ココロホームへようこそ
「海行きたいよなー、海」
「心乃ちゃん、まだ七月上旬だよ」
診察待ちでパイプ椅子に並んで座っていると、隣で熱心に雑誌を見ていた心乃ちゃんが、唐突にそんな提案をしてきた。
「ほら見てこれ。夏コーデ特集。これとか可愛くない?」
雑誌をぐいっと目の前に突き出される。
白いワンピースに麦わら帽子。いかにも“夏”って感じの涼しそうなページ。
「可愛いね〜」
「ビーチバレーとかしたい」
ビーチバレーか〜……!
白い砂浜に、青い空。
足元は少し熱くて、でも海風が気持ちよくて。
「楽しそう!」
……でも、人多いのちょっと怖いかも。
「そういや、ホームの行事で海あったよな」
「あー、あれ参加したい」
​夏になると、ココロホームの行事としてみんなで海に行く小旅行があるらしい。職員さんも付き添ってくれるから、安心して楽しめそうだ。
「ま、その前に期末テスト終わらせんと」
聞きたくなかった期末テストという単語に、頭が真っ白になる。
さっきまで頭の中に広がっていた青い海が、一瞬でかき消えた。
私はまだ中学生だから、テストは先生がここに持ってきて受けれる。だけど、高校生の心乃ちゃんはそうはいかない。ちゃんと学校まで行って受けないと単位が貰えないのだ。
「留年回避しないと……出席日数ギリギリの毎日登校マジ無理」
「頑張れ、高校生!」
「他人事だと思って……」
心乃ちゃんはぐったりと背もたれに体を預けた。
顔を覆って、指の隙間からこちらを見る。
「理世、ウチの代わりに行ってほしいなー……なんて」
「無理だよ!?じゃあ、私の学校行ってくれるの?」
「中一でしょ?勉強はよゆー」
ビシッとドヤ顔で親指を立てる心乃ちゃん。
そりゃ、高一にとっては中一の問題なんか簡単だと思うけどさ……それに、もうすぐ夏休みが始まるし。
「……あ」
ふと気づいて、顔を上げる。
「夏休みってことはさ」
「ん?」
心乃ちゃんが雑誌から顔を上げる。
「テスト終わったら、結構自由じゃない?」
「……あー」
心乃ちゃんは少しの間、頭の中でカレンダーを思い浮かべるように視線を泳がせ、それからニヤリと悪巧みをするような笑みを浮かべた。
「つまり?」
「外出許可取ったら、学校のことなんか忘れて思いっきり遊べるくない!?」
「お〜!天才じゃん」
ぱっと顔を輝かせて、心乃ちゃんが身を乗り出す。
「ショッピングモール行って、理世とお揃いの服を買ってー……海行く!」
「心乃ちゃん、センス良いもね〜」
「いや〜、楽しみですなー……!」
二人でキャーキャーと盛り上がっていたら、通りかかった職員さんに「静かにねー」と優しく注意されてしまった。それと同時に、タイミングよく診察室のドアが開き、心乃ちゃんが呼ばれた。

