弱々しく見えるけれど、じっくり観察をしてみれば、頬も、唇も、髪も、肌も、とても瑞々しく、弾力があり、とても健康的だ。
頭のてっぺんから足の爪先に至るまで、余すところなく、全てのパーツをまじまじと眺めやったが、人の姿に変わったアルトゥールは、それはそれはもう想像を絶するほどの美しさだ。
(……ってなにこの人。いや馬?)
一般的に認識されている美しさの範疇を、大きく逸脱したその見目麗しい美貌に、すっかり心を奪われてしまい、ぽかん、と口を開いて絶句していたら、目線を合わせるように身を屈めると、アルトゥールは細い腕を遠慮がちに伸ばして、そうっと頬に触れた。
頬に柔らかく触れる指先から伝わる温もりを認識できるものの、あまりにも美しすぎる造形物が、自分に触れているということが畏れ多すぎて、ぴきり、と固まっていたら、アルトゥールの金色の長い髪が、ふわり、と風に靡く。
さらさらと流れる黄金の髪の合間から、覗いた形の良い額に浮き上がったそれを見て、私は思わず目を瞠ってしまった。
「――……紅の、月?」
アルトゥールの額の真ん中に、ほんのりと浮かび上がっていたのは、猫の目のように細い三日月の形をした痣だ。
こちらの世界に浮かぶ月とまったく同じ色をした三日月の痣を見つめつつ、どうしてこんな痣があるのだろう、と不思議に思って首を傾げていたら、頬に触れていたアルトゥールの指が離れて、今度はその手が私の手首を掴んだ。
「え……な、なに?」
「美緒さん、私の額に浮かび上がった痣に触れてみて下さい」
「えっ!? って、さ、触るの!?」
「ええ、遠慮はいりませんから、どうぞ」
萌葱色の瞳を細めながら、そんなことを言って、アルトゥールはやんわりと微笑む。
破壊力抜群な絶世の美女のその笑みに、ひいいいいっ、と慄きつつ、手を引くアルトゥールに逆らえず、私は恐る恐る指先を伸ばすと、アルトゥールの額に浮かび上がる三日月の形の痣に、そっと触れてみた。
と次の瞬間、稲穂のような植物が奏でるそれとは全く異なる澄んだ音色が、頭の片隅で、りーんと鳴り響く。
それと同時にアルトゥールの額に触れた私の指先から淡い光が溢れ出した。
「え……ってなにこれ!? ま、魔法!?」
「美緒さん、指を離さないで下さい。もう少しで終わりますから」
突然のことに驚いて、引っ込めようとした手を、アルトゥールが掴む。
魔法を唱えられるほどの魔力なんて持ち合わせていないはずなんだけど、と戸惑っている間にも、頭の片隅で鳴り響く鈴の音は、どんどん大きくなってゆく。
やがて、頭の中で、ぱんっ、と音色が弾け飛んだかと思えば、指の先から溢れ返った淡い光は、アルトゥールの額に浮かび上がった紅色の、三日月を象った痣に集約されてゆき、ほどなくして、額の痣の中に吸い込まれるように消えてしまう。
と同時に紅色をしていたはずの痣は、その色を従来のものである、琥珀色の三日月へと変えていた。
「え、な、なにこれ!? 額の痣の色が変わったんだけど!」
「美緒さん、それこそが『月に呼ばれし解放者』として、貴女に授けられた力なのです」
「ち……力???」
いきなり貴女に授けられた力なんです! とか言われても、いまいちピンとこない。
いったい何の話なのだ? と首を傾げていたら、乙女を護る騎士がごとく、金色の柔らかな草原の上に恭しく跪くと、アルトゥールは戸惑う私の右手をそっと取った。
「美緒さん、貴女には輝きを失った月を、元の姿に戻す力があるのです」
「そ……そんな、いきなり力があるなんて言われても――……」
「先ほど私の額の痣の色を変えたのは、紛れもなく、『月に呼ばれし解放者』である貴女の力なのです」
「で、でも……」
何らかの事情で異世界に召喚あるいは転生した主人公の多くに与えられる特殊能力とやらを、私ももれなく授かったようなのだが、輝きを失った月を元に戻す能力なんて、他ではあまり聞かないし、それがいかほどにすごい能力なのかも、まったくわからない。
どう反応すればよいのかすらもわからず、困り果てていたら、跪いていたアルトゥールが、萌葱色の鮮やかな瞳を、つい、と向けると、まっすぐに見つめてきた。
世の中のどんな女神よりも、美しい造形を持つアルトゥールに見つめられ、思わず、どきり、と心臓が高鳴ってしまう。
