紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
どうやらラスボス(?)が登場したようです①
「こっちだよ、美緒」
名前を呼ぶレナードの声が、どこからか聞こえるとともに、暗闇に包まれていた室内に、仄かな光が浮かび上がる。
どうやらレナードが灯りを点けてくれたらしい。
さっきよりも、よりいっそう、人の気配が濃くなった背後を気にしつつ、清流の畔で瞬く蛍のように、淡く光る灯火に向かって歩けば、三、四歩ほど足を進めたところで、レナードの背中にぶつかった。
「レナード」
暗がりの中で姿を見つけ出せたことに安堵して、彼の名前を口にするなり、形の良い唇に人差し指を添えると、レナードは、静かに、と声を抑えるよう促す。
壁を隔てた向こう側に、人の気配を感じたことを思い出して、慌てて口を噤めば、レナードは身を屈めると、私の耳元にそうっと唇を寄せた。
星の瞬きを閉じ込めたような銀色の瞳と、間近で視線が交わって、あまりにも近すぎるその距離に、緊迫した状況であることも忘れ、どきり、と心臓が跳ね上がってしまう。
「ここは危険だから、いったん部屋の外に出るよ、美緒」
「う……うん、わかった」
ひそひそと耳元で話すレナードの声に、くすぐったさを感じながら、声を最小限に絞って返事をすれば、小さく頷いて、レナードは屈めていた身体を起こす。
間近に感じていたレナードの気配が離れたことに、ほっ、と息を吐きつつ、胸をときめかせている場合ではないぞ! と頭をぶるぶると振り回して、雑念を追い払っていたら、レナードがドアノブをゆっくりと手前に引いた。
きぃ、と小さな音を立てて開いたドアの隙間から、外の様子を慎重に窺っていたレナードは、やがて部屋の外に誰もいないことを確認すると、ドアを開いて部屋の外へと出る。
レナードの後ろについて、物音を立てないよう、忍び足で、そうろり、と部屋から出てみれば、そこは両側を壁に挟まれた長い廊下だった。
100メートル走くらいであれば、余裕でできてしまいそうなほど、長い廊下には見るからに高価そうな絨毯が敷き詰められ、廊下を挟む両側の壁には、灯りを取るための燭台が、等間隔で取りつけられている。
ほとんどの人が眠りに就く深夜帯ということもあってか、火を燈された燭台は、まばらで、辺りはかなり薄暗いものの、さっきまでいた真っ暗闇のことを思えば、たとえ、ほんのわずかだったとしても、灯りがあるのはありがたいことだ。
これならある程度の視界は確保できそうだ、と安心していたら、レナードも同じことを考えていたらしい。
小さく唇を動かして、レナードが何かを呟く。
途端、レナードの手のひらの上で、ふわふわと浮いていた蛍のような淡い光は、ぱちんっ、と弾け飛ぶと、何もない空に消えてしまった。
どうやらさっきの灯りは魔法だったようだ。
魔法を解除するときも、自動翻訳機では変換できない言の葉を使うんだなあ、と感心しつつ、館内の薄暗さにも、ずいぶんと慣れてきて、辺りの様子を探ろうとして、その直後、くいっ、と腕を引っ張られた。
見張りの兵でも来たのかと思って、フライパンを握る手に力を込めて、身構えていたら、レナードは口を閉ざしたまま、私の腕を引いて、少し離れたところに鎮座している、女神を模した石像の裏へと連れてゆく。
「ここならそう簡単には見つからないと思うよ」
何でこんなところに来たんだ? と首を傾げていたら、レナードが小声でそんなことを言う。
ゆうに三メートルはあろうかという、巨大な女神の像の足元は、彼女が纏う衣装の裾が横に大きく広がっていて、その下に潜り込めば、確かに良い隠れ蓑になりそうだ。
かくして女神が纏っている衣装の下へ潜り込んだ私は、人の気配がないか、細心の注意を払いつつ、改めて辺りの様子を窺うことにした。
