先にあなたが捨てたのです。さようなら、陰の王家と呼ばれた一族は隣国にお引越しします
 私がエグバード様に失恋して、落ち込んでいるところを、精霊たちは慰めようとしてくれているのだ。
 彼らの優しさは正しく受け取るべきだろう。
 いずれにしても、兄二人が私のことを心配しているのは明白だったため、感謝を込めてぱちりとウィンクする。
「ここでの私たちは、苗字を持たない生粋の平民で、田舎から出てきたことになっているのよね。元貴族だと気取られないよう精一杯気を付けるわ」
 いずれ母国から追手がかかるのは間違いない。
 だから、この国の平民のフリをしておとなしくしているべきというのはその通りだわ。
 ここでの素敵な生活を絶対に手放したくない私は、兄二人に同意する。
 それから、改めて気を引きしめると、この国にやってくる発端となった日のことを思い返したのだった。

   ◇ ◇ ◇

 遡ること三か月。
 エグバード様から一方的に婚約破棄をされたあの日、家に帰るとなぜか家族全員が玄関前で私を待っていた。
 というか、私が婚約破棄されたことを既に家族は知っており、激怒していた。
「王家の小僧ごときがルルシャを捨てるとは、何と図々しい!」
「というか、この国も、エグバード様も、完璧にルルシャに依存しているわよね。それなのに、この子なしでどうするつもりなのかしら?」
「頭がお花畑だから、そこまで考えていないんだろう。物珍しさで子爵令嬢なんかに魅かれたようだが、それだってルルシャがいたからこそ、敢えて正反対の令嬢を選んだってことすら理解していないようだからな」
「国外に出るぞ! この国が崩壊し始めたら、追いかけられることは目に見えているからな」
 そうして、その日のうちに家族全員で母国を脱出したのだ。
 ヴィステッカ公爵家は由緒ある家柄だ。
 それなのに、これほど簡単に捨てていいのかと驚いたけれど、家族の意見は一致していた。
「簡単ではない。ヴィステッカ公爵家は先祖から預かった大切なものだ。しかし、それよりもルルシャの方が大切だ」
 きっぱりと言い切った父と、その通りだと頷く母と兄たち。
 ぼろぼろと泣き出した私を先に馬車に乗せた後、すぐさま父と母と兄二人が躊躇(ためら)いもせず乗り込んできた。
 両親と兄は長年住んだ公爵邸を惜しむことも、振り返ることもなく、未来の話を始める。
「公爵邸で働いていた使用人たちの給金は、退職金代わりに一年分上乗せするよう執事長に言い付けたし、次の働き先へ提出する紹介状も預けてきた。それから、公爵家の爵位を返上する書類は、一式揃えて王宮に送った。親戚とか古い友人への連絡は……おいおいだな」
「ルルシャは暑さが苦手だったよな。いつもなら行き先をじゃんけんで決めるところだが、今回はお前の意見を汲んで北にしよう」
「どうせなら料理が美味しいところがいいわ」
「それから、ゼイロット王国がルルシャを引き渡せと言ってきても、突っぱねることができるほど力の強い国がいいな」
「だったら、隣のバシュラ魔導帝国一択だ。この大陸一番の大国だし、国力が突出しているから、周りの国なんて属国くらいにしか考えていないからな」
 馬車の中のそんな簡単な会話で、私たちの行き先はバシュラ魔導帝国に決まってしまう。
 元々、全員が優れた頭脳を持っていて、即断するタイプだ。
 だから、帝国の皇都に着いてからも、その行動は素早かった。
 不動産屋に案内された空き店舗の一件目で、住居兼職場を決めてしまったのだ。
 さらに、改装しないでいいという理由で、元々あった理髪店を始めることになってしまう。
 借りた一軒家は三階建てで、一階が理髪店、二階が父の仕事場兼事務所、三階が住居に定められた。
 それから三か月が経過したけれど、私は毎日、楽しくて楽しくて仕方がなかった。
 家の中で一人でふさぎ込んでいてもいいことはないと、無理矢理理髪店を始めて、私を忙しくさせてくれた家族は正しい。
 気付いたら、お店で働くことも、お客さんと話をすることも、私の楽しみになっていた。
 平日は九時から五時まで働き、母や兄と夕食を作って、笑いながら皆で食べる。
 さらにその後も家族とおしゃべりをしたり、本を読んだりしてすごす。
 週末は街に繰り出して、可愛らしいリボンやハンカチを買ったり、流行りのスイーツショップで甘い物を食べたりする。
 十五年もの間婚約していたエグバード様に婚約破棄されたことは悲しくて、思い出すたびに涙が零(こぼ)れたけれど、いつの間にか悲しい日よりも楽しい日が増えていった。
 ちなみに、エグバード様のことを思い出すたびに過去の行いを反省し、もっとできることがあったのではないかと考えていたけれど……何度も何度も同じことを考えた結果、私は吹っ切れた。
 だって仕方がない。私はエグバード様のために全力で頑張ったけれど、いらないと言われてしまったのだから。
 もっとできることがあったのじゃないかと、何度考えても―――結論は、『いや、なかった』だ。
 私はきっと、あれ以上頑張ることはできなかった。
 だから、私にはもうどうしようもなかったのだ。
 そうきっぱりと結論を出したある日の晩、私は家族に尋ねた。
「私はずっと平民として暮らしていいのよね? だったら、自由に恋愛をしてもいいかしら?」
 貴族の娘であれば政略結婚すべきだけれど、平民の娘であれば自由恋愛ができるはずだ。
 そして、私は二十三歳。女性の結婚適齢期が十八歳だということを考えると、完全に行き遅れだ。
 だから、できるだけ早くお相手を見つけて、結婚だってしてみたい。
「もちろんだ。全てルルシャの好きなようにしていい。もう一度、二人で死ぬまで幸せに暮らしたいと思える相手を見つけるんだ」
 両親の言葉を聞いた私は、エグバード様と完全にお別れし、新たな相手を探すことに決めたのだった。
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