「封印されてしまった月王様を救えるのは、『月に呼ばれし解放者』である美緒さん以外、他の誰にも成し得ないことなのです。ですからどうか――……」
女性と見紛うほどの見目麗しい美貌の持ち主なのに、艶やかな唇から紡ぎ出される声は男性を思わせるもので、ああ、やっぱりアルトゥールは♂だったのねええええ! と改めて認識していたら、こちらを見つめていたアルトゥールの美しい顔が、ふっ、と視界から消える。
と、次の瞬間、右手の薬指の付け根に柔らかな唇の感触が落ちてきた。
え、と固まって、数秒後。
「――――――――……っ!?!?」
今しがた自分が受けた行為が、童話とかに登場する王子さまが、愛おしい姫君に対して行う『忠誠を誓うキス』であることに気づき、稼働していた思考回路が、彼方へと吹き飛んでしまう。
あまりにもの不意打ちのそれに、水槽で泳ぐ金魚みたく、口をパクパクとさせて驚いていたら、手の甲から唇を離したアルトゥールが、ちらり、と視線を寄越す。
そうしてから翡翠を思わせる美しい瞳の上に、長い睫毛をそっと落とすと、アルトゥールは跪いたまま、たおやかに頭を垂れると、慎ましやかに言葉を紡いだ。
「お力添えをお願い致します。美緒さん、私の話を聞いてくれますか?」
「――――――……はい?」
声高に響いたアルトゥールのその宣告に、私は間の抜けた声を洩らすと、ぱちくりっ、と目を瞬かせた。
うん? あれ? 何だか違和感があるんですけれど。
えーっと『月に呼ばれし解放者』? え、でも、アレクは『月に呼ばれし異端者』だって言ってたよね?
え、なに? これは『夢』なの? それとも『現実』なの?
「え……えーっと、あのうー、一つ、お尋ねしますが、私って『月に呼ばれし異端者』なんですよねえ?」
「はい? 『月に呼ばれし異端者』? ……って何ですかそれ?」
「いや、だから、穢れた世界を浄化させるために、全てを破壊し尽くして、無に還すとかなんとかで、とんでもねえクソヤロウだ! って、この世界では恐れ慄かれている大魔王的存在のことで、その『月に呼ばれし異端者』は、私なのだと、アレクはそう言ってましたけれど」
「はああああああ!? 何を言っているんですか!? 美緒さんはそんな悪魔のような異端者などではありません! 寧ろ、月王様を解放することに成功した暁には、女神さまだとか、聖女さまだとか、はてまたは救世主さまだとか言われて、この世界で暮らす全ての人々から崇められ、奉られるような尊い御方なのですよ! 感謝こそされど、忌み嫌われる存在だなんて、とんでもない! そんな出鱈目なことを言ったのは、どこの誰なんですか!」
「いや、だから、アレクが……っていうか、本当の本当に、私は、この世界に災いを齎して、全てを無に還すとかっていう、とんでもないバケモノみたいな存在ではないの?」
「だから違いますってば! 月王様に誓って、そんなことは絶対にないと言い切れます! だから信じて下さい! それにしても、いつの間に『解放者』が『異端者』に、すり替わっちゃったんでしょうねえ。きっと長い歴史を繰り返しているうちに、変わっちゃったんでしょうけれど、まったく、くだらない噂が好きですねえ。人間界の方々は」
最後の方はほとんど愚痴に近いことを口にして、アルトゥールは心底から呆れ果てたように、はあ、と溜め息を吐く。
「あのう……念のため、もう一回、確認するけれど、今、こうしてアルトゥールから聞いていることは『夢』ではないんだよね?」
「えっ!? って、またその話ですか!?」
「い、いや、違うの! その『異端者』じゃなかったってことが、まだ信じられなくて……」
アルトゥールの中では既に解決済みになっているらしい『これは夢なのか!? はてまた現実なのか!?』問題に触れれば、翡翠を埋め込んだような碧の瞳を、ぎょっ、と大きく見開くと、アルトゥールはあからさまに、その馬面をものすごく嫌そうに顰める。
そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか、と思ったものの、私としても正直なところ、これが夢なのか、現実なのか、という点に関しては、この際、もうどっちでもいい、と思っているのだけれど、自分が『月に呼ばれし異端者』なんていう破滅フラグを持った物騒なものであるのか、否か、に関しては、きちんとこの場で白黒はっきりとさせておきたいのだ。
