紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
囚われの騎士団長を救い出せ! Missionː2
ガタリ、ゴトリと時折り、車輪を大きく跳ね上げながらも、馬車は順調に旧街道を進み、長らく続いていた草原地帯を抜けると、緩やかな坂道を登り始めた。
辺りの景色はすっかりと変わり、草原地帯では見かけなかった背の高い樹木が目立ち始め、ちらほらと大きなお屋敷が建っているのも見える。
山嶺に白亜の城塞を構える丘の、裾野から中腹にかけての一帯は、『特別居住地区』に指定されていて、国から認可された上流階級の人々――つまりは爵位を持つ貴族だけが、住むことを許された特別な区域となっている。
あちらの世界でいうところの『高級住宅地』に当たる『特別居住地区』には、目も眩まんばかりの大豪邸が建ち並んでいるのだが、街中へのアクセスの良さという観点から、そのほとんどは街側の斜面に建っていて、丘の裏手にお屋敷を構える貴族は稀なのだそうだ。
お城で働く貴族の中には遠方から単身で赴任している人もいると聞いたことがあるから、そういった人たちが仮住まいとして裏手に住んでいるのかも知れないなあ――と窓の外に見える大豪邸を眺めやりつつ、あれこれと推測していた私は、のんびりと景色を眺めている場合ではなかったことを思い出し、カーテンを閉じると、車窓から見える景色を封印した。
腐敗臭漂う薄暗い地下牢にぶち込まれたアレクを助け出そう! という課題をクリアするのであれば、王都で一番偉い国王陛下に直談判するのが一番早いよねー、という結論に至り、いざ鎌倉へ! ならぬ、いざ王都アリルアへ! となり、白亜の城塞へ向かうことになったのだが、どうやってアレクを救い出すのか、だとか、どうやって自分が『解放者』であることを証明するのか、といった点に関しては、今のところ、具体的な案はまったく浮かんでいない。
目的地である白亜の城塞まで、あと少しのところまで来ているのに、いまだ無計画なのは、さすがにマズいだろうと、今さらながらに焦り始め、あらゆる知識と知恵を総動員させて、頭を働かせてみたものの、ようよう考えてみれば、国王陛下と会う方法ですら、具体的には決まっていないのだ。
(うーん、困ったなあ。国王陛下なんてゲームの中でしか会ったことないんだけどー)
ゲームであれば、謁見の間だとかに行けば、たいていの王様は玉座にちょこんと座っていたりするのだが、むろん、ゲームのように気軽に会えるはずもなく、セラフィリアに於いても、国王陛下と個人的に面会するのは至難の業らしい。
もちろん、まったく会えないというわけではなく、宮廷で定期的に開催される舞踏会など、華やかな社交場に時折り、顔を見せることもあるそうだが、参加している貴族たちが、我先にと挙って集まるものだから、まともに会話なぞできるはずもなく、せいぜい良くても、挨拶を交わすくらいしかできないそうだ。
なので、しっかりと腰を据えて、国王陛下と話がしたい、となると、所定の手続きを踏まなければいけないのだが、これがまたものすごくハードルが高いらしく、紋章を持つ大貴族でさえ、心が折れそうなくらい面倒な手続きを済ませ、そこからさらに謁見の承認が下りるまで、数か月近くも待たされるそうだ。
聞いた話によれば、王都を治める主は、事あるごとに人を呼びつけるのが趣味らしく、正式な手順を踏んで謁見の許可を得るよりも、王様から呼び出しを喰らった方が早いくらいなのだという。
とは言っても、ここまでの話は、あくまでも上流階級の人たちの話であって、最下層に身を置く庶民ともなれば、国王陛下に会える機会なんて、特別な行事や式典などに限られていて、聴衆へのお言葉を頂くときに、遠くから眺めるのが関の山と言ったところらしく、しがない一市民が個人的に陛下に会おうなどというのは、鼻からスパゲティを食べるよりも難しいことなのだそうだ。
ならば、第一騎士団副師団長を務めていて、且つ、伯爵家の子息だというジオルドであれば、友人・知人・親族など、ありとあらゆる人脈を駆使すれば、あるいは王様と親密になれるのではなかろうか、と期待を込めて聞いてみたものの、お前は阿呆か、の一言で、無残にも私の目論見は、木っ端微塵に吹き飛ばされたのである!
