紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~
月に呼ばれし解放者と、国王陛下と、月王様の従者。
緩やかな楕円形を描く天井に填め込まれた煌びやかなステンドグラス。葡萄の房のように幾重にも連なるガラスを反射して黄金に輝くシャンデリア。磨き上げられた床を埋め尽くす気品あるスカーレットの柔らかな絨毯。
部屋全体を支える数十本にも及ぶ支柱は、光沢を湛えた美しい大理石を惜しみなく使用しており、さりげなく飾り置かれた調度品や絵画たちは、どれもこれも見るからに、価値がありそうなものばかり。
謁見を執り行うためだけに設えられた豪奢な部屋――……というには、あまりにも広すぎる『謁見の間』の一番奥には、小上がりになった壇上が設けられ、その中央に目も眩まんばかりの豪華な仕様の椅子が、その存在を主張するかのように、でんっ! と鎮座している。
天井から吊るされた紅緋の重厚な布地で覆われた玉座は、ゲームやファンタジー映画なんかでは馴染みの、正しく、これぞ王様が座る椅子! といった感じのものだ。
そうして正しくこれぞ王様が座る椅子! に、どっしりと腰を据えているのは、腰丈ほどもある上衣を纏い、その下に中着と、ひざ丈のかぼちゃパンツを着用し、もっふもふな毛皮の外套を肩に引っかけた、これまた、これぞ王様! といったゴージャスな出で立ちをした男性だ。
ちょうど中年期に差しかかったばかりであろうと思われる、煌びやかな衣裳を身に纏ったその男性――否、国王陛下は、鼻の下辺りから顎にかけて、もっさりと生えているコーヒー豆のような濃い茶色の髭を、ひとしきり撫でると、つい、と、こちらに視線を投げかけた。
深みのある鶯色の双眸と、がっつりと視線が合ってしまい、他を寄せ付けない、その威圧感に、ぴきり、と固まってしまう。
そもそも危険を冒してまで居城に侵入したのは、一連の『異端者』騒動に巻き込まれてしまった、アレクやジオルドやレナードの身の潔白を証明するため、国王陛下に直談判しよう! というのが目的だったから、こうして国王陛下と対面できたのは、非常に喜ばしいことなのだが、いかんせん『国王陛下にお目見えする』なんてのは、十八年という、それほど長くない人生に於いて、初めて経験することなのだ。
日本に置き換えれば、『天皇陛下』に対面することと、ほぼ一緒の意味なのだと思えば、そんな雲の上のような存在の人に対して、どのように振舞えば良いのか分からず、戸惑ってしまう。
極度の緊張から声を出すこともできず、なおもフリーズ状態を維持していたら、顔の半分ほども覆い隠す髭と同じ色をした眉を、むうっ、と顰めると、国王陛下は一文字に固く結んでいた唇を、のろり、と解いた。
「威勢よく突撃してきた割りに、ずいぶんとおとなしいものだな。そう委縮せずとも良いぞ。アレクシオからどういう風に話を聞かされているのか知らないが、今すぐ、この場で其方の首を斬り落とすような、そんな野蛮な真似などはせぬ。むろん、其方の命が無事で済むという保障も一切ないがな」
国王陛下の口から聞き慣れたアレクの名前が紡がれて、一瞬、気が緩んだものの、その後に続いた物騒な物言いに、私は、ひいっ、と声にならない悲鳴を上げた。
直接的な言葉こそ、口にしなかったものの、明らかに『死刑宣告』とも受け取れる、その発言が、単なる脅し文句ではないことは、自分の真後ろに控える、筋骨隆々なムキムキマッチョの騎士を見れば一目瞭然だ。
しかも彼はただ背後に控えて、突っ立っているだけではない。
万が一の事態に備えて、いつでも斬りかかれるよう、鋭い切っ先を持つ大剣の刃を、私の背中に突きつけているのである。
本性を露わにしたヴィクトール卿相に、危うく手籠めにされそうになったところに、救世主のごとく、現れた国王陛下だったが、むろん、か弱い乙女である私を救うために、駆けつけたわけではなく、ヴィクトール卿相ともども『不届き者』として、その場で取り押さえられ、謁見の間へ連行されたのは、ほんの少し前の話だ。
その証拠として、私の両手は縄で縛られ、自由を奪われている。
マルティーヌさんから借りたフライパンも没収されてしまった。
とりあえず話くらいは聞いてやろう、と寛容な心で以って、面会に応じてくれたものの、手首を縄で縛られ、背中に剱の刃を向けられた状況で、委縮しなくても良いぞ、と言われても、全然説得力がないぞ! と心の中で、たらたらと反論していたら、国王陛下はゆったりとした動作で、足を組み直すと、ライオンの鬣のような髭を愛おしげに撫で上げた。
どうやらご自慢の髭らしい。
「私はアレクシオが十七という若さで、騎士に就任したときから、彼が持つ人となりと、その類い稀な素質に惚れ込んで、我が息子のように、その成長を見守っていてな。少なくとも、そこに転がっているヴィクトールよりは、遥かに信頼を寄せていたといっても、過言ではないだろう」
突然、アレクのことを話し出したかと思えば、国王陛下は広々とした謁見の間の出入り口の方へ、視線を向ける。
国王陛下の視線を追って振り向けば、そこには太い縄で全身をぐるぐるに巻かれたヴィクトール卿相が、芋虫のように転がっているではないか!
