花咲く森のから騒ぎ

2

 森の呪い。それが何なのかを語る前に、ジョシュアと我々との出会いについて語らねばなるまい。

 うちの母方のおばぁちゃんは公爵家の森番として暮らしていた。

 赤の森と青の森と呼ばれる二つの森の狭間に、私達の小屋がある。そう、あれは、十二年前。私が七歳になったばかりの夏だった。

 私の住む村の領主様であるアルベール公爵が謀反を起こした罪で捕まってしまったのだ。それはそれは大変な騒ぎだったらしい。

 あの時、アルベール公爵の下男や執事といった人達が逃げ惑った。奉公人も含めて全員が王様の部隊に捕らえられることになったらしい。

 その日、おばぁちゃんと私は、そんな騒ぎなど何も知らずに、小屋の前の小川で洗濯をしていた。すると一人の若い娘が雑木林へと駆け込んできた。二十四歳ぐらいの娘の背後には四歳ぐらいの愛らしい少年がいた。

 若い娘は少年の乳母のようだった。栗毛の少年は真白な綺麗なシャツと茶色の半スボンを身につけていた。少年をおばぁちゃんに見せながら悲しげに告げた。

「わたくし達は憲兵たちに追われております。しばらく、この子を匿ってもらえませんか」

 若い娘の言葉を聞いて、おばぁちゃんは慌てた。

「困るよ。あたしゃ、見ての通り、日々の生活に精一杯なんだよ。忙しいんだよ。あんたは何者なんだい?」

「お察しくださいませ。お願いします。憲兵が、もしも、あたしのことを尋ねたなら、北の方角に逃げたとお伝えください。この子を、ここで育ててやってくれませんか?」

「あんた、何を言っているのさ! あたしなんかに、そんな余裕はありゃしないよ」

 おばぁちゃが及び腰になるのも無理はない。

 こんな子を匿うと、こっちまでとばっちりを喰らうことになる。とはいうものの、この人はこんなにも疲弊している。可哀想になってきたのか、おばぁちゃんはコップを差し出した。

「水でも飲みなさい。この少年がどこの誰なのか、ちゃんと話してくれないと困るんだよ。坊や、おいで。粗末な黒パンでよければ、ほら、お食べなさい」

そんなふうにして、おばぁちゃんが子供に食事を与えていると、いつのまにか若い娘は走り出したのだ。追いかけようとして、おばぁちゃんは椅子につまずいて転んだ。いてて…と腰を押さえて蹲っている。

「なんてこったい!」

林の向こうへと消えた娘の行方を追いかけようとしたのだが、少年が、おばぁちゃんのスカートを乱暴に引っ張って引き止めた。

「おい、ばばぁ」

 ばばぁ。口の悪い子供だなと、私は思った。

「オシコ! ここでするぞ」

「とんでもないよ。オシッコは外でしなさい。樫の木の後ろの茂みでするといいよ」

「ばばぁ! うんこはどこでするのさ」

「あんた! その態度は何だい!」

 不遜な口の利き方にムッとなったおばぁちゃんがピシャリと叱った。

「あんた、行儀良くしないと人買いに売っちまうよ!」

「やーだよ! そんなことしたら僕は逃げ帰るもーん。ばーか!」

「こらこら、走り回るのはおやめったら! なんてこったい! 坊や、名前は?」

 すると、男の子はプイッとそっぽを向いてしまった。上目になりながら口をつぐんでいる。

「どこから来たんだい? あの女は誰だい?」

「知らない! 僕、なーんにも知らないよ。僕、馬鹿だから忘れちゃったよ」

「あんた、馬鹿なフリするのはおやめ」

「うるせー。ばばぁ。僕は本物の馬鹿なんだぞ」

 ああ言えばこう言う。憎たらしい言葉を返しているけれど、その目は必死で、子供なりに何とか誤魔化そうとしているようなのだ。頑として口を割ろうとはしなかった。

 これでは埒が開かない。おばぁちゃんは、やれやれとばかりに座り込みながら苦笑する。

「いやはや、どうしたものかね。名前がないというのは不便だねぇ」

「おまえらが僕の名前をつけろよ」

「それじゃ、マイラ、あんたが適当な名前をつけておくれよ」

「うん。それじゃ、死んだ弟の名前を付けるね。ジョシュアがいいわ!」

 私の両親と弟のジュシュアは私が四歳の時に腸チフスで亡くなっている。それからは、母方のおばぁちゃんと二人で暮らしてきたのだ。

「とにかく、今夜はうちに泊まるといいさ」 

 仕方なく、おばぁちゃんは少年を受け入れたのである。その日の午後、細い道の向こう側から頑丈な四輪馬車が林道を抜けてやってくるのが分かった。けたたましい車輪の声が響いたかと思うと、それは、うちの小屋の前に横付けされたのだ。

