紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
急げ! 急げ! 急げ!
「――……おい、こら、美緒。お前が右手に持っているそれはいったい何なんだ!?」
「ああ、これ? これはどこの家庭にも一つはあるであろう、『ごくごく普通のフライパン』だけど、もしかしてジオルドってば、フライパンを見たことがないの?」
「ってそんなわけねえだろ! っていうか、俺が聞いているのは固有名詞の方じゃなくて、どうしてお前がフライパンを持っているのか、その理由の方だ!」
内径28cmはあろうかという深型の大きなフライパンを掲げながら、さすがにフライパンを見たことがないっていうのはないよねえー、と首を傾げていたら、くわっと目を見開いたジオルドに、エライ剣幕で捲し立てられてしまった。
時は草木も眠る丑三つどき――……とまではいかないものの、もうそろそろ日付が変わろうかというくらいには遅い時間帯だ。
時を告げる鐘楼の鐘が打ち鳴らされるのは、おおよそ午前六時から午後十時までなので、鐘が鳴らない深夜から明け方にかけては、正確な時間を知るのは、なかなか難しいことなのだそうだ。
まあ、ほとんどの人は就寝している時間帯なので、正確な時間など分からなくても、困ることはないのだが、歓楽街で働く娼婦や酒場で朝まで飲んだくれる人、あるいは目的地を目指して、夜通し歩き続ける冒険者など、深夜帯に活動する人たちは、無数の星が瞬く夜空を見上げ、星の動きから時間を読み解くのだという。
そのときに観測する代表的な星が『シグルス』と呼ばれる、地球の北半球で言うところの『北極』に値する星だ。
その『シグルス』は今、満天の星空の中心で煌々と輝く、紅色の月の少し下あたりの位置にあり、時間を読み解く人たちが見つけやすいようにと、幾千、幾万と瞬く、どの星よりも一番強く輝いている。
国王陛下が住まう居城を抱する白亜の城塞に、私たちが辿り着いたのは、もう間もなく、黄昏時が始まろうとした頃だった。
紋章を持つことを許された大貴族が所有する馬車であれば、検問を受けずに通過ができると聞いてはいたものの、本当に大丈夫なのか、と内心ハラハラしていたのだが、城門を潜り抜ける際、待ち受けていた衛兵が、御者さんと挨拶程度の短い会話を交わしただけで、車内に誰が乗っているのか――といった調べを受けることもなく、高く積み上げられた強固な石の壁に護られた城塞の中へ、あっさりと侵入することに成功したのである。
まったくもって紋章を持つ大貴族というのはすごいのだなあ、と感心しつつ、一か八かの当たって砕けろ作戦で『アポなし突撃訪問』を遂行することとなった私たちは、一旦、騎士団施設へと向かい、そこで馬車から降りると、騎士たちが使う馬が過ごす厩舎の一つに潜り込み、夜更けまでの時間を過ごすこととなった。
国王陛下が住まう居城に何度か足を運んだ事があるというジオルドに、居城の内部構造を聞いてみたものの、限られた範囲での移動だったため、そのほとんどは把握していないそうだ。
城塞の通用門がそうであったように、国王陛下が住まう居城にも、ごくごく限られた人たちだけが利用できる、いわばVIP専用出入り口なるものがないか、と期待を込めて聞いてみたものの、紋章を持つ大貴族ですら、居城への入館は厳しく制限されているのだから、そんなものあるわけないだろう、と一蹴されてしまった。
ちなみに詳細までは分からないものの、国王陛下が住まう居城は三階建てで、一階は舞踏会が開催される大広間や謁見の間、食堂や武器庫、宝物庫、書庫といった部屋が集約され、個人的に使う部屋は全て二階以上にあるそうだ。
また国王陛下が住まう居城と、外部から訪れた来賓が宿泊する迎賓館は、広々とした中庭に通された回廊で繋がっているそうだが、もちろん迎賓館側からの入館も厳しく取り締まりがされていて、舞踏会の招待状などを持っていない限り、上流階級の人たちでさえ、居城への立ち入りは禁止されているそうだ。
