紅き月夜に 永遠の想い~運命に導かれた月夜の出逢い~

降伏するくらいならば、誇りある死を(アレク視点)

 ぱたり、ぱたり、と天井から滴り落ちた水滴が、強固な石で固められた硬い床を打つ。
 地中深くに造られた牢獄に、窓というものは一切なく、外部から完全に切り離されたそこには、時を告げる鐘楼の鐘の音さえ届かない。
 今が朝なのか、昼なのか、夜なのか。
 時間の感覚さえも、麻痺してしまいそうなくらい、長い時間を薄暗い檻房(かんぼう)の中で、やり過ごしていたアレクシオは、どこからか聞こえてきた水音に、浅い眠りから目覚めた。
 寝台――と呼ぶには、あまりにも粗悪すぎる、腐りかけの藁を床に敷き詰めただけの寝床から起き上がり、すぐ傍らに置かれた木箱をひっくり返しただけの、粗末な椅子に移ろうとしたアレクシオだったが、手首を一つに縛られ、足枷を嵌められた状態では、なかなか思うように、身動きが取れない。
 じゃらじゃらと耳障りな音を立てる鎖を邪魔に思いながら、どうにか木箱の椅子に腰を下ろすことに成功したアレクシオは、はあ、と溜め息を吐いた。

『月に呼ばれし異端者』を隠匿(いんとく)した罪と、ディハルトを殺害した容疑で、身柄を拘束されてから、数日が経つが、死なない程度に拷問にでもかけて甚振ってやるよ、と言っていたわりに、今日に至るまで、一度たりとも、熾烈な責め苦は味わされていない。
 様子を見に来た見張り番が、日頃の鬱憤を晴らしたいのか、難癖をつけて理不尽な暴行を加えてくることが、数回ほどあったが、これまで幾たびの死線を超えてきたアレクシオにとって、それは取るに足らない些細なことだった。
 手足を枷で拘束され、自由こそ奪われているものの、粗末ながらも、朝・夕と食事はきちんと運ばれてくるし、何よりここにいる間、煩わしい人間関係に頭を悩ませる必要もなければ、山積みとなった書類の束からも解放されるのだ。
 今いる場所が()()()()()()()だということに目を瞑れば、日々、激務に追われているアレクシオからすれば、滅多とない長期休暇(バカンス)をもらったようなものだろう。
 とは言え、睡眠と食事以外、何もすることがなく、退屈な時間を弄ぶだけの毎日が、数日も続けば、さすがに嫌気も差してくる。
 食事はともかくとして、ふかふかのベッドで質の良い睡眠をとりたい――というのが、今のアレクシオの本音であり、切なる願いでもあるのだ。

(それにしても――――)

 騎士に就任したばかりの頃、見張りとして、何度か滞留したことがあるが、まさか、その数年後に被疑者として、檻房(かんぼう)の中に投獄されるとは思いもしなかった。
 それなりに生きていると色々とあるものだな、とそんなことを考えて、苦く笑ったアレクシオは、数日前のことをふと思い出し、その整った面立ちに、何とも言えない複雑な表情を浮かべた。

(あいつは――……ミオは無事でいるのだろうか)

 王都から抜け出したレナードたちが、彼女を連れて、どこへ向かったのか、アレクシオはその行き先を一切把握していない。
 地下深くに造られた監獄に閉じ込められ、外部との接触を断ち切られた状況ではあるものの、その気になれば、外部と連絡を取る手段はいくらでもある。
 だが、アレクシオは敢えて、情報を入手しようとは思わなかった。
 人間とは案外脆いものだ。
 今のところ、熾烈な拷問を受けてはいないが、自分が置かれている状況を鑑みれば、いつ、どこで、どのような責め苦を味わされるか分からない。
 どんなに強靭な精神力を持ち合わせていたとしても、極限の状態まで追い込まれれば、己の身の可愛さのあまり、悪魔に魂を売ってしまうかも知れないのだ。
 その可能性を完全に否定できない以上、要らぬ情報を持つのは危険だ。
 知らなければ、口を割ることはない。
 そういう強い信念があったからこそ、ミオをどこへ連れて行くかは、レナードたちの判断に委ねたのだが、やはりその行く末はどうしても気になってしまう。
 何度となく様子を窺いに来る番兵から、『月に呼ばれし異端者』が捕らえられたという話は、聞かされていないし、レナードとジオルドのことだから、上手く逃げ失せてはいるのだろうが、彼らだって終わりの見えない逃亡生活をいつまでも続けるわけにはいかないだろう。