阿呆とは失礼な! と憤慨したものの、第一騎士団副師団長であるジオルドでさえも、式典などの特別な行事でしか、陛下の護衛に就くことはないらしく、それも年に数回のことなので、国王陛下との親密度は限りなく低く、ほぼゼロと言ってもいいらしい。
むろん、陛下と親しき仲だという知人などもいないようで、ジオルドのツテに頼るのは、どう考えても無理そうだ。
いやそれ以前、今のジオルドは莫大な懸賞金がかけられた指名手配犯なのである。
たとえツテがいたとしても、鴨がネギを背負ってきたー! と懸賞金に目が眩んだ知人に裏切られ、売り飛ばされるのは、目に見えた結果だ。
「ああ、もう! だったらどうすればいいのよ―――っ!!!!」
無い知恵を絞って、あれこれ提案してみたものの、あれもダメ、これもダメ、と総ボツを喰らわされ、あまりにも攻略難易度が高すぎる課題に心が折れて、こんなの無理だあぁあぁぁぁあ! と匙を投げかけて、その直後。
「御機嫌よう、ミオさん。お元気かしら?」
「大きな声を出してどうしたの? ミオちゃん」
そんな声とともに、何もない空中から、ぽんっ、と現れたのは、蒼に煌めく美しい鱗を持った可愛らしいフォルムの金魚と、宝石を纏ったかのような翡翠色の柔らかな羽を持つ小鳥だ。
「ってウィンディにシルフィじゃない! ええっ、って、急にどうしたの!?」
「何だかとてもお困りのようだったから、ちょっと様子を窺いにきたのよ、ミオさん」
「急に現れてびっくりしたよねー! 驚かせちゃってごめんね、ミオちゃん」
「あ、ううん。確かにちょっと驚いたけど、そんなに気にしなくても大丈夫よ、シルフィ。それよりもサラマンダーとノームは不在なの?」
「サラマンダーでしたら、今日は契約件数がものすごく多いんだー! とか言って、朝から大わらわですのよ」
「ノームはお日様の光が大の苦手なのよねえ。だからいつも日中は土の中に潜って過ごしているのよ。こんなにも柔らかくて暖かいお日様の陽射しを浴びれないなんて可哀想だと思わない?」
まったく予想していなかったウィンディとシルフィの登場に目を白黒させつつ、サラマンダーとノームの姿が見当たらないことに気づいて、彼らが不在の理由を聞いてみれば、ウィンディとシルフィがそれぞれ答えてくれる。
精霊にも色々な諸事情があるんだなあ、と思っていたら、まるで化け物でも見るかのような眼差しで、こちらを見ているレナード並びにジオルドと、がっつりと視線が合ってしまった。
「って二人して何でそんな目で見るのよー! 失礼じゃない!」
「いやいやいや、っていうか、美緒。お前、誰と話をしているんだ?」
「誰って……水の乙女の名を持つ精霊のウィンディーネと、風の乙女の名を持つ精霊のシルフだけれど、もしかして二人とも精霊たちの姿が見えていないの?」
鮮やかな蒼のグラデーションを纏う長い尾びれを揺らしながら、御機嫌よう、と貴婦人風情で挨拶をするウィンディと、翡翠色のふわふわの羽を、くちばしの先で繕いながら、こんにちはー! とさえずるシルフィを指差しつつ、あんぐりと口を開いている二人に、そんなことを聞いてみたものの。
「いや俺には姿が見えるどころか、声すらも聞こえねえんだけど……レナード、お前はどうなんだ?」
「もちろん、俺だって同じですよ。ジオルド副師団長殿」
嘘でもなく、冗談でもなく、ましてや悪ふざけでもなく、レナードにも、ジオルドにも、精霊たちの姿はおろか声さえも聞こえていないらしい。
「いつものことだけれど、私たちの姿って、やっぱり見えていないのですわねー……」
「粒ぞろいのイケメンが二人もいるのに、会話すらできないのは、ものすごく残念だわー」
レナードとジオルドの反応を見るなり、ウィンディも、シルフィも、がっくりと肩を落として、心底から残念そうに溜め息を吐く。
「でも私には見えているのに、どうして二人には見えないの?」
「だってミオちゃんは月王様から授かった指輪を着けているんだもの。私たちの姿が見えて当然よー」
ぴちちちちっ、とさえずりながら、とんとん、と飛び跳ねて、肩に乗り移ってきたシルフィが、私が口にした素朴な疑問に答えながら、くちばしの先で、ちょいちょい、と右下の方を指し示す。
そうっと視線を落としてみれば、薬指の付け根に填まった指輪が、何かを訴えるかのように、きらきらと七色に瞬く。
(そういや、アルトゥールも、ツキオウ様の魔力が秘められた大切なものだって話してたなあ)
指輪の台座で多彩な光を放つ月虹輝石を眺めやりながら、そんなことを思っていたらば、今度は空中を泳ぎ回っていたウィンディが、ぱしゃり、と水飛沫を跳ね上げながら、その動きを止めると、ぱくぱくと口を動かした。
「私たち精霊の姿は自我が芽生える頃――……うーん、そうですわねえ。だいたい十歳くらいまで成長すれば、人間には見えなくなってしまうんですのよ」
「へえー、そうなんだ。でもセラフィリアでは、精霊と契約を交わす人たちが、毎日のように大勢いるよね? 姿も見えない・声も聞こえない状態だったら、契約を交わすのも、一苦労なんじゃないの?」
「ええ、ミオさんの言う通りですわ。だから私たちと契約を結ぶときは、各々の精霊を象った装飾品を使うのが普通なんですのよ」
「姿が見えなくても、別に支障はないけれど、さすがに声が届かないと、意思疎通するのも難しいから、精霊を象った装飾品を通して、声だけは伝わるようにしてるんだよねえー」
「ああ、なるほどー。要するに精霊を象った装飾品は通信機みたいな役割を果たすってことね」
「ええ、そうですわね。そういう解釈で間違ってないと思いますわ。それはそうとミオさん、何か困りごとがあったのでしょう? 差し支えがなければ、お話を伺っても宜しくて?」
あちらの世界のように文明の利器がなくとも、似たような代用品は意外とあるんだなあー、と糸電話もどきに感心していたら、ウィンディにそんなことを聞かれ、ああ、そうだった! と原点に戻ると、私はダメ元を覚悟の上で、これまでの経緯と、今抱えている課題の難易度の高さを、切々と訴えてみることにした。
するとどうだろうか。
私が話を終えるやいなや、ウィンディもシルフィも口を揃えて、あー、なんだそんなことかー、と軽い口調で受け流したのである!
