消せない痕 ~甘く危うく、既婚者上司と崩れる理性~
心臓が、嫌な音を立てた。
見透かされている感覚に、喉が鳴る。

言葉に詰まり、
視線を落としたまま、立ち尽くすことしかできない。

彼は隣に立ち、同じボタンを押した。
ガタン、と鈍い音が落ちる。

缶を取り出しながら、低く息をこぼして言った。

「黒崎部長、何考えてんだよ。
急ぎでもない仕事、あんなに押し付けて……」

違った――
そう思った瞬間、息が抜けた。

「終電には間に合わせるって言ってたけど……
あの感じだと、結局間に合ってないよな」

安堵した自分に、胸が軋む。

……本当に、どうしようもない。

目を伏せたまま、温い缶に口をつけて、小さく答えた。

「……うん」

短く息を吐く気配。

伏せたままの私の視界に、
彼が強く握りしめたコーヒーの缶が映る。

「黒崎部長……白石さんに、少し当たり強くないか。
この前は『期待してるだけだ』って言ったけど……
あれ見てると、ちょっと気になってる」

苛立ちを隠しきれない、低い声。

怒りだけじゃない。
その奥に滲む彼の想いに、触れてしまう。

「かばったつもりだったんだけど……。
どう見ても、おかしいだろ」

彼は一口飲み、まっすぐこちらを見た。

「……無理、させられてないか?」

彼はいつも、優しさと、正しい道をくれる。

「……俺、話してみようか」

今の汚れてしまった私には、
その優しさが、鋭い刃のように突き刺さる。

「……ありがとう。でも、大丈夫」

彼は何も言わず、ただ何かを待つように、
こちらを見ている。

その視線が、さらに私を追い詰める。

彼の視線の先にあるものを、
私はもう、受け取ることができない。

缶を持つ指に、力を込め、
目を伏せたまま、口を開いた。


※この物語は、エブリスタで完結済です。
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