(陛下が動いてくれさえすれば、全てが好転に向かうのだがな――……)

 それは今から十日ほど前の話だ。
 ヴィクトールがミオの存在に気づき、興味を示したことを受けて、嫌な予感を覚えたアレクシオは、その日のうちから、万事に備え、対策を講じることとなった。
 その最初の一手として、アレクシオは『()()()()()()()()()()()()()()()()()』という、一か八かの大勝負に打って出たのである。
 王都にとって災禍にしかならない存在である『月に呼ばれし異端者』を始末しろ、との命に逆らったばかりでなく、独自の判断で彼女の存在を隠し、一月半もの間、ずっと匿っていたのだ。
 自分が犯した罪過の重さを考えれば、その場で首を撥ねられても、何ら可笑しくないそれらを、(あるじ)に告白するという大博打に打って出たアレクシオだったが、果たして勝利の女神は、彼に微笑むこととなった。
 渋面を崩さない主をどうにか説き伏せ、王都で安心して暮らせるよう、保護に向けて、彼女と面会する約束を取りつけ、その日程まで決めていたのだが、内密に嗅ぎ回っていたのであろう、ヴィクトールに先を越されてしまい、現状に至っている――という次第だ。
 狡猾なヴィクトールの策略に嵌められ、囚われの身となった今、アレクシオにとって頼みの綱と言えるのは、全ての事情を知っているレナードたちと国王陛下くらいだろう。

 苦い表情を浮かべながら、これまでの出来事を回顧していたアレクシオだったが、硬い床を打つ雨垂れとは、全く異なる音を鼓膜が捉え、身構えた。
 かつ、かつ、かつ、と床を打ち鳴らす靴音は、アレクシオがいる独房へ確実に近づいている。番兵が見回りにでも来たのだろうか、と思っていたら、やがて足音はアレクシオの独房の前で、ぴたり、と止んだ。
 ただの巡回であれば、頑丈な鉄扉に設けられた小窓から、こちらの様子を覗き見るくらいなのだが、どうやら違うらしい。
 金属が擦れ合う音がし、程なくして、固く閉ざされていた鉄扉が、きいいいい、と耳障りな音を響かせながら、ゆっくりと開く。

「アレクシオ、久しぶりだなあ。どうだ? 牢獄に()ち込まれた気分は?」

 半開きになった鉄扉の向こうから差し込んだ篝火(かがりび)の明るさに瞳を眇めていたら、どこかで聞いたことがある声とともに、大きな体躯を折り曲げて、見知った顔が独房の中へ踏み込んできた。

「――……確か第二騎士団副師団長のランヴァルド、だったか?」
「これはこれは驚いた。一端の騎士でしかない私の名前を良く憶えていたものだな。さすがは()()()()()()()()()を務めていただけのことはある」

 鼻につくランヴァルドの物言いに、眉を顰めながら、そりゃあ毎週のように顔を合わせているのだから、名前くらい憶えていて当然だろうが、とアレクシオは内心で悪態を吐く。
 週に一度実施される定例会議に於いて、第五以上の騎士団で総指揮を執る、師団長並びに副師団長の出席は義務付けされており、ランヴァルドとは最低でも週に一度は顔を合わせているが、それ以前、同じ第二騎士団に所属するクロフォードから、ランヴァルドの素行の悪さに関して、たびたび報告を受けていたため、アレクシオは彼のことをある程度、把握していたのだ。
 異常なまでの凶暴性と攻撃性を持つディハルトと比べれば、これまでにランヴァルドが起こした問題行動は可愛らしいものだが、それでも協調性を求められる騎士団に於いて、身勝手な振る舞いで和を乱すランヴァルドは危険視されている。
 それに悪事を働いた犯罪者が多く収監された牢へ、指揮を執る立場の人間が護衛もつけず、単身で足を運ぶなど、普通に考えれば、ありえないことだ。
 万が一にでも収容者によって、命の危険に曝されるようなことがあれば、指揮官を失った現場が混乱することは、火を見るよりも明らかだ。

「――……何の目的があって、ここまで来た?」
「何の目的とはずいぶんと酷い言い種だな。私はただ食事を運んできただけだ」
「は? 何だそれ」

 ランヴァルドの口から齎された意外な言葉に、思わず拍子抜けしてしまう。
 いったいどういう意味だと、軽く心を乱していたら、いつの間にそこにいたのか、食事を載せたトレイを両手で支え持つ、侍女と思しき女が、ランヴァルドの背後から現れた。