「ごきげんよう。お母さん、お久しぶりね。いつも申し訳ないわね。うちのチェルシーちゃんを預けるわね」

 陽気な笑みを湛えながら現れたのは、モード商の妻である叔母のエルザ。叔母は、私の母の妹である。この村で生まれ育っているのだが上京してメイドとして働いていたところ、今の旦那さんに見初められて結婚したのだ。

「あらー、マイラ、相変わらず、あなたは背が高いわね」

 この間、ジョシュアは小屋の天井裏に隠れていた。

「叔母さん、今日もお洒落ね」

「そうでしょう。これを仕立てた御針子は宮廷貴族の婦人達から絶大な信頼を得ているのよ」

 頭には孔雀の羽のついたツバの広いエレガントな帽子を被っている。やけに着飾っているエルザ叔母さんは、汚くて狭い小屋の中には入ろうとしなかった。うちの小屋は煤だらけだから無理もない。

 我が国の貴族や富裕層は流行に敏感だ。

 その年によってドレスの形や靴のデザインも変わる。我が国の貴族達は、一度、舞踏会で身につけたものは二度と着用しない。

 元々、叔父は富裕層に向けてドレスの生地やリボンなどの卸売りをしていたのだが、数年前から、叔母夫婦は、我が国の貴族からそれらのドレスや靴を安値で買い取ると、それを転売するようになっていた。

 海の向こうにいる辺境地の外国人の貴族や豪商達は、それらを喜んで買ってくれるという。

 チマチマと生地や小間物を売るよりも儲け率が高いのか羽振りがよくなっている。

 馬車で三時間ほど北に港があるのだが、出航の時刻を気にしているのか、叔母は娘のチェルシーとハグしながら指示していた。

「ママは、もう行かなくちゃいけないわ。いい子にしてるのよ。チェルシー、毎晩の歯磨きを忘れないでね」

「うん。分かった」

 チェルシーは両親と別れることを気にしていない。普段から、叔母達は忙しくてチェルシーの相手を殆どしていないから、お留守番に慣れているのだ。ちなみに、その頃、長女のケイテイは女子修道院で暮らしていたのである。

 待ちくたびれたように馬車の中から叔父が告げた。

「エルザ、もう時間がないぞ。早くしないさい」

「そうね。それでは、ごきげんよう」

 叔母は窓から手を振って去っていく。叔母達がいなくなった後、私は、叔母が手土産として持って来た小麦やジャガイモや塩や砂糖の入った箱を覗き込む。 

 屈強な御者が、様々な食料の詰まった木箱を小屋の前に置いてくれたのである。

 叔母は、こうやって定期的に食料を差し入れしてくれる。おばぁちちゃんにお金も渡してくれるおがて、こちらとしては助かっている。

「おい、こいつ、おまえの親戚か?」

 ジョシュアが屋根裏から降りてきた。

「ねぇ、マイラ、この子、誰なの?」

 チェルシーの問いに私は答えた。

「ジョシュアよ。仲良くしてあげてね。しばらく、うちで面倒を見てあげることになったの」

内気なチェルシーがジョシュアに笑いかけると、ジョシュアもニッと笑った。

その日の午後。私は一人で人里へと向かった。この小屋から村のメインストリートまで徒歩で二十分くらいかかる。お金が入ったので、腰痛に悩んでいるおばぁちゃんの為に煎じ薬を買うつもりだった。

私が村の小さな薬局にいた頃。

おばぁちゃんは薪割りをしており、うっかり、幼い子供達から目を離してしまっていた。そして、チェルシー達が姿を消したのだ。

「うっそー、おばぁちゃん、二人とも子供だよ。そんなに遠くに行く訳がないわよ」

私も、真っ青になって探したのにみつからなかった。一晩が過ぎた。早朝になって、おばぁちゃんが気付いた。

「あそこかもしれないね。マイラ、あんたはここにいなさい」

 私達が暮らす小屋から少し離れたところに赤の森がある。

 普段は、密猟者がウロウロしていたが、今年は誰も近付かない。二人はそこにいた。赤い花がヒラヒラと舞い落ちる一角に、チェルシーとジョシュアが寄り添うように座り込んでいたという。おばぁちゃんと目が合うと、チェルシーが叫んだそうなのだ。

「クソばばぁ、おせーぞ。僕たちは腹ペコだ。なんか食わせろよ!」

 チェルシーの言葉遣いが豹変していたことに、おばあちゃんは驚いた。チェルシーはジョシュアの手を握ったまま勝気な声で言ったのだ。

「僕がこいつを守ってやったぜ。感謝しろよ、クソばばぁ」

 二人は、一晩、互いに励まし合って過ごしたというのである。ジョシュアの髪には赤い花が飾られていた。森の中でよほどショックなことが起きたようだ。帰宅してからもジョシュアは顔を覆って泣き続けている。しかし、チェルシーはやけに元気だ。