とまあそんな感じで、ちょっとした作戦会議を開きつつ、腹が減っては戦ができぬ、という事で、簡単に食事を済ませ、話し合いを終えたあとは、体力の温存も兼ねて、夜更けまで仮眠しよう! ということになり、お日様の香りをいっぱい吸い込んだ干し草のベッドでひと眠りし、つい三十分くらい前に目を覚ました私たちは準備を整えると、決戦の地である国王陛下が住まう居城へと向かったのだ。
そうして今は居城の裏手にある雑木林に身を潜め、決戦に向けての最終チェックをしていたのだが、その折に前述したフライパンの件が浮上したのである。
「ああ、なるほどー、何で持っているのか、その理由を知りたいわけね。ほら私ってさー、封印された神様を救うっていう、まあまあ重要な使命を任されたわけじゃない? でも向かうところ敵なしの万能な力を与えられたわけでもないし、剣とか斧とかを華麗に振り回せるわけでもないでしょう? かと言って魔術師顔負けのものすごい魔法が使えるわけでもないしさあー。一応、輝きを失った月を元に戻す能力を持っているみたいなんだけど、それって実戦で使えるわけでもないし、ぶっちゃけ、私の基本ステータスって、どこにでもいる『ごくごく普通の女子高生』なんだよねえー……」
つらつらと言葉を並び立てているうち、本当に実戦では何の役にも立たないお荷物なんだなあー、と痛感してしまい、はあ、と落胆の溜め息を吐いていたらば、私の横でジオルドが実に神妙な面持ちを浮かべて、お……おおう、そうか、と曖昧に相槌を打つ。
自動翻訳機では変換されない聞き慣れない単語に戸惑っているようだが、補足をしていると、無駄に長くなるので、敢えて無視することを決めると、私は気を取り戻し、じゃじゃーん! と効果音をつけながら、右手に掲げていたフライパンをさらに天高く突き上げてみせた。
「そこで役に立つのが、このフライパンってわけ! 剣だとか、槍だとか、弓だとか、そういう武器は使ったことがないけれど、フライパンだったら使い慣れてるからね! いやまあ武器として、フライパンを使ったことは一回もないけどさー。それにフライパンだったら、力加減を調整すれば、そこまで殺傷能力も高くなさそうだし、ガツンと殴って気絶させるには最適な武器だと思うんだよねー。ああ、それからね」
私はそこまで話して、いったん言葉を切ると、天高く突き上げていたフライパンを、今度は自分の頭にかぶせてみた。
「ほらほら、見てー! フライパンってば、こうやってかぶると防具にもなるんだよー! もちろん頭にかぶるだけじゃなくて、こうやれば盾代わりにもなるしねー! 調理器具として使えるのはもちろんのこと、こうやって武器にもなれば、防具にもなるんだから、フライパンって、ものすごく万能な道具だよねえー! おなべのふたなんかより、全然使えると思うんだけどなあー」
「ま……まあ確かにそうだな。言われてみれば、夫婦げんかの仲裁事案とかで、嫁にフライパンで殴られたーって、旦那が嘆いていたりするもんな」
「でしょうー! っていうか騎士団って夫婦げんかの仲裁とかもしてるんだ。『夫婦げんかは犬も食わぬ』って、ことわざがあるくらいなのに大変だねえー。ちなみにこのフライパンはマルティーヌお婆さまに借りたんだー」
「なるほど、そうことだったのか。フライパンを持っていた理由が分かって、すっきりしたが、無理して戦う必要はないからな。まあ防具として使うのなら全然構わないが」
「うん、それは分かってるよ。私としても、力の匙加減を見誤って、フライパンで殴り殺したとかで、前科者にはなりたくないしねー」
「盛り上がっているところを邪魔して悪いんだけど、ジオルド副師団長殿。ちょっと良いですか?」
私とジオルドの二人でフライパン談議に花を咲かせていたら、辺りを偵察していたレナードが、いきなり割り込んできた。
「おう、どうした? レナード」
「ここまで来たのはいいですけど、どうやって侵入するつもりなんです? ぱっと見た感じ、侵入できそうな入口は見当たりませんし、窓から侵入――……と言っても、あの高さでは、よじ登るのも不可能かと思いますが」
