花咲く森のから騒ぎ

5

 愛するチェルシーに会いに来たのかと思っていたけれども、生憎、そうではなかった。

 なんと、私に用があるというのである。

 黒髪の粗末な衣服のマイラの中身がチェルシーだとは知らない王子が鷹揚に語っている。

「マイラよ。そなたらは堅苦しい挨拶などしなくても良いぞ。皆も気を楽にして聞くが良い」

 さっそく、王子が用件を切り出している訳なんだけど、背後には空の銀製の大きな鳥籠を持った従者達が控えていたりする。

「マイラ。おまえは、この界隈の森を知り尽くしているらしいな。逃げた鳥は特別なのだ。生きたまま捕まえるのは至難の業である。ダビデを捕まえてはくれぬか? あれはイヴォンヌが愛した鳥なのだ。それに我が妹のアンはダビデを気に入っている。むろん、タダとは言わぬぞ。褒美として何が欲しいかを先に申してみよ。遠慮はいらぬぞ」

 すると、マイラのフリをしているチェルシーが真面目な顔で答えた。

「それなら、チェルシーを宮廷に迎え入れる話を白紙にしてくださいませ。彼女を自由にしてあげてください。それが私の望みですわ」

「お、おまえは、いきなり何を申すのだ! なぜ、そのようなことを言うのだ!」

「はっきりと申し上げますわ。チェルシーには他に好きな人がいるのです」

「な、な、なんだとぉ! 相手は、どこの何者なのだ!」

 日頃は温厚な王子の目が険しくなった。キーッと、ヒステリックに吊り上がっている。

 これはまずい! 私は慌てて間に割って入る。王子の怒りを静めることに専念する。

「王子、おやめください。こんな頭のイカレた女の言うことなど本気にしてはなりませんわ。従姉は美しい私のことを腹の底から妬んでいるのですわ。見ての通り、このマイラは貧しく粗野な田舎者なのですもの」

 自分で自分のことをけなすのも辛いけれども仕方あるまい。マイラは悪者のバカ女という事にしておこう。

「いいえ、マイラは黙っていてよ!」

 もう、やだ。チェルシーったら、自分がマイラだという客観的な事柄を忘れて怒鳴っているじゃないの。チェルシーの暴走を止めなくちゃ。 

 ケイティが振り返り目配せをすると、忠実な下男のテイラーが現れた。そして、マイラの身体を引きずって外に連れ出していく。

 チェルシーはヒステリックにギャーギャー騒ぎながらも館の中へと入っていく。すると、王子は困ったような顔で呟いた。

「おなご同士というのは、何かとややこしいものなのだな。宮廷でも、色々、醜い争いを見てきたものだ。おまえ達も大変だな」

 なんていうか、この王子、性格は悪くないのよね。うん。けっこういい人なのよ。そういう人なので、私も嫌いじゃないわ。

「王子、申し訳ありませんわね。あの娘のことは気にしないで下さいな。そんなことよりもハーブ茶のおかわりはいかがかですか?」

 ケイティラがお茶とケーキを差し出して、その場を修復している。

 私はしみじみと告げたのである。

「ダビデは王子様にとって大切な鳥なんですね」

 ケーキが美味しかったので王子は相好を崩している。咀嚼しながらも思い出したように呟いている。

「あの鳥は特別なのだよ。二年前、義母のイヴォンヌが死んだ日、鳥は、一日中、イヴォンヌの名前を叫んでおった。何とも痛ましい話である。余は、義母のイヴォンヌが産んだ腹違い妹のアンを何よりも愛しておる」

 王子の顔はお茶目だ。鼻が長く顎がしゃくれている。その横顔はどこか鳥に似ているウイリアムだが、傲慢な父王と違って非情なところはない。

 残忍なことで有名な先王は老いて病床に伏せっている。亡くなったなら、即、この王子が王になることは目に見えているんだもの。決して王子を怒らせてはならない。

 やはり、生きていくためには妥協も必要なのだ。

      ☆

「チェルシー、駄目じゃないの。どうして王子に対して、あんなことを言うのよ!」

 王子が帰った後、私は、チェルシーに向かって言わずにいられなかった。

「だって、そうしないと、マイラが王様のところに行くのよ。そしたら、ジョシュアと会えなくなるのよ! それでも平気なの?」

「……あっ」

 言葉に詰まっていると更に言った。

「そんなの平気じゃないから、きっと、ジョシュアは王子と入れ替わるって言い出すわ。でも、そしたら、ジョシュアは外見を失うのよ。それでもいいの?」

「……そ、それは」

 良くないわよ。

「あたし……、ちゃんと分かっているわ。ジョシュアは、いつも、マイラに会いたがっていた。マイラのことが好きなのよ」

「そ、そんなこと!」

いきなり言われても困る。恥ずかしいわ。あの頃は、チェルシーが男だなんて知らなかったのよ。

『マイラ! おい! 元気か!』

 私に会うと嬉しそうに笑っていたっけ。その顔を見ると、こちらも嬉しくなって胸がホッコリしたものだ。

「ジョシュアは、私にとって弟のようなものよ」

「そうなの? だけど、ジョシュアはマイラに手紙を送り続けていた。いつも、マイラのことを考えていたわ」

 寒い季節になると、暖かな外套や手袋をプレゼントしてくれていたのである。

「あんなことを言っているけれど、本当は、ジョシュアだって本来の自分の姿でいたいのよ。マイラも王子の間抜けな顔を見たでしょう! ひどい鷲鼻だわ。マイラは、あんな顔の人にキスしたいの?」