しかもそこにいたのは、ヴィクトール卿相だけではない。
ようよう見てみれば、ジオルドとレナードまでもが、ヴィクトール卿相と同じように、縄で縛りつけられ、床に転がされていた。
ヴィクトール卿相とレナードは、おとなしく捕まっているようだが、ジオルドに限っては、漁船の甲板に釣り上げられたマグロのごとく、ピチピチと跳び跳ね……否、違った。じたばたともがいて抵抗しているようだ。
しかも何故だか、ジオルドにだけ、猿轡を噛まされるという、オプションまでついている。
おそらく捕まった際に、今よりも、もっと大暴れをして、騒ぎ立てたのだろう。
武器を携えた大勢の騎士たちに取り囲まれてはいるものの、いまのところ、ひどい仕打ちは受けていないようだ。
二人が無事だったことに、ほう、と胸を撫で下ろしつつ、豪奢な玉座に鎮座している国王陛下へと、視線の先を戻せば、話はまだ終わっていないぞ、とでも言いたげに、一度は閉ざした唇をふたたび開くと、国王陛下は先ほどの話の続きを語り始めた。
「あれは確か十日ほど前の話だったか。『月に呼ばれし異端者』であるかも知れない少女を匿っている――とアレクシオから報告を受けたのは。その報告を受けたときは、ひどく驚いたものだよ。あれほどまでに信頼を寄せていたアレクシオが、私が下した命に背き、あろうことか、『月に呼ばれし異端者』を匿っていたのだからな。裏切り行為を叩いたアレクシオを、どう処分してやろうかと思っていたが、アレクシオが『月に呼ばれし異端者』を殺められなかった理由を聞いているうち、私自身が一度、『月に呼ばれし異端者』と会ってみたいという気にさせられてね。今になって思えば、あの自白は私の心をそういう方向に持っていくための、アレクシオの策略だったのかも知れんな」
そんなことを言って、国王陛下は苦く笑う。
「『月に呼ばれし異端者』は、世に流布するような、邪悪な存在ではないと。少なくても、彼女に限っては、そのような兆候は見受けられないから、私自身の目で安全性を確認したうえで、『月に呼ばれし異端者』である彼女が、王都で安心して暮らせるよう、保護して欲しいと――そう懇願されてな。むろん、最初は頑として断ったよ。いくらアレクシオの願いと言えど、多くの民を危険に曝すかもしれない存在を、容易に受け入れるわけにはいかないからな。だがアレクシオにしては珍しく、何度も何度もしつこく食い下がってきてな――結局、アレクシオの熱意に根負けして、会う約束をしたのだが、ヴィクトールに先を越されてしまってね」
そこまで話して、国王陛下は、小さく息を洩らす。
そんな国王陛下の様子を横目に見やりつつ、アレクが『異端者』の保護を訴えかけてくれていたことを、思いがけない形で知らされ、きゅううううう、と胸が締め付けられてしまった。
絶対的君主である国王陛下に、『異端者』を匿っていたことを自白するなんて、それこそ自殺行為に値するくらい、危険なことだ。
下手をすれば、その場で首を撥ねられていたかも知れないのに――……と、そんなことを考えて、こんな風に誰かの口から教えられなければ、永遠に知り得なかったであろう、アレクの胸の内に触れて、何だか泣きたくなってしまった。
(……こんな大事なことを黙っているなんてズルい)
そんなことを思って、じわり、と目頭が熱くなって、慌てて俯く。
唇をぎゅっと噛み締めて、溢れそうになる涙を必死に堪えていたら、カツカツカツ、と靴底を踏み鳴らす音が聞こえた。
と同時に少し離れた場所に控えていた騎士たちが、ざわざわと落ち着きなく、ざわめき始める。
いったいどうしたのだろうか、と思いつつ、つい、と顔を上げて、こちらに向かって壇上を降りてくる国王陛下の姿を視界に捉え、私はぎょっと目を見開いた。
国王陛下の予期せぬ行動に肝を潰したのは、どうやら私だけではないようだ。
自分の背後に立つ、筋骨隆々なムキムキマッチョの騎士が、ひどく慌てた様子で、陛下! いったい何をされるおつもりですか! と声を上げて、唐突な行動に出た国王陛下を制止しようとしたものの、国王陛下が騎士の声に耳を傾けるはずもなく。
