『顔も見たくない』と振られた御曹司に十年越しで執着されていました
 たしかに、お互い苗字しか名乗っていない。年齢と簡単な経歴を話しただけで、勤め先も明かしていないから少し話したところで問題はないだろう。どうせ、この場限りの酔っ払いの愚痴で終わるはずだ。

 照明に照らされた濃いブラウンの瞳が、まっすぐにこちらを見ている。なぜかその色に触れたことがあるような懐かしさを感じて、胸の奥が微かに疼く。

 不思議と、この人に話せば楽になれる気がした。

「実は……」

 誘惑に抗えなくなった紗月は、自分の状況についてポツポツと説明を始めた。

 紗月が勤めているのは、業界内ではそれなりの存在感を持つ中堅のIT企業だ。業績は悪くないものの、残業や休日出勤が常態化しており、辞めていく人間が後を絶たなかった。

「元々経営層が『若い社員は多少の残業は大丈夫だ』、という考えみたいで……世の中、ワークライフバランスっていうけど、うちはワークワークバランスなのよね」

 グラスを片手に、紗月は力なく笑う。

 さらに、半年前に上司が代わってから労働環境が悪化し、毎日追われるように業務をこなす現状を説明する。

「転職するという選択肢はないのか?」
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