追放された星読み令嬢は、辺境公爵に拾われる――不吉と呼ばれ婚約破棄された私が、北の地で愛されるまで

第二話 辺境の星

 翌朝、城の大広間に領地の幹部たちが集められた。
 セレナは部屋の端に立ち、昨夜作り上げた星図を広げた。羊皮紙には星の配置と、そこから導き出した予測が細かく書き込まれている。
 レオルドが上座に座り、腕を組んでいた。
 幹部たちはセレナを見た。追放された星読み令嬢。まだ十八歳の、王都から流れてきた娘。その目に疑問が浮かんでいるのが、セレナには分かった。
「三日後の夜明け前」
 セレナは声を落ち着けて言った。
「東の丘陵地帯から、魔物の群れが南下します。数は百を超えるかもしれません。先陣は速い種です。後続に、大型が混じっています」
 大広間がざわめいた。
「根拠は何だ」
 幹部の一人が遮るように言った。壮年の男で、傷のある顔に懐疑の色が濃い。
「星の配置です」
「星で魔物の動きが分かるというのか」
「魔物が動く時、必ず特定の星が反応します。古い観測記録にも残っています。この地域では過去に三度、同じ配置が現れました。いずれも大規模な魔物の南下が起きています」
 男は鼻を鳴らした。
「王都から来たお嬢さんに、辺境の何が分かる」
 沈黙が落ちた。
 セレナは男を見た。怒りはなかった。理解できる反応だと思った。突然やってきた見知らぬ娘が三日後に危機が来ると言っている。信じろという方が難しい。
「信じなくて構いません」
 セレナは穏やかな声で言った。
「ただ、準備だけして下さい。避難の経路を確認する。水路を整える。討伐の位置を決める。それだけで、被害は大きく変わります。何も起きなければ、準備は無駄になります。でも何かが起きた時、準備のない領地は壊滅します」
 大広間がまた静まりかえった。
「彼女の言う通りにしろ!」
 レオルドが言った。短く、静かに。しかし誰も反論しなかった。
 幹部たちはなお顔を見合わせていた。
 納得したわけではない。ただ、公爵がそう言うなら従うしかない――そんな沈黙だった。

 その日から、領地が動き始めた。
 東の丘陵へ向かう街道に柵が作られた。村人たちが避難経路を確認し、水路の補修が急ピッチで進んだ。討伐隊が配置につき、弓兵の増員が決まった。
 セレナはその全てに関わった。
 水路はどこへ繋ぐべきか。柵の間隔はどれくらいが良いか。大型の魔物はどの方向から来るか。星図を持ちながら現場を歩き、担当者と話し合い、計算を重ねた。
 城に戻るのは毎晩遅かった。それでも必ず屋上か中庭に出て、星を観測した。
 二日目の夜。
「また観測か」
 今夜もレオルドがいた。セレナは少し驚いたが、表情には出さなかった。
「公爵こそ、眠らないのですか」
「お前が夜中に外にいるなら、俺もいる」
 それだけ言って、レオルドは壁に背をもたせかけた。何をするでもなく、ただそこにいる。
 セレナは星図に目を戻した。
 魔物の星がさらに輝きを増していた。予測通りだ。明後日の夜明け前、確実に来る。
「公爵」
「何だ」
「なぜ私を信じたのですか」
 少し間があった。
「星図を見た」
「昨晩の?」
「違う。数年前だ」
 セレナは顔を上げた。レオルドは星を見ていた。灰色の瞳に、夜空が映っている。
「王都で天文会議があった。各地の星術師が星図を持ち寄る場だ。俺も出席した。北の魔物の動きを読んでもらいたかった」
「覚えていません、その会議は」
「お前は来ていない。だが星図だけが届いていた。名前のない星図が一枚。辺境にいる俺には、誰のものか分からなかった」
 セレナは息を呑んだ。あの年の会議。参加できなかったから、星図だけ送った。それを。
「本物だと思った」
 レオルドは穏やかな声で言った。
「この星読みを探そうと思った。それからずっと探していた」
 セレナは言葉が出なかった。王都では誰も認めなかった。不吉な女。害をなすもの。それがずっと、自分への評価だった。
 なのに目の前の男は、名前すら知らない頃から自分の星図を本物だと思っていた。
「……そうでしたか」
 それだけしか、言えなかった。