「アレクシオから話は聞かされていたが、穢れた世界を浄化させるため、全てを破壊し尽くし、無に還す存在として、人々から忌み嫌われている『月に呼ばれし異端者』が、このようなどこにでもいる平凡な娘だったとはな――……だからと言って、アレクシオの言葉を鵜呑みにするわけにもいかない。私には王都で暮らす民たちの安寧を堅守する責務が課せられているからな」
ついには私のすぐ目の前まで歩み寄ってきた国王陛下は、淡々とした口調でそう告げると、もっふもふの毛皮の下に隠れていた剣帯から、すらりとした刀身を持つ剣を引き抜くと、鏡のように磨き上げられた鋭い刃の先を、私の喉元へ突きつけた。
「――――……っ、!」
無機質な冷たい刄が、つうっ、と喉を撫で上げる感覚に息を呑む。
「其方とて無駄に命を落としたくはなかろう? ならば己の存在が、この世界にとって脅威でないことを、私の前で証明してみるがいい。見事、それが証明できた暁には、私が責任を持って、其方の身の保障を約束することを誓おう。むろん、証明できなかった時には、其方の命はあるまいがな」
威厳に充ちた深い緑褐色の瞳が射抜く。
『異端者』が毒にも薬にもならないことを証明できなければ、目の前に立つ主は、何のためらいもなく、鋭い刄で、私の喉を貫くだろう。
(――――どうすればいい?)
じとりとした嫌な汗が背中を伝い落ちてゆくのを感じながら、脳ミソをフル回転させて、何か良い方法はないか、と懸命に模索していたら、右手の薬指の付け根で、ちかちか、と月虹輝石が七色に瞬いていることに気が付いた。
――――私のことを呼んで。
まるでそんな風に語りかけられているような気がして、まぶたをゆっくりと閉じて、小さく息を吸い込む。
ざわつく心を落ち着かせるよう、何度か深呼吸を繰り返して、閉じていたまぶたを見開くと、私は自分の命運を賭けた一世一代の大勝負に挑むことにした。
さあ、この窮地をどうやって切り抜けようか、と考えて、この世界で魔法を詠唱するときに、紡がれる言の葉が、『唄』を謡っているみたいに感じたことを思い出す。
(そうだ。いい事を思いついた)
ひらめいたそれを実行すべく、頭の中で旋律を描くと、私は脳内を流れるメロディに合わせて、馴染みのあるそれをゆっくりと口遊み始めた。
それは中学・高校と、六年間、歌い続けた『校歌』だ。
男女交際に関して、特に厳しかったパパが、悪い虫がつくのだけは許せん! と男女共学の学校へ進学するのを激しく反対したため、たまたま徒歩で通学できる範囲にあった、中高一貫の女子校へ進学することになったのだが、設立されてから七十年という、歴史あるその学校には、音楽の授業を受ける際、必ず『校歌』を歌唱する、という、ちょっと変わった風習があったのだ。
別に歌う必要はなかったのだけれど、どうせなら、それっぽく演出した方が、より深く印象づけられるだろうと思って、自動翻訳機では絶対に変換されないであろう、日本語の『唄』を選んだのだが、問題は即興で思いついたその演出に、果たして指輪が応えてくれるのか、という点だ。
(――――お願い。私の想いが届いているのなら、どうか応えて)
ツキオウ様から授かった指輪があるから大丈夫だよ! とウィンディとシルフィが、口を揃えて言っていたことを思い出しながら、想いと祈りを織り交ぜ、気持ちを込めて、馴染みのある『校歌』を丁寧に謡い上げていたら、ちょうど一番目の歌詞の終盤に差しかかった辺りで、ぱんっ、と空気が弾け飛んだ。
「――――っ、何事だ!?」
突然、起きた異変に反応して、国王陛下が小さく身動ぐ。
と次の瞬間、ひひん、と嘶きが響いたかと思えば、白銀に輝く美しい毛並みを持つ馬が、何もない空間から飛び出してきた。
これにはさすがに度肝を抜かれたらしい。
謁見の間に居合わせた誰しもが、驚愕の声を上げ、浜辺に打ち寄せるさざ波のように、どよめきが広がってゆく。
「――……アル、トゥール、」
小さく呟いた私の呼びかけに、ぶるるるるるる、と馬らしく鼻を鳴らしたアルトゥールは、馬の姿のまま、こちらに向かって、ゆっくりと歩き出す。