女神の像の裏からだと、壁の一面しか見えないけれど、それでも形や大きさの異なる扉が、見える範囲だけでも、七~八個並んでいるのが確認できる。
いーち、にー、さん、と指を折りながら、部屋のドアを数えていた私は、その多さにちょっと戸惑ってしまった。
「ねえねえ、レナード。陛下の部屋をどうやって探せばいいと思う? 今ざっくりと数えただけでも、かなり部屋数がありそうなんだけど……」
「ああ、うん。俺もそれを考えていたんだよね。ジオルド副師団長の話によれば、一階にプライベートルームはないらしいから、とりあえず二階に行く必要はあると思うんだけれど」
「せめて見取り図でもあればいいんだけどなあ。でもそんなに都合よく、その辺に落ちてるわけないよねえ……」
『国王陛下の部屋を見つけ出せ!』という新たな課題が加わり、どうしたものかと知恵を働かせてみたものの、これといった良案は思い浮かばない。
これがごくごく普通の一般家庭であれば、部屋の数なんて知れているから、全ての部屋を調べればいいのだろうけれど、何と言っても、私たちがいるのは、広大な敷地面積を誇るお城なのである。
いつだったか、何かのきっかけで、世界のお城について、ネットで調べたことがあるのだが、夢の国にあるお城のモデルとなったことで、有名なドイツのノイシュバンシュタイン城は、90室近くも部屋があるらしいのだが、これはお城の中では、比較的少ない方で、誰しもが知っているであろう、フランスのヴェルサイユ宮殿や、イギリスのバッキンガム宮殿などは、部屋の数が700室以上もあるらしいし、オーストリアの首都ウィーンに建つシェーンブルン宮殿などに至っては、部屋の数が1,400室以上もあるというのだから驚きだ。
私たちが潜入した居城は、そこまで大規模ではなさそうだが、こうして見える範囲内を数えただけでも、7~8部屋はあるのだから、ざっくり見積もったとしても、やはり総部屋数は70室を軽く超えていそうだ。
これがお城見学ツアーとかであれば、ありとあらゆるドアを開きまくって、わあー、こんな素敵なお部屋に住んでみたいー! と観光気分に浸れるのだろうが、いかんせん、今の私たちは『招かざる客』なのである。
先ほどの騒動で大多数の人は飛び起きているだろうし、こちらとしても、でたらめにドアを開きまくって、その結果、中にいた人と鉢合わせてしまう――という危険は避けたいというのが、正直なところだ。
だが、しかし、70近くもあるであろう部屋の中から、国王陛下の寝室を、たったの一回で見つけ出すのは、それこそ奇跡でも起こらない限り、到底、無理な話だろう。
もういっそうのこと、学校の教室みたく、『王妃の部屋』、『王子の部屋』、『宰相の部屋』ってな感じで、室名札でもつけてくれてたらいいのにー! とあり得もしないことを考えていたら、どこからともなく吹いてきた風が、ふわり、と髪を揺らした。
どこか窓が開いているのだろうか、と思って、辺りを見回してみたものの、窓は一つもなく、廊下を挟む壁にあるのは、室内に入るためのドアだけだ。
ならば部屋のドアが開いていて、そこから風が吹き込んでいるのかもしれない、と思って、もう一度、辺りを確認してみたが、どの部屋もドアは固く閉ざされていて、風の抜け道らしきものは見当たらない。
(これだけ大きな建物だから、換気を良くするための通気口が、どこかにあるのかもなあ)
説明がつかない事態に首を捻りつつ、やや強引に結論づけようとして、今度は、ざわり、と耳元で風が唸りを上げた。
先ほど髪を揺らした風とは、比較にならないほどの、その強さに、びくり、と身体を震わせて、その直後、鼓膜の奥の方で何かが囁いた。
「風が――……」
