紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
囚われの騎士団長を救い出せ! Missionː1
「ねえ、美緒。本当に大丈夫なの? どこか痛みがあるとか、気分が悪いとか、そういう不具合出てない?」
「いや本当にレナードの言う通りだぞ。無理は禁物だからな、美緒。城の敷地内に辿り着くまで、まだ一時間くらいはかかるだろうし、疲れているのなら眠っていてもいいんだぞ」
「あー、うん。二人が心配して気遣ってくれるのは、すごく嬉しいし、感謝もしてるけどさあー、さっきから何回――……いや違った。何十回も言ってるけど、ほんっっっとうに、どこも痛くないし、気分も悪くないし、疲れてもいないし、無理もしてないし、ましてや眠くもないから、もう私のことはいっさい気にしなくてもいいってば! 私のことを心配してくれる暇があるんだったら、今からどうやってアレクを救い出すか、そっちの方を一緒に考えてくれた方がよっぽどか嬉しいわよ!」
ガラガラと小気味よい車輪の音を響かせながら、緩やかな速度で走る馬車に乗り込んでいた私は、目に余るほどの過保護っぷりを炸裂させるレナードとジオルドに心底から呆れ果て、毒気づいた台詞を浴びせかけると、はああああああ↓↓↓ とテンション駄々下がりの溜め息を吐いた。
落ち着いたら近況報告も兼ねて、また遊びにおいで。美味しいご飯を用意して待っているからね。
と、ふたたび会うことを約束し、マルティーヌさんに別れを告げ、ハイゼンティアの街を飛び去ったのは、今から三時間くらい前の話。
レナードから聞かされた説明によると、マルティーヌさんが生成したレモン色の液体は、モルヒネ並みの植物塩基が含まれているらしく、その効果は絶大で痛みは然ることながら、身体に残っていた気怠さをも吹き飛ばしてしまい、むしろ、全身から力が漲っているくらいだ。
言わば、今の私は、ブロックを叩いて飛び出してきた星型の無敵アイテムを得た某キャラクターのごとく、どんな難敵であろうと蹴散らせるくらいには元気なのだ。
だがしかし、いくらそのことを伝えても、レナードとジオルドは、痛くないか? だとか、疲れてないか? の一点張りなのだ!
こちらの体調を気遣ってくれるのは、とてもありがたいし、嬉しいのだが、何事に於いても、度が過ぎれば、それは迷惑になるというもので、最初のうちは丁寧に受け答えしていた私も、ハイゼンティアを飛び立った直後から現在に至るまで、ずうっと、そのような調子が続くものだから、さすがに堪忍袋の緒が切れて、冒頭でお伝えしたとおり、本音をぶちまけることとなったのである。
かくして一時的に二人を黙らせることに成功した私は、車窓を遮るカーテンを持ち上げると、外の様子を、そうっと窺った。
馬車の車窓から見えるのは、王都アリルアの南東に広がるデュナミス草原だ。
見渡す限り、どこまでも広がる翠色の大地は、遥か先に聳え立つエルファーナ山脈の麓まで続いており、降り注ぐ日差しを反射して、光り輝く若草色の絨毯は、まるで宝石を鏤めたかのように美しく、王都に住む人たちは親しみを込めて、『翡翠色の貴婦人』と呼んでいるそうだ。
王都へ向かう途中には草原を分割する大きな川が流れており、縫うように流れる川に架けられたアーチ状の橋を渡れば、その先に小高い丘の上に建つ白亜の城塞と、その裾野に広がるアリルアの街並みが見えてくる。
王都アリルアの象徴とも言うべき、白亜の城塞に向かうのであれば、街外れにあるエレーヌさんのお店に翼竜を預け、そこから馬車を走らせるのが、一番早いルートなのだが、見つけ次第、即抹殺せよ! と殺害命令を受けている『月に呼ばれし異端者』と、その『月に呼ばれし異端者』の逃亡劇に加担したとの疑いで、懸賞金付き指名手配犯扱いを受けているレナードならびにジオルド――……というパーティ構成では、巡回中の騎士たちに見つかれば、すぐさま包囲され、吊るし上げられてしまう!