「マイラ、聞いてくれよ。日没寸前に鳥が木の枝に集まってきたぜ。鳥が、いっぱい襲ってきたけど僕は男だから泣かなかったよ!」

 可憐なチェルシーの口から出た台詞とは思えなかった。その顔は、、やんちゃ小僧のように生き生きと輝いている。

「なぁ、マイラ、水くれよ]

「チェルシー、どうしちゃったのよ。なんで、そんな乱暴な話し方をするの?」

 従妹のチェルシーの人格が崩壊しているので怖くなってきた。

 とにかく、こんな有り様なので、私とおばぁちゃんは二人の扱いに戸惑っていたのだが、どうすることも出来なかった。そうこうするうちに、叔母が帰国したのだ。

「チェルシー、さぁ、帰りましょうね」

 後日、チェルシーを迎えに来た叔母に対して、ツンと横を向いた。

「言っとくけど、チェルシーはこいつだぜ」

 チェルシーは叔母の前でジョシュアを押し出した。そんな奇怪な態度に叔母達は困惑していた。

 叔父も、この時ばかりは小屋の中まで入ってきて、我が家でお茶を飲みながら考え込んだ。叔父の目から見ても娘は豹変している。

 とういうか、ジョシュアとは何者なのかと問いかけて来た。

「なんですと……、この少年は身元不明なのですか」

 叔父は宮廷貴族と顔を合わせる機会が多いので世情に詳しい。そこで、ふと、ある事に気付いたらしい。

「もしかすると、このジョシュアと名付けられた少年は、アルベール公爵様の甥っ子かもしれないぞ。役人達が少年を探しているという噂を埠頭近くの宿で耳にしたからな」

「あら、大変! 捕まったら、この子も反逆罪に問われるのかしら?」

 心優しい叔母は、気の毒そうにジョシュアを見つめ手溜め息を漏らしていた。

「謀反を起こした一族は、一生、王によって監視されると聞いているわ。場合によっては、異国へ追放されたりすることもあるみたいよ」

 報復して来ないように親族の財産も没収するというのである。

「こんな小さな子にまで厳しいお咎めがあるとは思えぬが、用心に越したことはないな。この少年は知り合いの修道院に入れて匿ってもらうことにしよう」

 叔父がジョシュアの顔を覗き込むと、ジョシュアはビクッとしたように肩を揺らして訴えた。

「パパ! あたしはチェルシーよ! なんで、こんな簡単なことが分からないの!!」

 すると、隣にいたチェルシーが憤然とした顔つきで言い始めたのである。

「そうだよ。こいつを親から引き離すなんて可哀想だ。一緒に暮らせるようにしろよ」

「ママ! あたしを見捨てないで! お願いよ」

ジョシュアが情けない顔になり叔母の腕にすがりつく。

「ママ、あたしはジョシュアじゃないのよ。チェルシーなのよ。ママの作るマドレーヌにはラム酒が入っているわ。あたしの好物よ」

「あらやだ。あなた達は、どうなっているのよ? まさか、本当に中身が入れ替わっているの?」

 叔母は、かなり狼狽していた。

「落ち着け。そんな馬鹿なことがあるものか!」

「だけど、あなた、現に、この二人はおかしくなっているじゃない!」

「確かに妙だな。それに、この少年が誰であれ、保護者が必要だ」

「ママ……。見捨てないで」

 ジョシュアの瞳は涙で溢れており、そのいたいけな表情に叔母は胸を突かれたらしい。催眠術でもかけられたかのようにメロメロになりハグしていたのである。

「坊や、あなたもうちの子になりなさい……」

 その言葉を聞いたジョシュアは安堵したように叔母に頬を摺り寄せていた。普段、私達に対して愛想は悪いけれど根は優しい叔父がうんうんと頷いている。

「そうだな。この少年を養子にするのも悪くないな。家業を継ぐ者は必要だからな」

 という訳で、ジョシュアは、バルモア家の養子になることで話がまとまったのである。

 すると、チェルシーが偉そうな口調でジュシュアに話しだしたのだ

「いいな。おまえは、これからは立ちションしろよな。僕も座ってオシッコするぜ。心配するな。おまえの体は大切にする。お互い、頑張ろうぜ」

 すると、ジョシュアは目からポロポロと涙をこぼしたのだった。

「ひっく、ひっく。そ、そんなこと言っても嫌よ。あたし、女の子なんだもん。信じて。あたしはチェルシーなのよ!  信じてよ!」

「僕は分かってるさ。もう、泣くな」

 二人は互いに見つめあうとハグしていたのである。

 あれから十二年が過ぎている。残念な事に、三年前、叔母夫婦の馬車が崖から転落して死んでしまっている。それからは長女のケイテイが家長として商売を引き継いで、チェルシーが広報や経理をしている。

 しかし、本当に、ジョシュアとチェルシーが入れ替わっていて元に戻ったのだとしたら良い事のように思えるのだが、そうはいかないようだ。
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