「風? 風って……もしかして風の精霊が、また現れたのか?」
「ううん、シルフィの姿は見当たらないけれど、でも風が言ってるの。こっちだよ、って。レナード、行ってみようよ」
もしかしたら、と思って、右手の薬指の付け根に嵌っている指輪を確認してみたものの、月虹輝石は、淡いレモン色を携えているだけで、今は七色にすら瞬いていない。
けれども、ざわざわと唸る風の音は、一向に止む気配はなく、さっきからずっと鳴りっぱなしだ。
シルフィの姿が、どこにも見当たらないことが、気がかりだったけれど、いつまでもここに留まっているわけにもいかず、一か八かの大勝負に転じた私は、レナードが着ている上衣の袖を引っ掴むと、女神が纏っている衣装の下から抜け出し、風が導く方へと歩き出した。
居城の内部は思っていたよりも、複雑な構造をしているらしく、さながらゲームに登場するダンジョンのようだ。
どこから敵が襲ってきても良いように、右手にフライパンをしっかりと握り締めつつ、迷路のように複雑に入り組んだ一階の廊下を、どんどんと突き進む。
分岐点にぶつかるたびに、風が抜けてゆく方へと進路を変え、右へ、左へ、また右へと何度も折れつつ、その合間に、いくつかの扉を開いて進むこと、おおよそ十分。
急に視界が開けたかと思ったら、目の前に突如として、これぞ、お城! といった感じの大階段が現れた。
風が導くままに歩いているうち、居城のエントランスホールへと抜けたらしい。
広々としたエントランスホールは、天井まで吹き抜けており、天井部分はガラス張りになっていて、たくさんの星々と中空に浮かぶ紅色の月が、ガラス越しに見て取れる。
後ろの方を見てみれば、これは扉ではなく、もはや門だろう、と言いたくなるくらい、巨大な二枚扉が構えていたが、深夜帯ということもあって、内側からしっかりと閂が差し込まれ、今は外部からの侵入を一切拒んでいる。
絨毯が敷き詰められた大階段を上った先には、広い踊り場があり、そこから階段は左右に分かれ、緩やかな螺旋を描きながら、それぞれ上の階へと続いていた。
「美緒、先を急ごう」
「待って、レナード」
広大なエントランスホールを隅々まで観察していたら、横をすり抜けて、レナードが急ぎ足で大階段へと向かう。
私はそんなレナードの背中を慌てて引き留めた。
「どうしたの? 美緒」
「ああ、うん、その、ちょっと変だと思わない?」
「変――……って、どういうこと?」
「ここにたどり着くまで、十分近くも歩いたのに、警備の兵を誰一人として見なかったのが変だなー、と思ってさ。さっきの騒動で、ほとんどの警備が出払っていたとしても、万事の事態に備えて、国王陛下を護るための護衛が、ある程度は残っているはずだよね?」
たまたま運よく、警備の兵に鉢合わせていないだけなのかもしれないが、それでも騒動に驚いて、誰かしらが飛び出してきてもおかしくないのだが、あれほどの騒動が起きたにも関わらず、ここに辿り着くまでの間、誰にも遭遇していないのは、どう考えても、おかしいのだ。
風が導くまま、ここまで来てしまったが、冷静に考えてみれば、その風でさえ、巧妙に仕掛けられた罠なのではなかろうか、と思えてしまう。
「確かに美緒の言う通り、これは罠かもしれない。でもここで引き返すわけにはいかないだろう? 大丈夫だよ、美緒。万が一のことがあれば、俺が最後の砦になるから」
湧きあがった疑念が、どんどんと膨らんでゆき、二の足を踏んでいたら、レナードがそんなことを言って、奮い立たせるように、ぽん、と背中を叩く。
『最後の砦』なんて言い回しに、きゅう、と胸が締め付けられて、何だか申し訳ない気持ちになってしまったけれど、国王陛下に会うために、道を切り拓いてくれたジオルドや、『異端者』である私を庇って、捕らえられてしまったアレクのことを考えれば、レナードの言う通り、ここで引き返すわけにはいかないだろう。
