花咲く森のから騒ぎ
4
これは難問だ。私だってチェルシーを救いたいと思っている。やっと、女の子に戻れたというのに、好きでもない王子の愛人にさせられちゃうなんて、そんなの可哀想だ。
だけど、どうすりゃいいのよ! 私にはお手上げだわ。解決策などまるで浮かばなかった。
「はぁ、なんですって! 王子がこの村にお忍びで来る?」
朝、そんな事をケイティから聞かされて心臓が止まりそうになった。
「今年の夏は、久しぶりにチェルシーが湖畔の別荘で過ごすと聞いた王子が、お忍びで来られているのよ。ふふっ。あんたに内緒にしておいて良かったわ。いいわね。明日、王子の別荘に行くのよ」
ええーーーーー。そんなの困る。
ケイティには理解できないでしょうけど、私はチェルシーじゃないのよ。
「……行かなかったらどうなるの?」
「ジョシュアを地下室に永遠に閉じ込めるわよ」
それは困る。こうなりゃ、当たって砕けろよ! 私には選択の余地がなかった。
仕方がないので、翌日、チェルシーのフリをして王子とデートすることにしたのである。
けれども、王子が迎えによこした豪華な馬車で移動する間も、ずーっと青褪めていた。
だって、私は、田舎育ちの庶民なのよ。
王族を相手にどう振舞えばいいのか見当もつかないわ。御立派な館の玄関に停まった馬車から降りると、すぐさま侍従らしき若者によってどうぞこちらにと誘われた。
王都から到着したばかりの王子がいる。こ、この人が王子様なんだよね?
作法なんて分からないけど、精一杯、丁寧にお辞儀をしておいた。
頬を引き攣らせて愛想笑いを浮かべて王子に敬意を示すと、王子は、パーっと嬉しそうに目を輝かせた。
「よく来たな。さぁ、近こう寄れ」
使用人の数も最小限に抑えている。それでも、王子の別荘の天井画や神話をモチーフにした柱の装飾は豪華だった。シャンデリアの大きさにも驚かされる。
王子の衣服も、いつもより地味にしているが、指輪やネックレスは見るからに高価だ。
「そなたはまことに美しいな。海のように青い瞳。薔薇のように可憐な赤い頬。妖精のような細い手足。この世の何よりも高貴な娘であるぞ」
嬉しそうにハグをしている。
「余は、そなたと、こうして二人きりで会える日を夢見ていたぞ。王都では、何かと人目が煩わしくていかんな」
生まれて初めて王子と対面した私は、顔を引き攣らせながらも失礼にならないように曖昧に微笑む。
今の私の外見はチェルシーだもの。仕方ないわね。適当に話を合わせてお茶を飲むしかない。
しかし、王子の名誉のために言っておくが、王子の性格は悪くない。おっとりしている。ただ、なんていうか、ちょっとオツムが足りない感じがするのだ。
困ったわ。こんな場所で、いきなり二人きりなんてキツイわ……
☆
何か話しかけられたらどうしようかと身構えていると、次の瞬間、ふと、珍しい生き物が目に入った。頭は黄色だけど、首筋は青くて羽根の先は色々な色が混ざっている。何ともカラフルな鳥で大きさはオウムぐらいである。最初は作り物なのかと思った。
『余は、王となる。余を称えよ!』
いきなり、鳥が喋り出したので驚いた。
棚には高価な陶器や天体器具が飾られていて、その棚の前にある机に豪華な銀製の鳥篭が置かれていたのだ。
「もしかして、これが噂の七色の羽を持つ鳥なのですか?」
初めて見たわ。きゃー、素敵。不思議な色合いなのね。
七色の鳥は人間に決して懐かないとされている。それなのに、よく飼いならされているのね。
「そなたは初めて見たであろうな。チェルシー、もっと、近くに寄って見るが良いぞ。それは、この地方の森に、十二年に一度だけ訪れる珍しい鳥なのだ。どういう訳か、この鳥は、十二年前、自ら王城にやってきた。父上の後妻のイヴォンヌが、この鳥を見ると笑ったのだ。それ以来、ずっと王城にいる。名前はダビデじゃ。物真似が得意な鳥だ。その鳥はチェスも得意なのだよ」
「チェス?」
「ああ、そうだ。余よりも頭がいい」
へーえ。さすが伝説の鳥よね……。なーんて呑気に感心している場合ではない。
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
昼間だっていうのに、私は、いきなりキスされそうになったのよ。
「お、王子、おやめ下さいませっーーー!」
私は、力いっぱいウイリアム王子を押しのけようとする。迫る分厚い唇にゾッとなる。うわっ。ちょっとニンニク臭い息が鼻先にかかる。いやん!