「って二人とも何でそんなに軽いノリなのよー! こっちは真剣に悩んでいるんだからね!」
「あら、ごめんなさい。けれどミオさんの話を軽く受け止めたつもりはないんですのよ」
「そうだよ、ミオちゃん。もっと重大なことで悩んでると思ってたから、ちょっと拍子抜けしちゃっただけなんだからー」
確かにダメ元覚悟で話はしたけれど、あまりにも反応が素っ気なさすぎて、もうちょっと真剣に受け止めてよー! と苦言を申し立てれば、ウィンディもシルフィも慌てて取り繕う。
一生懸命に取り繕う、その言葉も、どこか軽々しさを感じるものの、二人に悪気はないようだ。
「要するにミオさんは捕らえられた愛しの王子様を助け出すために、国王陛下に会って話がしたいのですわよね?」
「でも正式な手順を追って謁見の申請なんてしていたら、地下牢に閉じ込められた愛しの王子様の命が儚く散ってしまうかもしれないから、一分一秒でも早く救い出したいと、そういうことだよねー? ミオちゃん」
「…………ああ、うん、まあ、そうだね。何だか一部ものすごく脚色されてる気がするんだけど、敢えて今回はツッコまないことにするわ」
悪気がないのは確かだろうが、やはり二人とも、どこか楽しげな雰囲気だ。
けれど私の悩みをどうにか解決しようとしてくれている――という空気は何となく読めたので、そのまま話を続けることにしたけれど、それにしても愛しの王子様ってなんだそれ!
「まあ、色々とありますけど、ミオさんが抱えている悩みの種を解決するのは、極めて簡単なことですわ」
「極めて簡単って……何かいい案でもあるの?」
「ええ、もちろんですわ! いささか強引な手法かもしれませんけれど、正式な手続きなど無視して、『アポなし突撃訪問』をすれば良いのですわ!」
「いやいやいや、って、そんなの無理でしょ――!?」
「無理ってこともないわよ、ミオちゃん。さすがに日中に行動に移しちゃうのは、悪目立ちしちゃうから、止めておいた方がいいと思うけど、真夜中だったら、そこまで人目もないし、こっそりと忍び込んで、寝込みを襲っちゃえばいいのよー」
「まああああああ! ウィンディ、貴女ってば天才ね! それってすっごく良いアイデアだと思うわ! そうよ、ミオさん! 無防備に寝首をかいたところを仕留めれば良いんですわ!」
「って、ちょ、ちょ、二人とも落ち着いて! っていうか、突撃訪問だとか、寝込みを襲うだとか、いくら何でもそんな無茶なことはできないってば!」
とんでもなくぶっ飛んだ発言をかまして、大いに盛り上がるウィンディとシルフィに、さすがにそれはダメでしょー! と叱りつけていたらば、それまで黙って私たちの会話――むろん、ジオルドとレナードには、精霊の声は聞こえないので、正確に言うと、私の大いなる独り言になるのだが――に耳を傾けていたジオルドが、私が口にした過激な言葉に反応して、訝しげに眉を顰める。
精霊たちの声は聞こえないものの、私が口にしている会話の内容から、不穏な空気を察したらしい。
「って美緒、寝込みを襲うって、いったい何の話をしているんだ?」
「え……えーっと、それはですねえ…………」
成り行きで私と行動を共にしてくれているとはいえ、ジオルドは王立騎士団に所属する騎士であり、彼が忠誠を誓うべき相手は、絶対的君主である国王陛下なのだ。
寝込みを襲うなどという物騒な単語を耳にすれば、さすがに看過するわけにはいかないのだろう。
厳しい表情でこちらを見据えるジオルドに、かくかくしかじかでー、と精霊たちとの会話の内容をぶちまければ、その過激さに驚いて、ジオルドも、ぎょっ、と目を見開く。
「ああ、もちろん、実行に移す気はないから――……」
「いや、でも確かにそっちの方が手っ取り早いかも知れないな」
「はい????」
安心して、と言おうとした私の声を遮って、口を挟んできたジオルドが、耳を疑うようなことを宣う。
自分が言い出したことではないけれど、このド阿呆が! と大目玉を喰らうんだろうなあ、と覚悟していた私は、あまりにも予想外の展開に思考が追いつかず、ぱちくりと目を瞬かせて、数秒後。
「うええええええええええええええっ!?!?」
「って美緒! 狭い車内で大声を出すなって、さっきも言っただろうが!」
天にも轟くほどの大絶叫を上げてしまい、またしても馬車を緊急停車させることとなってしまったのだが、この状況で驚くなという方が無理というもので、
「って何でジオルドまで同調するのよ――っ!!」
「いいから落ち着けって、美緒」
「ってこれが落ち着いていられるか――っ!!」
「ああ、分かった、分かったから、耳元でぎゃんぎゃん喚くな!」
軽くパニックに陥って喚き散らしていたら、ジオルドにしては珍しく、ぴしゃり、と雷声が落ちてきた。
ジオルドの鋭い声に反応して、うぐっ、と声を呑み込めば、やれやれと愁眉を開いて表情を緩めると、ジオルドは、ふう、と小さく息を吐く。
そうしてからやおら腕を伸ばしたかと思えば、ジオルドは私の肩にそっと手を置いた。