(みんなのためにも、何が何でも、陛下に会わなきゃ、)
今、自分がやるべきことは、国王陛下に会うことだと再認識し、ためらう気持ちをかなぐり捨てると、フライパンを握り締める手に、ぐっ、と力を籠め、私はレナードの後について、大階段を上り始めた。
王都アリルアを治める主が住まう居城は、天井まで吹き抜けるエントランスホールを中心にして、建物が左右に分かれているらしい。
おそらく現国王陛下とお妃さまを描いたのであろう肖像画と、大輪の薔薇が咲き誇る庭園の様子が描かれた風景画が、飾られた踊り場を通り抜け、右側の建物へと繋がる螺旋階段を上ってゆく。
ざわめく風の導きに従って、階段を上り続けていたら、やがて三階へとたどり着いた。
建物の一階は大きさも形も異なる扉が、たくさん並んでいたが、個人的に使用する部屋が、集約されているのであろう三階は、一部屋辺りの面積が、かなり広いようで、一階と比べれば、ドアの数はずいぶんと少ない。
とは言っても、通路は相変わらず、迷路のように入り組んでいて、蜘蛛の巣みたいに、あちらへ、こちらへ、と複雑に分岐している。
魔物が出ないというだけで、本当にダンジョンを探索しているみたいな気分になりつつ、複雑に入り組んだ通路を右に折れ、左に折れ、を何度か繰り返していたら、丁字路になった廊下の一番奥に、これまで見てきた、どの扉よりも、煌びやかな仕様の扉が構えているのが見えた。
居城の内部構造を熟知していなくとも、居城にある部屋の中でも、その部屋が別格の扱いであるというのは、豪奢な造りの扉を見れば、一目瞭然だ。
(間違いない。あれが国王陛下の主室だわ)
そう確信して、廊下の一番奥に待ち受ける部屋に向かおうとして、その直後。
「飛んで火にいる夏の虫とは、よく言うものだけれど、こうもたやすく、こちらが仕掛けた策略に嵌まってくれるとはねえ。君たちはバカなのかい?」
名前を呼ぶレナードの声が、どこからか聞こえるとともに、暗闇に包まれていた室内に、仄かな光が浮かび上がる。
どうやらレナードが灯りを点けてくれたらしい。
さっきよりも、よりいっそう、人の気配が濃くなった背後を気にしつつ、清流の畔で瞬く蛍のように、淡く光る灯火に向かって歩けば、三、四歩ほど足を進めたところで、レナードの背中にぶつかった。
「レナード」
暗がりの中で姿を見つけ出せたことに安堵して、彼の名前を口にするなり、形の良い唇に人差し指を添えると、レナードは、静かに、と声を抑えるよう促す。
壁を隔てた向こう側に、人の気配を感じたことを思い出して、慌てて口を噤めば、レナードは身を屈めると、私の耳元にそうっと唇を寄せた。
星の瞬きを閉じ込めたような銀色の瞳と、間近で視線が交わって、あまりにも近すぎるその距離に、緊迫した状況であることも忘れ、どきり、と心臓が跳ね上がってしまう。
「ここは危険だから、いったん部屋の外に出るよ、美緒」
「う……うん、わかった」
ひそひそと耳元で話すレナードの声に、くすぐったさを感じながら、声を最小限に絞って返事をすれば、小さく頷いて、レナードは屈めていた身体を起こす。
間近に感じていたレナードの気配が離れたことに、ほっ、と息を吐きつつ、胸をときめかせている場合ではないぞ! と頭をぶるぶると振り回して、雑念を追い払っていたら、レナードがドアノブをゆっくりと手前に引いた。
きぃ、と小さな音を立てて開いたドアの隙間から、外の様子を慎重に窺っていたレナードは、やがて部屋の外に誰もいないことを確認すると、ドアを開いて部屋の外へと出る。
レナードの後ろについて、物音を立てないよう、忍び足で、そうろり、と部屋から出てみれば、そこは両側を壁に挟まれた長い廊下だった。