との理由により、今回はアリルアの街中を通り抜けるルートは断念し、王都から少し離れた場所で、翼竜から馬車に乗り換え、アリルアの街を大きく迂回して、小高い丘の裏手から白亜の城塞を目指そう! ということになった。
迂回することによって、大幅に時間がかかってしまうのは手痛いが、こうしてアリルアに戻ってきたのは、腐敗臭漂う薄暗い地下牢にぶち込まれたアレクを助け出すのが目的なわけで、時間効率を優先するがあまり、無鉄砲に街中に突入して、私たちまでもが囚われるような事態になれば、正しくミイラ取りがミイラになってしまうので、今回ばかりは諦めるしかないだろう。
ちなみに余談ではあるが、翼竜として活躍しているシルフドラゴンは、知能がとても高く賢いので、特殊な実を与えれば、騎乗者がいなくても、勝手に自分の厩舎へと戻ってくるそうだ。
世界各地に点在する翼竜を貸し出すお店では、シルフドラゴンの帰巣本能を活かして、乗り捨てシステムなるものを取り入れており、今回のように利用者の都合に合わせて、好きな場所で降りることもできるので、とても便利だ。
と、まあそんな経緯があり、現在はジオルドが秘密裏に手配した馬車に乗り込み、小高い丘の上に聳え立つアリルア城を目指している次第なのだ。
窓枠に肘をついて、流れゆく景色を眺めていたら、荷台に木の箱をたくさん載せた幌馬車が、ガタゴトと音を響かせながら、頑丈な石で造られた橋を渡ってゆくのが見えた。
幌馬車の後ろについて行けば、王都へは三十分もかからずに辿り着けるだろう。
だがしかし、橋を渡って少し進んだ先には、衛兵が待ち受ける関所があり、むろん、いわれなき罪を着せられ、追われる身となった私たちが、何食わぬ顔で関所を通過できるはずもなく、悠々と走り去ってゆく幌馬車を見送りつつ、私たちが乗る馬車は、橋の手前で進路を変えて、川の流れに沿うように分岐する旧街道へと突き進む。
旧街道は久しく手入れがされていないようで、うねうねと曲がりくねった道は、凸凹としていて、ところどころに大きな石も転がっているらしい。
時折り、派手な音を立てて、馬車が大きく揺れるものだから、勢い余って、川に落ちてしまうのではなかろうかと心配になってしまったが、御者さん曰く、馬車一台が余裕で通れるくらいの道幅は確保されているので、万が一にも転落する懼れはないそうだ。
最初の方こそ、馬車が揺れるたびに肝を冷やしていたが、旧街道を十分も走り続ければ、さすがに慣れてきて、流れゆく車窓からの景色に、ふたたび視線を投じれば、もこもことした白い毛に覆われたヒツジと思しき動物の群れがいることに気がついた。
足元に生えている草を千切っては、むしゃむしゃ、と咀嚼している様子を観察していたら、今度は馬と思しき動物が草原を駆けてゆくのが見える。
次から次へと現れる動物たちに驚いて、辺りを見回してみたら、ヒツジや馬だけではなく、ウシやブタやヤギまでもがいるではないか。
どうやら今通過している辺り一帯は、牧草地になっているようだ。
動物たちにとっては最高の餌場らしく、放牧されている動物ばかりでなく、野生のウサギやキツネまでもが、そこいらじゅうを、ぴょんぴょんと自由に飛び回り、緩やかに流れる川辺には、美しい色合いの水鳥たちが、群れを成して羽を休めている。
気がつけば、辺りには動物たちがいっぱい集まっていて、その様子はさながら動物園のふれあい広場にでも迷い込んだような気分だ。
「それにしても豪華な馬車ですね。こんな悪路を走っていても、車輪の一つすら外れる気配もないですし……」
「そりゃあ、まあ、この馬車の所有者は、かの有名なブロワーズ侯爵家の次男坊だからな」
「あー、なるほど。クロフォード第二騎士団長が所有する馬車だったんですか。どうりで豪華絢爛な仕様なわけだ」
牧草地でのんびりと過ごす動物たちを眺めていたら、レナードとジオルドが馬車の持ち主について話し始めた。
ようやく自分のことから話題が逸れたことに安堵しつつ、馬車の持ち主であるクロフォードという人物に興味が湧き、私は横合いから二人の会話に参戦することにした。
「ねえ、ねえ。クロフォード第二騎士団長、って誰なの? 役職名から第二騎士団の師団長ってのは分かるけどさー」
「お前、クロフォードと面識がないのか? アレクと仲良くやってるから、てっきりもう紹介されているのかと思ってたわ」
「いやいやいや、アレクから誰かを紹介されるとか、今まで一回もないし、そもそも顔見知りの騎士って、アレクとジオルドくらいしかいないよ?」
「へえ、そうだったのか。それは意外だったなあ。いや待てよ。アレクの性格を考えたら、別にそこまで意外でもないか」