『チェルシー! チェルシー! チェルシー!』
鳥が叫んでいる。鳥篭の中で鳥が羽を広げて暴れている。王子の部屋の豪奢な鏡にチェルシーの姿が映っている。
私が、ウイリアム王子に襲われそうになっている姿がそこにある。この身体は従妹のものだけど、チェルシーの身代わりとして王子に襲われるなんて耐えられない。
チェルシーの胸元に顔をうずめようと迫り来る王子を何とかしたい。
まさか、花瓶を振り下ろす訳にもいかない。ああ、どうしよう。
「我が心の天使、チェルシー、余はそなたに夢中なのだ」
そんなの知らないわよ。気安く触らないでよ!
思いっきり怒鳴りたいが、王子に露骨に逆らってはいけない。どうしたらいいの。誰か助けて!
その時、ジョシュアの姿を無意識のうちに思い浮かべていた。彼、まだ閉じ込めれているのかしら。どちらにしても、ジョシュアに頼ることが出来ない。自分で何とかしなくてはならない。私は、穏便に王子を押し返そうとして、その肩を遠ざけていると王子が囁いた。
「チェルシー、照れなくても良いぞ」
「違います。わ、わたしの話を聞いてくださいませ!」
こうなったらジョシュアと付き合っているという嘘をついてしまおう。そうよ。何としても王子に嫌われてみせるわ。
そんな事を考えていると、ヘンな音が聞こえてきた。
何だ? カタカタという金属音。
やだ。もしかして地震なのかしらと思ったがそうではないのね。カタカタカタッ。大きな鳥篭が大きく揺れている。そのまま、ガシャンと鳥篭ごと落下したかと思うと、金属製の籠が転がった弾みで出入り口の止め具が外れたのだ。
「おおおお、王子! 貴重な鳥が……!」
思わず、甲高い声を出して指差していた。だって、逃げた鳥がバタバタと慌ただしく羽ばたいているんだもの。
「大変です。王子様、七色の鳥が逃げ出しましたよ」
今、まさに南向きの窓の隙間から飛び出そうとしている。
「むむっ! なんということだ!」
王子もヤバイと思ったらしい。チェルシーを口説くのは一旦止めて鳥を追いかけようとした。まさに、その時だった。
真鍮飾りが施された重厚な扉がバーンと開いたのだ。
「王子! お聞きくださいませ! わたくしには大切なお話がありますのよ! あらら……」
そこに現れたのは何とケイテイだった。紫色の豪華なドレスを着ている。
「きゃっ!」
ベランダにいた鳥が、ケイテイの声を聞いた直後、慌てたように急旋回している。そして、ケイテイの頭の上をヒュンッと通過していったのだ。腰を抜かしたように尻餅をついたケイティが大きく目を見開いている。
王子が鳥の行方を追いかけようとしてフラフラと駆けている。鳥は、王子を焦らすようにして気紛れに部屋を旋回する。しばらく回った後、僅かに開いた扉の隙間を縫って廊下の先へと行ってしまったではないか。
「待てーーー! ダビデ! どこに行く! 皆の者、手伝えーーー」
王子は側近たちを呼びながら鳥を追いかけている。
王子の勅令って奴には逆らえないので、みんな、間抜けな格好で鳥の尻を追いかけている。
「すまぬが、チェルシー、余は、鳥を捕まえねばならぬ! よって、しばし待ってくれ。また、後ほど連絡するからな」
「はい。王子様、どうぞゆっくりお探しくださいませ!」
私はホッとしながら去り行く王子を見送った。
果たして、ちゃんと鳥を捕まえることが出来るのだろうか?