「というわけで!四人で夏休み、どこか行こう!」
その日の午後、談話室で行われた臨時のテスト勉強会の最中。心乃ちゃんが息抜きと称して、派手なシールが貼られた『夏休みの計画ノート』を机の上に広げた。
その周りには、数学のノートやカラーペン、開きっぱなしの英語の教科書が散らばっている。
私はというと、鉛筆を持つ手がすっかり止まってしまい、頭の中は早くも夏休みのことでいっぱいになっていた。
「海に行くのは確定として、どこ行きます?」
「アメリカ」
「軽井沢で避暑」
「ショッピングモール」
「見事にバラバラですね……」
カイジくんは計画ノートの隅にそれぞれの案を素早くメモしながら、呆れたように細い肩をすくめた。
「清次郎くん、アメリカってどうやって行くの?」
「オレの家にはプライベートジェットがあるのだ!」
「へぇー、凄いねぇ」
清次郎くんは涼しい顔で腕を組みながら、ドヤッと胸を張る。設定のスケールがいつも通り大きすぎる。
「いつでも行けるぞ。まあ、今回は別の案で手を打とう!理世くんは何かあるか?」
「あ、私ね、夏祭り行きたい!」
確か七月の下旬くらいに、ホームの近くの神社で大きなお祭りがあったはずだ。
「良いねー、浴衣着よ。OT(作業療法)の時にクマ吉にも浴衣作ったんよ」
「マジ?心乃ちゃん、手先器用だね〜」
「まぁね」
心乃ちゃんは照れくさそうに、そっぽ向いた。
「そういえば、ニュートンは夏祭り行くのか?」
「ええ、行きますよ」
カイジくんが平然と答える。夏祭りの人混みの中、浴衣姿の男子高校生の肩にちょこんと乗っている緑色のカメレオン。
私たちは見慣れているけれど、一般のお客さんが見たら二度見どころじゃ済まないかもしれない。
「……いやぁ、想像しただけで面白すぎる」
思わず吹き出すと、談話室は笑いの渦に包まれた。
「ニュートンは僕の情緒安定剤なんです。だから一緒です」
「ウチのクマ吉みたいなもんか」
納得したように頷く心乃ちゃん。
「夏休みどこも行かなくても、何かしたいよな」
数学のワークを解いていた清次郎くんが呟いた。
「例えば?」
「映画作る」
「「「え?」」」
三人分の声が綺麗に重なった。
私は思わずシャーペンを落としそうになって、慌てて握り直す。
「……映画って、あの映画ですか?」
「そうだ。脚本を書いて、撮影して、編集して……一本の作品にする」
清次郎くんはさらっと言ってのけるけど、言ってることのスケールが大きすぎる。
カイジくんが目を瞬かせた。
​「面白い試みだとは思いますけど、……正直、めちゃくちゃめんどくさいです」
「それな」
「機材とか持ってないしなー」
映画撮影は却下になったことで、清次郎くんは「なぜだ」とでも言いたげに眉をひそめた。
「撮影とか絶対めんどいじゃん」
心乃ちゃんが机に頬杖をつきながら言う。
「編集とかもよく分かんないし。絶対途中で飽きる」
「それに、機材がありません。スマホで撮るにしても限界がありますし」
「ぬぅ……」
​集中砲火を浴びて、清次郎くんは腕を組んだまま、目に見えて分かりやすく落ち込んでしまった。
「どんなの考えていたの?」
少し可哀想になってきたので、慰めるつもりで尋ねてみると、彼は一瞬でパァッと満面の笑顔に戻った。
「わー、単純」
「失礼だな!」
清次郎くんはむっとした顔をしたものの、すぐに咳払いをひとつして、いかにも“語ります”という姿勢になり、語りだした。

荒野の乾いた風が吹きすさぶ、荒涼(こうりょう)としたワイルドウエストの町。
人の少ない酒場へと、一人のカウボーイが入店してきた。
彼の名前は清次郎。凄腕のガンマンだ。
店の壁には至る所に『デッド・オア・アライブ』と書かれた彼の手配書が貼られている。清次郎くんは、指名手配中のお尋ね者なのだ。
それを知りながらも、マスターのカイジくんは彼を店に受け入れ、カウンターを滑らせてぶどうジュースを清次郎くんに渡した。
清次郎がぶどうジュースを口に運ぼうとした瞬間、入り口のドアが勢いよく開き、町娘の私と心乃ちゃんが焦ったように入って来た。
「保安官が暴れてる!」
「あんな保安官、自業自得や!」
清次郎は動じることなくグラスを置き、静かに酒場の外へと歩み出る。
そこには、最近評判の良くない保安官が暴れていた。
保安官を乗っ取っているのは、この地域一帯から厚い支持を集める神のクマ吉だ。
清次郎くんは銃をカチャカチャと鳴らし、保安官と対峙(たいじ)する。
「決闘でもするんですか?」
酒場から出てきたカイジくんが、戸惑ったように二人の顔を見比べる。
そう、今から清次郎くんと保安官は決闘―――悪霊払いを始めるのだ。

「「却下」」
私と心乃ちゃんの声が重なる。カイジくんもその案に反対なのか、渋い顔をしている。
「最初の場面は良かったんですけど……ね」
「なんか、うーん……って感じ」
「まず、クマ吉を悪霊呼ばわりすんな」
心乃ちゃんは半目で清次郎くんを睨みつける。
みんなからボコボコに言われて、清次郎くんは机に突っ伏して不満そうだ。
​「さっき『神のクマ吉』って言った直後に『悪霊払い』って言ったよね? クマ吉が神様なのか悪霊なのか、設定がブレブレ」
​心乃ちゃんが容赦なく追撃のトドメを刺すと、突っ伏した清次郎くんの背中に、今度こそグサッ、と目に見えない大きな刃が突き刺さった気がした。
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