「クロフォード第二騎士団長は、西大陸界隈では指折りの名家の一つとされている、ブロワーズ侯爵家の子息なんだ。ブロワーズ侯爵家は、ベルリオーズ公爵家、シャノワーヌ公爵家、フォンテーヌ侯爵家に次ぐ大貴族で、ウィドラン地方一帯を治めているんだよ」
余計なことばかりを話して、なかなか本題に入らないジオルドに代わって、レナードが詳細を教えてくれたものの、聞き慣れないカタカナの羅列に、頭がこんがらがってしまう。
それでもクロフォードなる人物が、西大陸ではそれなりの権力を持つ大貴族の子息である――という事だけはどうにか理解できた。
「でもどうしてクロフォード第二騎士団長から馬車を借りることになったの?」
自然と湧き上がった疑問を口にすれば、ああ、それな、とジオルドが頷く。
「美緒も知っていると思うが、アリルア城の敷地内に入るには、何かしらの身分証明が必要だ。一般市民なら通行許可証であったり、騎士であれば所属証明と言ったところだな。それらに加えて検問を受けなければ、城内に立ち入ることはできない。もちろん何の問題もなければ、簡単に通行許可を得られるが、残念なことに、今の俺たちは犯罪者扱いだ。門前払いを喰らうどころか、その場で取り押さえられて、それこそ腐敗臭漂う薄暗い地下牢にぶち込まれるのが関の山だろうなあ」
「それじゃあ迂回したとしても、アリルア城の敷地内に入るのは、無理なんじゃないの?」
「まあ、そうだな。普通に考えれば、無理な話だが、この馬車さえあれば、『不可能』を『可能』にできてしまうんだよ」
「不可能を可能にするって、どういう意味なの、それ?」
「不可能」と「可能」という真逆の意味合いを持つ単語を並べられ、何が言いたいのか、その意図がまったく読めず、きょとり、と首を傾げながら、ジオルドが発する言葉の一部を切り取って、オウム返しに質問をするなり、ジオルドは、またか! とでも言いたげに渋い表情を浮かべる。
けれどもすぐにその表情を打ち消すと、つまりだ――と人差し指を突き立てて、ジオルドはしたり顔で話を再開させた。
「陛下が日々過ごす居城があるからこそ、抜け目のない万全の警備態勢が整えられているんだが、一つだけ抜け穴があってな。それがこの馬車ってわけだ」
「馬車が抜け穴って、どういうこと???」
「まあ正確に言えば、馬車そのものではなく、馬車に描かれた紋章が、って意味なんだけどなー」
「いやいやいや、ますます意味が分からないんだけど? 紋章って何それ? っていうか、もっと分かりやすく説明してよー!」
あまりにも回りくどい話し方に痺れを切らして、さっさと要点を話せ、と苦言を呈すれば、まあまあまあ、と宥めながら、ジオルドは短く刈り上げた銀色の髪を、かしかし、と指で引っ掻く。
「要するにブロワーズ侯爵家の先代たちが、積み重ねてきた努力が実を結んで、未開だったウィドラン地方に住む民の生活水準が著しく改善されたんだよ。その社会的貢献度の高さが認められて、何代も昔の陛下から勲章を授かったんだ。その勲章ってのが特別なものでさ。歴代の陛下が『大貴族』だと認めた血筋にのみ、授与していたものなんだ。レナードが先に述べたベルリオーズ公爵家、シャノワーヌ公爵家、フォンテーヌ侯爵家もまた、歴代の陛下から勲章を授かっているんだ。まあ、勲章そのものは、ただのお飾りなんだが、歴代の陛下によって『大貴族』と認められた血筋にだけ、与えられた特権ってのがあってな。それが『紋章』の所持なんだよ」
「紋章の所持、って何それ?」
「カーテンの留め具に薔薇と剣の図案が用いられているだろう? それがブロワーズ侯爵家であることを示す『紋章』だよ」
「ああー、なるほど! 日本でいうところの家紋みたいなものってことね!」
飛び交うカタカナの羅列にまたしても頭が混乱してしまい、ぱちくりと目を瞬かせながら、ひたすらに首を傾げ続けていたら、横合いから入ってきたレナードが、カーテンの留め具を指差しながら、紋章がどういったものであるかを丁寧に補足してくれる。
さすがは毎日子供たちの相手をしているだけのことはあって、レナードの説明はものすごく分かりやすく、回りくどいジオルドの説明では、チンプンカンプンだった話の大筋が、ようやく見えてきた。
けれども「不可能を可能にする」という、からくりそのものについては、依然、謎に包まれたままだ。
まあ話の流れから察するに、その『紋章』とやらが、カギを握っているのは、確実なんだと思うけどさー、とそんなことを思っていたらば。
「まあ早い話、『紋章』は陛下からの友情の証のようなもので、『紋章』を持つことを許された『大貴族』に限って、陛下が日々暮らす居城以外の施設への立ち入りは、いちいち許可を取らなくても、自由に出入りができるってことだ」
長々と話すことに飽きたのか、「不可能を可能にする」からくりについて、ジオルドはいともあっさりと種明かしをしてしまう。
