花咲く森のから騒ぎ

12

 あの事件から三日が経過している。我々は、赤の森から帰る前にダビデを捕獲したのである。懐っこく、ダビデの方から近寄ってきたので捕まえるのは簡単だった。

どうやら、ダビデはチェルシーのことが気に入っているらしい。移動する間、チェルシーの肩に乗ってずっと鳴いていたのである。

「チェルシー! チェルシー!」

 あんなに賢かった鳥なのに、やけにやかましくて困ってしまった。

「アン様、ダビデをどうぞ」

 そうやって返した時、アンは喜んでいた。

『嬉しいですわ。さぁ、アンと一緒に暮らしましょうね』

 しかし、その数日後、アンはやつれていた。聞いたところによると、ダビデは、絶え間なく、ウイリアム王子そっくりの口調で、どうでもいいことを喋り続けているという。

『チェルシー、チェルシー!』

『ごはん。ごはん』

『アン、アン』

 こんな感じで短い言葉を繰り返しているらしい。

 とにかく、人懐っこいので、従者やメイド達からも好かれているけれど、残念な事に、前のようにチェスはしなくなったという。

 アンは嘆いていた。

「ダビデの声も変わってしまいました。前のような落ち着いた声で話してくれませんのよ。でも、アンとは仲良しですわ」

 変化したと言えば、一番、劇的に変わってしまったのは王子である。王子は、以前とは内面が大きく違っているのよ。なんか、不思議。ケイティ達も私と同じ複雑な気持ちを抱いている。

「ねぇ、何なのかしらね。頭を打ったせいで記憶喪失になっちゃったのかしら? ジョシュア、あんた、あの時、思いっきり殴ったじゃない?」

「いや、でも、殴られて賢くなったんなら、それはそれでいいじゃねぇのか?」

 ジョシュアが冗談めかして笑っているが、私達は、互いに首をかしげていた。私は不思議で仕方がないわ。

 私は、バルモア家の別荘で夕食をとりながら、みんなの顔を見回した。今朝、アンから近況を知らせる手紙が届いたのよ。

「ねぇ、みんな、それにしても変よね。王子は、どうして、森の中で起きたことだけをコロッと忘れちゃったのかしら。それに、気絶する前は、確かに右利きだったのよ。それなのに、今は、左手で字を書いているらしいわよ。アン王女の話によると、食べ物の好みも変わってしまったそうよ」

「あっ、分かるわ! それにね、王子は、以前は、クチャクチャ音を立てて咀嚼していたのに、今は、そんなことはしなくなっているのよね」

 ケイティは、意外にも細かいことによく気付くタイプなのだ。そうか。そんなことがあったのか。なるほどね。

「そうだよな。それに、王子の喋り方がぜんぜん違うんだよな。何もかも変だよな」

 ジョシュアも考え込んでいる。なぜ。こんなことになったのか、まるで分からない。頭のいいジョシュアにも、答えは容易に見つかりそうになかった。

 王子は、チェルシーとの婚約などなかったことにして城に戻ろうとしていた。しかし、帰る前、私とジョシュアを、なぜか、アルベール邸に招いてくれたのよ。

 もちろん、私とジョシュアは王子が待つアルベール邸へと馳せ参じた。

「おまえたち、ダビデを捕まえてくれたのだな。アンから聞いたぞ。余は、チェルシーに何かと迷惑をかけたようだな。余は、ここをバルモア家の者達に与えようと思う。バルモア家の長男であるジョシュア、そなたが受け取った方がいい。余はチェルシーを愛していたようだが覚えておらぬ。まことにすまぬ」

 王子に深々と謝罪されて、こちらが恐縮していた。

「あの、でも、ここはアン様が受け継ぐのでは……」

「それに関しては問題ない。余が、アンから譲り受けておる。そなた達も知っているように、暗殺者どものせいでチェルシーも命を落としかけたのだ。すべては余が至らぬせいである。それに、余の愛人というレッテルを貼られておるのだ。これから、何かと不便をかけることであろう」