天に向かって、まっすぐに伸びる金色の一角を額に携え、神々しいまでの美しさと、気品さを兼ね備えた馬に、言われ得ぬ、何かを感じたのだろう。
背後から鋭い刃先を突きつけていた、筋骨隆々なムキムキマッチョの騎士が、ひっ、と引き攣った声を出したかと思えば、持っていた大振りの剣を捨て置いて飛び退く。
謁見の間の至るところに配置されていた騎士たちも、普通の馬とは明らかに毛色の異なる、アルトゥールの姿を目の当たりにして、畏れを抱いたのか、ただ息を詰めて見ているだけで、誰一人として動く気配はない。
それは目の前に立つ国王陛下も同じようだ。
私の喉に突きつけた細身の剣は、そのまま、鶯色の瞳を大きく見開いて固まっている。
その場にいる全員が固唾を呑んで注視する中、傍まで歩み寄ってきたアルトゥールは、労わるように、長い鼻の先を、そうっと寄せると、私の頬に優しく擦りつけてきた。
「――……アルトゥール、」
「心配しなくても大丈夫ですよ。美緒さんが『月に呼ばれし異端者』などという、馬鹿げた存在でないことは、私が証明しますから」
ですから安心して下さいね、と、耳元で囁いたアルトゥールの柔らかな声に、ようやく『異端者』という呪縛から解放されるんだと実感して、張り詰めていた気が緩んでしまったのか。
はらり、と溢れ落ちた涙を、長い鼻の先で掬うと、アルトゥールは細身の剣を握り締めたまま、固まっている国王陛下の前へと進み出た。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ルードリッヒ・ジョゼ・アルフォンソ国王陛下。私は月を守護する神である、月王様の従者を務めるアルトゥールと申します」
「な――……っ、馬が人の言葉を話すなど、そんな馬鹿な――……っ、」
「これは世を忍ぶ仮の姿なのですが――……どうやら驚かせてしまったようですね。大変失礼いたしました。ではこちらの姿では如何でしょうか?」
どこからどう見ても馬にしか見えないアルトゥールが、ぺらぺらと流暢に喋り出したことに驚いて、完全に色を失ってしまった国王陛下を見やりつつ、アルトゥールは美しい響きを持つ言の葉を紡ぎ始めた。
心が洗われるような美しい旋律を奏でる唄声に耳を傾けていたら、柔らかい光を纏った綿毛のようなものが、アルトゥールの全身を包み込む。
と次の瞬間、ぱちん、と音を立てて、綿毛のような光が弾け飛んだかと思えば、ついさっきまで馬だったはずのアルトゥールの姿は、一瞬にして、人が持つそれとまったく変わらぬ姿へと変化してしまった。
こうしてアルトゥールが、馬の姿から人間の形へと、変化してゆく様を見るのは、これで二回目だが、やはり人のものとは思えないほどの美しさに見惚れてしまう。
もちろん、見目麗しい絶世の美女に魅了されたのは私だけではない。
アルトゥールの浮世離れした美貌に心を奪われ、その場にいた全員の口から感嘆の息が漏れる。
うん、まあ、絶対にそうなるよねえー、と思っていたら、アルトゥールは萌葱色の瞳をやんわりと細めると、艶やかな唇の上に蠱惑的な笑みを浮べた。
そうしてから鈴を転がすような美しい声を響かせると、月を守護する神に仕える美しき従者さまは、勝利宣言とも取れるそれを高らかに告げたのだ。
「彼女は『月に呼ばれし異端者』などではありません。悪しき者の手に拠って、封印されてしまった月王様を解放するために、この世界に喚ばれた『月に呼ばれし解放者』なのです!」
部屋全体を支える数十本にも及ぶ支柱は、光沢を湛えた美しい大理石を惜しみなく使用しており、さりげなく飾り置かれた調度品や絵画たちは、どれもこれも見るからに、価値がありそうなものばかり。
謁見を執り行うためだけに設えられた豪奢な部屋――……というには、あまりにも広すぎる『謁見の間』の一番奥には、小上がりになった壇上が設けられ、その中央に目も眩まんばかりの豪華な仕様の椅子が、その存在を主張するかのように、でんっ! と鎮座している。
天井から吊るされた紅緋の重厚な布地で覆われた玉座は、ゲームやファンタジー映画なんかでは馴染みの、正しく、これぞ王様が座る椅子! といった感じのものだ。