無駄に長かった前置きはいったい何だったのよー! と拍子抜けしつつも、アリルア城の敷地内に潜入するという課題に関しては、『紋章』入りの馬車のおかげで、難なく突破できそうだ。
ああ、良かったー、と安堵の息を吐いたものの、今度は別の不安要素が浮かび上がってきて、波紋のように広がる不安を打ち消すべく、それとはなしに、ちろり、とジオルドに視線を投げかけてみた。
「どうした、美緒?」
「ああ、うん。そのクロフォード第二騎士団長は大丈夫なのかな、って少し心配になって……アレクも、ジオルドも、レナードも、『月に呼ばれし異端者』に関わったがために、いわれなき罪を着せられて、犯罪者扱いを受けているでしょう?」
「それに関しては、俺も少し懸念していたが、今のところ、誰かに勘づかれた様子はないようだな。まあ、クロフォード自身も、バレないように、上手く立ち回っているだろうし、そもそもクロフォードは『月に呼ばれし異端者』に直接関わってはいないからな」
「そっか。ならいいんだけど。アレクを無事に救い出せたら、クロフォード第二騎士団長に会って、お礼を言わなきゃ、だね」
「ああ、そうだな。落ち着いたら、メープル通りで美味しいケーキでも買って、一緒にお礼をしに行けばいいさ。でも協力をしたいって言い出してきたのは、クロフォードの方なんだぞ」
「え? そうなの?」
意外な事実を知らされ、驚いて聞き返せば、ジオルドはこくこくと頷く。
「クロフォードは騎士団に入団したときからアレクに懐いていてなあ。それはそれはもうアレクが戸惑うくらいには慕っていたんだよ。クロフォードが騎士団に入団したのだって、アレクの背中を追いかけてのことだしさ。だからアレクが身柄を拘束されたことを知って、クロフォードは真っ先に行動に出たんだ。
何でも信頼の置ける宮廷魔術師を取り押さえて、俺たちの居場所を特殊な魔法を使って特定させたらしい。もちろん、このことは他言するなって、釘を刺した上でな。
でもって俺たちの居場所を特定したクロフォードはすぐさま連絡を寄越してきたんだ。
『アレクシオ師団長が拘束されたのは、きっと何か深い事情があったからなんです。僕はアレクシオ師団長のことを信用していますし、アレクシオ師団長の身の潔白を晴らすためなら何でも協力します』
ってさ。お前が眠りこけている間、何もしてなかったわけじゃないんだぞー。クロフォードとこまめに連絡を取り合いながら、アレクの無実をどうやって証明するか、俺たちなりにずっと模索してたんだから」
「そう、だったんだ」
自分が眠っていた三日間の間にそんなことがあったのかー! と思いつつ、ジオルドたちが水面下で一生懸命動いていたことを知って、何だか胸が熱くなってしまった。
(……そう言えば、色々とやっかまれて、師団長なんて面倒だって言ってたよなあ)
いつだったか、騎士になった理由をアレクに聞いたときのことをふと思い出す。
あのときはアレクにしては珍しく後ろ向きな発言が多かったけれど、こうしてジオルドの話を聞く限りでは、クロフォード第二騎士団長のように、心底から慕って信頼してくれる仲間がいるのは確かなことだ。
敵ばかりじゃなくて味方もいるんだよ、ってアレクに伝えてあげたいなあ、とそんなことを思っていたらば。
「そう言えば、ジオルド副師団長も伯爵家の貴族でしたよね」
「っておいこら! 余計なことは話すなって!」
ジオルドが伯爵家の貴族であることを、レナードがしれっと暴露するなり、ジオルドはひどく慌てた様子で、隣に座るレナードの頭を、ぺちり、と軽く叩く。
どうやらジオルドにとって触れられたくない話題だったようだ。
けれども時すでに遅く。
「うえええええええええええっ!?!? ってジオルドって伯爵家の子息だったの――っ!?!?」
「って美緒! 狭い車内で大声を出すな! ほら見ろ! 御者が驚いただろうが!」
衝撃的な事実を知らされ、驚愕のあまり、素っ頓狂な声を上げれば、私の声に反応した御者さんが、馬車を緊急停車させて、何事が起きたのかと問いかけてくる。
いや何でもないですー! お騒がせしましたー! と即座に詫びを入れれば、御者さんはそうですか、と首を捻りつつも定位置へ戻ると、再び馬車を走らせ始めた。
……ものの、車内にいる私はいまだパニック状態だ。
施設で暮らす子供たちに会うため、最低でも週に一度は孤児院に遊びに来ているジオルドだが、こちらがどれほど忙しくしていても、あの手この手を駆使して、私の興味を少しでも引こうと、身の上話だとか、趣味の話だとかを、あれほど話していたというのに、彼が貴族だったなんて話は、今の今まで一度たりとも聞いたことがないのだ。
そりゃあ驚くなって言う方が無理な話だ。