「いいか、心を落ち着かせて、よく聞くんだ。お前が命を付け狙われるのも、アレクが身柄を拘束されたのも、俺とレナードが賞金首扱いになったのも、元を返せば、そのすべてが『月に呼ばれし異端者』に起因しているんだ。だからすべての事象の原因となっている『月に呼ばれし異端者』など存在しないことを証明できれば、今、抱えている問題のすべてが一気に解決するはずだ」
「……つまり、それはどういうこと、なの?」
「できることなら、お前に重圧をかけるような真似はしたくない。だが、この世に災いを齎す者として忌み嫌われる存在である『月に呼ばれし異端者』が、そういう邪悪な存在ではないと証明できるのは、『月に呼ばれし解放者』であるお前だけだ」
急に風向きが変わってきた話に、ざわざわと心が揺らぐ。
「乗りかかった舟だ。たとえそれがどんなに無茶苦茶なやり方だったとしても、最後まで傍にいて、その結末を見届けてやるつもりだし、その覚悟はとっくの昔にできている。おそらく、それはレナードも同じだろう。なあ? レナード」
「そういう言い方をされたら肯定しかできなくなるじゃないですかー、ジオルド副師団長殿。でも、まあ、異議はありませんけどねー。ここまで来てしまったら後には引けませんし、いわれなき罪で追われる立場となった今、失くすものなんて命くらいですからね」
逃げ道を完全に塞ぐような言い回しに苦言を呈しつつも、レナードもまたその心のうちは一緒であることを告げれば、ジオルドは、にまっ、と、人の悪い笑みを浮かべる。
けれどもすぐにその笑みを打ち消すと、ジオルドは視線の先を、ふたたび私へと戻した。
「俺もレナードも覚悟はできている。さっきも言ったが、今、抱えているすべての問題を解決できるのは、『月に呼ばれし解放者』であるお前だけだ。それを踏まえた上で、どういう風に舵を取るか、それはお前自身が決めればいい」
口調こそ柔らかいものの、ジオルドとレナードの運命をも、左右するかもしれない重大な決断を迫られ、きゅううううう、と心臓が委縮してしまう。
自分が『解放者』であることを証明しなければいけないのは百も承知だし、その覚悟だってできているつもりだ。
けれど、自分が『解放者』であると、胸を張って言い切れるほどの確たるものがないから、こうして事の重大さを認識してしまうと、どうしたって心は頼りなく揺れ動いてしまう。
「不安になるのも仕方のないことですわ。でもね、ミオさん。貴女には月王様から授かった指輪がありますのよ?」
「そうだよ、ミオちゃん! 月王様からもらった指輪があるんだから、そんなに心配しなくても大丈夫だよー!」
確証できるものがないということが、枷となって、決断を下せずにいたら、ウィンディとシルフィが一生懸命に励ましてくれる。
口を揃えて指輪が、と強く主張する二人に流されて、右手の薬指に視線を落とせば、月明かりをたくさん集めて閉じ込めたような、柔らかい黄色を帯びていた月虹輝石が、七色の光を纏って、きらきら、と瞬き始める。
それは月虹輝石そのものが、大丈夫よ、と言っているかのようだ。
「ほら、今だって、私に任せて、って、光っていますわ」
「大丈夫だよ、ミオちゃん! どんなことがあっても、月王様が守ってくれるから」
揺れ動く私の心の内側を見透かしたかのように、もうひと踏ん張り、とばかり、ウィンディとシルフィが、私の背中をぐいぐいと押してくる。
「本当に大丈夫……かな?」
「もちろんですわ、ミオさん! 愛しの王子様を助けたいという強い心があれば、月王様もきっとその想いに応えてくれますわ!」
「うん、うん! ウィンディの言う通りだよ、ミオちゃん! それにいざとなったら、サラマンダーとノームも引き連れて、私たちが駆けつけるから安心して、ね?」
「うん、そうだね。分かった。ツキオウ様からもらった指輪を信じてみることにするわ」
ウィンディとシルフィの猛烈な後押しに負ける形で、船の進路を決めることとなった私は、ほんのわずかな不安を残しつつも、向かい側に座るジオルドとレナードを見返した。
「おう、舵取りは決まったか?」
「どう転がっても責めたりはしないから、美緒が思うまま動けばいいよ。俺とジオルド副師団長はそれについていくだけだから。そうですよねえ? ジオルド副師団長殿」
「それって絶対にさっきの仕返しだよなあ? でもまあレナードの言う通りだ。最後までちゃんと見届けてやるから安心しろ」
「ありがとう、みんな。正直な気持ちを話せば、まだ不安はあるし、絶対にって胸を張って言えないけれど、『解放者』としてできることは精一杯頑張るから、みんなの力を借りてもいい、かな?」
ありのままの自分の胸の内を吐露した後で、みんなの協力が必要だと、遠慮がちに要請してみれば。
「もちろん、そんなの当然だろー。他の面倒なことは、俺とレナードで引き受けてやるから、美緒は『解放者』として、自分ができることに専念していればいいんだよ」
「そうだよ、美緒。でもだからって無理強いはダメだからね。遠慮せずにどんどん頼ってくれて構わないからさ」
「うふふふふふ。とても頼りがいのある殿方たちですわねー。もちろん、わたくしも力をお貸ししてよ? ミオさん」