そうして正しくこれぞ王様が座る椅子! に、どっしりと腰を据えているのは、腰丈ほどもある上衣を纏い、その下に中着と、ひざ丈のかぼちゃパンツを着用し、もっふもふな毛皮の外套を肩に引っかけた、これまた、これぞ王様! といったゴージャスな出で立ちをした男性だ。
ちょうど中年期に差しかかったばかりであろうと思われる、煌びやかな衣裳を身に纏ったその男性――否、国王陛下は、鼻の下辺りから顎にかけて、もっさりと生えているコーヒー豆のような濃い茶色の髭を、ひとしきり撫でると、つい、と、こちらに視線を投げかけた。
深みのある鶯色の双眸と、がっつりと視線が合ってしまい、他を寄せ付けない、その威圧感に、ぴきり、と固まってしまう。
そもそも危険を冒してまで居城に侵入したのは、一連の『異端者』騒動に巻き込まれてしまった、アレクやジオルドやレナードの身の潔白を証明するため、国王陛下に直談判しよう! というのが目的だったから、こうして国王陛下と対面できたのは、非常に喜ばしいことなのだが、いかんせん『国王陛下にお目見えする』なんてのは、十八年という、それほど長くない人生に於いて、初めて経験することなのだ。
日本に置き換えれば、『天皇陛下』に対面することと、ほぼ一緒の意味なのだと思えば、そんな雲の上のような存在の人に対して、どのように振舞えば良いのか分からず、戸惑ってしまう。
極度の緊張から声を出すこともできず、なおもフリーズ状態を維持していたら、顔の半分ほども覆い隠す髭と同じ色をした眉を、むうっ、と顰めると、国王陛下は一文字に固く結んでいた唇を、のろり、と解いた。
「威勢よく突撃してきた割りに、ずいぶんとおとなしいものだな。そう委縮せずとも良いぞ。アレクシオからどういう風に話を聞かされているのか知らないが、今すぐ、この場で其方の首を斬り落とすような、そんな野蛮な真似などはせぬ。むろん、其方の命が無事で済むという保障も一切ないがな」
国王陛下の口から聞き慣れたアレクの名前が紡がれて、一瞬、気が緩んだものの、その後に続いた物騒な物言いに、私は、ひいっ、と声にならない悲鳴を上げた。
直接的な言葉こそ、口にしなかったものの、明らかに『死刑宣告』とも受け取れる、その発言が、単なる脅し文句ではないことは、自分の真後ろに控える、筋骨隆々なムキムキマッチョの騎士を見れば一目瞭然だ。
しかも彼はただ背後に控えて、突っ立っているだけではない。
万が一の事態に備えて、いつでも斬りかかれるよう、鋭い切っ先を持つ大剣の刃を、私の背中に突きつけているのである。
本性を露わにしたヴィクトール卿相に、危うく手籠めにされそうになったところに、救世主のごとく、現れた国王陛下だったが、むろん、か弱い乙女である私を救うために、駆けつけたわけではなく、ヴィクトール卿相ともども『不届き者』として、その場で取り押さえられ、謁見の間へ連行されたのは、ほんの少し前の話だ。
その証拠として、私の両手は縄で縛られ、自由を奪われている。
マルティーヌさんから借りたフライパンも没収されてしまった。
とりあえず話くらいは聞いてやろう、と寛容な心で以って、面会に応じてくれたものの、手首を縄で縛られ、背中に剱の刃を向けられた状況で、委縮しなくても良いぞ、と言われても、全然説得力がないぞ! と心の中で、たらたらと反論していたら、国王陛下はゆったりとした動作で、足を組み直すと、ライオンの鬣のような髭を愛おしげに撫で上げた。
どうやらご自慢の髭らしい。
「私はアレクシオが十七という若さで、騎士に就任したときから、彼が持つ人となりと、その類い稀な素質に惚れ込んで、我が息子のように、その成長を見守っていてな。少なくとも、そこに転がっているヴィクトールよりは、遥かに信頼を寄せていたといっても、過言ではないだろう」
突然、アレクのことを話し出したかと思えば、国王陛下は広々とした謁見の間の出入り口の方へ、視線を向ける。
国王陛下の視線を追って振り向けば、そこには太い縄で全身をぐるぐるに巻かれたヴィクトール卿相が、芋虫のように転がっているではないか!