大声を出さないよう、両手で口元を押さえつつ、向かい側に座るジオルドの顔を、じいいいいいいいっ、と凝視していたら、ジオルドはバツが悪そうな顔でこちらを見返した。
「……ってそんなに驚くことでもないだろうが」
「いやいやいや、普通に驚くでしょう!? って言うか、何で今まで黙ってたのよ!」
「確かに伯爵家の血を受け継いではいるが、今では名誉も地位も失った没落貴族だ。敢えて話すこともないだろうと思って黙っていただけだ。いやまあ、そこまで驚かれるとは思わなかったけどさー」
最後の方はいつものジオルドらしい口調ではあったものの、やっぱり伯爵家の子息であることに関しては、あまり触れられて欲しくないようだ。
「っていうか、その話に関しては、時間のある時にゆっくりと聞かせてもらうわ。今はアレクをどうやって助けるか、そっちを優先しなきゃいけないしね」
「ああ、まあ、そうだな」
本音を洩らせば、もうちょっと詳しく話を聞いてみたい気持ちもあったが、場の空気を読んで早々に話を打ち切ると、今はアレクのことを一番に優先すべきだ――と徐々に近づいてきた白亜の城塞を見上げつつ、私は両手で自分の頬を軽く叩いて気合を入れ直した。
「いや本当にレナードの言う通りだぞ。無理は禁物だからな、美緒。城の敷地内に辿り着くまで、まだ一時間くらいはかかるだろうし、疲れているのなら眠っていてもいいんだぞ」
「あー、うん。二人が心配して気遣ってくれるのは、すごく嬉しいし、感謝もしてるけどさあー、さっきから何回――……いや違った。何十回も言ってるけど、ほんっっっとうに、どこも痛くないし、気分も悪くないし、疲れてもいないし、無理もしてないし、ましてや眠くもないから、もう私のことはいっさい気にしなくてもいいってば! 私のことを心配してくれる暇があるんだったら、今からどうやってアレクを救い出すか、そっちの方を一緒に考えてくれた方がよっぽどか嬉しいわよ!」
ガラガラと小気味よい車輪の音を響かせながら、緩やかな速度で走る馬車に乗り込んでいた私は、目に余るほどの過保護っぷりを炸裂させるレナードとジオルドに心底から呆れ果て、毒気づいた台詞を浴びせかけると、はああああああ↓↓↓ とテンション駄々下がりの溜め息を吐いた。
落ち着いたら近況報告も兼ねて、また遊びにおいで。美味しいご飯を用意して待っているからね。
と、ふたたび会うことを約束し、マルティーヌさんに別れを告げ、ハイゼンティアの街を飛び去ったのは、今から三時間くらい前の話。
レナードから聞かされた説明によると、マルティーヌさんが生成したレモン色の液体は、モルヒネ並みの植物塩基が含まれているらしく、その効果は絶大で痛みは然ることながら、身体に残っていた気怠さをも吹き飛ばしてしまい、むしろ、全身から力が漲っているくらいだ。
言わば、今の私は、ブロックを叩いて飛び出してきた星型の無敵アイテムを得た某キャラクターのごとく、どんな難敵であろうと蹴散らせるくらいには元気なのだ。
だがしかし、いくらそのことを伝えても、レナードとジオルドは、痛くないか? だとか、疲れてないか? の一点張りなのだ!
こちらの体調を気遣ってくれるのは、とてもありがたいし、嬉しいのだが、何事に於いても、度が過ぎれば、それは迷惑になるというもので、最初のうちは丁寧に受け答えしていた私も、ハイゼンティアを飛び立った直後から現在に至るまで、ずうっと、そのような調子が続くものだから、さすがに堪忍袋の緒が切れて、冒頭でお伝えしたとおり、本音をぶちまけることとなったのである。
かくして一時的に二人を黙らせることに成功した私は、車窓を遮るカーテンを持ち上げると、外の様子を、そうっと窺った。
馬車の車窓から見えるのは、王都アリルアの南東に広がるデュナミス草原だ。
見渡す限り、どこまでも広がる翠色の大地は、遥か先に聳え立つエルファーナ山脈の麓まで続いており、降り注ぐ日差しを反射して、光り輝く若草色の絨毯は、まるで宝石を鏤めたかのように美しく、王都に住む人たちは親しみを込めて、『翡翠色の貴婦人』と呼んでいるそうだ。
王都へ向かう途中には草原を分割する大きな川が流れており、縫うように流れる川に架けられたアーチ状の橋を渡れば、その先に小高い丘の上に建つ白亜の城塞と、その裾野に広がるアリルアの街並みが見えてくる。
王都アリルアの象徴とも言うべき、白亜の城塞に向かうのであれば、街外れにあるエレーヌさんのお店に翼竜を預け、そこから馬車を走らせるのが、一番早いルートなのだが、見つけ次第、即抹殺せよ! と殺害命令を受けている『月に呼ばれし異端者』と、その『月に呼ばれし異端者』の逃亡劇に加担したとの疑いで、懸賞金付き指名手配犯扱いを受けているレナードならびにジオルド――……というパーティ構成では、巡回中の騎士たちに見つかれば、すぐさま包囲され、吊るし上げられてしまう!