レナードからの指摘を受けて、ぐうるり、と周辺を見渡してみたら、確かに出入り口らしきものは、どこにも見当たらないし、窓に関しても、いくつか確認はできるものの、どの窓も頑丈な雨戸あるいは分厚いカーテンで遮られていて、こちらから中の様子は窺えない。
しかも見渡せる範囲にある窓はすべて、かなり高い位置にあって、足場になりそうなものは一切なく、レナードが言う通り、壁をよじ登って窓から侵入するのは、どう考えても無理そうだ。
俺についてこいとでも言わんばかり、先陣を切って、居城の裏手にある雑木林に向かうものだから、何か策があるのだろうと思って、ジオルドの後を追ってきたけれど、ざっくりと見た感じでは、居城の裏手から侵入を試みるのは難しそうだ。
だったら何でジオルドはこんなところに来たのだろうか、と首を捻っていたらば、面白い悪戯を思いついた少年の如く、真っ白い歯を覗かせると、ジオルドは、にやり、と質の悪い笑みを覗かせたのである。
「出入り口がないのなら作ればいいんだよ」
「え……ってそれってどういう意味なの???」
「まあいいから美緒はそこで黙って見ていろよ」
ジオルドはそういうが早いか、目の前にある壁に手のひらを翳すと、自動翻訳機では変換されない音色に近いそれ――つまりは『魔法』を詠唱し始めた。
「ってジオルドって魔法使えるの!?」
「ジオルド副師団長は炎系の魔法が得意でさー。確かサラマンダーの上位互換にあたる、業火のイフリートと契約を結んでいたはずだよ」
「うえええええええええええ――っっ!? サラマンダーの上位互換っていうことは、ジオルドも魔術師免許を持ってるってこと!? え、なにそれ!? そんな話、本人から一言も聞いてない――――っっ!」
「そもそも第一騎士団の騎士に就任するには、魔術師免許の取得が必須だからね。アレクも魔術師免許を持っているはずだよ。そんなことよりも危ないから、少し離れていた方がいいよ、美緒」
伯爵家の子息だったという話に続いて、またしても初耳な情報を聞かされ、新たに発覚した事実に驚愕していたら、魔法を詠唱していて話せないジオルドに代わって、私の疑問に答えてくれていたレナードが、くいっ、と腕を引く。
レナードに引っ張られるがまま、少し後ろに下がって距離を取り、魔法を詠唱しているジオルドを見てみれば、壁に翳した手のひらから手首にかけての部分が、燃え盛る炎に包まれているではないか!
ひええええええっ!? あれって熱くないの――っっ!?!? と慌てふためいていたら、どうやら魔法を詠唱し終えたらしい。
肘にまで迫ろうかというくらい、激しく燃えていた炎が、ジオルドの手のひらに集約されてゆき、やがて燃え盛る業火はバレーボールくらいの大きさの球体へと変わってしまう。
と同時にジオルドはバチバチと火花を飛び散らせている球体を居城の壁に向けて撃ち放った。
至近距離から放たれた魔法は軌道から逸れることなく、ものすごい勢いで壁に衝突すると、どか――んっ! とド派手な音を立てて弾け飛ぶ。
その直後、がらがらがらがら、と何かが崩れ落ちる音とともに、視界を遮る土埃が舞い上がった。
「いやあー、すっげえ、久しぶりに魔法の詠唱をしたから、どうなるかと思ったけど、どうやら上手くいったみたいだな。でもやっぱり魔法を使うよりも、剣を振り回してる方が、全然楽だわー」
舞い上がった土埃が気道に入り込んで、けほけほと咳き込んでいたら、一仕事を終えたジオルドが、いたく満足気な笑みを浮べながら、こちらへと戻ってくる。
魔法を放つ直前までジオルドの腕が、紅蓮の炎に包まれていたことを思い出して、ひどい火傷を負っているのではなかろうか、と心配になって、彼の右腕を見たものの、火傷はおろか、上衣の袖が燃えたような形跡すらない。
あんなに激しく燃えていたのに、いったいどういう仕組みになっているんだ? とまるで奇術でも見たような気分になっていたら、視界を遮っていた土埃が、ようやく収まった。
見通しが良くなったところで、魔法が衝突した壁に目を向けてみれば、身を屈めれば、大人でも余裕で通り抜けられそうな大穴が開いているではないか!
