花咲く森のから騒ぎ

11

 夕焼け色に染まった畑の向こう側にあの森が広がっている。私とジョシュアは、馬に乗り、小川を飛び越えて急いで駆けつけた。かなり急いだけれど、森で待ちくたびれたのか、ケイティはカンカンになって怒っていた。

「ちょっと! あんた達、ずいぶん遅いじゃないの! 何日、野宿させれば気が済むのよ!」

「姉貴、うるせぇな! 昨日、パンと水は充分運んでおいたし、この時期なら、野宿をしても寒くないはずだぜ。毛布も渡してあるだろう!」

「あたしはね、見ての通り都会育ちの人間だもの! 屋外の生活なんて真っ平御免なのよ! チェルシーは嬉しそうに野いちごを摘みながら微笑んでいたけど、あたしは、なーんにも楽しみがなくて退屈しちゃったわよ!」

 ケイティは、一通り文句を言ってから、ちょっと真面目な顔つきでジョシュアを抱擁していく。その横顔はいつになく優しかった。無事に帰ってきたのが嬉しいのね。

 ケイティが尋ねた。

「ジョシュア、うまくいったのよね?」

「ああ、バッチリ」

「おかえりなさい。二人とも無事で良かったわ」

 そして、今度は、私の顔を見つめて微笑んだ。

「マイラ、あんたもご苦労さん。さぁ、もう時間がないわよ」

「ジョシュア! 無事で何よりだわ」

元の身体に抱きつくチェルシー。何の躊躇もなく、すぐさまキスをしたのだ。この二人は手馴れている。美男美女のキスシーンといった感じだ。

「ねぇ、もういいでしょう!」

私は、胸が焼きつくような痛みを感じて二人を引き離していく。

「何だよ! マイラ、おまえ、もしかして嫉妬しているのかよ!」

 そう呟くジョシュアの声は、もうすでにジョシュア自身の声だった。赤い花の下で唇を重ねた二人は自分の身体を取り戻している。

「マイラ! ねぇ、あんたも早く元に戻ってよ!」

 ケイティは、失神している『マイラ』の身体を抱き起こしつつ、私に向かってしきりと催促している。

「さぁ、とっとと、口付けしてちょうだい。時間がないわよ」

自分の身体を取り戻したチェルシーも泣きそうな声で懇願している。

「マイラ、さぁ、戻るのよ」

「……うん。分かっているわ」

 私も早く戻りたい。しかし、それでも、心残りなことがたくさんあった。もう少し、王子のままでいたかった。だって、救い出したい人達が他にも大勢いるんだもの。

 けれども、もう、そんなことをする時間がない。

 痩せっぽっちで男勝り。そんな私は子供の頃から強がってきたわ。ほんとうは、小屋での一人暮らしは寂しかった。

 ジョシュア達と一緒に暮らしたい……。

 妙な気分になる。魂と身体を分離させると、本当の自分のことも他人を見るような感覚で捉えてしまうものなのね。

 このマイラという娘はどこか寂しげな顔をしている。ああ、本当に妙な気分だった。これまで、私は、こんなにハッキリと自分の姿を見ることなど一度もなかった。ていうか、たいていの人間はみんなそうだ。

 へーえ、わたしって、こんな寝顔なんだね。そうなんだぁ。不思議だね。なぜ、涙が目に浮かぶのかしら、心が震える。わたしが、わたしへと還っていく。これまで感じたことがない、奇妙な愛しさが胸にこみ上げてきた。

 私は、正直なところ、冴えない自分のことなんてどうでもいいと思って生きてきた。平凡な人間だ。でも、そんな私を好きだと言ってくれるジョシュアのためにも、ちゃんと戻りたい。そんな気持ちが、ごく自然に胸に染み渡っている。

