消せない痕 ~甘く危うく、既婚者上司と崩れる理性~
── 翌朝 ──

はっと、意識が浮上した。

目を開けたまま、しばらく天井を見つめる。
鼓動はわずかに早く、喉がひどく乾いていた。

彼女の夢を、見ていた。

肌に触れたときの、吸い付くような柔らかさ。
抱き寄せた瞬間、耳元に落ちた吐息。

唇を奪った刹那に絡み合った舌の感触。
腰を引き寄せたとき、身体の奥に走った痺れ。

指先まで熱を帯び、交わり合った体温が、
ひとつの線となって思い出される。

そのすべてが、今もこの身体に、
あまりに鮮明に残っていた。

そして夢の最後には、
何も言わず、ただ俺と彼女を見下ろす
妻の姿があった。

喉を鳴らし、片腕を額に乗せる。

ゆっくり息を吐き、乱れた呼吸を整えた。

カーテンの隙間から差し込む朝の光は、
昨夜の豪雨を嘘のように消し去り、
すっきりと透明だった。

その爽やかさが、
昨夜の出来事を、
消しきれないものとして浮かび上がらせる。

リビングに向かうと、
珈琲の香りが、ふわりと漂った。

パンの焼ける香り、
食器の触れ合う音、

食卓に並ぶ、
スクランブルエッグ。

何ひとつ変わらない、
朝の風景。

「……おはよう」

振り向いた妻は、
いつも通りの、柔らかな笑顔を向けた。

その笑顔が、
守るべきものだと知っているからこそ、
心に刃物のように突き刺さる。

「おはよう」

妻は、変わらない調子で言う。

「昨夜は、すぐに寝ちゃったでしょう。
よく眠れた?」

珈琲カップに伸ばしかけた手が、
思わず止まった。

気づかないふりを、しているのかもしれない。
一瞬、そんな疑念が脳裏をよぎる。

だが俺は、それを振り払うように、
何事もなかったふりをして、
ゆっくりと珈琲を口に運んだ。

「今夜も遅いの?
あまり無理しないでね」

珈琲を飲み込む。

「ああ」

温度だけが、
喉を通り過ぎていった。
< 39 / 66 >

この作品をシェア

pagetop