 三日目の夜明け前。
 東の空が、まだ暗い。
 セレナは丘陵を見渡せる城壁の上に立っていた。隣にレオルドがいる。遠くに松明の列が見える。討伐隊が配置についていた。
 静寂が続いた。
 セレナは目を閉じた。星を読む必要はない。もう答えは出ている。あとは待つだけだ。
 地面が揺れた。
 低い唸り声が、夜の空気を切り裂いた。
 東の丘陵から、影が溢れた。無数の影が、南へ向かって流れてくる。松明の光に照らされ、牙と爪が光った。速い先陣の群れ。その後ろに、大型の影。
「来た」
 レオルドが呟いた。
 しかし柵が魔物の先陣を食い止めた。水路が誘導する。弓兵の矢が降り注ぐ。討伐隊が各自の持ち場で動いている。
 全てが、計画通りだった。
 戦いは夜明けまで続いた。
 空が白み始めた頃、最後の大型魔物が討ち取られた。

 中庭に討伐隊が戻ってくる。
 疲労の色は濃いが、死者はいない。重傷者も、想定より少ない。村人たちが駆け出してきて、兵士たちに水や布を渡した。子どもが泣きながら父親に抱きついた。老人が手を合わせていた。
 その中に、昨日まで懐疑的だった壮年の幹部がいた。
 彼はセレナの前まで歩いてきた。
 それから深く、頭を下げた。
「ありがとう、星読み様」
 その言葉が、胸の奥にまっすぐ落ちた。
 王都では一度も向けられなかった感謝だった。
 だからこそセレナは、ほとんど反射のように思った。
 まだ読める。まだ削れる。まだ、この人たちを守れる、と。
 他の領民たちも気づいた。次々と頭が下がる。兵士たちも、村の老人も、子どもたちまで。
「ありがとう」
「助かった」
「星読み様、ありがとう」
 王都では、誰一人くれなかった言葉だった。
 セレナは動けなかった。
 王都では、誰も頭を下げなかった。感謝されたことがなかった。ただ恐れられ、遠ざけられ、不吉と言われてきた。
 それなのに今、自分の前で何十人もの人が頭を下げている。
 目の奥が、熱くなった。こらえた。
「……私はただ」
 声が少し掠れた。
「星を読んだだけです」

 その夜。
 中庭に二人だけになった。
 セレナが星を見上げると、魔物の星がすでに静まっていた。嵐の後のように、夜空が穏やかだった。
「君が来てくれてよかった」
 レオルドが言った。
 セレナはうつむいた。
「私はただ星を読んだだけです」
「それで救われた」
 風が吹いた。北の夜は寒い。セレナが少し身を縮めた瞬間、肩に重みがかかった。レオルドの外套が、セレナの肩に掛けられていた。
「風邪を引く」
 短く、それだけ言った。
 セレナは外套を見た。それからレオルドを見た。彼は既に空を向いている。
「……ありがとうございます」
 小さく礼を言った。
「この領地で暮らさないか」
 唐突に、レオルドが言った。
「俺には未来が読めない。星が何を言っているか分からない。だから君が必要だ。それだけでなく」
 一拍、置いた。
「君を守る」
 セレナは返事ができなかった。守る、という言葉が、胸の中でうまく収まらなかった。誰かに守ると言われたのは、いつ以来だろう。母が生きていた頃。それ以来、誰も。
 夜空に星が瞬いていた。
 自分の星は、まだ見えない。空白の未来は変わらない。それでも。
「……考えさせて下さい」
 セレナは穏やかな声で言った。
 レオルドは頷いた。急かさなかった。ただ黙って、同じ空を見上げていた。
 北の夜に、二人分の息が白く漏れた。


  朝が来るたびに、辺境が少しずつ近くなっていく気がした。
  セレナは城の窓から外を見た。中庭では兵士たちが訓練をしている。厩舎から馬の嘶きが聞こえる。厨房の方からは何か温かいものの匂いが漂ってくる。

 魔物の襲来から五日が経っていた。セレナはその間、毎日星図を持って領地を歩いていた。
 村を歩くと、人々が声をかけてくれるようになっていた。
「星読み様、今日もよい天気ですね」
「昨日、息子が熱を出して。星では何か見えますか」
「うちの畑の作物、今年はどうでしょう」
 セレナは一つひとつ丁寧に答えた。熱については「明後日には下がるでしょう」と伝えた。畑については「来月の雨が少ない。今のうちに水を溜めておいた方がいい」と。

 皆が頷き、礼を言い、また自分の仕事に戻っていく。
 その背中を見送りながら、セレナは立ち尽くした。
「どうした」
 隣にレオルドがいた。今日は視察に同行していた。
「……不思議だと思って」
「何が」
「王都では、誰も私に声をかけませんでした。道で会っても、目を逸らされました。それなのにここでは」
 レオルドはしばらく黙っていた。
「君は星を読んで、人を助けた。人は、助けてくれた相手に声をかける。それだけのことだ」
 セレナはレオルドを見た。彼は既に前を向いて歩き始めていた。
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