王子は、ピョンピョンと飛び跳ねるようにして鳥に手を伸ばしている。届きそうで届かない。届きそうになったかと思うと鳥は別の場所へと飛び立っていく。まるで鬼ごっこのようだ。賢い鳥が王子をからかっているかのようにも見える。
「あらあら、大変よね」
ケイティは、広々とした廊下を走り回る従者達の背中を眺めて吹き出している。そして、テーブルに置いてあったお菓子を呑気に頬張り始めた。
「あっらー、このマドレーヌ、すごく美味しいわね」
私は、こんなふうに、いきなり現れたケイティに対して尋ねずにはいられなかった。
「ケイティ! なんで、ここに!」
「あーら、そんなことは決まっているじゃない。あたしにも、ようやく真相が分かったのよ。あんたはマイラね。中身はマイラ。そうでしょう?」
「分かるの?」
もちろんよと言いたげに微笑みながら、涙目になっている私を見つめている。
「どうやら、危機一髪だったようね。さぁ、帰るわよ。マイラ!」
そう言うと、キビキビとした動作で私を救い出してくれたのである。ケイテイは王子の小姓に帰ると告げてから馬車に乗り込んでいく。しかし、さすがに、帰るのが早いと思ったようだ。侍従が聞き返してきた。
「えっ、もう、お帰りなのですか?」
王の別荘の門番たちも不思議そうに私とケイティを乗せた馬車を見つめているけれど、ケイティは、窓からわざわざ顔出すと澄ました顔で言い放った。
「王子は、ただいま、とてもお忙しいそうなので帰りますわね。どうか、王子によろしくお伝えくださいませ」
王子は逃げた鳥を探すことに忙しいのよ。ほらね。大騒動になっているわ。庭師が空を見上げて忙しない声を上げている。
「あっ、あそこだ。飛んでいくぞ!」
「あれを捕まえたら、褒美をもらえるかねしれないぜ」
七色の鳥が蔦模様の鉄門を超えて森に向かって羽ばたいている。きっと、赤い花の咲く森に向かっているのだろう。だって、そこには仲間の鳥達がいるんだもの。
☆
「ふうっ、何とか間に合ったわね」
ケイティが胸を撫で下ろしている。王子の別荘から無事に生還することが出来て良かったわ。私とケイティは無事帰還。
「よう、マイラ! 無事か?」
居間に入るとジョシュア達が待っていた。猟犬のトゥイッチとチェルシーが座っている。チェルシーが私に抱きついた。
「マイラ、お帰りなさい」
対面にあるソファに腰掛けたケイティが私を見つめながら言う。
「あたしも最初は信じられなかったわよ。奇跡って本当にあるのね」
私が王子と会っている間に、ケイティ自身も、あの場所で入れ替わりの奇跡を体験したというのである。
「この犬が、あたしの唇を嘗めた瞬間、あたしは犬になっていたわ。だから、信じない訳にはいかなかったのよ」
犬になったケイテイはキョトンとしながら草地を跳ね回り、ワンっと甲高く吼えたという。
「マイラにも見せてやりたかったよ。あはは! ほんと、間抜けなんだ。おしっこ漏らしてたぜ」
「やだっ、ジョシュアったら、それは言わない約束よ!」
恥ずかしそうにケイテイがむくれている。
「そんなことより、これからどうするのよ」
私が真剣な顔で皆に問うとケイティが腕組みしながら言った。
「ウイリアム王子はチェルシーにゾッコンよ。それなら、あたしがチェルシーになればいいじゃない! 我ながら素晴らしい考えだわ。あたしが愛人になればいいのよ!」
ケイティは、ウキウキしたように目を輝かせているが私は大反対だった。
「やだっ。ケイティがチェルシーになるなんてやめてよ!」
「名案じゃないの! 宮廷の華になってみせるわ。いいから、あたしに任せなさいよ!」
事の重大さが分かっているのだろうか。黙って聞いているチェルシーに向かって私は尋ねた。
「チェルシー、不安じゃないの? いくら姉妹でも、チェルシーとケイティはまるで違うわよ」
