【試し読み】お隣のハイスペ御曹司は一応、私の夫です~ビジネス婚のはずが旦那様は妻への溺愛が我慢できない~
「失礼します。社長、そろそろ次のお約束の時間です」
ノックをして中に入る。すると営業部の部長と話をしていた彼が立ち上がり、打ち合わせは終わりになる。
出席者とエレベーターに向かっていた時だった、うっかり足をひっかけてしまって転びそうになった。
凌平が素早く私を支える。
「危ない、気を付けろ。ケガはないか?」
「すみません、社長」
私は慌てて体制を立て直す。
「そんなに恐縮しなくてもいい。そういうちょっとそそっかしいところも俺にとっては魅力的だから」
私たちの会話が聞こえていたのか、営業部長が気まずそうに視線を逸らしそわそわしている。確かに馴れていなければ赤面ものだ。
しかし私はニコッと笑って「今は仕事中ですよ」と軽くたしなめた。
彼は少し残念そうな顔をして歩き出し、私はいつものように彼の半歩後ろを歩いた。
「そういえばあの件ってどうなった?」
凌平がわずかに振り返りながら聞いた。
「それでばれば、すべて手配済みです。追加の資料をメールでお送りしていますので、ご確認いただけますか?」
「ああ、わかった。いつも通り完璧だな、いつもありがとう」
「いいえ、とんでもございません」
私の回答に満足した彼がわずかにほほ笑んだ。
この後私は今日は彼に同行せずに、社内で仕事をする予定だ。無事に送り出すと自分のデスクに戻る前にお手洗いに向かう。
個室に入ってひと息つく。人の目があるところでは秘書と妻の両方の仕事をこなさなくてはいけない。
完璧な秘書であることはまだいいのだけれど、凌平の完璧な妻であることにはかなり気を使う。
いつも誰かに見られている状況なので常に気を抜くことが許されず、緊張を緩めることができない。
会社で唯一素の自分に戻れるのは、お手洗いの個室だけだ。ここで一瞬だけ仮面を脱ぐのが、私のささやかな息抜きだ。
笑みを浮かべすぎて引きつった顔をマッサージしていると、外から声が聞こえてきた。どうやら女性数人が化粧直しをしているようだが、その話題に私は個室から出られなくなってしまった。