『顔も見たくない』と振られた御曹司に十年越しで執着されていました
『もし、紗月が気に入らないなら、ここは売って違う場所に家を買ってもいいよ』

 なんでもないように言われ、紗月は慄きながら頭を横に振った。

(いわゆる勝ち組なんだろうな。私と同じ年なのに……)

 無職の自分と比べ、大きすぎる差を痛感し遠い目になる。

 五年間働いた会社を辞めたのは先月末。ここへの引っ越しを終えたのはつい一週間前だ。

 それと同時に航生は婚姻届けを役所に提出し、紗月は大須賀紗月になった。

 左手の薬指には航生が用意してくれた結婚指輪が光っている。再会から一か月半足らずで紗月の人生は大きく変わった。

 慌ただしく駅に駆け込み満員電車に揺られる生活も、機械の一部になったように業務を回し続ける日々も終わった。課長から叱責の声が飛んでくることもなければ、理不尽な指示に神経をすり減らす必要もない。

 航生の妻として彼の帰りを待つだけでいい。すべてから解放されたのだから、もっと喜んでいいはずなのに。

「……なにをしたらいいかわからない……」

 ソファーのクッションを抱きしめながら、出たのは弱々しい声だった。
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