100メートル走くらいであれば、余裕でできてしまいそうなほど、長い廊下には見るからに高価そうな絨毯が敷き詰められ、廊下を挟む両側の壁には、灯りを取るための燭台が、等間隔で取りつけられている。
ほとんどの人が眠りに就く深夜帯ということもあってか、火を燈された燭台は、まばらで、辺りはかなり薄暗いものの、さっきまでいた真っ暗闇のことを思えば、たとえ、ほんのわずかだったとしても、灯りがあるのはありがたいことだ。
これならある程度の視界は確保できそうだ、と安心していたら、レナードも同じことを考えていたらしい。
小さく唇を動かして、レナードが何かを呟く。
途端、レナードの手のひらの上で、ふわふわと浮いていた蛍のような淡い光は、ぱちんっ、と弾け飛ぶと、何もない空に消えてしまった。
どうやらさっきの灯りは魔法だったようだ。
魔法を解除するときも、自動翻訳機では変換できない言の葉を使うんだなあ、と感心しつつ、館内の薄暗さにも、ずいぶんと慣れてきて、辺りの様子を探ろうとして、その直後、くいっ、と腕を引っ張られた。
見張りの兵でも来たのかと思って、フライパンを握る手に力を込めて、身構えていたら、レナードは口を閉ざしたまま、私の腕を引いて、少し離れたところに鎮座している、女神を模した石像の裏へと連れてゆく。
「ここならそう簡単には見つからないと思うよ」
何でこんなところに来たんだ? と首を傾げていたら、レナードが小声でそんなことを言う。
ゆうに三メートルはあろうかという、巨大な女神の像の足元は、彼女が纏う衣装の裾が横に大きく広がっていて、その下に潜り込めば、確かに良い隠れ蓑になりそうだ。
かくして女神が纏っている衣装の下へ潜り込んだ私は、人の気配がないか、細心の注意を払いつつ、改めて辺りの様子を窺うことにした。
女神の像の裏からだと、壁の一面しか見えないけれど、それでも形や大きさの異なる扉が、見える範囲だけでも、七~八個並んでいるのが確認できる。
いーち、にー、さん、と指を折りながら、部屋のドアを数えていた私は、その多さにちょっと戸惑ってしまった。
「ねえねえ、レナード。陛下の部屋をどうやって探せばいいと思う? 今ざっくりと数えただけでも、かなり部屋数がありそうなんだけど……」
「ああ、うん。俺もそれを考えていたんだよね。ジオルド副師団長の話によれば、一階にプライベートルームはないらしいから、とりあえず二階に行く必要はあると思うんだけれど」
「せめて見取り図でもあればいいんだけどなあ。でもそんなに都合よく、その辺に落ちてるわけないよねえ……」
『国王陛下の部屋を見つけ出せ!』という新たな課題が加わり、どうしたものかと知恵を働かせてみたものの、これといった良案は思い浮かばない。
これがごくごく普通の一般家庭であれば、部屋の数なんて知れているから、全ての部屋を調べればいいのだろうけれど、何と言っても、私たちがいるのは、広大な敷地面積を誇るお城なのである。
いつだったか、何かのきっかけで、世界のお城について、ネットで調べたことがあるのだが、夢の国にあるお城のモデルとなったことで、有名なドイツのノイシュバンシュタイン城は、90室近くも部屋があるらしいのだが、これはお城の中では、比較的少ない方で、誰しもが知っているであろう、フランスのヴェルサイユ宮殿や、イギリスのバッキンガム宮殿などは、部屋の数が700室以上もあるらしいし、オーストリアの首都ウィーンに建つシェーンブルン宮殿などに至っては、部屋の数が1,400室以上もあるというのだから驚きだ。
私たちが潜入した居城は、そこまで大規模ではなさそうだが、こうして見える範囲内を数えただけでも、7~8部屋はあるのだから、ざっくり見積もったとしても、やはり総部屋数は70室を軽く超えていそうだ。