「ケイティお姉ちゃんはもうすぐ三十歳になるのよね。家業を支える為に結婚する機会を失ったわ。あたしの身体をあげる。若返って、いろんなことを楽しめばいいわ」
チェルシーの中で覚悟は決まっているらしい。しかし、ジョシュアは渋面になっている。
「俺は、これまで姉貴の面倒を見てきたんだぜ。本当に大変だったんだぞ。ケイテイが公式寵姫になると国が乱れるぞ」
「あんた、失礼よ!」
「おまえ、インチキ占い師に入れ込んでしまったり、詐欺師に商売の金をごっそり奪われたりしていただろう! 姉貴は、昔から男運が悪いんだよ。姉貴が付き合った男のこ半分はチェルシーにも色目を使っていた。ハッキリ言って、あんたは人を見る目がない」
「お黙り」
まるで、本物の姉弟みたいだ。ジョシュアがケイティに熱く語っている。
「宮廷は魔窟だ。公式寵姫を陥れようと悪知恵を働かせる女官や王妃が出てきて苛められるぞ。姉貴、おまえ潰されちまうぞ」
私より一歳年下なのに、ジョシュアは世間をよく分かっているのね。うーむ。これまで、果たして一体どんな生活をしてきたのかしら。
ジョシュアはチェルシーとして生活しながらケイティの一家の商売も支えてきた。ジョシュアは、姉に対して説教するように喋り続けている。
「それに、姉貴がチェルシーになって王子と暮らしても、すぐに飽きられて捨てられることは目に見えている。姉貴は、そういうタイプの女なんだよ」
「な、な、何なのよ! 偉そうに!」
ケイティが唐突にウワーッと泣き出した。バシッと、クッションを投げつけて怒鳴っている。私は、こう思うのだ。
「でも、王子が、中身がケイティのチェルシーに飽きたなら、それでいいんじゃないの?」
「ちょ、ちょっと! マイラ、あんたまで、あたしの魅力を否定するつもり!」
余計なことを言ったせいでケイティが膨れっ面になり、一瞬、場が静まる。
そんな中、ジョシュアがだしぬけに発言した。
「俺が王子と入れ替わるよ」
「何を言うのよ! 馬鹿なことを言わないでよ!」
私は、ジョシュアの肩を揺さぶる。
「私達の犠牲にならないでよ!」
「マイラ、犠牲になるんじゃないぜ。俺は、王族としてやりたいことがあるんだ」
ケイティがあんぐりと口を開けている。
「あんたって、利口そうに見えて馬鹿ね。あんたが王子になるってことは、王子がジョシュアになるってことよ。王子も黙っちゃいないわ。世間にバレちゃうじゃないのよ!」
それなのに、なぜか、ジョシュアは余裕の笑みを浮かべている。
「誰も本気にするもんか……。姉貴だって入れ替わりの真実を信じなかったよな」
ジョシュアの言葉を聞いたケイテイが頷いた。
「怖いことを言うわね。だけど、いい考えね! はい、決定。我が家は安泰ね」
ケイティは深く考えることなく賛成している。
私の心の中が騒がしく揺れた。ジョシュアがいなくなるなんて嫌だ。
「わたしは反対よ」
すると、そこに、下男のテイラーが血相変えて飛び込んできた。
「お嬢様方、大変でございます。ウイリアム王子がいらっしゃいましたぞ!」
「はぁ?」
そこにいた全員が顔をひきつらせた。特に、チェルシーが真っ青になって怯えている。下男のテイラーも不安そうにしている。
「何やら大切な御用があるそうでございます」
今後のことをどうするか決めかねているというのに、なぜか、王子が、我々の別荘にやって来たのだ。
やだな。嫌な予感がする。
だけど、どうすりゃいいのよ! 私にはお手上げだわ。解決策などまるで浮かばなかった。
「はぁ、なんですって! 王子がこの村にお忍びで来る?」
朝、そんな事をケイティから聞かされて心臓が止まりそうになった。
「今年の夏は、久しぶりにチェルシーが湖畔の別荘で過ごすと聞いた王子が、お忍びで来られているのよ。ふふっ。あんたに内緒にしておいて良かったわ。いいわね。明日、王子の別荘に行くのよ」