「私も力を貸すよー! だから一緒に頑張って、憎き大魔王から愛しの王子様を取り戻そうねー! ミオちゃん」
ジオルドも、レナードも、ウィンディも、シルフィも、誰一人として後ろ向きの発言はなく、みんなそれぞれの言葉で以って――一部、脚色がひどいのもあるけれど――私の声掛けに賛同してくれる。
「みんな、本当にありがとう」
向かうところ敵なしの万能な力は持っていないけれど、こうして優しく背中を押してくれる仲間が、たくさんいることに喜びを噛み締めつつ、心の底から感謝の気持ちを伝えると、私は閉じていたカーテンを開き、車窓から見える空に目を向けた。
優しく降り注いでいたはずの太陽の陽射しは、少し陰りを見せ始め、透き通るような美しい青に輝く空の東の端の方から、少しずつ色合いが変化していってるのが、一目見ただけでも分かる。
もうあと一時間も経てば、辺りは黄昏に包み込まれるだろう。
(みんなのためにも頑張らなきゃ、だよね)
新たな決意を乗せて、馬車は一直線に突き進んでゆく。
白亜の城塞はもう目前まで迫っていた。
辺りの景色はすっかりと変わり、草原地帯では見かけなかった背の高い樹木が目立ち始め、ちらほらと大きなお屋敷が建っているのも見える。
山嶺に白亜の城塞を構える丘の、裾野から中腹にかけての一帯は、『特別居住地区』に指定されていて、国から認可された上流階級の人々――つまりは爵位を持つ貴族だけが、住むことを許された特別な区域となっている。
あちらの世界でいうところの『高級住宅地』に当たる『特別居住地区』には、目も眩まんばかりの大豪邸が建ち並んでいるのだが、街中へのアクセスの良さという観点から、そのほとんどは街側の斜面に建っていて、丘の裏手にお屋敷を構える貴族は稀なのだそうだ。
お城で働く貴族の中には遠方から単身で赴任している人もいると聞いたことがあるから、そういった人たちが仮住まいとして裏手に住んでいるのかも知れないなあ――と窓の外に見える大豪邸を眺めやりつつ、あれこれと推測していた私は、のんびりと景色を眺めている場合ではなかったことを思い出し、カーテンを閉じると、車窓から見える景色を封印した。
腐敗臭漂う薄暗い地下牢にぶち込まれたアレクを助け出そう! という課題をクリアするのであれば、王都で一番偉い国王陛下に直談判するのが一番早いよねー、という結論に至り、いざ鎌倉へ! ならぬ、いざ王都アリルアへ! となり、白亜の城塞へ向かうことになったのだが、どうやってアレクを救い出すのか、だとか、どうやって自分が『解放者』であることを証明するのか、といった点に関しては、今のところ、具体的な案はまったく浮かんでいない。
目的地である白亜の城塞まで、あと少しのところまで来ているのに、いまだ無計画なのは、さすがにマズいだろうと、今さらながらに焦り始め、あらゆる知識と知恵を総動員させて、頭を働かせてみたものの、ようよう考えてみれば、国王陛下と会う方法ですら、具体的には決まっていないのだ。
(うーん、困ったなあ。国王陛下なんてゲームの中でしか会ったことないんだけどー)
ゲームであれば、謁見の間だとかに行けば、たいていの王様は玉座にちょこんと座っていたりするのだが、むろん、ゲームのように気軽に会えるはずもなく、セラフィリアに於いても、国王陛下と個人的に面会するのは至難の業らしい。
もちろん、まったく会えないというわけではなく、宮廷で定期的に開催される舞踏会など、華やかな社交場に時折り、顔を見せることもあるそうだが、参加している貴族たちが、我先にと挙って集まるものだから、まともに会話なぞできるはずもなく、せいぜい良くても、挨拶を交わすくらいしかできないそうだ。
なので、しっかりと腰を据えて、国王陛下と話がしたい、となると、所定の手続きを踏まなければいけないのだが、これがまたものすごくハードルが高いらしく、紋章を持つ大貴族でさえ、心が折れそうなくらい面倒な手続きを済ませ、そこからさらに謁見の承認が下りるまで、数か月近くも待たされるそうだ。
聞いた話によれば、王都を治める主は、事あるごとに人を呼びつけるのが趣味らしく、正式な手順を踏んで謁見の許可を得るよりも、王様から呼び出しを喰らった方が早いくらいなのだという。
とは言っても、ここまでの話は、あくまでも上流階級の人たちの話であって、最下層に身を置く庶民ともなれば、国王陛下に会える機会なんて、特別な行事や式典などに限られていて、聴衆へのお言葉を頂くときに、遠くから眺めるのが関の山と言ったところらしく、しがない一市民が個人的に陛下に会おうなどというのは、鼻からスパゲティを食べるよりも難しいことなのだそうだ。
ならば、第一騎士団副師団長を務めていて、且つ、伯爵家の子息だというジオルドであれば、友人・知人・親族など、ありとあらゆる人脈を駆使すれば、あるいは王様と親密になれるのではなかろうか、と期待を込めて聞いてみたものの、お前は阿呆か、の一言で、無残にも私の目論見は、木っ端微塵に吹き飛ばされたのである!
