極甘社長にほだされても二度と秘書はやりたくない
「本日はありがとうございました。それではお時間までご歓談をお楽しみ下さい」

藤沢さんの挨拶と乾杯が終わり、司会の今野さんがアナウンスをすると場内がざわつき始めた。立食形式の簡単な食事も用意しているため、おいしそうな料理には人が集まっていた。私はといえば、藤沢さんに挨拶に来る人と名刺交換をするという仕事がある。

(どんな話してたかも覚えておかないとね……)

これは私なりのやり方だけれど、頂いた名刺にどんな話をしたかなどの些細なことを後日メモするようにしている。案外人ってそんなどうでも良いことを覚えてもらっていると嬉しいものだ。
臨時とはいえ、これが秘書として最後の仕事だと笑顔を忘れずに話を頭の中に記憶していく。
一人会話を終えるとそれを見計らって次の人が話しかけてくる。藤沢さんはいつもの穏やかな笑みを絶やさず、会社名を聞いただけで相手の業務内容の話を振っている。

(ちょっと喉渇いちゃったな……。藤沢さんもずっと話してるし……)

人が途切れたタイミングを見て「飲み物を取ってきます」と一言断ってその場を離れてた。今日はシャンパンやビールも振る舞われているけれど、お水の方が良いだろう。

「すみません、お水二つお願いします」
「はい、かしこまりました」

飲み物を提供しているバーカウンターで水を二つオーダーしてその場でしばらく待つ。

「あれ? なんでお前こんなところいんだよ」

その口調と声に、一瞬、自分の耳を疑った。


振り向くと、そこにいたのは前の会社の社長……R&Mの山川大悟(やまかわだいご)がいた。なんでここに……と思ったけれど、通信販売会社と在庫管理システム。今思えば全くの無関係ではない。ここにいてもおかしくはない。
隣にいる女性に見覚えはないけれど、恋人なのだろう。彼の腕にぎゅっとまとまわりついて、派手な髪型とメイクは私とは正反対だ。ますます私は浮気相手だったことに納得してしまう。

「山川……さん」

どう呼んでいいか分からずに少し迷って名字で彼の名を呼ぶ。すると彼はあざ笑うかのように見下した表情を浮かべた。

「へぇ、お前この会社に転職したんだ。品質は良いみたいだし、見る目はあるな」
「その節は……ご迷惑をおかけしました」

咎められているわけではないけれど、こう言って場を穏便にやり過ごすのが懸命だと判断した。

「まぁな~。勝手に勘違いされるし、急に会社まで辞めらるしで、迷惑かけられまくり。あ、お前の私物まだあるんだけど、捨てて良いよな?」

開場がざわついているのをいいことに、彼は小声になることはなく普通の音量で話しかけてくる。通りがかったら話の中身が聞こえてしまうのではないかと、感情を乱されないように作り笑顔を浮かべた。

「荷物の件は好きにしてください。それと、法律上、2週間前に退職の意思を示せば退職できるはずです。それと、引き継ぎの資料は漏れなく作成したはずですので」

そうだ、あの日家を追い出されてから勝手に会社を辞めてしまっても良かった。けれど、せめて社会人としてやることはやらなければと心を殺して引き継ぎ資料まで作成した自分を褒めたい。確かに人事には迷惑をかけてしまったけれど、それでも違反はしていない。

「はいはい、お前はそういうところが頭固いんだよな。ま、どっちにしろお前の姉と近づきたかっただけだからさ~、いいんだけど。CAと一度くらい遊びたかったんだよな~」
「は……?」

その言葉を聞いて冷静だった頭にかーっと血が上っていくのが分かった。とにかく目の前にいる男はクソ男だ。恋人であろう女性がとなりにいるのに、私の姉に手を出そうとしていたとはとんでもない。

「それにお前また秘書やってんのか。相変わらず社長が好きなんだな。玉の輿でも狙ってんの? 引っかかる奴も引っかかる奴だけど」

我慢の限界だった。私のことならどんなに悪く言われたっていい。けれど姉や藤沢さんのことまで悪く言われたら黙ってなどいられない。

「いい加減に……!」
「あぁ、ここにいたんだ。水、持ってくるのに随分時間がかかってるね?」
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