そんな気持ちが働いて確認したのだと付け加えれば、アルトゥールは、ああ、そういうことですか、とちょっと安心した様子で息を吐く。
「もちろん、これは『夢』ではありません。ですから美緒さんが長い夢から醒めて、現実に戻ったとしても、貴女が『月に呼ばれし解放者』であるということは、変わらない事実ですので、どうか安心してください」
「ほ……本当に? 本当の本当に『異端者』じゃないのね?」
「だーかーらーっ! 違うって何回も言ってるじゃないですかー!」
「……っ、ふえっ、く、よ……よかったああああああ!」
「うえっ!? って、み、みみみ、美緒さん!?」
ちょっと軽口なところはあるけれど、それでも一貫して、丁寧な口調で話をしていたアルトゥールが、嫌気が差して語尾を荒げてしまうくらい、何度も、何度も、しつこく確認を繰り返して、ようやく、自分がセラフィリアを滅亡させるような、破滅フラグは持っていないんだって実感するなり、心の片隅にずうっと重く圧しかかっていた『異端者』という名の枷が、ぱきりっ、と音を立てて外れる。
と同時に張り詰めていた神経が一気に解け、涼やかに揺れる金色の稲穂の絨毯の上に、へなり、と座り込むと、私はわんわんと声を上げて、子供みたいに泣き出していた。
その拍子に私の手のひらから投げ出されたアルトゥールが、泣きじゃくる私の肩の上によじ登ってくると、長く伸びる鼻の先を頬にくっつけて、すりすりと擦りつけてくる。
どうやら慰めてくれているようだ。
「ごっ、ごめん……っ、ひっくっ、な……なぐづもりはながっだんだげど、でも……っ、ふえっく、い、いだんじゃじゃあないっで、わが、わがづだら、な、なんか、うぅー、ぞの、あ、あんじんじで……」
嗚咽と鼻水とその他諸々の要因で、まともに発音することができず、えぐえぐと声を詰まらせながら謝れば、アルトゥールはちょっと困ったような表情を浮かべる。
私の肩の上にちょこんと乗っかったまま、しばしの間、うーん、と唸り声を上げて、何かを思い悩んでいたアルトゥールは、やがて仕方ないですね、と独り言ちて、私の肩からぴょこんと飛び降りると、これまでに何度か耳にしたことのある、自動翻訳機では決して変換されることのない、音色に近いそれを紡ぎ始めた。
りーん、りーん、と涼やかな音を立てる金色の絨毯と、アルトゥールが奏でる美しい旋律が一つに交じり合って、優しく凪ぐ風の中に溶けてゆく。
どこまでも澄み渡る心地好いアルトゥールの唄に耳を澄ませていたら、どうやら詠唱し終えたらしい。
美しく響く言の葉を紡いでいた口を閉じるなり、アルトゥールの身体を、柔らかい光を纏った綿毛のようなものが包み込む。
と次の瞬間、空気と一緒に、ぱんっ、と光が弾け飛んだかと思えば、ミニチュアサイズの馬だったアルトゥールが、一瞬にして、人の姿へと変わってしまった。
「――――――……っ!!!!」
あまりの驚きに思わず声を失ってしまったが、それは致し方ないだろう。
だって手のひらに載るくらいの大きさの馬だったアルトゥールが、いきなり等身大の人間に姿を変えただけでも、ものすごく衝撃的だというのに、私の目の前に現れた人間の形をしたアルトゥールは、この世に存在する美を司る女神たち全員が、嫉妬するほどの絶世の美女だったのだ!
女性とも男性ともつかない中世的な顔立ちは、人のものとは思えぬほどの素晴らしい造りで、その類い稀なる美しさは、あまりにも神々しすぎて、最早、ときめくとか、そういうレベルではない。
宝石を埋め込んだかのような萌葱色の瞳は切れ長で美しく、背中に流れる金色の髪は日差しを受けて、きらきらと輝き、ところどころに見え隠れする肌は、雪のように白く透き通っている。
上背はかなり高いものの、その体躯は触れると折れそうなくらい線が細く、纏っているローブのような白い衣が、さらにその華奢さを際立たせている。
肌白でひょろっとしているから、ぱっと見た感じでは、ものすごく弱々しく見えるけれど、じっくり観察をしてみれば、頬も、唇も、髪も、肌も、とても瑞々しく、弾力があり、とても健康的だ。
頭のてっぺんから足の爪先に至るまで、余すところなく、全てのパーツをまじまじと眺めやったが、人の姿に変わったアルトゥールは、それはそれはもう想像を絶するほどの美しさだ。
(……ってなにこの人。いや馬?)