「と、とんでもないわ!」

 王子に個人的な恨みはないが、異性として好きになれない。

「それはともかく、ひとまず、この身体を元に戻しましょうよ」

 私は、昨夜から、ずっとチェルシーのままなのだ。いい加減、自分の身体に戻りたい。

「チェルシー、あなたは、国外に逃げるという手もあるんじゃない? 逃げるにしても、やはり、元の姿に戻らなければ私は何もできないわよ」

 私は、チェルシーの好きな焼き菓子の入った銀の器を差し出していく。

「甘い物でも食べて落ち着くのよ」

「マイラお姉ちゃん……」

 チェルシーは声を詰まらせて涙ぐんでいる。

「ごめんなさい。マイラお姉ちゃんに迷惑をかけてしまったわ。だけど、本当に逃げ切れるのかしら」

 逃げればいいなんて軽々しく言ったけれど、本当に可能なのかしらね……。

 でも、とりあえず身体は戻そう。うん。

 夕刻、私とチェルシーは、こっそり湖畔の別荘を抜け出してあの森に入った。幻想的な赤い花の下に立った。そして、私達は互いに見詰め合っていく。

「チェルシー。それじゃ、いいわね」

 従妹の肩をつかんでキスしようと身構えていく。しかし、私は躊躇っていた。

「うわー。照れるわね。チェルシー、ちょっと目を閉じてよ」

「やだぁ。可愛い。マイラお姉ちゃんったら何を照れているのよ」

「わたし、モテないからキスとか免疫がなくて、どうにも恥ずかしいのよ」

「マイラは、いつも、そんなふうに謙遜しているけど、マイラを好きな男性は大勢いるわ。二年前の村祭りの夜、ビクトルっていう農夫がマイラに告白しようとしていたのよ。だけど、あたし、咄嗟に、ビクトルから渡してくれって頼まれた手紙を、マイラに渡さなかったの!」

「ビクトル?」

 いつも、林檎や梨を分けてくれる背の高い物静かな人だったな。私より四つほど年上の感じのいい青年だったのよね。

「ごめんなさい。ビクトルがマイラを風車小屋に呼び出したの。だけど、行かせたくなくて、あたしが小細工したの!」

 結局、その後、ビクトルは他の女の子と結婚して、今は一児時の父となっている。別に構わないけれど、そんなことがあったとは知らなかった。

「あたし、ジョシュアがマイラを好きなことを知っていたの! マイラもジョシュアの事が好きでしょう?」

 あの当時のジョシュアは女の子の外見だった。あの子が来ると心が華やいだ。だけど、その時は、風変わりな従妹として受け入れていた。

 でも、そう言えば、チェルシーだった頃のジョシュアは、いつも何か言いたそうにしていたような気がする。

『マイラ、お誕生日、おめでとう』

 一流の帽子職人が作った綺麗な夏用の帽子をプレゼントしてくれた事もある。帽子のリボンは綺麗な赤い絹だった。

『マイラの黒髪に合ってる』

『いつも貰ってばかりで悪いわね』

『お前達と出会ったおかげで無事に生きることが出来るんだ。何度も言っているけど、俺には秘密がある』

『あなたは、本当はチェルシーではなくジョシュアだっていう話?』

『いや、その秘密とは別のことだよ』

少しためらいがちに、こんなことを言った。

『なぁ、マイラ、捨て子のジョシュアの生い立ちについて知りたいと思ったことはないのか?』

『そうね、知りたくないと言えば嘘になるわね。でも、知らないほうがいいと思っているわ。叔父さんは、ジョシュアのことをアルベール伯爵の甥っ子じゃないかと思っているみたいよ。わたしは、ジョシュアの身分とか生い立ちとか、どうでもいいわ』

『ふうん、そうなのか?』

 そして、目を細めながら、こんな質問をぶつけてきた。

『なぁ、おまえ、アルベール公爵は、本当に、王家に対して謀反を起こそうとしていたと思うか?』

『いいえ。そんなふうには思えないわ。噂では、王様が、奥さんのイヴォンヌを手に入れたくて、アルベール公爵を陥れたって話よ。イヴォンヌは、若い頃、王様に求婚されそうね。でも、それを断って、アルベール公爵と結婚したのよ。そのことを、ずっと恨んでいたんじゃないのかしら。もちろん、本当のことは誰にも分からないけど……』

