消せない痕 ~甘く危うく、既婚者上司と崩れる理性~
立ち入れない場所
── 夕方 ──

先ほどのトラブルの余韻を切り替えたくて、
私は休憩室へ向かった。

自動販売機でホットココアを買い、
室内中央に置かれた円形ソファに腰を下ろす。

背中合わせ。
視線は交わらないのに、
他人の気配だけが、やけに近い。

缶の温もりを手のひらに感じながら、
ようやく強張っていた肩の力を抜いた、そのとき。

「黒崎部長って、かっこいいですよね」

背後から、
他部署の女性ふたりの弾んだ声が聞こえてきた。

頬を赤らめているのが、声色だけで分かる。

思わぬところで彼の名前を耳にし、
心臓が、強く跳ねた。

「だめ。既婚者よ」

冗談めかした声と、肩を軽く小突く気配。

「分かってますよぉ」

拗ねたような返事に、小さな笑い声が重なる。

「私ね、黒崎部長と奥さん、同期なの」

どこか得意げな口調。

「え、本当ですか?」

「本当。
ふたりは同期で、社内恋愛だったのよ。
その頃のこと、よく覚えてるわ。聞きたい?」

……社内恋愛。

缶を持つ手に、無意識に力が入った。

「聞きたいです!」

身を乗り出す気配とともに、声が弾む。

「黒崎部長、
当時から女性社員に人気があってね。
彼女も、例外じゃなかった」

聞けば傷つくと分かっているのに、
席を立つことが、できなかった。

「黒崎部長ね、すごく愛されてたわ。
……正直、ちょっと怖いくらい」

声のトーンが、わずかに落ちる。

「仕事が終わるまで、何時間も待ってたり、
連絡がつかないと心配しすぎて、社内を探し回ったり」

「え……」
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