一般的に認識されている美しさの範疇を、大きく逸脱したその見目麗しい美貌に、すっかり心を奪われてしまい、ぽかん、と口を開いて絶句していたら、目線を合わせるように身を屈めると、アルトゥールは細い腕を遠慮がちに伸ばして、そうっと頬に触れた。
頬に柔らかく触れる指先から伝わる温もりを認識できるものの、あまりにも美しすぎる造形物が、自分に触れているということが畏れ多すぎて、ぴきり、と固まっていたら、アルトゥールの金色の長い髪が、ふわり、と風に靡く。
さらさらと流れる黄金の髪の合間から、覗いた形の良い額に浮き上がったそれを見て、私は思わず目を瞠ってしまった。
「――……紅の、月?」
アルトゥールの額の真ん中に、ほんのりと浮かび上がっていたのは、猫の目のように細い三日月の形をした痣だ。
こちらの世界に浮かぶ月とまったく同じ色をした三日月の痣を見つめつつ、どうしてこんな痣があるのだろう、と不思議に思って首を傾げていたら、頬に触れていたアルトゥールの指が離れて、今度はその手が私の手首を掴んだ。
「え……な、なに?」
「美緒さん、私の額に浮かび上がった痣に触れてみて下さい」
「えっ!? って、さ、触るの!?」
「ええ、遠慮はいりませんから、どうぞ」
萌葱色の瞳を細めながら、そんなことを言って、アルトゥールはやんわりと微笑む。
破壊力抜群な絶世の美女のその笑みに、ひいいいいっ、と慄きつつ、手を引くアルトゥールに逆らえず、私は恐る恐る指先を伸ばすと、アルトゥールの額に浮かび上がる三日月の形の痣に、そっと触れてみた。
と次の瞬間、稲穂のような植物が奏でるそれとは全く異なる澄んだ音色が、頭の片隅で、りーんと鳴り響く。
それと同時にアルトゥールの額に触れた私の指先から淡い光が溢れ出した。
「え……ってなにこれ!? ま、魔法!?」
「美緒さん、指を離さないで下さい。もう少しで終わりますから」
突然のことに驚いて、引っ込めようとした手を、アルトゥールが掴む。
魔法を唱えられるほどの魔力なんて持ち合わせていないはずなんだけど、と戸惑っている間にも、頭の片隅で鳴り響く鈴の音は、どんどん大きくなってゆく。
やがて、頭の中で、ぱんっ、と音色が弾け飛んだかと思えば、指の先から溢れ返った淡い光は、アルトゥールの額に浮かび上がった紅色の、三日月を象った痣に集約されてゆき、ほどなくして、額の痣の中に吸い込まれるように消えてしまう。
と同時に紅色をしていたはずの痣は、その色を従来のものである、琥珀色の三日月へと変えていた。
「え、な、なにこれ!? 額の痣の色が変わったんだけど!」
「美緒さん、それこそが『月に呼ばれし解放者』として、貴女に授けられた力なのです」
「ち……力???」
いきなり貴女に授けられた力なんです! とか言われても、いまいちピンとこない。
いったい何の話なのだ? と首を傾げていたら、乙女を護る騎士がごとく、金色の柔らかな草原の上に恭しく跪くと、アルトゥールは戸惑う私の右手をそっと取った。
「美緒さん、貴女には輝きを失った月を、元の姿に戻す力があるのです」
「そ……そんな、いきなり力があるなんて言われても――……」
「先ほど私の額の痣の色を変えたのは、紛れもなく、『月に呼ばれし解放者』である貴女の力なのです」
「で、でも……」
何らかの事情で異世界に召喚あるいは転生した主人公の多くに与えられる特殊能力とやらを、私ももれなく授かったようなのだが、輝きを失った月を元に戻す能力なんて、他ではあまり聞かないし、それがいかほどにすごい能力なのかも、まったくわからない。
どう反応すればよいのかすらもわからず、困り果てていたら、跪いていたアルトゥールが、萌葱色の鮮やかな瞳を、つい、と向けると、まっすぐに見つめてきた。
世の中のどんな女神よりも、美しい造形を持つアルトゥールに見つめられ、思わず、どきり、と心臓が高鳴ってしまう。
「封印されてしまった月王様を救えるのは、『月に呼ばれし解放者』である美緒さん以外、他の誰にも成し得ないことなのです。ですからどうか――……」
女性と見紛うほどの見目麗しい美貌の持ち主なのに、艶やかな唇から紡ぎ出される声は男性を思わせるもので、ああ、やっぱりアルトゥールは♂だったのねええええ! と改めて認識していたら、こちらを見つめていたアルトゥールの美しい顔が、ふっ、と視界から消える。
と、次の瞬間、右手の薬指の付け根に柔らかな唇の感触が落ちてきた。
え、と固まって、数秒後。
「――――――――……っ!?!?」
今しがた自分が受けた行為が、童話とかに登場する王子さまが、愛おしい姫君に対して行う『忠誠を誓うキス』であることに気づき、稼働していた思考回路が、彼方へと吹き飛んでしまう。
あまりにもの不意打ちのそれに、水槽で泳ぐ金魚みたく、口をパクパクとさせて驚いていたら、手の甲から唇を離したアルトゥールが、ちらり、と視線を寄越す。
そうしてから翡翠を思わせる美しい瞳の上に、長い睫毛をそっと落とすと、アルトゥールは跪いたまま、たおやかに頭を垂れると、慎ましやかに言葉を紡いだ。
「お力添えをお願い致します。美緒さん、私の話を聞いてくれますか?」