ええーーーーー。そんなの困る。
ケイティには理解できないでしょうけど、私はチェルシーじゃないのよ。
「……行かなかったらどうなるの?」
「ジョシュアを地下室に永遠に閉じ込めるわよ」
それは困る。こうなりゃ、当たって砕けろよ! 私には選択の余地がなかった。
仕方がないので、翌日、チェルシーのフリをして王子とデートすることにしたのである。
けれども、王子が迎えによこした豪華な馬車で移動する間も、ずーっと青褪めていた。
だって、私は、田舎育ちの庶民なのよ。
王族を相手にどう振舞えばいいのか見当もつかないわ。御立派な館の玄関に停まった馬車から降りると、すぐさま侍従らしき若者によってどうぞこちらにと誘われた。
王都から到着したばかりの王子がいる。こ、この人が王子様なんだよね?
作法なんて分からないけど、精一杯、丁寧にお辞儀をしておいた。
頬を引き攣らせて愛想笑いを浮かべて王子に敬意を示すと、王子は、パーっと嬉しそうに目を輝かせた。
「よく来たな。さぁ、近こう寄れ」
使用人の数も最小限に抑えている。それでも、王子の別荘の天井画や神話をモチーフにした柱の装飾は豪華だった。シャンデリアの大きさにも驚かされる。
王子の衣服も、いつもより地味にしているが、指輪やネックレスは見るからに高価だ。
「そなたはまことに美しいな。海のように青い瞳。薔薇のように可憐な赤い頬。妖精のような細い手足。この世の何よりも高貴な娘であるぞ」
嬉しそうにハグをしている。
「余は、そなたと、こうして二人きりで会える日を夢見ていたぞ。王都では、何かと人目が煩わしくていかんな」
生まれて初めて王子と対面した私は、顔を引き攣らせながらも失礼にならないように曖昧に微笑む。
今の私の外見はチェルシーだもの。仕方ないわね。適当に話を合わせてお茶を飲むしかない。
しかし、王子の名誉のために言っておくが、王子の性格は悪くない。おっとりしている。ただ、なんていうか、ちょっとオツムが足りない感じがするのだ。
困ったわ。こんな場所で、いきなり二人きりなんてキツイわ……
☆
何か話しかけられたらどうしようかと身構えていると、次の瞬間、ふと、珍しい生き物が目に入った。頭は黄色だけど、首筋は青くて羽根の先は色々な色が混ざっている。何ともカラフルな鳥で大きさはオウムぐらいである。最初は作り物なのかと思った。
『余は、王となる。余を称えよ!』
いきなり、鳥が喋り出したので驚いた。
棚には高価な陶器や天体器具が飾られていて、その棚の前にある机に豪華な銀製の鳥篭が置かれていたのだ。
「もしかして、これが噂の七色の羽を持つ鳥なのですか?」
初めて見たわ。きゃー、素敵。不思議な色合いなのね。
七色の鳥は人間に決して懐かないとされている。それなのに、よく飼いならされているのね。
「そなたは初めて見たであろうな。チェルシー、もっと、近くに寄って見るが良いぞ。それは、この地方の森に、十二年に一度だけ訪れる珍しい鳥なのだ。どういう訳か、この鳥は、十二年前、自ら王城にやってきた。父上の後妻のイヴォンヌが、この鳥を見ると笑ったのだ。それ以来、ずっと王城にいる。名前はダビデじゃ。物真似が得意な鳥だ。その鳥はチェスも得意なのだよ」
「チェス?」
「ああ、そうだ。余よりも頭がいい」
へーえ。さすが伝説の鳥よね……。なーんて呑気に感心している場合ではない。
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
昼間だっていうのに、私は、いきなりキスされそうになったのよ。
「お、王子、おやめ下さいませっーーー!」
私は、力いっぱいウイリアム王子を押しのけようとする。迫る分厚い唇にゾッとなる。うわっ。ちょっとニンニク臭い息が鼻先にかかる。いやん!
