極甘社長にほだされても二度と秘書はやりたくない
藤沢さんに連れて来られたのは客室だった。

「ここだよ」

控え室がついていないホールの利用だったので、ホテルの一室を貸してくれたのだという。それにしては高層階で広い部屋だなと眼下に広がる夜景を見つめていると、ガチャンと部屋の扉がしまる音が聞こえたのと同時に身動きが取れなくなる。

「……ふ、藤沢さん? どうしっ……んっ……」

顎を掴まれると唇を塞がれた。噛み付かれるような激しいキスに着いていくのがやっとでぎゅっとスーツの裾を握ってしまう。

「……あいつと、付き合ってたの?」

唇が離れるとかすれたような声が耳元を掠める。ぞくりと背筋をなぞり、なぜだか泣きたくなった。

「昔の……話です。それに、私が勘違いしてただけで……」

それでもあの時は本気だった。自分が公私ともにパートナーだと思っていたから仕事も頑張れたし、家のことも手を抜かないでいた。あんな男だとしても、今は何とも思っていなくとも、一時は本気で、好きだった。それは紛れもない事実だ。

「何で、教えてくれなかったの?」
「本当に今日偶然会ったんです。それに、藤沢さんがそんなに気にすることじゃないですから」
「……何で?」
「だって、私たち、付き合っているわけじゃ……」

ない、そう言おうとしてまた藤沢さんの唇が重なり言葉を遮られた。さっきよりも咥内を貪るようにまるで食べられてしまうのではないかいう勢いに息をするのも忘れそうだ。

「ねぇ、恋人だと思ってたの俺だけだったのかな? もっと君を愛してるって伝えないとダメ?」

その甘い言葉に、切なそうな表情に、心臓がドクドクと音を立てる。藤沢さんには二宮さんがいるのに、なぜそんなことを言うんだろう。もしかしてマリッジブルーなのかなとか、私にはまだバレていないと思っているからそんなことを言うのかなとか考えてしまう。
でも……。

(藤沢さんが求めてくれるのなら、これが最後だから……)

何を信じていいのか分からない。今目の前にいる藤沢さんは酷い男なのかもしれない。それでも、私は手を差し伸べられたら、その手を取ってしまう。

「何度でも君に気持ちを伝えるから、逃げないで」

その言葉を最後に私たちはベッドになだれ込んだ。
今は藤沢さんから与えられる熱に浮かされて、愛されることにすがりつきたかった。


(今、何時……?)

喉がカラカラに乾いて目が覚めた。見慣れない天井にシーツが乱れたベッドを見て、昨晩のことを思い出す。ベッドの下には衣類が放り投げられていて、生々しくその情景が浮かんでくるようだ。ソファには私のバッグ一式も置いてあった。
スマートホンを見ると時刻は午前5時。そしてメッセージの着信が入っていることに気付いた。

『明日なんだけど、成田まで迎えに来てくれる? お土産もあるし、そのまま一緒に家行けばいいしね』

姉からのメッセージだった。日付を見ると土曜日に変わっている。
懇親会がどうなったのか気になったが、もう秘書としての仕事も終わったんだ。
だからこれ以上藤沢さんと一緒にいる必要もなくなる。
散らばった衣類を集めて音を立てないように着替える。

(藤沢さんのこと、好きでした。どうか、お幸せに)

まだ隣で眠っている藤沢さんの前髪を上げて額にそっとキスをした。
それが私から藤沢さんにできる、精一杯の愛の伝え方だった。

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