 今後、私が王子として生きることは無理だ。私は、秘密を抱えたまま生きていられるような人間じゃない。もっと立派な誰かが、国を治めるべきなのよ。

「だから、今後はマイラとして最善を尽くすわ」

 苦笑してから、私は、自分の身体を抱きかかえて顎をクッと持ち上げ王子に口付けていた。

 一度目は、好きでもない王子とのキスにゾッとしたわ。

 でも、今は、違う。神聖な儀式を行うような気持ちだわ。あてもなく彷徨い続けた魂が、きちんとあるべき場所に帰り着く。これは、きっと体験した者にしか分からない感覚だと思う。

「あら?」

 元に戻ったという確かな気持ちを実感しながら顔を上げる。すると、七色の鳥が枝の先端に止まっている様子が視界に入った。

 足首に、銀の細い輪が巻かれている。あれはダビデだわ。いつのまにか来たのね。

 これでみんな、元に戻ったわと安堵していると、チェルシーが青褪めたのよ。

「マイラ……。た、大変よ」

 チェルシーが私に抱きつくと幽霊を見るような目で私の背後を指差している。ジョシュアも苦悩するように頭を抱えている。

「あ、やべぇ……。なんで、あいつがここに?」

 なぜなら、低木の向こうにアンがいたからだ。しかも、親しげに微笑んでいる。

「あらあら、お邪魔でしたかしら?」

 アン王女は、一体、いつからここにいたのだろうか。おやおや、アンの背後から従者や侍女の声が聞えてくるではないか。

「うふふっ。見ましたわよ。今、チェルシー以外の娘が接吻をなさいましたわね。まさか、お兄様の真の恋人が、そちらの女性だったなんて……。まぁ、何てことでしょう!」

 半分、驚きながらも、どこか面白がっているような声だった。

「お兄様ったら、ボーイッシュな女性がお好みでしたのね? 知りませんでしたわ」

「あっ、いや、こ、これは……」

 もう王子じゃないのに、私は、王子の口調で何か言い訳しようと焦ってしまう。しかし、冷静なジョシュアがアンに向かって、すぐさま嘘をついていた。

「いいえ、ここにいる森の娘が、王子様にお薬を飲ませてあげていただけでございます」

 さすが、ジョシュア。嘘が上手い。

「王子様は、過労の為、疲れ果てておられるのでしょう。貧血を起こしてしまわれたのです。ですから、元気になられることを願って、皆で、薬草をとりにきたのでございます。実は、このマイラは、俺の婚約者なのです。そんなことより、アン様、なぜ、ここに?」

 ジョシュアは、相変わらず平然と嘘をついている。

 むむっ? 婚約ですって?

 やだ。そんなのしていないと叫ぼうとしたけれども、そんな私を目で制してから、ジョシュアがアンに向かって尋ねていった。

「アン様、何かあったのですか? あなたは王都にお戻りになるとおっしゃっていた筈ですよ。まさか、また、何か事件が……?」

「いいえ、事件など起こっておりませんわ。もちろん、ちゃんと帰るつもりだったのですが、生憎、街へと続く橋が壊れていて通れなくなっていたのです。だから、仕方なく、この村に戻ることにしたのです。それで、お兄様の行方を捜したところ、この森に着いたのですわ。えっ、何ですの!」

 アンの顔に頭上から舞い落ちてきた枯葉が張り付いた。アンは、やだーと言いながら葉っぱを手にしている。

「うっ……。ん……」

 不意に、横たわっている王子の首筋がヒクっと震えた。

 日が傾いたせいだろうか。周辺の空気がひんやりしている。夜風が皮膚を刺激したのかもしれない。

 運の悪いことに、王子が目を覚ましかけているではないか。このタイミングで目を覚まされると困るのよ! もうちょっと待って欲しかった。よりにもよって、ここで、王子が意識を取り戻すと、こちらは非常に困ってしまうのだ。

 こうなったら、また、わたしが王子に戻るしかないわね!