『チェルシー! チェルシー! チェルシー!』
鳥が叫んでいる。鳥篭の中で鳥が羽を広げて暴れている。王子の部屋の豪奢な鏡にチェルシーの姿が映っている。
私が、ウイリアム王子に襲われそうになっている姿がそこにある。この身体は従妹のものだけど、チェルシーの身代わりとして王子に襲われるなんて耐えられない。
チェルシーの胸元に顔をうずめようと迫り来る王子を何とかしたい。
まさか、花瓶を振り下ろす訳にもいかない。ああ、どうしよう。
「我が心の天使、チェルシー、余はそなたに夢中なのだ」
そんなの知らないわよ。気安く触らないでよ!
思いっきり怒鳴りたいが、王子に露骨に逆らってはいけない。どうしたらいいの。誰か助けて!
その時、ジョシュアの姿を無意識のうちに思い浮かべていた。彼、まだ閉じ込めれているのかしら。どちらにしても、ジョシュアに頼ることが出来ない。自分で何とかしなくてはならない。私は、穏便に王子を押し返そうとして、その肩を遠ざけていると王子が囁いた。
「チェルシー、照れなくても良いぞ」
「違います。わ、わたしの話を聞いてくださいませ!」
こうなったらジョシュアと付き合っているという嘘をついてしまおう。そうよ。何としても王子に嫌われてみせるわ。
そんな事を考えていると、ヘンな音が聞こえてきた。
何だ? カタカタという金属音。
やだ。もしかして地震なのかしらと思ったがそうではないのね。カタカタカタッ。大きな鳥篭が大きく揺れている。そのまま、ガシャンと鳥篭ごと落下したかと思うと、金属製の籠が転がった弾みで出入り口の止め具が外れたのだ。
「おおおお、王子! 貴重な鳥が……!」
思わず、甲高い声を出して指差していた。だって、逃げた鳥がバタバタと慌ただしく羽ばたいているんだもの。
「大変です。王子様、七色の鳥が逃げ出しましたよ」
今、まさに南向きの窓の隙間から飛び出そうとしている。
「むむっ! なんということだ!」
王子もヤバイと思ったらしい。チェルシーを口説くのは一旦止めて鳥を追いかけようとした。まさに、その時だった。
真鍮飾りが施された重厚な扉がバーンと開いたのだ。
「王子! お聞きくださいませ! わたくしには大切なお話がありますのよ! あらら……」
そこに現れたのは何とケイテイだった。紫色の豪華なドレスを着ている。
「きゃっ!」
ベランダにいた鳥が、ケイテイの声を聞いた直後、慌てたように急旋回している。そして、ケイテイの頭の上をヒュンッと通過していったのだ。腰を抜かしたように尻餅をついたケイティが大きく目を見開いている。
王子が鳥の行方を追いかけようとしてフラフラと駆けている。鳥は、王子を焦らすようにして気紛れに部屋を旋回する。しばらく回った後、僅かに開いた扉の隙間を縫って廊下の先へと行ってしまったではないか。
「待てーーー! ダビデ! どこに行く! 皆の者、手伝えーーー」
王子は側近たちを呼びながら鳥を追いかけている。
王子の勅令って奴には逆らえないので、みんな、間抜けな格好で鳥の尻を追いかけている。
「すまぬが、チェルシー、余は、鳥を捕まえねばならぬ! よって、しばし待ってくれ。また、後ほど連絡するからな」
「はい。王子様、どうぞゆっくりお探しくださいませ!」
私はホッとしながら去り行く王子を見送った。
果たして、ちゃんと鳥を捕まえることが出来るのだろうか?