これがお城見学ツアーとかであれば、ありとあらゆるドアを開きまくって、わあー、こんな素敵なお部屋に住んでみたいー! と観光気分に浸れるのだろうが、いかんせん、今の私たちは『招かざる客』なのである。
先ほどの騒動で大多数の人は飛び起きているだろうし、こちらとしても、でたらめにドアを開きまくって、その結果、中にいた人と鉢合わせてしまう――という危険は避けたいというのが、正直なところだ。
だが、しかし、70近くもあるであろう部屋の中から、国王陛下の寝室を、たったの一回で見つけ出すのは、それこそ奇跡でも起こらない限り、到底、無理な話だろう。
もういっそうのこと、学校の教室みたく、『王妃の部屋』、『王子の部屋』、『宰相の部屋』ってな感じで、室名札でもつけてくれてたらいいのにー! とあり得もしないことを考えていたら、どこからともなく吹いてきた風が、ふわり、と髪を揺らした。
どこか窓が開いているのだろうか、と思って、辺りを見回してみたものの、窓は一つもなく、廊下を挟む壁にあるのは、室内に入るためのドアだけだ。
ならば部屋のドアが開いていて、そこから風が吹き込んでいるのかもしれない、と思って、もう一度、辺りを確認してみたが、どの部屋もドアは固く閉ざされていて、風の抜け道らしきものは見当たらない。
(これだけ大きな建物だから、換気を良くするための通気口が、どこかにあるのかもなあ)
説明がつかない事態に首を捻りつつ、やや強引に結論づけようとして、今度は、ざわり、と耳元で風が唸りを上げた。
先ほど髪を揺らした風とは、比較にならないほどの、その強さに、びくり、と身体を震わせて、その直後、鼓膜の奥の方で何かが囁いた。
「風が――……」
「風? 風って……もしかして風の精霊が、また現れたのか?」
「ううん、シルフィの姿は見当たらないけれど、でも風が言ってるの。こっちだよ、って。レナード、行ってみようよ」
もしかしたら、と思って、右手の薬指の付け根に嵌っている指輪を確認してみたものの、月虹輝石は、淡いレモン色を携えているだけで、今は七色にすら瞬いていない。
けれども、ざわざわと唸る風の音は、一向に止む気配はなく、さっきからずっと鳴りっぱなしだ。
シルフィの姿が、どこにも見当たらないことが、気がかりだったけれど、いつまでもここに留まっているわけにもいかず、一か八かの大勝負に転じた私は、レナードが着ている上衣の袖を引っ掴むと、女神が纏っている衣装の下から抜け出し、風が導く方へと歩き出した。
居城の内部は思っていたよりも、複雑な構造をしているらしく、さながらゲームに登場するダンジョンのようだ。
どこから敵が襲ってきても良いように、右手にフライパンをしっかりと握り締めつつ、迷路のように複雑に入り組んだ一階の廊下を、どんどんと突き進む。
分岐点にぶつかるたびに、風が抜けてゆく方へと進路を変え、右へ、左へ、また右へと何度も折れつつ、その合間に、いくつかの扉を開いて進むこと、おおよそ十分。
急に視界が開けたかと思ったら、目の前に突如として、これぞ、お城! といった感じの大階段が現れた。
風が導くままに歩いているうち、居城のエントランスホールへと抜けたらしい。
広々としたエントランスホールは、天井まで吹き抜けており、天井部分はガラス張りになっていて、たくさんの星々と中空に浮かぶ紅色の月が、ガラス越しに見て取れる。
後ろの方を見てみれば、これは扉ではなく、もはや門だろう、と言いたくなるくらい、巨大な二枚扉が構えていたが、深夜帯ということもあって、内側からしっかりと閂が差し込まれ、今は外部からの侵入を一切拒んでいる。
絨毯が敷き詰められた大階段を上った先には、広い踊り場があり、そこから階段は左右に分かれ、緩やかな螺旋を描きながら、それぞれ上の階へと続いていた。
