『顔も見たくない』と振られた御曹司に十年越しで執着されていました
 その瞬間、これまでどこか作り笑いだった航生の表情が蕩けるようにほどけ、その場にいた誰もが息を飲む。紗月にとっては見慣れているはずの笑顔。なのに、あまりにも幸せそうだから胸は否応なしに切なく絞られる。

「では、失礼します」

 そう言い残し、航生は紗月を連れてその場をあとにした。

 すると、好奇心が抑えられなくなった招待客が次々とふたりに声を掛け始めた。その都度航生は卒のない笑みを浮かべて対応し、紗月を紹介していった。

「疲れただろう?」

 人が途切れたタイミングで航生は声を掛けてきた。

「なんとか……航生くんは?」

 取り繕い続けて攣りそうな表情筋を指先で抑えつつ隣を見上げると、彼も少しだけ疲れた顔をしている。

「会議で滅多に長い時間人と話さないから、嫌になってきたな。もう、今日の目的は果たせたし、そろそろ帰らないか」

「うん、わかった。じゃあちょっとお化粧室に行ってくるね」

 紗月は彼にそう告げて広間を出た。

 化粧室の個室を出た紗月は、洗面台で手を洗いながら、先ほどの航生の言葉を思い出していた。

(ずっと好きだった女性、なんて……あの場を収めるために、少し大げさに言っただけよね)
< 183 / 235 >

この作品をシェア

pagetop