花咲く森のから騒ぎ

7

 ううっ。もう駄目だわ。もはや、これまで……。

 私は、反射的に行動に移していた。ほとんどヤケクソの状態だった。

「きゃっ! マイラ、あんた何なのよ! どういうつもりなのよ!」

「おい! マイラ! やめろーー。正気なのかっ!」

「マイラお姉ちゃん! お、お願い。やめてちょうだい!」

三人がかりで私を王子から引き離そうとしたのだが遅かった。王子の唇に自らの唇を押し付けていたのである。

 運命はもう転がりだしている。気持ち悪い。王子の唇はガサガサなのね。キスしちゃった!

 私は、すんなりと王子の身体に入っている。

 こっち側にいるのね。自分自身の身体を見下ろしつつ、王子の頬を強くつねっていく。

 もちろん、王子の意識は私の身体に入っているのだが、まだ気を失っていた。当分、目を覚ますこともなさそうだ。

「王子、大変です。どこにおられるのですか?」

 彼等は、こんなことを言い合っていた。

「この奥には呪いの樹があると聞いている。そんなところに王子がおられるだろうか?」

 いいえ。いませんよ。というか、いない事にしないととんでもない事になっちゃうわ。

 私は、茂みの中を犬のような格好で移動していく。赤い森の境界線から飛び出していく。そして、林道に出ると大きな声を出していた。

「皆の者! 余を探しておるのか!」

「王子様! どこにおられるのですか!」

 木々の向こうで慌てふためいている。

「お姿が見えません。王子!」

 私は、茂みを掻き分けてわざと遠回りしてから従者達のいる林の小道へと駈けていった。林道の脇から出てきたような顔をして、ゆったりと呟いている。

「案ずるな。余は、散歩をしているだけである。おまえらこそ何なのだ?」

「お、王子! 我々に黙って、お独りでお出掛けになられては困ります」

「独りではない。愛するチェルシーと共に散歩していたのだ。ジョシュアという護衛の者もちゃんとおるぞ」

 そうなのよ。王子の私の背後にピッタリと彼が寄り添っている。私が、従者達を睨みつけていくと従者達は恐縮したように呟いた。

「も、申し訳ありません。しかし、真っ先に報告しなければならないことが起こりました。妹君が館に到着されたのでございます」

「妹?」

 何かと思って尋ねてみたところ、なんと、王子の腹違いの妹のアンが遊びに来たというではないか。王子と入れ替わったばかりの私は新たな訪問者の登場に戸惑った。

 森の秘密を守る為にも、さっさとここから立ち去らなければならない。だから、こう言った。

「では、じきに余は帰るとする」

 馬の背に乗ろうと鐙に足をかけていく。私に寄り添うジョシュアが私の耳元で囁いた。

「マイラ、気をつけろ。噂によると、プリンセス・アンは、ものすごく我侭で高慢ちきな小娘らしいぜ」

 ジョシュアが私の馬の首筋を撫でながら言う。

「こんな時にヤヤコシイ奴が来たな。王女は王子と仲がいいって噂だ。入れ替わったことを見抜かれちまうかもしれないぜ」

 チェルシーとして暮らしてきたジョシュアは、王都の貴族との交流もあるので王族に関しても詳しい。

「マイラ、俺も、後からそっちに行くよ。チェルシーたちは、王子が目を覚ましてもどこにも行かないように身体を木にくくって見張っているように言っておく。必ず、おまえのもとに行く」

「分かったわ」

 赤い花の期間は短い。私は、アンを追い払うことに専念しよう。

 今後のことは、それから考えるしかない。

 しかし、王子の別荘に戻ると、思いがけない難題が起こっていたのだった。

   ☆

 おしゃまなアン王女は、もう待ちきれないとばかりに訴えた。

「ウイリアムお兄様! お忘れですか! 今日は、わたくしのお誕生日ですわ。わたくし、この日を心待ちにしていましたのよ」

 何のことか分からないので黙っていると焦れたように言った。

「お忘れですか! 昨年、お約束いたしましたわよね! ダビデをくださると、おっしゃったではありませんか!」

「むむっ、ダビデ?」

「そうですわ! お喋りする利口な七色の鳥ですわよ」

「あっ、いや、そ、そ、それは……」

 あの鳥は赤い森にいるのよ。決して、そのことを知られてはいけない。

 ああ、参ったわね。うーん、どうしましょう!

