消せない痕 ~甘く危うく、既婚者上司と崩れる理性~
波紋
「白石さんの隣に、
俺以外の男がいるの、嫌なんだ」

​不意に耳に届いたその声に、西島の足が止まった。

仕事の電話を終え、
スマホを耳から離した直後のこと。

オフィスへ戻ろうとしたその先で、
親友であり同期の森下が、白石さんに想いを告げていた。

聞くつもりはなかった。

ただ、その声があまりに切実で、
足が、動かなかっただけ。

「白石さんが好きなんだ。俺と、付き合って」

思わず額を押さえ、目を閉じる。

……これは、聞いていい話じゃない。

足音を立てないよう、静かにその場を立ち去った。


── その少し後 ──

屋上から戻り、
何事もなかった顔でオフィスに入る。

自席に着き、向かいに座る森下へ、
含みのある笑みを向けた。

「だから昨夜、俺の誘いを断ったんだな」

森下は、わずかに眉間に皺を寄せ、
不思議そうに首をかしげる。



── 前夜 ──

西島と一緒に、ビルのエントランスを出た。

自動ドアが閉まると同時に、
張り詰めていた一日の緊張がほどける。

西島は首元のネクタイを指先で緩め、
軽く笑って、俺に目を向けた。

「今日のトラブル、大事なくて良かったな。
やっぱり黒崎部長と白石さん、流石だよな」

……確かに、見事だった。

「ああ」

西島の言葉に、
俺は短く、気のない返事をした。

ふたりの間に流れる、
言葉にしなくても通じ合う空気。

思い出すたび、
胸の奥が、じりじりと焼けつく。

「あのふたりがいなかったら、
今頃うちの部署やばかったぜ」

あのふたり――

みんな当然のように、ひとつの単位で語る。

西島の無邪気な称賛に、
鞄の持ち手を強く握りしめた。

「ああ……そうだな」

西島が横目でのぞいてくる。

「……元気ない?」

一瞬、言葉が詰まる。

「いや……別に」

「一杯いく?」

親指と小指を立て、クイっと飲む仕草。

いつもなら笑って乗る誘いだ。

けれど、今夜は――

「……悪い。やめとく」
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