しかもそこにいたのは、ヴィクトール卿相だけではない。
ようよう見てみれば、ジオルドとレナードまでもが、ヴィクトール卿相と同じように、縄で縛りつけられ、床に転がされていた。
ヴィクトール卿相とレナードは、おとなしく捕まっているようだが、ジオルドに限っては、漁船の甲板に釣り上げられたマグロのごとく、ピチピチと跳び跳ね……否、違った。じたばたともがいて抵抗しているようだ。
しかも何故だか、ジオルドにだけ、猿轡を噛まされるという、オプションまでついている。
おそらく捕まった際に、今よりも、もっと大暴れをして、騒ぎ立てたのだろう。
武器を携えた大勢の騎士たちに取り囲まれてはいるものの、いまのところ、ひどい仕打ちは受けていないようだ。
二人が無事だったことに、ほう、と胸を撫で下ろしつつ、豪奢な玉座に鎮座している国王陛下へと、視線の先を戻せば、話はまだ終わっていないぞ、とでも言いたげに、一度は閉ざした唇をふたたび開くと、国王陛下は先ほどの話の続きを語り始めた。
「あれは確か十日ほど前の話だったか。『月に呼ばれし異端者』であるかも知れない少女を匿っている――とアレクシオから報告を受けたのは。その報告を受けたときは、ひどく驚いたものだよ。あれほどまでに信頼を寄せていたアレクシオが、私が下した命に背き、あろうことか、『月に呼ばれし異端者』を匿っていたのだからな。裏切り行為を叩いたアレクシオを、どう処分してやろうかと思っていたが、アレクシオが『月に呼ばれし異端者』を殺められなかった理由を聞いているうち、私自身が一度、『月に呼ばれし異端者』と会ってみたいという気にさせられてね。今になって思えば、あの自白は私の心をそういう方向に持っていくための、アレクシオの策略だったのかも知れんな」
そんなことを言って、国王陛下は苦く笑う。
「『月に呼ばれし異端者』は、世に流布するような、邪悪な存在ではないと。少なくても、彼女に限っては、そのような兆候は見受けられないから、私自身の目で安全性を確認したうえで、『月に呼ばれし異端者』である彼女が、王都で安心して暮らせるよう、保護して欲しいと――そう懇願されてな。むろん、最初は頑として断ったよ。いくらアレクシオの願いと言えど、多くの民を危険に曝すかもしれない存在を、容易に受け入れるわけにはいかないからな。だがアレクシオにしては珍しく、何度も何度もしつこく食い下がってきてな――結局、アレクシオの熱意に根負けして、会う約束をしたのだが、ヴィクトールに先を越されてしまってね」
そこまで話して、国王陛下は、小さく息を洩らす。
そんな国王陛下の様子を横目に見やりつつ、アレクが『異端者』の保護を訴えかけてくれていたことを、思いがけない形で知らされ、きゅううううう、と胸が締め付けられてしまった。
絶対的君主である国王陛下に、『異端者』を匿っていたことを自白するなんて、それこそ自殺行為に値するくらい、危険なことだ。
下手をすれば、その場で首を撥ねられていたかも知れないのに――……と、そんなことを考えて、こんな風に誰かの口から教えられなければ、永遠に知り得なかったであろう、アレクの胸の内に触れて、何だか泣きたくなってしまった。
(……こんな大事なことを黙っているなんてズルい)
そんなことを思って、じわり、と目頭が熱くなって、慌てて俯く。
唇をぎゅっと噛み締めて、溢れそうになる涙を必死に堪えていたら、カツカツカツ、と靴底を踏み鳴らす音が聞こえた。
と同時に少し離れた場所に控えていた騎士たちが、ざわざわと落ち着きなく、ざわめき始める。
いったいどうしたのだろうか、と思いつつ、つい、と顔を上げて、こちらに向かって壇上を降りてくる国王陛下の姿を視界に捉え、私はぎょっと目を見開いた。
国王陛下の予期せぬ行動に肝を潰したのは、どうやら私だけではないようだ。