「美緒、先を急ごう」
「待って、レナード」
広大なエントランスホールを隅々まで観察していたら、横をすり抜けて、レナードが急ぎ足で大階段へと向かう。
私はそんなレナードの背中を慌てて引き留めた。
「どうしたの? 美緒」
「ああ、うん、その、ちょっと変だと思わない?」
「変――……って、どういうこと?」
「ここにたどり着くまで、十分近くも歩いたのに、警備の兵を誰一人として見なかったのが変だなー、と思ってさ。さっきの騒動で、ほとんどの警備が出払っていたとしても、万事の事態に備えて、国王陛下を護るための護衛が、ある程度は残っているはずだよね?」
たまたま運よく、警備の兵に鉢合わせていないだけなのかもしれないが、それでも騒動に驚いて、誰かしらが飛び出してきてもおかしくないのだが、あれほどの騒動が起きたにも関わらず、ここに辿り着くまでの間、誰にも遭遇していないのは、どう考えても、おかしいのだ。
風が導くまま、ここまで来てしまったが、冷静に考えてみれば、その風でさえ、巧妙に仕掛けられた罠なのではなかろうか、と思えてしまう。
「確かに美緒の言う通り、これは罠かもしれない。でもここで引き返すわけにはいかないだろう? 大丈夫だよ、美緒。万が一のことがあれば、俺が最後の砦になるから」
湧きあがった疑念が、どんどんと膨らんでゆき、二の足を踏んでいたら、レナードがそんなことを言って、奮い立たせるように、ぽん、と背中を叩く。
『最後の砦』なんて言い回しに、きゅう、と胸が締め付けられて、何だか申し訳ない気持ちになってしまったけれど、国王陛下に会うために、道を切り拓いてくれたジオルドや、『異端者』である私を庇って、捕らえられてしまったアレクのことを考えれば、レナードの言う通り、ここで引き返すわけにはいかないだろう。
(みんなのためにも、何が何でも、陛下に会わなきゃ、)
今、自分がやるべきことは、国王陛下に会うことだと再認識し、ためらう気持ちをかなぐり捨てると、フライパンを握り締める手に、ぐっ、と力を籠め、私はレナードの後について、大階段を上り始めた。
王都アリルアを治める主が住まう居城は、天井まで吹き抜けるエントランスホールを中心にして、建物が左右に分かれているらしい。
おそらく現国王陛下とお妃さまを描いたのであろう肖像画と、大輪の薔薇が咲き誇る庭園の様子が描かれた風景画が、飾られた踊り場を通り抜け、右側の建物へと繋がる螺旋階段を上ってゆく。
ざわめく風の導きに従って、階段を上り続けていたら、やがて三階へとたどり着いた。
建物の一階は大きさも形も異なる扉が、たくさん並んでいたが、個人的に使用する部屋が、集約されているのであろう三階は、一部屋辺りの面積が、かなり広いようで、一階と比べれば、ドアの数はずいぶんと少ない。
とは言っても、通路は相変わらず、迷路のように入り組んでいて、蜘蛛の巣みたいに、あちらへ、こちらへ、と複雑に分岐している。
魔物が出ないというだけで、本当にダンジョンを探索しているみたいな気分になりつつ、複雑に入り組んだ通路を右に折れ、左に折れ、を何度か繰り返していたら、丁字路になった廊下の一番奥に、これまで見てきた、どの扉よりも、煌びやかな仕様の扉が構えているのが見えた。
居城の内部構造を熟知していなくとも、居城にある部屋の中でも、その部屋が別格の扱いであるというのは、豪奢な造りの扉を見れば、一目瞭然だ。
(間違いない。あれが国王陛下の主室だわ)
そう確信して、廊下の一番奥に待ち受ける部屋に向かおうとして、その直後。
「飛んで火にいる夏の虫とは、よく言うものだけれど、こうもたやすく、こちらが仕掛けた策略に嵌まってくれるとはねえ。君たちはバカなのかい?」