 要するに慰謝料として譲渡するということのようである。

 そして、感慨深げにこう言ったのである。

「今年の夏は、いつもより賑やかだったな赤い花は、すべて枯れたな。鳥の季節は終わったのだな……」

 居間に飾られた美術品や絵画を、ぐるりと見渡してから私に向かって不意に笑いかけてきた。王子は唇の左端を歪めている。

「マイラ。おまえも欲しいものを言うが良い。ダビデを捕まえてくれた礼をするぞ」 

「あのっ、王子は覚えておられないかもしれませんが、今後も、塩の密輸で捕まってしまった少年や、魔女の烙印を押されてしまった者達を救ってあげて欲しいのです」

「余は、何も覚えてはおらぬが心配することではないぞ。余はこれからも弱き者を援助するつもりだ。悪の根は、すべて絶って良い国を作るつもりである」

 不思議なほどにピシャリと響いたのだ。何とも力強い声だった。

 嗚呼、なんて、神々しいのだろうか……。

 身体全身から、真の知性と気品が溢れている。

その、崇高なオーラや独特の雰囲気がアルベール公爵の肖像画の雰囲気に似ている。しかも、アルベール公爵の肖像画の前に立つ王子はアルベール公爵と同じポーズで立っている。

 本人は気付いていないと思うけれど、人には、それぞれ癖がある。アルベール公爵は、若干、首を右に傾ける癖がある。

 困ったわ。もどかしさが喉元を締め付けている。

 ああ、どう切り出せばいいのだろう。

 正面から聞く勇気が私にはない。私は、もどかしい気持ちで王子の顔を見つめるしかなかった。

「あの、王子、少しよろしいですか?」

 その時、ジョシュアが掠れた声で語りだした。

「唐突に、こんなことを言うのは恐れ入りますが、ど、どうぞ聞いてください」

 緊張しているのだろうか。ジョシュアの声が微かに震えている。王子は、そんなジョシュアを穏やかに見つめ返している。

「何でも申すがいい」

「お尋ねいたします。アルベール公爵はさぞ無念だったと思います。だけど、俺は、こう思うのです。アルベール公爵は、昔、この辺りを治めていました。ですから、あの森のこともすべて熟知しています。それに、憲兵達が来る事をあらかじめ知っていました。だから、甥を先に逃がしたのです」

「なんだね。そちは何が言いたい?」

「いえ。ほんの戯言でございます」

 ジュシュアは、王子の顔をまっすぐに見上げて喋り続けている。

「大昔の、ある鳥の年、森から帰ってきた人間は、空を飛ぼうとして高いところから落ちて死にました。あるいは、鳥の餌しか口にせずに餓死してしまった者も、過去にいたそうでございます。俺は、その話を、幼い頃、叔父から聞いたことがあるのです。あの森には人には知られてはならない秘密があります。これまで、何人もの人が、あの森で鳥になったそうでございます」

 ジョシュアは真剣な目をしている。真実を知ろうと必死になっている顔なのよ。

「人間の魂を鳥の中に隠すことも出来るし、そこに閉じ込めることも出来ると教えてくれたのです。忌わしい人間の魂をそこに封じ込める場合、それは監獄となり、高貴な魂を逃がす場合、そこは、魂の箱舟となると言ったのです」

 王子が、実年齢より深みのある口調で告げている。

「そうだな。魂は鳥に乗って天に上るとも言われている。鳥の中で一生を終える者も、ちゃんと、神の世界に旅立つことが出来ると、余は思っている」

 ジョシュアは、黙って王子を見つめ続けている。とても熱心にその顔を見つめている。何だか怖くなるほどに真剣な目で相手を、ただひたすら見つめている。

 王子は、どこか楽しげな表情を浮かべている。ジョシュアは緊張している。

「俺の叔父は知的で用心深い人でした」

 言いながら、少し切羽詰ったように、突然、声を上げた。

「実は、アルベール公爵にはミカエルという名の甥がおります。甥のミカエルは、狼に食われて死んだと噂されています。もし、ミカエルが生きていると知ったたなら、アルベール公爵様は安心されると思いますか?」