阿呆とは失礼な! と憤慨したものの、第一騎士団副師団長であるジオルドでさえも、式典などの特別な行事でしか、陛下の護衛に就くことはないらしく、それも年に数回のことなので、国王陛下との親密度は限りなく低く、ほぼゼロと言ってもいいらしい。
むろん、陛下と親しき仲だという知人などもいないようで、ジオルドのツテに頼るのは、どう考えても無理そうだ。
いやそれ以前、今のジオルドは莫大な懸賞金がかけられた指名手配犯なのである。
たとえツテがいたとしても、鴨がネギを背負ってきたー! と懸賞金に目が眩んだ知人に裏切られ、売り飛ばされるのは、目に見えた結果だ。
「ああ、もう! だったらどうすればいいのよ―――っ!!!!」
無い知恵を絞って、あれこれ提案してみたものの、あれもダメ、これもダメ、と総ボツを喰らわされ、あまりにも攻略難易度が高すぎる課題に心が折れて、こんなの無理だあぁあぁぁぁあ! と匙を投げかけて、その直後。
「御機嫌よう、ミオさん。お元気かしら?」
「大きな声を出してどうしたの? ミオちゃん」
そんな声とともに、何もない空中から、ぽんっ、と現れたのは、蒼に煌めく美しい鱗を持った可愛らしいフォルムの金魚と、宝石を纏ったかのような翡翠色の柔らかな羽を持つ小鳥だ。
「ってウィンディにシルフィじゃない! ええっ、って、急にどうしたの!?」
「何だかとてもお困りのようだったから、ちょっと様子を窺いにきたのよ、ミオさん」
「急に現れてびっくりしたよねー! 驚かせちゃってごめんね、ミオちゃん」
「あ、ううん。確かにちょっと驚いたけど、そんなに気にしなくても大丈夫よ、シルフィ。それよりもサラマンダーとノームは不在なの?」
「サラマンダーでしたら、今日は契約件数がものすごく多いんだー! とか言って、朝から大わらわですのよ」
「ノームはお日様の光が大の苦手なのよねえ。だからいつも日中は土の中に潜って過ごしているのよ。こんなにも柔らかくて暖かいお日様の陽射しを浴びれないなんて可哀想だと思わない?」
まったく予想していなかったウィンディとシルフィの登場に目を白黒させつつ、サラマンダーとノームの姿が見当たらないことに気づいて、彼らが不在の理由を聞いてみれば、ウィンディとシルフィがそれぞれ答えてくれる。
精霊にも色々な諸事情があるんだなあ、と思っていたら、まるで化け物でも見るかのような眼差しで、こちらを見ているレナード並びにジオルドと、がっつりと視線が合ってしまった。
「って二人して何でそんな目で見るのよー! 失礼じゃない!」
「いやいやいや、っていうか、美緒。お前、誰と話をしているんだ?」
「誰って……水の乙女の名を持つ精霊のウィンディーネと、風の乙女の名を持つ精霊のシルフだけれど、もしかして二人とも精霊たちの姿が見えていないの?」
鮮やかな蒼のグラデーションを纏う長い尾びれを揺らしながら、御機嫌よう、と貴婦人風情で挨拶をするウィンディと、翡翠色のふわふわの羽を、くちばしの先で繕いながら、こんにちはー! とさえずるシルフィを指差しつつ、あんぐりと口を開いている二人に、そんなことを聞いてみたものの。
「いや俺には姿が見えるどころか、声すらも聞こえねえんだけど……レナード、お前はどうなんだ?」
「もちろん、俺だって同じですよ。ジオルド副師団長殿」
嘘でもなく、冗談でもなく、ましてや悪ふざけでもなく、レナードにも、ジオルドにも、精霊たちの姿はおろか声さえも聞こえていないらしい。
「いつものことだけれど、私たちの姿って、やっぱり見えていないのですわねー……」
「粒ぞろいのイケメンが二人もいるのに、会話すらできないのは、ものすごく残念だわー」
レナードとジオルドの反応を見るなり、ウィンディも、シルフィも、がっくりと肩を落として、心底から残念そうに溜め息を吐く。
「でも私には見えているのに、どうして二人には見えないの?」
「だってミオちゃんは月王様から授かった指輪を着けているんだもの。私たちの姿が見えて当然よー」
ぴちちちちっ、とさえずりながら、とんとん、と飛び跳ねて、肩に乗り移ってきたシルフィが、私が口にした素朴な疑問に答えながら、くちばしの先で、ちょいちょい、と右下の方を指し示す。
そうっと視線を落としてみれば、薬指の付け根に填まった指輪が、何かを訴えるかのように、きらきらと七色に瞬く。
(そういや、アルトゥールも、ツキオウ様の魔力が秘められた大切なものだって話してたなあ)
指輪の台座で多彩な光を放つ月虹輝石を眺めやりながら、そんなことを思っていたらば、今度は空中を泳ぎ回っていたウィンディが、ぱしゃり、と水飛沫を跳ね上げながら、その動きを止めると、ぱくぱくと口を動かした。
「私たち精霊の姿は自我が芽生える頃――……うーん、そうですわねえ。だいたい十歳くらいまで成長すれば、人間には見えなくなってしまうんですのよ」
「へえー、そうなんだ。でもセラフィリアでは、精霊と契約を交わす人たちが、毎日のように大勢いるよね? 姿も見えない・声も聞こえない状態だったら、契約を交わすのも、一苦労なんじゃないの?」
「ええ、ミオさんの言う通りですわ。だから私たちと契約を結ぶときは、各々の精霊を象った装飾品を使うのが普通なんですのよ」
「姿が見えなくても、別に支障はないけれど、さすがに声が届かないと、意思疎通するのも難しいから、精霊を象った装飾品を通して、声だけは伝わるようにしてるんだよねえー」
「ああ、なるほどー。要するに精霊を象った装飾品は通信機みたいな役割を果たすってことね」
「ええ、そうですわね。そういう解釈で間違ってないと思いますわ。それはそうとミオさん、何か困りごとがあったのでしょう? 差し支えがなければ、お話を伺っても宜しくて?」
あちらの世界のように文明の利器がなくとも、似たような代用品は意外とあるんだなあー、と糸電話もどきに感心していたら、ウィンディにそんなことを聞かれ、ああ、そうだった! と原点に戻ると、私はダメ元を覚悟の上で、これまでの経緯と、今抱えている課題の難易度の高さを、切々と訴えてみることにした。
するとどうだろうか。
私が話を終えるやいなや、ウィンディもシルフィも口を揃えて、あー、なんだそんなことかー、と軽い口調で受け流したのである!