 噂には聞いていたけれど、生意気な娘というよりも、むしろ、おしゃまさんって感じよね。将来、もしかしたら、すごい美人になるかもしれない。

 何しろ、彼女は、絶世の美女と呼ばれたイヴォンヌの娘なんだもの。

 アン王女は十二歳。王子の腹違いの妹ということになっているけれど、本当は、アルベール公爵の子供なのではないかと囁かれている。

 真っ赤な髪。鼻の頭に派手にちらばったソバカス。幼さが残るアンが拗ねたように唇を尖らせている。

 しかし、どうやら、本気で怒っているのではないようだ。すぐに甘えるような表情を浮かべて、子犬のようにまとわりついてきた。

「ねぇ、お兄様、ダビデに会わせて!」

「今は会わせられないのだ。すまないね」

「ひどいわ。お兄様! アンも賢いダビデと遊びたいわ。博士がおっしゃっていましたわ。あの鳥には素晴らしき叡智があるって」

 アンは夢中になって喋っている。

「七色の鳥は人間に懐かないし人間には捕まえられませんわ。それなのに、十二年前、ダビデは自分から飛んできたの。お母様の傍らで悲しげな声で鳴いていたそうですね。あれは、お母様の鳥ですわ。お兄様は、独り占めなんて意地悪なことはしませんよね!」

 私は鳥を独り占めする気はない。しかし、今は、そういうことに関わっている暇がないのだ。

「アン今すぐに帰りなさい。七色の鳥はここにいないのだよ。逃げ出してしまったのだ」

 私は、いかにも王族らしく気取った喋り方をしてみる。

 しかし、アンが訝しげに私の瞳を覗き込んで首を傾けている。

「お兄様、何だか、いつもと話し方が違いますよ。妙ですわ」

「うっ……」

 背中に嫌な汗が流れてしまう。そんな私を疑うように、アンがじっと見つめている。アンは、ジョシュアに視線を移した。ジョシュアを私は友人として泊める事にしているのだ。

「あら、こちらの美しい若者はどなたですの? お兄様の新しい従者なのですか? ずいぶん綺麗なお顔をしてますね」

「あっ、いや、こ、この者は……」

 アタフタしながら、救いを求めるようにジョシュアの方を見つめる。

『ねぇ、ジョシュア、何とか言ってちょうだいよ!』

すると、私の隣で、ジョシュアは、まるで貴族のように優美にアンに挨拶をしながら微笑んだ。

「申し訳ございません。アン様、ご挨拶が遅れてしまいましたね。お会い出来て光栄でございます。わたしはバルモア家のジョシュアと申します。村に滞在されている間、王子のお世話をさせていただいております」

 ポーカーフェイスで人を欺くことに慣れているようだわ。

「チェルシーの義理の兄でございます。生憎、妹のチェルシーは風邪をひいて寝込んでおります」

 好奇心旺盛なアン王女がジョシュアを見つめ続けている。

「お兄様の愛人は可憐な美人だと聞いていたけれども兄上も美形なのですね。あなたのような麗しい容姿の若者を見るのは実に気持ちがいいわ」

「そのようにお褒めいただいて恐縮でございます」

 ジョシュアは丁重にお辞儀をしているけれど、内心は、こう思っているに違いない。

『俺の顔なんかどうでもいいから、とっとと帰ってくれ!』

 もちろん、お姫様に何の恨みもないけれども、今は邪魔でしかない。

 ジョシュアは、アン王子女に対して諭すようにゆっくりと告げている。

「アン王女様。恐れながら申し上げますが、 残念なことに、昨日、鳥篭から逃げてしまいました。申し訳ありませんが、すみやかに、従者を連れて王都にお戻りいただけませんか?」