との理由により、今回はアリルアの街中を通り抜けるルートは断念し、王都から少し離れた場所で、翼竜から馬車に乗り換え、アリルアの街を大きく迂回して、小高い丘の裏手から白亜の城塞を目指そう! ということになった。
迂回することによって、大幅に時間がかかってしまうのは手痛いが、こうしてアリルアに戻ってきたのは、腐敗臭漂う薄暗い地下牢にぶち込まれたアレクを助け出すのが目的なわけで、時間効率を優先するがあまり、無鉄砲に街中に突入して、私たちまでもが囚われるような事態になれば、正しくミイラ取りがミイラになってしまうので、今回ばかりは諦めるしかないだろう。
ちなみに余談ではあるが、翼竜として活躍しているシルフドラゴンは、知能がとても高く賢いので、特殊な実を与えれば、騎乗者がいなくても、勝手に自分の厩舎へと戻ってくるそうだ。
世界各地に点在する翼竜を貸し出すお店では、シルフドラゴンの帰巣本能を活かして、乗り捨てシステムなるものを取り入れており、今回のように利用者の都合に合わせて、好きな場所で降りることもできるので、とても便利だ。
と、まあそんな経緯があり、現在はジオルドが秘密裏に手配した馬車に乗り込み、小高い丘の上に聳え立つアリルア城を目指している次第なのだ。
窓枠に肘をついて、流れゆく景色を眺めていたら、荷台に木の箱をたくさん載せた幌馬車が、ガタゴトと音を響かせながら、頑丈な石で造られた橋を渡ってゆくのが見えた。
幌馬車の後ろについて行けば、王都へは三十分もかからずに辿り着けるだろう。
だがしかし、橋を渡って少し進んだ先には、衛兵が待ち受ける関所があり、むろん、いわれなき罪を着せられ、追われる身となった私たちが、何食わぬ顔で関所を通過できるはずもなく、悠々と走り去ってゆく幌馬車を見送りつつ、私たちが乗る馬車は、橋の手前で進路を変えて、川の流れに沿うように分岐する旧街道へと突き進む。
旧街道は久しく手入れがされていないようで、うねうねと曲がりくねった道は、凸凹としていて、ところどころに大きな石も転がっているらしい。
時折り、派手な音を立てて、馬車が大きく揺れるものだから、勢い余って、川に落ちてしまうのではなかろうかと心配になってしまったが、御者さん曰く、馬車一台が余裕で通れるくらいの道幅は確保されているので、万が一にも転落する懼れはないそうだ。
最初の方こそ、馬車が揺れるたびに肝を冷やしていたが、旧街道を十分も走り続ければ、さすがに慣れてきて、流れゆく車窓からの景色に、ふたたび視線を投じれば、もこもことした白い毛に覆われたヒツジと思しき動物の群れがいることに気がついた。
足元に生えている草を千切っては、むしゃむしゃ、と咀嚼している様子を観察していたら、今度は馬と思しき動物が草原を駆けてゆくのが見える。
次から次へと現れる動物たちに驚いて、辺りを見回してみたら、ヒツジや馬だけではなく、ウシやブタやヤギまでもがいるではないか。
どうやら今通過している辺り一帯は、牧草地になっているようだ。
動物たちにとっては最高の餌場らしく、放牧されている動物ばかりでなく、野生のウサギやキツネまでもが、そこいらじゅうを、ぴょんぴょんと自由に飛び回り、緩やかに流れる川辺には、美しい色合いの水鳥たちが、群れを成して羽を休めている。
気がつけば、辺りには動物たちがいっぱい集まっていて、その様子はさながら動物園のふれあい広場にでも迷い込んだような気分だ。
「それにしても豪華な馬車ですね。こんな悪路を走っていても、車輪の一つすら外れる気配もないですし……」
「そりゃあ、まあ、この馬車の所有者は、かの有名なブロワーズ侯爵家の次男坊だからな」
「あー、なるほど。クロフォード第二騎士団長が所有する馬車だったんですか。どうりで豪華絢爛な仕様なわけだ」
牧草地でのんびりと過ごす動物たちを眺めていたら、レナードとジオルドが馬車の持ち主について話し始めた。
ようやく自分のことから話題が逸れたことに安堵しつつ、馬車の持ち主であるクロフォードという人物に興味が湧き、私は横合いから二人の会話に参戦することにした。
「ねえ、ねえ。クロフォード第二騎士団長、って誰なの? 役職名から第二騎士団の師団長ってのは分かるけどさー」
「お前、クロフォードと面識がないのか? アレクと仲良くやってるから、てっきりもう紹介されているのかと思ってたわ」
「いやいやいや、アレクから誰かを紹介されるとか、今まで一回もないし、そもそも顔見知りの騎士って、アレクとジオルドくらいしかいないよ?」
「へえ、そうだったのか。それは意外だったなあ。いや待てよ。アレクの性格を考えたら、別にそこまで意外でもないか」
「クロフォード第二騎士団長は、西大陸界隈では指折りの名家の一つとされている、ブロワーズ侯爵家の子息なんだ。ブロワーズ侯爵家は、ベルリオーズ公爵家、シャノワーヌ公爵家、フォンテーヌ侯爵家に次ぐ大貴族で、ウィドラン地方一帯を治めているんだよ」
余計なことばかりを話して、なかなか本題に入らないジオルドに代わって、レナードが詳細を教えてくれたものの、聞き慣れないカタカナの羅列に、頭がこんがらがってしまう。
