消せない痕 ~甘く危うく、既婚者上司と崩れる理性~
── プロジェクト初日 朝 ──

目を覚ましリビングへ降りると、
コーヒーの香りが漂う中、
妻が朝食を並べていた。

俺に気づくと、
いつもの笑顔を向ける。

「おはよう。
すぐコーヒーを――
……あら、顔色が悪いわね」

覗き込んでくる瞳が、
やけに鋭く感じられた。

「……大丈夫。少し疲れているだけだよ」

椅子に座り、
コーヒーを一口含むと、すぐに立ち上がった。

「悪い。今朝は食欲がない」

玄関へ向かう背中に、
妻の声が追いかけてくる。

「最近、ずいぶん疲れてるみたい。
今日は早く帰れるの?」

避けたい話題だったが、
重い口を開いた。

「いや……。
昨日、重要なプロジェクトを任された。
しばらく帰りは遅くなる。
待ってなくていい」

その瞬間、
妻は胸元の鞄を、きゅっと握った。

けれど、笑顔は崩さない。

「プロジェクトって……誰と?
小室さん?
それとも、前に話してくれた江連さん?」

靴べらを手に取りながら答える。

「……いや。
真美の知らない人だ」

妻の視線が、わずかに揺れる。

「……そう。
また、私の知らない人なのね」

俺は視線を落とし、
言い訳のように続けた。

「真美が辞めて随分経ったし、
知らない人が増えるのも無理ないよ」

妻は靴べらを受け取り、
静かに言った。

「そうね。
でも私は……
あなたが誰と、どこで、何をしているのか。
全部、知っていたいの」

ゆっくり顔を上げ、
静かに微笑む。

「私は……あなたが全てだもの」

背筋が、ひやりと冷えた。

「愛してるわ」

そう言って、
妻は俺の首に腕を回し、キスをする。

ほんの数秒。

それなのに、息が詰まるほど長く感じた。

俺は、できるだけ優しく引き離し、
笑みを貼り付ける。

「……分かってる。行ってくるよ」

玄関の重い扉を閉めた瞬間、
頭の奥で、
外れない鎖の音が微かに響いた。
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