「って二人とも何でそんなに軽いノリなのよー! こっちは真剣に悩んでいるんだからね!」
「あら、ごめんなさい。けれどミオさんの話を軽く受け止めたつもりはないんですのよ」
「そうだよ、ミオちゃん。もっと重大なことで悩んでると思ってたから、ちょっと拍子抜けしちゃっただけなんだからー」
確かにダメ元覚悟で話はしたけれど、あまりにも反応が素っ気なさすぎて、もうちょっと真剣に受け止めてよー! と苦言を申し立てれば、ウィンディもシルフィも慌てて取り繕う。
一生懸命に取り繕う、その言葉も、どこか軽々しさを感じるものの、二人に悪気はないようだ。
「要するにミオさんは捕らえられた愛しの王子様を助け出すために、国王陛下に会って話がしたいのですわよね?」
「でも正式な手順を追って謁見の申請なんてしていたら、地下牢に閉じ込められた愛しの王子様の命が儚く散ってしまうかもしれないから、一分一秒でも早く救い出したいと、そういうことだよねー? ミオちゃん」
「…………ああ、うん、まあ、そうだね。何だか一部ものすごく脚色されてる気がするんだけど、敢えて今回はツッコまないことにするわ」
悪気がないのは確かだろうが、やはり二人とも、どこか楽しげな雰囲気だ。
けれど私の悩みをどうにか解決しようとしてくれている――という空気は何となく読めたので、そのまま話を続けることにしたけれど、それにしても愛しの王子様ってなんだそれ!
「まあ、色々とありますけど、ミオさんが抱えている悩みの種を解決するのは、極めて簡単なことですわ」
「極めて簡単って……何かいい案でもあるの?」
「ええ、もちろんですわ! いささか強引な手法かもしれませんけれど、正式な手続きなど無視して、『アポなし突撃訪問』をすれば良いのですわ!」
「いやいやいや、って、そんなの無理でしょ――!?」
「無理ってこともないわよ、ミオちゃん。さすがに日中に行動に移しちゃうのは、悪目立ちしちゃうから、止めておいた方がいいと思うけど、真夜中だったら、そこまで人目もないし、こっそりと忍び込んで、寝込みを襲っちゃえばいいのよー」
「まああああああ! ウィンディ、貴女ってば天才ね! それってすっごく良いアイデアだと思うわ! そうよ、ミオさん! 無防備に寝首をかいたところを仕留めれば良いんですわ!」
「って、ちょ、ちょ、二人とも落ち着いて! っていうか、突撃訪問だとか、寝込みを襲うだとか、いくら何でもそんな無茶なことはできないってば!」
とんでもなくぶっ飛んだ発言をかまして、大いに盛り上がるウィンディとシルフィに、さすがにそれはダメでしょー! と叱りつけていたらば、それまで黙って私たちの会話――むろん、ジオルドとレナードには、精霊の声は聞こえないので、正確に言うと、私の大いなる独り言になるのだが――に耳を傾けていたジオルドが、私が口にした過激な言葉に反応して、訝しげに眉を顰める。
精霊たちの声は聞こえないものの、私が口にしている会話の内容から、不穏な空気を察したらしい。
「って美緒、寝込みを襲うって、いったい何の話をしているんだ?」
「え……えーっと、それはですねえ…………」
成り行きで私と行動を共にしてくれているとはいえ、ジオルドは王立騎士団に所属する騎士であり、彼が忠誠を誓うべき相手は、絶対的君主である国王陛下なのだ。
寝込みを襲うなどという物騒な単語を耳にすれば、さすがに看過するわけにはいかないのだろう。
厳しい表情でこちらを見据えるジオルドに、かくかくしかじかでー、と精霊たちとの会話の内容をぶちまければ、その過激さに驚いて、ジオルドも、ぎょっ、と目を見開く。
「ああ、もちろん、実行に移す気はないから――……」
「いや、でも確かにそっちの方が手っ取り早いかも知れないな」
「はい????」
安心して、と言おうとした私の声を遮って、口を挟んできたジオルドが、耳を疑うようなことを宣う。
自分が言い出したことではないけれど、このド阿呆が! と大目玉を喰らうんだろうなあ、と覚悟していた私は、あまりにも予想外の展開に思考が追いつかず、ぱちくりと目を瞬かせて、数秒後。
「うええええええええええええええっ!?!?」
「って美緒! 狭い車内で大声を出すなって、さっきも言っただろうが!」
天にも轟くほどの大絶叫を上げてしまい、またしても馬車を緊急停車させることとなってしまったのだが、この状況で驚くなという方が無理というもので、
「って何でジオルドまで同調するのよ――っ!!」
「いいから落ち着けって、美緒」
「ってこれが落ち着いていられるか――っ!!」
「ああ、分かった、分かったから、耳元でぎゃんぎゃん喚くな!」
軽くパニックに陥って喚き散らしていたら、ジオルドにしては珍しく、ぴしゃり、と雷声が落ちてきた。
ジオルドの鋭い声に反応して、うぐっ、と声を呑み込めば、やれやれと愁眉を開いて表情を緩めると、ジオルドは、ふう、と小さく息を吐く。
そうしてからやおら腕を伸ばしたかと思えば、ジオルドは私の肩にそっと手を置いた。
「いいか、心を落ち着かせて、よく聞くんだ。お前が命を付け狙われるのも、アレクが身柄を拘束されたのも、俺とレナードが賞金首扱いになったのも、元を返せば、そのすべてが『月に呼ばれし異端者』に起因しているんだ。だからすべての事象の原因となっている『月に呼ばれし異端者』など存在しないことを証明できれば、今、抱えている問題のすべてが一気に解決するはずだ」
「……つまり、それはどういうこと、なの?」
「できることなら、お前に重圧をかけるような真似はしたくない。だが、この世に災いを齎す者として忌み嫌われる存在である『月に呼ばれし異端者』が、そういう邪悪な存在ではないと証明できるのは、『月に呼ばれし解放者』であるお前だけだ」