『俺さ、去年、女子修道院の中で聞いたんだ。枢機卿は、とんでもなく強欲な奴だぜ』

そんな深刻な話をした後、私の頭に花の冠を載せて笑った。

『マイラは、背が高くてキリッとしていてカッコいいな。森の女王みたいだよな』

『それなら、チェルシーは勇敢で美しい騎士ね。運動神経がいいもの』

 チェルシーは自分のことを俺と言いたがる変な女の子だと思っていた。呪いのせいでおかしくなったのか、それとも、本当に入れ替わっているのか。そんなことは、どうでも良かった。一緒にいて楽しかった。

 私は、あの日、ジョシュアの心を持つチェルシーの髪に花を挿して微笑んだ。

『はい! 美人の騎士さんの出来上がり。黙っていたら、まるで花の露から生まれた妖精のようよ』

『おい、マイラ、ふざけるなよ!』

 あの時は、そう言って、チェルシーは花を髪から外した。そして、草むらの中で、私を押し倒すと、睨むような顔つきで言ったのだ。

『キスしてもいいか?』

 言いながら、顔を近付けてきた。私は、じっと、見返していく。あの子は、少したじろいでいた。

『な、なんだよ? 目を閉じないのかよ』

『そんなの閉じる訳がないじゃない』

 すると、ふっとギリギリのところで目を逸らして呟いた。

『嘘だよ。冗談だ……。今はそういうことはしない』

『なぁに、変な子ね。顔が赤いわよ』

 私は、肩をすくめてから笑っていた。今、思うと頬が熱くなる。二人とも、じっとりと額に汗をかいていた。沈黙が続いた。やがて、チェルシーが沈黙を破った。

『おまえが疲れているようだから、俺が水を汲みに行くよ』

 そして、照れくさそうに立ち去った。あの時、気付かなかった。でも、あの時、チェルシーの中にいるジョシュアの鼓動を感じたわ。あの瞬間、訳もなく心が騒いだ。

 ズキン、ズキンと、心の真ん中が脈打っている。胸を押さえたまま言う。

「ねぇ、チェルシー! わたし、ジョシュアを失いたくないわ。わ、わたしも、多分、ジョシュアのことが好きなんだと思うの……」

「やっと、自分の気持ちに素直になってくれたのね!」

 そう言ったかと思うと、チェルシーが私の背中に手を回した。

「あたしにキスをして! 照れている場合じゃないわよ。マイラに戻って」

「うん、分かった」

 赤い花は大きくて百合に似た形をしている。当たり一面に濃密な花の香りが漂っている。

 私は、少し、腰をかがめてチェルシーの唇に自分の唇を押し当てていく。スッ。

 自然に入れ替わっていく。どこからどこまでが自分たちなのか分からない。本当に奇妙な気分だ。甘美な痛みを感じて私は目を閉じた。

「多分、ずっと前からジョシュアのことを好きなのね」

 その言葉を発したのは私自身の唇だった。もうそろそろ行かなければならない。

 私は、チェルシーと共に逃亡するつもりだった。

「チェルシー、私はみんなを救いたいの。とにかく、二人で逃げましょう」

 真剣に見詰め合っていたのだが……。

 薄闇の中から弓矢が飛んできた。その矢が、スパッと音を立てて樹の幹に突き刺さっている。私の身体から血が失せたかのようにビクッとなる。

「おい、貴様ら、そこで何をやっておる!」

 何事かと思い、ハッとして周囲を見回していくと、いきなりやばい相手と視線が合った。

「王子!」

 なんと、王子が、大きな弓を構えてこちらを睨み付けていたのである。おおっ、こわ。

「マイラ! おまえは、余の宝物を横取りするつもりなのか! なんという女なのだ。そういう異端の趣味があったのだな。許さんぞ! おまえのようないかがわしい女は、チェルシーを誘拐した罪で投獄するしかない! 観念せい」

 怒りまくっている王子の背後にはジョシュアとケイティがいる。二人とも、王子にしっかりと寄り添っている。

 やだー。なんで、あの二人がいるのよ!

 まさか、二人が密告したの? そうでない限り、この場所にやって来ることなど不可能よね。王子は、他に護衛の者をつけていないわ。

「王子、よく狙って弓を放つのです。裏切り者を許してはなりません」

 ジョシュアは、少し狡猾な顔つきで王子の背中をさすっている。私を殺すはずがない。

 変だわ。ジョシュアは、私に分かるように、こっそりと片目をつぶってウインクしている。何の合図なのだろう。

 よく見ると、ジョシュアが王子の背後から木の棒を振り上げていた。ぐわっと、ジョシュアの形相が変わっていく。そして!

 何の迷いもなく、王子をぶん殴っていたのだ。ひぇーーー。

「うっ……」

 王子は呻く。弓を引く指先が中途半端に歪む。そして、王子は後頭部を殴られて気絶していたのだった。
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