「あなたって嘘つきね。そこにいるじゃないの?」

「えっ?」

 ジョシュアの背後を指差している。ジョシュアがハッとしたように振り向くとアンが立ち上がった。

「ほら、あの子がこちらに来るわ」

「アン様、恐れ入りますが、どこにいるのでしょうか?」

 きっと、ジョシュアも分からなかったのだろう。すると、アンが、得意げにクイッと顎を上げながら窓の外を指で示した。

「お庭の樹のピンク色の花の蜜を吸っていますわよ。ほら、あそこですわ! あっ、鳥と目が合いましたわ。こちらに来ますわよ!」

 すると、本当に二階のベランダの手すりに向かって飛んできた。自主的に屋敷に戻ってきたのね。

「では、窓を開けさせていただきますね」

 ジョシュアが窓を開くと静かに部屋の中へと入ってきた。

「おおっ、おまえは実に賢いな。ダビデよ。余の元に戻るが良いぞ」

 私が、鳥篭を取り出すとスッと入ってくれた。私は鳥篭の出入り口を閉じるとアンに手渡した。私は鳥に用などないのよ。

「アン、王都に戻りなさい。今は何かと忙しいのだよ」

「デートの邪魔をするなと言うことですか?」

 悪戯っ子のようにクシャッと笑っている。

「アンは知っているのですよ。ウイリアムお兄様は恋人とイチャイチャするつもりなのでしょう? だから、アンが邪魔なのですね?」

「えっ?」

 私は戸惑った。女の子は男に比べるとオマセなところがある。アンは、茶目っ気のある表情を浮かべながら言う。

「エリザベスから逃げたくなるお気持ちはよく分かりますわ。アンは、エリザベスなど大嫌いでございます。アンの本当の父親は王ではないと言ったこともあります。本当の父親は、鳥人間になって気がふれて死んだという噂を言いふらしておりますのよ。アンは、あんな性悪な女、大嫌いでございます」

 王子の妻のエリザベスとアンは敵対しているようである、

 アンは大切そうに鳥を抱えたまま親しげに小鳥に唇を寄せていくと、鳥がくすぐったそうにピピッと鳴いた。

 鳥は、ずっとアンの顔を見上げている。そして、話しかけるように呟いた。

『ようこそ、アン王女』

 私は、思わず、おおっと目を見開いた。うわ、すごい! 声色が変わっているわ。

 王や王子でもない、また別の誰かの声になっているのよ。穏やかで耳に心地いいダンディな声音だわ。

「あなたは、相変わらずとても賢いわ。アンの本当の父親が鳥の化け物だというのなら、アンは鳥の娘。だから、あなたとアンはお友達ですね。仲良くしましょうね」

 風変わりなアンは、頬杖ついてテーブルの上の鳥に視線を合わせている。

「本当に、この鳥がアンのお父さまなら良かったのに……。そしたら、アンも、鳥の娘として自由に生きられますものね」

 寂しげな微笑を浮かべている。しんみりとした横顔に胸が痛くなる。

 なぜ、王女である彼女が、そんなことを言うのか分からない。

「おまえは、自由に生きていないというのかい?」

 私は、不思議に思って質問していた。変ね。噂では、アン王女は自由奔放に生きていると聞いているけれど、実際にはそうではないようだ。

「エリザベスが、アンのお気に入りの侍女に意地悪をします。ですから、アンにはお友達がおりません」

 アンは、子供特有の率直な眼差しを向けている。

「お兄様は、本当に何も御存知ないのですか? エリザベスは、お兄様が平民の娘に入れ込んでいることを、とっくの昔にご存知ですわよ。なぜ、アンが、わざわざ、ここに来たと思うのですか?」

「田舎で息抜きをするためなのであろう? 違うのか?」

「いいえ。アンは、お兄様の恋人を救うために参りましたのよ」

「えっ! そ、それはどういうことだ! 詳しく話してくれ!」

「エリザベスの刺客が、お兄様の恋人の命を狙っております。事故にみせかけて殺す気ですわ」

「えっ……!」

 激しく動揺した。ドクンッと心臓が激しく脈打ち始めている。

 いつもは恐ろしいまでに冷静なジョシュアも動揺して顔色を変えている。

「アン様、いつ、どうやってその謀略をお知りになったのですか? お願いです。もう少し、詳しく説明していただけませんか?」

 我々が真っ青になっているというのに、アンはのんびりと答えている。

「アンは、エリザベスが従者に命じている声を聞いてしまいましたの」

 エリザベスと王子が結婚して三年になるが、王子はエリザベスと寝室を共にしようとはしない。最近は、頻繁に狩りに出かけると言って王宮を抜け出している。

 王子は、商人の娘に一目ぼれして追い回しているらしいと、バルモア家とライバルの商人がエリザベスに耳打ちしたいう。

『王子は、王位に就いた暁にはバルモア家の娘を公式寵姫として宮廷に受け入れたいと思っているようでございます』

『おのれ、許しませんよ!』

 そして、エリザベスの嫉妬心に火がついて、悪魔よりも恐ろしい顔つきで陶器を叩き割ったというのである。

 アンに対してジョシュアが確認している。

「つまり、エリザベス様は恋人を殺せと命令したのですね?」

「そうですわ。お兄様は、美人姉妹のどちらかを愛しておられるようなのですが、一体どちらが本命なのか、エリザベスには分からないようなのです。ですから、この別邸での様子を見たなら、どの娘が本命なのか分かりますでしょう? それを確かめた上で殺すようにと命じていたのでございます」

「おおっ、なんということであろうか……」

 私はよろめいた。あの王子のせいでチェルシーが狙われるとは……。冗談じゃないわよ! 

 そんなの許せない! キーッ!

 そう叫びたい気持ちを隠しつつ、私は密やかに拳を握っていたのだった。
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