王子は、ピョンピョンと飛び跳ねるようにして鳥に手を伸ばしている。届きそうで届かない。届きそうになったかと思うと鳥は別の場所へと飛び立っていく。まるで鬼ごっこのようだ。賢い鳥が王子をからかっているかのようにも見える。
「あらあら、大変よね」
ケイティは、広々とした廊下を走り回る従者達の背中を眺めて吹き出している。そして、テーブルに置いてあったお菓子を呑気に頬張り始めた。
「あっらー、このマドレーヌ、すごく美味しいわね」
私は、こんなふうに、いきなり現れたケイティに対して尋ねずにはいられなかった。
「ケイティ! なんで、ここに!」
「あーら、そんなことは決まっているじゃない。あたしにも、ようやく真相が分かったのよ。あんたはマイラね。中身はマイラ。そうでしょう?」
「分かるの?」
もちろんよと言いたげに微笑みながら、涙目になっている私を見つめている。
「どうやら、危機一髪だったようね。さぁ、帰るわよ。マイラ!」
そう言うと、キビキビとした動作で私を救い出してくれたのである。ケイテイは王子の小姓に帰ると告げてから馬車に乗り込んでいく。しかし、さすがに、帰るのが早いと思ったようだ。侍従が聞き返してきた。
「えっ、もう、お帰りなのですか?」
王の別荘の門番たちも不思議そうに私とケイティを乗せた馬車を見つめているけれど、ケイティは、窓からわざわざ顔出すと澄ました顔で言い放った。
「王子は、ただいま、とてもお忙しいそうなので帰りますわね。どうか、王子によろしくお伝えくださいませ」
王子は逃げた鳥を探すことに忙しいのよ。ほらね。大騒動になっているわ。庭師が空を見上げて忙しない声を上げている。
「あっ、あそこだ。飛んでいくぞ!」
「あれを捕まえたら、褒美をもらえるかねしれないぜ」
七色の鳥が蔦模様の鉄門を超えて森に向かって羽ばたいている。きっと、赤い花の咲く森に向かっているのだろう。だって、そこには仲間の鳥達がいるんだもの。
☆
「ふうっ、何とか間に合ったわね」
ケイティが胸を撫で下ろしている。王子の別荘から無事に生還することが出来て良かったわ。私とケイティは無事帰還。
「よう、マイラ! 無事か?」
居間に入るとジョシュア達が待っていた。猟犬のトゥイッチとチェルシーが座っている。チェルシーが私に抱きついた。
「マイラ、お帰りなさい」
対面にあるソファに腰掛けたケイティが私を見つめながら言う。
「あたしも最初は信じられなかったわよ。奇跡って本当にあるのね」
私が王子と会っている間に、ケイティ自身も、あの場所で入れ替わりの奇跡を体験したというのである。
「この犬が、あたしの唇を嘗めた瞬間、あたしは犬になっていたわ。だから、信じない訳にはいかなかったのよ」
犬になったケイテイはキョトンとしながら草地を跳ね回り、ワンっと甲高く吼えたという。
「マイラにも見せてやりたかったよ。あはは! ほんと、間抜けなんだ。おしっこ漏らしてたぜ」
「やだっ、ジョシュアったら、それは言わない約束よ!」
恥ずかしそうにケイテイがむくれている。
「そんなことより、これからどうするのよ」
私が真剣な顔で皆に問うとケイティが腕組みしながら言った。
「ウイリアム王子はチェルシーにゾッコンよ。それなら、あたしがチェルシーになればいいじゃない! 我ながら素晴らしい考えだわ。あたしが愛人になればいいのよ!」
ケイティは、ウキウキしたように目を輝かせているが私は大反対だった。
「やだっ。ケイティがチェルシーになるなんてやめてよ!」
「名案じゃないの! 宮廷の華になってみせるわ。いいから、あたしに任せなさいよ!」