それでもクロフォードなる人物が、西大陸ではそれなりの権力を持つ大貴族の子息である――という事だけはどうにか理解できた。
「でもどうしてクロフォード第二騎士団長から馬車を借りることになったの?」
自然と湧き上がった疑問を口にすれば、ああ、それな、とジオルドが頷く。
「美緒も知っていると思うが、アリルア城の敷地内に入るには、何かしらの身分証明が必要だ。一般市民なら通行許可証であったり、騎士であれば所属証明と言ったところだな。それらに加えて検問を受けなければ、城内に立ち入ることはできない。もちろん何の問題もなければ、簡単に通行許可を得られるが、残念なことに、今の俺たちは犯罪者扱いだ。門前払いを喰らうどころか、その場で取り押さえられて、それこそ腐敗臭漂う薄暗い地下牢にぶち込まれるのが関の山だろうなあ」
「それじゃあ迂回したとしても、アリルア城の敷地内に入るのは、無理なんじゃないの?」
「まあ、そうだな。普通に考えれば、無理な話だが、この馬車さえあれば、『不可能』を『可能』にできてしまうんだよ」
「不可能を可能にするって、どういう意味なの、それ?」
「不可能」と「可能」という真逆の意味合いを持つ単語を並べられ、何が言いたいのか、その意図がまったく読めず、きょとり、と首を傾げながら、ジオルドが発する言葉の一部を切り取って、オウム返しに質問をするなり、ジオルドは、またか! とでも言いたげに渋い表情を浮かべる。
けれどもすぐにその表情を打ち消すと、つまりだ――と人差し指を突き立てて、ジオルドはしたり顔で話を再開させた。
「陛下が日々過ごす居城があるからこそ、抜け目のない万全の警備態勢が整えられているんだが、一つだけ抜け穴があってな。それがこの馬車ってわけだ」
「馬車が抜け穴って、どういうこと???」
「まあ正確に言えば、馬車そのものではなく、馬車に描かれた紋章が、って意味なんだけどなー」
「いやいやいや、ますます意味が分からないんだけど? 紋章って何それ? っていうか、もっと分かりやすく説明してよー!」
あまりにも回りくどい話し方に痺れを切らして、さっさと要点を話せ、と苦言を呈すれば、まあまあまあ、と宥めながら、ジオルドは短く刈り上げた銀色の髪を、かしかし、と指で引っ掻く。
「要するにブロワーズ侯爵家の先代たちが、積み重ねてきた努力が実を結んで、未開だったウィドラン地方に住む民の生活水準が著しく改善されたんだよ。その社会的貢献度の高さが認められて、何代も昔の陛下から勲章を授かったんだ。その勲章ってのが特別なものでさ。歴代の陛下が『大貴族』だと認めた血筋にのみ、授与していたものなんだ。レナードが先に述べたベルリオーズ公爵家、シャノワーヌ公爵家、フォンテーヌ侯爵家もまた、歴代の陛下から勲章を授かっているんだ。まあ、勲章そのものは、ただのお飾りなんだが、歴代の陛下によって『大貴族』と認められた血筋にだけ、与えられた特権ってのがあってな。それが『紋章』の所持なんだよ」
「紋章の所持、って何それ?」
「カーテンの留め具に薔薇と剣の図案が用いられているだろう? それがブロワーズ侯爵家であることを示す『紋章』だよ」
「ああー、なるほど! 日本でいうところの家紋みたいなものってことね!」
飛び交うカタカナの羅列にまたしても頭が混乱してしまい、ぱちくりと目を瞬かせながら、ひたすらに首を傾げ続けていたら、横合いから入ってきたレナードが、カーテンの留め具を指差しながら、紋章がどういったものであるかを丁寧に補足してくれる。
さすがは毎日子供たちの相手をしているだけのことはあって、レナードの説明はものすごく分かりやすく、回りくどいジオルドの説明では、チンプンカンプンだった話の大筋が、ようやく見えてきた。
けれども「不可能を可能にする」という、からくりそのものについては、依然、謎に包まれたままだ。
まあ話の流れから察するに、その『紋章』とやらが、カギを握っているのは、確実なんだと思うけどさー、とそんなことを思っていたらば。
「まあ早い話、『紋章』は陛下からの友情の証のようなもので、『紋章』を持つことを許された『大貴族』に限って、陛下が日々暮らす居城以外の施設への立ち入りは、いちいち許可を取らなくても、自由に出入りができるってことだ」
長々と話すことに飽きたのか、「不可能を可能にする」からくりについて、ジオルドはいともあっさりと種明かしをしてしまう。
無駄に長かった前置きはいったい何だったのよー! と拍子抜けしつつも、アリルア城の敷地内に潜入するという課題に関しては、『紋章』入りの馬車のおかげで、難なく突破できそうだ。
ああ、良かったー、と安堵の息を吐いたものの、今度は別の不安要素が浮かび上がってきて、波紋のように広がる不安を打ち消すべく、それとはなしに、ちろり、とジオルドに視線を投げかけてみた。
「どうした、美緒?」
「ああ、うん。そのクロフォード第二騎士団長は大丈夫なのかな、って少し心配になって……アレクも、ジオルドも、レナードも、『月に呼ばれし異端者』に関わったがために、いわれなき罪を着せられて、犯罪者扱いを受けているでしょう?」