 そう思って振り向いた時、また、サーッと風が吹いた。それは、かなり強い風だった。そのせいなのだろうか。赤い花がいっせいに舞い散っている。

 どんどん降り注ぐ赤い花びら。もうすぐ、花の季節は終わる。最後の一枚が地面に落ちたなら、もう、おしまいだ。王子は、今、私の膝を枕にして眠っている。

 その王子の頬に手を伸ばそうとする。すると、鳥がヒステリックに叫んだ。

『余が王になる! 余が王になる!』

ひらひらと舞い散っている。幻想的な光景の中で。鳥が、警鐘を鳴らすかのように鳴き続けていた。

「あら、あれはアンの鳥ですわ! いつのまにここに?」

 アンが、その鳥を捕まえようと両手を伸ばしている。しかし、鳥は、アンを翻弄するように、枝から急降下して地面に横たわっている王子の顎先に止まっている。

『誰も犠牲にしない』

 それは、これまでとは違う口調だった。何、どういうこと?

私は、ただ、呆然とその様子を見ていた。

ヒラリ。最後の花が落ちようとしている。ツン、ツン。鳥が王子の唇を刺激している。

『余が王となる!』

そう告げてから、王子の分厚い唇をこじ開けていた。すると、王子は、その感触に気付いたのか、ビクッとしたように目を覚ましたのだ。ああ! 目覚めちゃう! もう、何もかもおしまいだわ……。

 アンや従者達の前で入れ替えることも出来ない。それに、赤い花は、もう、すべて散ってしまった。アンは沢山のフリルのついたピンク色のドレスの裾を揺らして王子のもとへと駆けつける。

「お兄様!」

 久しぶりに目覚めた王子の様子がおかしい。まるで、魂が宙を漂っているかのような曖昧な表情を浮かべている。死者の国から戻ったかのように空ろな目をしている。

「お兄様! どうなさったのですか?」

「……ここはどこだ?」

 王子は、怪訝な表情で周囲を見渡している。前髪についている枯れ草を落としながら、彼は言った。

「そこにいるのは、アン王女だな。しかし、それ以外の者達のことが分からぬ」

そして、起き上がりながら私に向かって告げたのよ。

「そこの者。余は、おまえを初めて見るぞ。おまえは何者なのか申してみよ」

「えっ……?」

 私は驚いて王子に尋ねていく。

「あ、あの、すみません。もしかして、王子は何も覚えておられないのですか?」

「覚えておらぬ。おまえ何者だ? 早く申せ!」

「わ、わたしは森番のマイラです。チェルシーの従姉でございます!」

「ああ、おまえはマイラというのか? 妙だな。どこかで見たような気もするが思い出せぬ」

 そんな王子にケイティが尋ねた。

「あ、あの……、だけど、王子、チェルシーのことは覚えておられますよね?」

 金髪の美しいチェルシーに視線を移すと、王子は物憂げに首を振っている。

「いや、分からぬ。その美しい顔に全く見覚えがないのだ。以前、どこかで会ったのだろうか。どこか懐かしい感じもするが、細かいことは分からぬ。なぜ、我が妹が、こんなところにいるのだね? 何をやっているのだ、アン? いつ、この村に来たのだ?」

「お、お兄様!」

 アンは、感極まったように王子に抱きついて叫んでいる。

「お兄様! きっと、悪人を追い払うために山を駆け巡ったせいで疲れ果ててしまったのですわね」

 そう言いながら涙ぐんでいる。

「別荘でお休みくださいませ。壊れた橋が直ったなら王都に戻りましょう」

 我々四人に関することだけがスポッと記憶から抜け落ちているようである。そんな都合のいい事が起こるとは……。

 嘘みたいだわ。こんなの信じられない。どうなっているの?

 私は奇妙な違和感を抱えながら王子の横顔を凝視していく。

 醸し出す空気が違うのよ。長い間、気絶していた王子は、凛とした顔で立ち上がっていた。我々のことなど振り返ることなく、アンと従者達を従えて歩いている。

 その後ろ姿には品格があり、身のこなしも優雅で、この人、本当に王子なのと言いたくなる。私の目には別人のように思えてならなかった。
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