事の重大さが分かっているのだろうか。黙って聞いているチェルシーに向かって私は尋ねた。
「チェルシー、不安じゃないの? いくら姉妹でも、チェルシーとケイティはまるで違うわよ」
「ケイティお姉ちゃんはもうすぐ三十歳になるのよね。家業を支える為に結婚する機会を失ったわ。あたしの身体をあげる。若返って、いろんなことを楽しめばいいわ」
チェルシーの中で覚悟は決まっているらしい。しかし、ジョシュアは渋面になっている。
「俺は、これまで姉貴の面倒を見てきたんだぜ。本当に大変だったんだぞ。ケイテイが公式寵姫になると国が乱れるぞ」
「あんた、失礼よ!」
「おまえ、インチキ占い師に入れ込んでしまったり、詐欺師に商売の金をごっそり奪われたりしていただろう! 姉貴は、昔から男運が悪いんだよ。姉貴が付き合った男のこ半分はチェルシーにも色目を使っていた。ハッキリ言って、あんたは人を見る目がない」
「お黙り」
まるで、本物の姉弟みたいだ。ジョシュアがケイティに熱く語っている。
「宮廷は魔窟だ。公式寵姫を陥れようと悪知恵を働かせる女官や王妃が出てきて苛められるぞ。姉貴、おまえ潰されちまうぞ」
私より一歳年下なのに、ジョシュアは世間をよく分かっているのね。うーむ。これまで、果たして一体どんな生活をしてきたのかしら。
ジョシュアはチェルシーとして生活しながらケイティの一家の商売も支えてきた。ジョシュアは、姉に対して説教するように喋り続けている。
「それに、姉貴がチェルシーになって王子と暮らしても、すぐに飽きられて捨てられることは目に見えている。姉貴は、そういうタイプの女なんだよ」
「な、な、何なのよ! 偉そうに!」
ケイティが唐突にウワーッと泣き出した。バシッと、クッションを投げつけて怒鳴っている。私は、こう思うのだ。
「でも、王子が、中身がケイティのチェルシーに飽きたなら、それでいいんじゃないの?」
「ちょ、ちょっと! マイラ、あんたまで、あたしの魅力を否定するつもり!」
余計なことを言ったせいでケイティが膨れっ面になり、一瞬、場が静まる。
そんな中、ジョシュアがだしぬけに発言した。
「俺が王子と入れ替わるよ」
「何を言うのよ! 馬鹿なことを言わないでよ!」
私は、ジョシュアの肩を揺さぶる。
「私達の犠牲にならないでよ!」
「マイラ、犠牲になるんじゃないぜ。俺は、王族としてやりたいことがあるんだ」
ケイティがあんぐりと口を開けている。
「あんたって、利口そうに見えて馬鹿ね。あんたが王子になるってことは、王子がジョシュアになるってことよ。王子も黙っちゃいないわ。世間にバレちゃうじゃないのよ!」
それなのに、なぜか、ジョシュアは余裕の笑みを浮かべている。
「誰も本気にするもんか……。姉貴だって入れ替わりの真実を信じなかったよな」
ジョシュアの言葉を聞いたケイテイが頷いた。
「怖いことを言うわね。だけど、いい考えね! はい、決定。我が家は安泰ね」
ケイティは深く考えることなく賛成している。
私の心の中が騒がしく揺れた。ジョシュアがいなくなるなんて嫌だ。
「わたしは反対よ」
すると、そこに、下男のテイラーが血相変えて飛び込んできた。
「お嬢様方、大変でございます。ウイリアム王子がいらっしゃいましたぞ!」
「はぁ?」
そこにいた全員が顔をひきつらせた。特に、チェルシーが真っ青になって怯えている。下男のテイラーも不安そうにしている。
「何やら大切な御用があるそうでございます」
今後のことをどうするか決めかねているというのに、なぜか、王子が、我々の別荘にやって来たのだ。
やだな。嫌な予感がする。