おおー! すごいねえー! これで中に入れるじゃん! と諸手を挙げて喜ぶ――……はずもなく。
「ってジオルド! こっそり忍び込んで寝込みを襲う作戦のはずだったのに、こんなにド派手に魔法をぶち込んだら台無しじゃない!」
「そうだなあ。今頃はさっきの衝撃音で、陛下も飛び起きているだろうなあ」
「ってそんな暢気なことを言ってる場合じゃないでしょう!? いったいどうするつもりなのよ!」
「ああー! 待て待て待て待て待てってば! そんなにわーわーと喚き散らすな! もちろん考えなしで魔法をぶち込んだわけじゃない。今の衝撃音で館内にいる警備のほとんどが大挙して、こっちに押しかけてくるだろうよ。どれくらいの数が来るかは分からんが、少なくても他の場所は、警備が手薄になるはずだ」
「えーっと……つまりそれってどういうこと?」
「悪いが説明をしている余裕はない。今の騒ぎで警備が一斉に集まるだろうから、ここは俺に任せておけ。お前はレナードと一緒に、中に潜りこんで、陛下の部屋を見つけ出すんだ。レナード頼んだぞ!」
寝込みを襲うはずだったのが、いつの間にやら、囮作戦に切り替わったらしい――……のだが。
「ってジオルド一人で対処するのなんて無理だよ!」
「無理もへったくれもあるかよ! 俺のことを気の毒に思うのなら、一刻も早く陛下に会って、お前が異端者でないことを証明しろ! そうすればすべてが丸く収まるはずだ! レナード、さっさと美緒を連れて行け!」
「解りましたよ、ジオルド副師団長殿。ほら、美緒行くよ。ジオルド副師団長の命知らずな行動を無駄にしちゃダメだ」
「わ、わかった。なるべく早く――……いや違った。全力で陛下を探し出すから、無茶だけはしないで。それだけは絶対だからね!」
「ああ、分かった。分かったから、さっさと行け!」
騒ぎを聞きつけて駆けつけたらしい大勢の声と足音が、遠くの方から聞こえてくる。
ジオルドを一人だけ残して、その場から立ち去るのは、すごく嫌だったけれど、私が異端者でないことを証明するための、道を切り拓いてくれたんだと思えば、レナードの言う通り、ジオルドが命懸けで取ってくれた行動を無駄にするわけにはいかない。
(お願い。私の心が届いているのなら、どうかジオルドを護って)
右手の薬指の付け根で静かに瞬く、月虹輝石に祈りを捧げながら、携えていた長剣を引き抜いたジオルドに背中を向けると、私は壁にぽっかりと開いた穴の中へと潜り込んだ。
「ああ、これ? これはどこの家庭にも一つはあるであろう、『ごくごく普通のフライパン』だけど、もしかしてジオルドってば、フライパンを見たことがないの?」
「ってそんなわけねえだろ! っていうか、俺が聞いているのは固有名詞の方じゃなくて、どうしてお前がフライパンを持っているのか、その理由の方だ!」
内径28cmはあろうかという深型の大きなフライパンを掲げながら、さすがにフライパンを見たことがないっていうのはないよねえー、と首を傾げていたら、くわっと目を見開いたジオルドに、エライ剣幕で捲し立てられてしまった。
時は草木も眠る丑三つどき――……とまではいかないものの、もうそろそろ日付が変わろうかというくらいには遅い時間帯だ。
時を告げる鐘楼の鐘が打ち鳴らされるのは、おおよそ午前六時から午後十時までなので、鐘が鳴らない深夜から明け方にかけては、正確な時間を知るのは、なかなか難しいことなのだそうだ。
まあ、ほとんどの人は就寝している時間帯なので、正確な時間など分からなくても、困ることはないのだが、歓楽街で働く娼婦や酒場で朝まで飲んだくれる人、あるいは目的地を目指して、夜通し歩き続ける冒険者など、深夜帯に活動する人たちは、無数の星が瞬く夜空を見上げ、星の動きから時間を読み解くのだという。
そのときに観測する代表的な星が『シグルス』と呼ばれる、地球の北半球で言うところの『北極』に値する星だ。
その『シグルス』は今、満天の星空の中心で煌々と輝く、紅色の月の少し下あたりの位置にあり、時間を読み解く人たちが見つけやすいようにと、幾千、幾万と瞬く、どの星よりも一番強く輝いている。
国王陛下が住まう居城を抱する白亜の城塞に、私たちが辿り着いたのは、もう間もなく、黄昏時が始まろうとした頃だった。