 王子は、ジョシュアの突拍子もない質問に対して、非常に穏やかに微笑んで答えている。

「アルベール公爵の腹違いの妹が産んだ子供、それがミカエルだ。ミカエルは、幼くして両親を亡くしている。乳母と共に忽然と消えた」

「その乳母はどこにいるのか知ってますか?」

「故郷で暮らしておるのではないかな」

 それを聞いたジョシュアがホッとしたように息をついている。

「余の父は、アルベールが謀反を起こしたと信じているが、余は、あのアルベールがその様なことをしないと知っている」

 なぜ、知っているのか……。それは、あなたが、アルベール公爵自身だから! 私は、こんな仮説を立てずにはいられない。

 アルベール公爵は、十二年前、王に捕らえられる前に鳥になり、妻のイヴォンヌがいる王城に住み着いた。そして、十二年後、王の息子と入れ替わって、次期、王となる……。

 そんな妄想だ……。

 むろん、どこにもそんな証拠はない。しかし、もしその推測が当たっていたら……。

 元々、政治能力にたけていた公爵ならば、側近たちに利用されることなくこの国を正しく治めることも出来るだろう。

 私は心に溢れる感情を抑えようとして拳を握り締めていく。ジョシュアは王子に向かって深々とお辞儀しながら気持ちを伝えた。

「王子様……。あなたに会えて本当に幸せでございます」

「うむ。余も、そなたたちと知り合えて嬉しいぞ。だが、しばらくは会えぬ。余は、王都に戻らねばならぬ」

「あっ……」

 去り行く王子に向かって、私は思わず呟いていた。

「あ、あの! 王子! お願いです。あの鳥を大切にしてあげてください!」

 ダビデの中に生きている人を愛してあげて欲しいのだ。もし、あれが本物の王子ならば大切にしなければ可哀想だ。すると、王子は静かに頷いた。

「余も、あの鳥のことは決して嫌っておらぬぞ。あれはあれで実に面白い奴だからな」

 彼は、懐かしそうに館全体を見返しながら告げている。

「しかし、もう、あの鳥はチェスには興味をなくしたようだな。その代わり、バレエやオペラに興味があるようだ」

 少し茶目っけのある微笑を口元に漂わせていた。まるで共犯者のように、こちらを見つめている。その表情を見て確信した。彼は、鳥になって、私達をサポートしてくれたのよ。

 最愛の妻を王族に盗られた男は、その悲劇を繰り返してはいけないと思ったのかもしれない。

「皆の者、余に会いたいと思ったならば、いつでも城に遊びに来るが良いぞ」

 そして、ウイリアム王子は居間に飾ってあったイヴォンヌ夫人の肖像画へと視線を移したのだ。優しい眼差しを向けて微笑んでいる。

なんていえばいいのかしら。長い歳月を経て、ようやく巡り合った恋人を見つめるような、そんな切ない目をしている。

「美しい婦人だな……。おそらく世界で一番美しい婦人であろうな」

 栗色の髪。百合よりも白い肌。子鹿のような聡明な瞳。誰よりも愛しいとでも言いたげに見つめ続けている。王子は、長い間、その肖像画を眺めていたが、やがて、凛とした足取りで馬車に乗り込んでいった。

「さぁ、名残惜しいが、そろそろ帰るとするか。ではまたな……。まことに楽しい休暇であったぞ」

 今まで見せたことのないような知的な顔つきで、ウイリアム王子がこちらを見返す。
ああ、本当のことは分からない。

 アルベール公爵が王子となったのか……。それとも、王子が頭を打ってまともになったのか……。わたしには、まるで分からない。でも、きっと、これで良かったのよ。

 こうして、不思議な鳥と共に王子は去っていったのよ。王子の変化の真相に関しては分からない。彼は果たして、アルベール伯爵なのだろうか? それとも違うのか?

 いずれにしても、私達はお咎めなしの状態で、しかも、これからは王族の援助を受ける身分となったのだ。

  
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