消せない痕 ~甘く危うく、既婚者上司と崩れる理性~
雨の悪戯
── 夜 ──

予報では曇りだったはずの空は、
いつの間にか雨脚を強めていた。

道路の水溜まりに、
激しい雨粒が絶え間なく跳ね返っている。

外に出ようとした社員たちが足を止め、
ガラス越しに滝のような雨を眺めて
ざわめいている。

私も鞄の中を探りながら、
折りたたみ傘を忘れたことに気づき、
その場で立ち尽くす。

そのとき、低い声が、
すぐ後ろから落ちてきた。

「傘は?」

振り向くと、
さっきまで一緒に残業していた黒崎部長が
わずかに首を傾けてこちらを見ていた。

「……うっかりしてました」

ため息混じりに答えた、そのとき――

横から明るい声が割って入った。

森下さんが折りたたみ傘を手に、
小走りで駆け寄ってくる。

「白石さん、この雨やばいね。駅まで一緒に……!」

けれど、黒崎部長の姿を目にした瞬間、
ぴたりと動きを止めた。

黒崎部長の視線が、
森下さんへゆっくり向けられる。

ふたりの間の空気が、わずかに張りつめた。

先に口を開いたのは、黒崎部長だった。

「彼女は傘が無いらしい。
その折りたたみ傘じゃ、ふたりは無理だろう」

目線で傘を示し、淡々と告げる。

「俺は別に、濡れても平気です」

森下さんは、私を見て軽く笑った。

その瞬間、
黒崎部長の視線が、私を鋭く捉えた。

何かを確かめるように――

けれど次の瞬間には、
何事もなかったように
ゆっくりと森下さんへ視線を移す。

「白石さんも濡れる」

森下さんは、はっとしたように私を見て、
気まずそうに、力の抜けた笑みを浮かべた。

「気をつけて帰れ。
彼女は俺が車で送っていく」

「……えっ」

森下さんと、私の声が重なった。
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