急に風向きが変わってきた話に、ざわざわと心が揺らぐ。
「乗りかかった舟だ。たとえそれがどんなに無茶苦茶なやり方だったとしても、最後まで傍にいて、その結末を見届けてやるつもりだし、その覚悟はとっくの昔にできている。おそらく、それはレナードも同じだろう。なあ? レナード」
「そういう言い方をされたら肯定しかできなくなるじゃないですかー、ジオルド副師団長殿。でも、まあ、異議はありませんけどねー。ここまで来てしまったら後には引けませんし、いわれなき罪で追われる立場となった今、失くすものなんて命くらいですからね」
逃げ道を完全に塞ぐような言い回しに苦言を呈しつつも、レナードもまたその心のうちは一緒であることを告げれば、ジオルドは、にまっ、と、人の悪い笑みを浮かべる。
けれどもすぐにその笑みを打ち消すと、ジオルドは視線の先を、ふたたび私へと戻した。
「俺もレナードも覚悟はできている。さっきも言ったが、今、抱えているすべての問題を解決できるのは、『月に呼ばれし解放者』であるお前だけだ。それを踏まえた上で、どういう風に舵を取るか、それはお前自身が決めればいい」
口調こそ柔らかいものの、ジオルドとレナードの運命をも、左右するかもしれない重大な決断を迫られ、きゅううううう、と心臓が委縮してしまう。
自分が『解放者』であることを証明しなければいけないのは百も承知だし、その覚悟だってできているつもりだ。
けれど、自分が『解放者』であると、胸を張って言い切れるほどの確たるものがないから、こうして事の重大さを認識してしまうと、どうしたって心は頼りなく揺れ動いてしまう。
「不安になるのも仕方のないことですわ。でもね、ミオさん。貴女には月王様から授かった指輪がありますのよ?」
「そうだよ、ミオちゃん! 月王様からもらった指輪があるんだから、そんなに心配しなくても大丈夫だよー!」
確証できるものがないということが、枷となって、決断を下せずにいたら、ウィンディとシルフィが一生懸命に励ましてくれる。
口を揃えて指輪が、と強く主張する二人に流されて、右手の薬指に視線を落とせば、月明かりをたくさん集めて閉じ込めたような、柔らかい黄色を帯びていた月虹輝石が、七色の光を纏って、きらきら、と瞬き始める。
それは月虹輝石そのものが、大丈夫よ、と言っているかのようだ。
「ほら、今だって、私に任せて、って、光っていますわ」
「大丈夫だよ、ミオちゃん! どんなことがあっても、月王様が守ってくれるから」
揺れ動く私の心の内側を見透かしたかのように、もうひと踏ん張り、とばかり、ウィンディとシルフィが、私の背中をぐいぐいと押してくる。
「本当に大丈夫……かな?」
「もちろんですわ、ミオさん! 愛しの王子様を助けたいという強い心があれば、月王様もきっとその想いに応えてくれますわ!」
「うん、うん! ウィンディの言う通りだよ、ミオちゃん! それにいざとなったら、サラマンダーとノームも引き連れて、私たちが駆けつけるから安心して、ね?」
「うん、そうだね。分かった。ツキオウ様からもらった指輪を信じてみることにするわ」
ウィンディとシルフィの猛烈な後押しに負ける形で、船の進路を決めることとなった私は、ほんのわずかな不安を残しつつも、向かい側に座るジオルドとレナードを見返した。
「おう、舵取りは決まったか?」
「どう転がっても責めたりはしないから、美緒が思うまま動けばいいよ。俺とジオルド副師団長はそれについていくだけだから。そうですよねえ? ジオルド副師団長殿」
「それって絶対にさっきの仕返しだよなあ? でもまあレナードの言う通りだ。最後までちゃんと見届けてやるから安心しろ」
「ありがとう、みんな。正直な気持ちを話せば、まだ不安はあるし、絶対にって胸を張って言えないけれど、『解放者』としてできることは精一杯頑張るから、みんなの力を借りてもいい、かな?」
ありのままの自分の胸の内を吐露した後で、みんなの協力が必要だと、遠慮がちに要請してみれば。
「もちろん、そんなの当然だろー。他の面倒なことは、俺とレナードで引き受けてやるから、美緒は『解放者』として、自分ができることに専念していればいいんだよ」
「そうだよ、美緒。でもだからって無理強いはダメだからね。遠慮せずにどんどん頼ってくれて構わないからさ」
「うふふふふふ。とても頼りがいのある殿方たちですわねー。もちろん、わたくしも力をお貸ししてよ? ミオさん」
「私も力を貸すよー! だから一緒に頑張って、憎き大魔王から愛しの王子様を取り戻そうねー! ミオちゃん」
ジオルドも、レナードも、ウィンディも、シルフィも、誰一人として後ろ向きの発言はなく、みんなそれぞれの言葉で以って――一部、脚色がひどいのもあるけれど――私の声掛けに賛同してくれる。
「みんな、本当にありがとう」
向かうところ敵なしの万能な力は持っていないけれど、こうして優しく背中を押してくれる仲間が、たくさんいることに喜びを噛み締めつつ、心の底から感謝の気持ちを伝えると、私は閉じていたカーテンを開き、車窓から見える空に目を向けた。
優しく降り注いでいたはずの太陽の陽射しは、少し陰りを見せ始め、透き通るような美しい青に輝く空の東の端の方から、少しずつ色合いが変化していってるのが、一目見ただけでも分かる。
もうあと一時間も経てば、辺りは黄昏に包み込まれるだろう。
(みんなのためにも頑張らなきゃ、だよね)
新たな決意を乗せて、馬車は一直線に突き進んでゆく。
白亜の城塞はもう目前まで迫っていた。