自分の背後に立つ、筋骨隆々なムキムキマッチョの騎士が、ひどく慌てた様子で、陛下! いったい何をされるおつもりですか! と声を上げて、唐突な行動に出た国王陛下を制止しようとしたものの、国王陛下が騎士の声に耳を傾けるはずもなく。
「アレクシオから話は聞かされていたが、穢れた世界を浄化させるため、全てを破壊し尽くし、無に還す存在として、人々から忌み嫌われている『月に呼ばれし異端者』が、このようなどこにでもいる平凡な娘だったとはな――……だからと言って、アレクシオの言葉を鵜呑みにするわけにもいかない。私には王都で暮らす民たちの安寧を堅守する責務が課せられているからな」
ついには私のすぐ目の前まで歩み寄ってきた国王陛下は、淡々とした口調でそう告げると、もっふもふの毛皮の下に隠れていた剣帯から、すらりとした刀身を持つ剣を引き抜くと、鏡のように磨き上げられた鋭い刃の先を、私の喉元へ突きつけた。
「――――……っ、!」
無機質な冷たい刄が、つうっ、と喉を撫で上げる感覚に息を呑む。
「其方とて無駄に命を落としたくはなかろう? ならば己の存在が、この世界にとって脅威でないことを、私の前で証明してみるがいい。見事、それが証明できた暁には、私が責任を持って、其方の身の保障を約束することを誓おう。むろん、証明できなかった時には、其方の命はあるまいがな」
威厳に充ちた深い緑褐色の瞳が射抜く。
『異端者』が毒にも薬にもならないことを証明できなければ、目の前に立つ主は、何のためらいもなく、鋭い刄で、私の喉を貫くだろう。
(――――どうすればいい?)
じとりとした嫌な汗が背中を伝い落ちてゆくのを感じながら、脳ミソをフル回転させて、何か良い方法はないか、と懸命に模索していたら、右手の薬指の付け根で、ちかちか、と月虹輝石が七色に瞬いていることに気が付いた。
――――私のことを呼んで。
まるでそんな風に語りかけられているような気がして、まぶたをゆっくりと閉じて、小さく息を吸い込む。
ざわつく心を落ち着かせるよう、何度か深呼吸を繰り返して、閉じていたまぶたを見開くと、私は自分の命運を賭けた一世一代の大勝負に挑むことにした。
さあ、この窮地をどうやって切り抜けようか、と考えて、この世界で魔法を詠唱するときに、紡がれる言の葉が、『唄』を謡っているみたいに感じたことを思い出す。
(そうだ。いい事を思いついた)
ひらめいたそれを実行すべく、頭の中で旋律を描くと、私は脳内を流れるメロディに合わせて、馴染みのあるそれをゆっくりと口遊み始めた。
それは中学・高校と、六年間、歌い続けた『校歌』だ。
男女交際に関して、特に厳しかったパパが、悪い虫がつくのだけは許せん! と男女共学の学校へ進学するのを激しく反対したため、たまたま徒歩で通学できる範囲にあった、中高一貫の女子校へ進学することになったのだが、設立されてから七十年という、歴史あるその学校には、音楽の授業を受ける際、必ず『校歌』を歌唱する、という、ちょっと変わった風習があったのだ。
別に歌う必要はなかったのだけれど、どうせなら、それっぽく演出した方が、より深く印象づけられるだろうと思って、自動翻訳機では絶対に変換されないであろう、日本語の『唄』を選んだのだが、問題は即興で思いついたその演出に、果たして指輪が応えてくれるのか、という点だ。
(――――お願い。私の想いが届いているのなら、どうか応えて)
ツキオウ様から授かった指輪があるから大丈夫だよ! とウィンディとシルフィが、口を揃えて言っていたことを思い出しながら、想いと祈りを織り交ぜ、気持ちを込めて、馴染みのある『校歌』を丁寧に謡い上げていたら、ちょうど一番目の歌詞の終盤に差しかかった辺りで、ぱんっ、と空気が弾け飛んだ。
「――――っ、何事だ!?」
突然、起きた異変に反応して、国王陛下が小さく身動ぐ。
と次の瞬間、ひひん、と嘶きが響いたかと思えば、白銀に輝く美しい毛並みを持つ馬が、何もない空間から飛び出してきた。