紋章を持つことを許された大貴族が所有する馬車であれば、検問を受けずに通過ができると聞いてはいたものの、本当に大丈夫なのか、と内心ハラハラしていたのだが、城門を潜り抜ける際、待ち受けていた衛兵が、御者さんと挨拶程度の短い会話を交わしただけで、車内に誰が乗っているのか――といった調べを受けることもなく、高く積み上げられた強固な石の壁に護られた城塞の中へ、あっさりと侵入することに成功したのである。
まったくもって紋章を持つ大貴族というのはすごいのだなあ、と感心しつつ、一か八かの当たって砕けろ作戦で『アポなし突撃訪問』を遂行することとなった私たちは、一旦、騎士団施設へと向かい、そこで馬車から降りると、騎士たちが使う馬が過ごす厩舎の一つに潜り込み、夜更けまでの時間を過ごすこととなった。
国王陛下が住まう居城に何度か足を運んだ事があるというジオルドに、居城の内部構造を聞いてみたものの、限られた範囲での移動だったため、そのほとんどは把握していないそうだ。
城塞の通用門がそうであったように、国王陛下が住まう居城にも、ごくごく限られた人たちだけが利用できる、いわばVIP専用出入り口なるものがないか、と期待を込めて聞いてみたものの、紋章を持つ大貴族ですら、居城への入館は厳しく制限されているのだから、そんなものあるわけないだろう、と一蹴されてしまった。
ちなみに詳細までは分からないものの、国王陛下が住まう居城は三階建てで、一階は舞踏会が開催される大広間や謁見の間、食堂や武器庫、宝物庫、書庫といった部屋が集約され、個人的に使う部屋は全て二階以上にあるそうだ。
また国王陛下が住まう居城と、外部から訪れた来賓が宿泊する迎賓館は、広々とした中庭に通された回廊で繋がっているそうだが、もちろん迎賓館側からの入館も厳しく取り締まりがされていて、舞踏会の招待状などを持っていない限り、上流階級の人たちでさえ、居城への立ち入りは禁止されているそうだ。
とまあそんな感じで、ちょっとした作戦会議を開きつつ、腹が減っては戦ができぬ、という事で、簡単に食事を済ませ、話し合いを終えたあとは、体力の温存も兼ねて、夜更けまで仮眠しよう! ということになり、お日様の香りをいっぱい吸い込んだ干し草のベッドでひと眠りし、つい三十分くらい前に目を覚ました私たちは準備を整えると、決戦の地である国王陛下が住まう居城へと向かったのだ。
そうして今は居城の裏手にある雑木林に身を潜め、決戦に向けての最終チェックをしていたのだが、その折に前述したフライパンの件が浮上したのである。
「ああ、なるほどー、何で持っているのか、その理由を知りたいわけね。ほら私ってさー、封印された神様を救うっていう、まあまあ重要な使命を任されたわけじゃない? でも向かうところ敵なしの万能な力を与えられたわけでもないし、剣とか斧とかを華麗に振り回せるわけでもないでしょう? かと言って魔術師顔負けのものすごい魔法が使えるわけでもないしさあー。一応、輝きを失った月を元に戻す能力を持っているみたいなんだけど、それって実戦で使えるわけでもないし、ぶっちゃけ、私の基本ステータスって、どこにでもいる『ごくごく普通の女子高生』なんだよねえー……」
つらつらと言葉を並び立てているうち、本当に実戦では何の役にも立たないお荷物なんだなあー、と痛感してしまい、はあ、と落胆の溜め息を吐いていたらば、私の横でジオルドが実に神妙な面持ちを浮かべて、お……おおう、そうか、と曖昧に相槌を打つ。
自動翻訳機では変換されない聞き慣れない単語に戸惑っているようだが、補足をしていると、無駄に長くなるので、敢えて無視することを決めると、私は気を取り戻し、じゃじゃーん! と効果音をつけながら、右手に掲げていたフライパンをさらに天高く突き上げてみせた。
「そこで役に立つのが、このフライパンってわけ! 剣だとか、槍だとか、弓だとか、そういう武器は使ったことがないけれど、フライパンだったら使い慣れてるからね! いやまあ武器として、フライパンを使ったことは一回もないけどさー。それにフライパンだったら、力加減を調整すれば、そこまで殺傷能力も高くなさそうだし、ガツンと殴って気絶させるには最適な武器だと思うんだよねー。ああ、それからね」