「それに関しては、俺も少し懸念していたが、今のところ、誰かに勘づかれた様子はないようだな。まあ、クロフォード自身も、バレないように、上手く立ち回っているだろうし、そもそもクロフォードは『月に呼ばれし異端者』に直接関わってはいないからな」
「そっか。ならいいんだけど。アレクを無事に救い出せたら、クロフォード第二騎士団長に会って、お礼を言わなきゃ、だね」
「ああ、そうだな。落ち着いたら、メープル通りで美味しいケーキでも買って、一緒にお礼をしに行けばいいさ。でも協力をしたいって言い出してきたのは、クロフォードの方なんだぞ」
「え? そうなの?」
意外な事実を知らされ、驚いて聞き返せば、ジオルドはこくこくと頷く。
「クロフォードは騎士団に入団したときからアレクに懐いていてなあ。それはそれはもうアレクが戸惑うくらいには慕っていたんだよ。クロフォードが騎士団に入団したのだって、アレクの背中を追いかけてのことだしさ。だからアレクが身柄を拘束されたことを知って、クロフォードは真っ先に行動に出たんだ。
何でも信頼の置ける宮廷魔術師を取り押さえて、俺たちの居場所を特殊な魔法を使って特定させたらしい。もちろん、このことは他言するなって、釘を刺した上でな。
でもって俺たちの居場所を特定したクロフォードはすぐさま連絡を寄越してきたんだ。
『アレクシオ師団長が拘束されたのは、きっと何か深い事情があったからなんです。僕はアレクシオ師団長のことを信用していますし、アレクシオ師団長の身の潔白を晴らすためなら何でも協力します』
ってさ。お前が眠りこけている間、何もしてなかったわけじゃないんだぞー。クロフォードとこまめに連絡を取り合いながら、アレクの無実をどうやって証明するか、俺たちなりにずっと模索してたんだから」
「そう、だったんだ」
自分が眠っていた三日間の間にそんなことがあったのかー! と思いつつ、ジオルドたちが水面下で一生懸命動いていたことを知って、何だか胸が熱くなってしまった。
(……そう言えば、色々とやっかまれて、師団長なんて面倒だって言ってたよなあ)
いつだったか、騎士になった理由をアレクに聞いたときのことをふと思い出す。
あのときはアレクにしては珍しく後ろ向きな発言が多かったけれど、こうしてジオルドの話を聞く限りでは、クロフォード第二騎士団長のように、心底から慕って信頼してくれる仲間がいるのは確かなことだ。
敵ばかりじゃなくて味方もいるんだよ、ってアレクに伝えてあげたいなあ、とそんなことを思っていたらば。
「そう言えば、ジオルド副師団長も伯爵家の貴族でしたよね」
「っておいこら! 余計なことは話すなって!」
ジオルドが伯爵家の貴族であることを、レナードがしれっと暴露するなり、ジオルドはひどく慌てた様子で、隣に座るレナードの頭を、ぺちり、と軽く叩く。
どうやらジオルドにとって触れられたくない話題だったようだ。
けれども時すでに遅く。
「うえええええええええええっ!?!? ってジオルドって伯爵家の子息だったの――っ!?!?」
「って美緒! 狭い車内で大声を出すな! ほら見ろ! 御者が驚いただろうが!」
衝撃的な事実を知らされ、驚愕のあまり、素っ頓狂な声を上げれば、私の声に反応した御者さんが、馬車を緊急停車させて、何事が起きたのかと問いかけてくる。
いや何でもないですー! お騒がせしましたー! と即座に詫びを入れれば、御者さんはそうですか、と首を捻りつつも定位置へ戻ると、再び馬車を走らせ始めた。
……ものの、車内にいる私はいまだパニック状態だ。
施設で暮らす子供たちに会うため、最低でも週に一度は孤児院に遊びに来ているジオルドだが、こちらがどれほど忙しくしていても、あの手この手を駆使して、私の興味を少しでも引こうと、身の上話だとか、趣味の話だとかを、あれほど話していたというのに、彼が貴族だったなんて話は、今の今まで一度たりとも聞いたことがないのだ。
そりゃあ驚くなって言う方が無理な話だ。
大声を出さないよう、両手で口元を押さえつつ、向かい側に座るジオルドの顔を、じいいいいいいいっ、と凝視していたら、ジオルドはバツが悪そうな顔でこちらを見返した。
「……ってそんなに驚くことでもないだろうが」
「いやいやいや、普通に驚くでしょう!? って言うか、何で今まで黙ってたのよ!」
「確かに伯爵家の血を受け継いではいるが、今では名誉も地位も失った没落貴族だ。敢えて話すこともないだろうと思って黙っていただけだ。いやまあ、そこまで驚かれるとは思わなかったけどさー」
最後の方はいつものジオルドらしい口調ではあったものの、やっぱり伯爵家の子息であることに関しては、あまり触れられて欲しくないようだ。
「っていうか、その話に関しては、時間のある時にゆっくりと聞かせてもらうわ。今はアレクをどうやって助けるか、そっちを優先しなきゃいけないしね」
「ああ、まあ、そうだな」
本音を洩らせば、もうちょっと詳しく話を聞いてみたい気持ちもあったが、場の空気を読んで早々に話を打ち切ると、今はアレクのことを一番に優先すべきだ――と徐々に近づいてきた白亜の城塞を見上げつつ、私は両手で自分の頬を軽く叩いて気合を入れ直した。