これにはさすがに度肝を抜かれたらしい。
謁見の間に居合わせた誰しもが、驚愕の声を上げ、浜辺に打ち寄せるさざ波のように、どよめきが広がってゆく。
「――……アル、トゥール、」
小さく呟いた私の呼びかけに、ぶるるるるるる、と馬らしく鼻を鳴らしたアルトゥールは、馬の姿のまま、こちらに向かって、ゆっくりと歩き出す。
天に向かって、まっすぐに伸びる金色の一角を額に携え、神々しいまでの美しさと、気品さを兼ね備えた馬に、言われ得ぬ、何かを感じたのだろう。
背後から鋭い刃先を突きつけていた、筋骨隆々なムキムキマッチョの騎士が、ひっ、と引き攣った声を出したかと思えば、持っていた大振りの剣を捨て置いて飛び退く。
謁見の間の至るところに配置されていた騎士たちも、普通の馬とは明らかに毛色の異なる、アルトゥールの姿を目の当たりにして、畏れを抱いたのか、ただ息を詰めて見ているだけで、誰一人として動く気配はない。
それは目の前に立つ国王陛下も同じようだ。
私の喉に突きつけた細身の剣は、そのまま、鶯色の瞳を大きく見開いて固まっている。
その場にいる全員が固唾を呑んで注視する中、傍まで歩み寄ってきたアルトゥールは、労わるように、長い鼻の先を、そうっと寄せると、私の頬に優しく擦りつけてきた。
「――……アルトゥール、」
「心配しなくても大丈夫ですよ。美緒さんが『月に呼ばれし異端者』などという、馬鹿げた存在でないことは、私が証明しますから」
ですから安心して下さいね、と、耳元で囁いたアルトゥールの柔らかな声に、ようやく『異端者』という呪縛から解放されるんだと実感して、張り詰めていた気が緩んでしまったのか。
はらり、と溢れ落ちた涙を、長い鼻の先で掬うと、アルトゥールは細身の剣を握り締めたまま、固まっている国王陛下の前へと進み出た。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ルードリッヒ・ジョゼ・アルフォンソ国王陛下。私は月を守護する神である、月王様の従者を務めるアルトゥールと申します」
「な――……っ、馬が人の言葉を話すなど、そんな馬鹿な――……っ、」
「これは世を忍ぶ仮の姿なのですが――……どうやら驚かせてしまったようですね。大変失礼いたしました。ではこちらの姿では如何でしょうか?」
どこからどう見ても馬にしか見えないアルトゥールが、ぺらぺらと流暢に喋り出したことに驚いて、完全に色を失ってしまった国王陛下を見やりつつ、アルトゥールは美しい響きを持つ言の葉を紡ぎ始めた。
心が洗われるような美しい旋律を奏でる唄声に耳を傾けていたら、柔らかい光を纏った綿毛のようなものが、アルトゥールの全身を包み込む。
と次の瞬間、ぱちん、と音を立てて、綿毛のような光が弾け飛んだかと思えば、ついさっきまで馬だったはずのアルトゥールの姿は、一瞬にして、人が持つそれとまったく変わらぬ姿へと変化してしまった。
こうしてアルトゥールが、馬の姿から人間の形へと、変化してゆく様を見るのは、これで二回目だが、やはり人のものとは思えないほどの美しさに見惚れてしまう。
もちろん、見目麗しい絶世の美女に魅了されたのは私だけではない。
アルトゥールの浮世離れした美貌に心を奪われ、その場にいた全員の口から感嘆の息が漏れる。
うん、まあ、絶対にそうなるよねえー、と思っていたら、アルトゥールは萌葱色の瞳をやんわりと細めると、艶やかな唇の上に蠱惑的な笑みを浮べた。
そうしてから鈴を転がすような美しい声を響かせると、月を守護する神に仕える美しき従者さまは、勝利宣言とも取れるそれを高らかに告げたのだ。
「彼女は『月に呼ばれし異端者』などではありません。悪しき者の手に拠って、封印されてしまった月王様を解放するために、この世界に喚ばれた『月に呼ばれし解放者』なのです!」