私はそこまで話して、いったん言葉を切ると、天高く突き上げていたフライパンを、今度は自分の頭にかぶせてみた。
「ほらほら、見てー! フライパンってば、こうやってかぶると防具にもなるんだよー! もちろん頭にかぶるだけじゃなくて、こうやれば盾代わりにもなるしねー! 調理器具として使えるのはもちろんのこと、こうやって武器にもなれば、防具にもなるんだから、フライパンって、ものすごく万能な道具だよねえー! おなべのふたなんかより、全然使えると思うんだけどなあー」
「ま……まあ確かにそうだな。言われてみれば、夫婦げんかの仲裁事案とかで、嫁にフライパンで殴られたーって、旦那が嘆いていたりするもんな」
「でしょうー! っていうか騎士団って夫婦げんかの仲裁とかもしてるんだ。『夫婦げんかは犬も食わぬ』って、ことわざがあるくらいなのに大変だねえー。ちなみにこのフライパンはマルティーヌお婆さまに借りたんだー」
「なるほど、そうことだったのか。フライパンを持っていた理由が分かって、すっきりしたが、無理して戦う必要はないからな。まあ防具として使うのなら全然構わないが」
「うん、それは分かってるよ。私としても、力の匙加減を見誤って、フライパンで殴り殺したとかで、前科者にはなりたくないしねー」
「盛り上がっているところを邪魔して悪いんだけど、ジオルド副師団長殿。ちょっと良いですか?」
私とジオルドの二人でフライパン談議に花を咲かせていたら、辺りを偵察していたレナードが、いきなり割り込んできた。
「おう、どうした? レナード」
「ここまで来たのはいいですけど、どうやって侵入するつもりなんです? ぱっと見た感じ、侵入できそうな入口は見当たりませんし、窓から侵入――……と言っても、あの高さでは、よじ登るのも不可能かと思いますが」
レナードからの指摘を受けて、ぐうるり、と周辺を見渡してみたら、確かに出入り口らしきものは、どこにも見当たらないし、窓に関しても、いくつか確認はできるものの、どの窓も頑丈な雨戸あるいは分厚いカーテンで遮られていて、こちらから中の様子は窺えない。
しかも見渡せる範囲にある窓はすべて、かなり高い位置にあって、足場になりそうなものは一切なく、レナードが言う通り、壁をよじ登って窓から侵入するのは、どう考えても無理そうだ。
俺についてこいとでも言わんばかり、先陣を切って、居城の裏手にある雑木林に向かうものだから、何か策があるのだろうと思って、ジオルドの後を追ってきたけれど、ざっくりと見た感じでは、居城の裏手から侵入を試みるのは難しそうだ。
だったら何でジオルドはこんなところに来たのだろうか、と首を捻っていたらば、面白い悪戯を思いついた少年の如く、真っ白い歯を覗かせると、ジオルドは、にやり、と質の悪い笑みを覗かせたのである。
「出入り口がないのなら作ればいいんだよ」
「え……ってそれってどういう意味なの???」
「まあいいから美緒はそこで黙って見ていろよ」
ジオルドはそういうが早いか、目の前にある壁に手のひらを翳すと、自動翻訳機では変換されない音色に近いそれ――つまりは『魔法』を詠唱し始めた。
「ってジオルドって魔法使えるの!?」
「ジオルド副師団長は炎系の魔法が得意でさー。確かサラマンダーの上位互換にあたる、業火のイフリートと契約を結んでいたはずだよ」
「うえええええええええええ――っっ!? サラマンダーの上位互換っていうことは、ジオルドも魔術師免許を持ってるってこと!? え、なにそれ!? そんな話、本人から一言も聞いてない――――っっ!」
「そもそも第一騎士団の騎士に就任するには、魔術師免許の取得が必須だからね。アレクも魔術師免許を持っているはずだよ。そんなことよりも危ないから、少し離れていた方がいいよ、美緒」
伯爵家の子息だったという話に続いて、またしても初耳な情報を聞かされ、新たに発覚した事実に驚愕していたら、魔法を詠唱していて話せないジオルドに代わって、私の疑問に答えてくれていたレナードが、くいっ、と腕を引く。
レナードに引っ張られるがまま、少し後ろに下がって距離を取り、魔法を詠唱しているジオルドを見てみれば、壁に翳した手のひらから手首にかけての部分が、燃え盛る炎に包まれているではないか!