「捕らえられてから数日間、まともに食事を摂ろうとしないと、ヴィクトール卿相が頭を悩ませておられてな。飢えで死なれては困るから、力づくでも食事を摂らせろ、と命を受けたんだ」

 この場に出向いた理由をつらつらと並び立てながら、ランヴァルドは、にいっ、と薄気味悪く嗤う。
 身柄を拘束されたあの日、最初に提供された食事だけは、どうにか完食したが、確かに二回目以降は、ほとんど口にしていない。
 食事の質が悪いからという、身勝手な理由などではなく、両手両足を枷で縛られ、まともに身体を動かすことさえできない状態では、腹など空きようもないし、食欲だって湧かない。
 ましてやこれまで幾多の戦場に赴き、緊迫した環境に何度も身を置いたことがあるアレクシオにとって、数日間、食事を摂らないことは、多々あることだ。
 過酷な環境に遭遇したことのない人間であれば、栄養不足で体調を崩すことはあるかもしれないが、それでも、たった数日間、食事を摂らなかったからといって、飢え死にをする人間など、そう滅多にいるわけではないことは、ランヴァルドだって理解しているはずだ。

「生憎だが食事を摂る気はない」
「そう警戒しなくてもいいだろう? アレクシオ。毒など盛ってはいない。安心しろ」
「そういう意味ではなく、腹は減っていない。悪いが下げてくれ」

 安心しろなど、どの口が言っているんだ、と思いつつも、毒が盛られている可能性も捨てきれず、食事を下げるよう、ランヴァルドではなく、傍に控えていた侍女らしき女に、直に伝えれば、彼女は判断を仰ぐかのように、ランヴァルドの顔色を窺う。

「お前の腹の具合なんざ関係ねえんだよ」

 本性を露わにしたランヴァルドが、汚い言葉を吐き捨てながら、侍女が両手で抱え持っていたトレイを乱暴に掴む。
 と次の瞬間、掴み損ねたトレイが、侍女の手から溢れ、トレイに乗っていた器が、派手な音を立てて転げ落ち、中に入っていたスープやパンが汚れた床に飛び散る。

「おっと悪いな。手が滑っちまったぜ。だけど()()()()()()()()()()()()と、ヴィクトール卿相から命を受けたものでな――……」

 口端を大きく持ち上げ、にたり、と嗤ったランヴァルドの魂胆が見えて、身を翻そうとしたアレクシオだったが、両手両足を捉える枷に動きを阻まれ、力任せに突進してきたランヴァルドに、身体を投げ出されてしまう。
 それでもどうにか身体を起こそうとして、いち早く背中に乗りかかってきたランヴァルドが、身動きの取れないアレクシオの頭を押さえつけた。

「――……っ、放せっ! ランヴァルド!」
「ああ、誰に向かって口を利いてるんだ? 罪人ごときが偉そうな口を叩くんじゃねえ! 力《・》()()()()()()()()()()()と命令を受けたと、何度も言っただろうが! ほら食えよ、アレクシオ。罪人にまで陥ったてめえには、床に落ちた飯を食うのが、お似合いだ」
「――……っ、くそ、」

 頭を鷲掴みしている指先に力を籠め、汚れた床に押しつけようとするランヴァルドから逃れようと、懸命に身を捩ろうとしたが、手足に嵌められた枷が邪魔になって、思うように身体を動かすことができない。
 だからと言ってランヴァルドの望み通り、床に落ちたものを食べるなど、いくら何でもそれはアレクシオの矜持が許さないだろう。
 傍に侍女らしき女が控えていたことを思い出し、彼女に助けを求めることも考えたが、ランヴァルドに忠誠を誓ったであろう侍女に、アレクシオの声が届くはずもなく、ぎりぎりと床に押しつけるランヴァルドの力に抵抗しながら、この状況を回避できる策はないかと、その手段を探っていたアレクシオは、ばたばたと慌ただしく、こちらに向かってくる複数の足音を捉えた。

(――……っ、今度は何だ、)

 鼓膜が捉えた音に戸惑いつつ、もしかしたら、と淡い期待を抱いて、その直後。


「――――……っ、アレクっ!」


 半開きになっていた鉄扉を擦り抜け、牢の中に飛び込んできた()()()姿()()、アレクシオは大きく目を見開いた。

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