ひええええええっ!? あれって熱くないの――っっ!?!? と慌てふためいていたら、どうやら魔法を詠唱し終えたらしい。
肘にまで迫ろうかというくらい、激しく燃えていた炎が、ジオルドの手のひらに集約されてゆき、やがて燃え盛る業火はバレーボールくらいの大きさの球体へと変わってしまう。
と同時にジオルドはバチバチと火花を飛び散らせている球体を居城の壁に向けて撃ち放った。
至近距離から放たれた魔法は軌道から逸れることなく、ものすごい勢いで壁に衝突すると、どか――んっ! とド派手な音を立てて弾け飛ぶ。
その直後、がらがらがらがら、と何かが崩れ落ちる音とともに、視界を遮る土埃が舞い上がった。
「いやあー、すっげえ、久しぶりに魔法の詠唱をしたから、どうなるかと思ったけど、どうやら上手くいったみたいだな。でもやっぱり魔法を使うよりも、剣を振り回してる方が、全然楽だわー」
舞い上がった土埃が気道に入り込んで、けほけほと咳き込んでいたら、一仕事を終えたジオルドが、いたく満足気な笑みを浮べながら、こちらへと戻ってくる。
魔法を放つ直前までジオルドの腕が、紅蓮の炎に包まれていたことを思い出して、ひどい火傷を負っているのではなかろうか、と心配になって、彼の右腕を見たものの、火傷はおろか、上衣の袖が燃えたような形跡すらない。
あんなに激しく燃えていたのに、いったいどういう仕組みになっているんだ? とまるで奇術でも見たような気分になっていたら、視界を遮っていた土埃が、ようやく収まった。
見通しが良くなったところで、魔法が衝突した壁に目を向けてみれば、身を屈めれば、大人でも余裕で通り抜けられそうな大穴が開いているではないか!
おおー! すごいねえー! これで中に入れるじゃん! と諸手を挙げて喜ぶ――……はずもなく。
「ってジオルド! こっそり忍び込んで寝込みを襲う作戦のはずだったのに、こんなにド派手に魔法をぶち込んだら台無しじゃない!」
「そうだなあ。今頃はさっきの衝撃音で、陛下も飛び起きているだろうなあ」
「ってそんな暢気なことを言ってる場合じゃないでしょう!? いったいどうするつもりなのよ!」
「ああー! 待て待て待て待て待てってば! そんなにわーわーと喚き散らすな! もちろん考えなしで魔法をぶち込んだわけじゃない。今の衝撃音で館内にいる警備のほとんどが大挙して、こっちに押しかけてくるだろうよ。どれくらいの数が来るかは分からんが、少なくても他の場所は、警備が手薄になるはずだ」
「えーっと……つまりそれってどういうこと?」
「悪いが説明をしている余裕はない。今の騒ぎで警備が一斉に集まるだろうから、ここは俺に任せておけ。お前はレナードと一緒に、中に潜りこんで、陛下の部屋を見つけ出すんだ。レナード頼んだぞ!」
寝込みを襲うはずだったのが、いつの間にやら、囮作戦に切り替わったらしい――……のだが。
「ってジオルド一人で対処するのなんて無理だよ!」
「無理もへったくれもあるかよ! 俺のことを気の毒に思うのなら、一刻も早く陛下に会って、お前が異端者でないことを証明しろ! そうすればすべてが丸く収まるはずだ! レナード、さっさと美緒を連れて行け!」
「解りましたよ、ジオルド副師団長殿。ほら、美緒行くよ。ジオルド副師団長の命知らずな行動を無駄にしちゃダメだ」
「わ、わかった。なるべく早く――……いや違った。全力で陛下を探し出すから、無茶だけはしないで。それだけは絶対だからね!」
「ああ、分かった。分かったから、さっさと行け!」
騒ぎを聞きつけて駆けつけたらしい大勢の声と足音が、遠くの方から聞こえてくる。
ジオルドを一人だけ残して、その場から立ち去るのは、すごく嫌だったけれど、私が異端者でないことを証明するための、道を切り拓いてくれたんだと思えば、レナードの言う通り、ジオルドが命懸けで取ってくれた行動を無駄にするわけにはいかない。
(お願い。私の心が届いているのなら、どうかジオルドを護って)
右手の薬指の付け根で静かに瞬く、月虹輝石に祈りを捧げながら、携えていた長剣を引き抜いたジオルドに背中を向けると、私は壁にぽっかりと開いた穴の中へと潜り込んだ。