嘘つきな先輩は、エリート弁護士になった元カレにすべてを暴かれる

3. 追憶のタクシー

 車窓を、都会の眩しすぎる光が流れていく。
 当然のようにふたりでタクシーに乗り込んだ(私としては『連れ込まれた』と言いたいところだけれど)私と律人に、皆は何も言わなかった。完全に根回しされていたというわけだ。

「……タクシーなんて」

 沈黙に耐えかねて、思わず口を開いてしまう。

「昔は、使ったことなかったのに。……っていうか、電車で良かったんじゃない?」

 普通の電車は、終電がまだまだ残っている時間だ。つい責めるような口調になった私に、律人が笑う。

「酔ってたから、歩きたくなくて」
「……嘘だよね?」
「うん。……はやく、ふたりきりになりたかったので」
「! ……いや、運転手さんいるから」

 一年前の別れなんてなかったみたいな、あの頃と同じこちらを見て笑う顔からは、何がどこまで本気なのかがひとつも読み取れない。少なくとも『復讐』なんてことを考えている顔には見えないけど、でも、だとしたら、彼の目的はなんだろう? 私はちらりと律人の涼しい顔を見て、なんだか恨めしくなって思わず呟いた。

「……昔は」
「え?」
「もっと、可愛かったのに」

 私と律人が出会ったのは、私が大学二年の、律人が一年の夏だった。
 高校卒業からそれほど経っていないあの頃の律人は、『青年』というにはどこか幼くて、『はじめてのアルバイト』の前に緊張する姿は、まるで子どもみたいに見えた。
 田舎から大学進学のために都内に出てきて、一人暮らしで、奨学金に加えてアルバイトをする必要がある──別に珍しくもないお互いの身の上は、それでも、私に『共感』を抱かせるには十分で、ホールとキッチンで担当が別れていたにもかかわらず、私はなんとなく彼を気にかけていた。
 仕事中にちょっとしたフォローをしたこともあったし、それのお礼にと小さなお菓子を貰ったこともあった。シフトの入りや終わりが重なれば、軽い雑談を交わすのが日常になった。嫌われてはいない、というか、もしかしたら好かれているのかもしれない……そう思うようになるのに、あまり日数はかからなかった。
 私自身、仕事の覚えが早く、あっという間に『頼られる側』になっていた律人に、その彼に懐かれているという事実に、くすぐったいような気持ちを覚えていた。
 『好き』とか『付き合う』とかの手前の、でもそうなるだろう確信がお互いにある、ふわふわとした心地よい好意。
 それがはっきりとした形を持ったのは、私が大学三年に、律人が二年に上がった春のことだった。


 * * *


 桜の季節だった。
 進学や就職でアルバイトの面子も客層も入れ替わるから、春の職場は少し浮つく。私はその日の夜シフトを終えて、いつものように裏口から店を出た。そうして、裏口から正面に見えるコンビニの前に、どこか所在なさげに佇んでいる律人を見つけたのだ。

「……あれ? 待田くん?」

 あの頃はまだお互いを名前で呼び合うような間柄では当然なくて、こちらを見た律人は少し躊躇うような顔で「先輩」と私を呼んだ。

「どうしたの? 飲み会の帰りとか? 偶然だね」

 その『偶然』を喜べるぐらいの好意を抱いている、そう伝えるつもりで微笑んだ私に、律人は困ったような顔をした。……彼の方は、嬉しくないのだろうか? 浮き立った気持ちが一気に沈んでいき、「ごめん」と声を掛けたことを謝りかけた私に、律人は言った。

「すみません」
「え?」
「あの、……偶然、じゃ、なくて」
「……え?」

 何を言われているのかがわからずに、きょとんとして律人を見上げる。
 大学とアルバイトですっかり疲れ切っている、いつも通りの洒落っ気のひとつもない格好の私と、家からちょっと買い物に出てきたみたいな格好の律人が、深夜のコンビニの煌々とした灯りに照らされている。律人は私を見下ろして、すこし言いづらそうに口を開いた。

「送ろうと、思って、来たんですけど。家まで」
「……うん?」
「ほら、店長が、『不審者が出たから気をつけるように』って言ってたじゃないですか。だから」
「ああ」

 そんな話もあったな、と、言われてはじめて思い出した。
 春は不審者が増える季節とはよく言われるが、この付近でもそうだったらしい。近所の公園付近で帰宅途中の女性が露出狂にあったらしい、という話と、小学生の娘を持つパート社員の山田さんの『学校から声掛け事案の連絡があった』というが相まって、店長がわざわざ『就業時間後は速やかに帰るように』というお触れを出したのだ。……でも。

「あれ、あんま意味ないよね。この時間に『速やかに』とか言われても、もう遅いというか」

 そもそもシフトの終了時間が深夜帯なのだ。私のツッコミに、律人は「うん」と歯切れ悪く頷いた。

「そう。……だから、その、誰かが送ったほうがいいと思って、来たんですけど」
「えっ」

 わざわざ? 私のシフトの時間を確認して? 流石に驚いて目を見開く私の前で、律人は慌てたような早口で付け加えた。

「違うんです。いや違わないんですけど。来てみてからよく考えたら、これ俺のほうが怖いというか、キモいんじゃないか? って思いはじめて」
「え。なんで」
「なんでって……わざわざ終わり時間に来るってなんか……出待ちっていうか……ストーカーみたいじゃないですか?」
「出待ち」

 その発想はなかった。私はぱちぱち目を瞬いて、それから、思わず小さく吹き出した。

「出待ちって……ストーカーって……そんな、待田くん相手に思うわけないじゃん。というか、こんな時間にわざわざごめんね?」

 そもそも、律人みたいなストーカーだったら大歓迎、という子も多いんじゃないだろうか。そんな不謹慎なことを考えながら笑った私に、律人はほっとしたような、拍子抜けしたような顔で「ならいいんですけど」ともごもご言った。
 そうして二人並んで、私のアパートの前までの、十五分程度の道のりをゆっくり歩いて──「ここでいいよ」とエントランス前で私は言った。

「ごめんね、ほんとは、お茶ぐらい出せればよかったんだけど……もう遅いし、待田くんは明日一限あるでしょ?」

 真面目な律人は、一限がある日の前は遅番を入れないようにしている、というのは、以前の雑談で知った情報だった。なるべく早く帰らせたほうがいい。「はい」と律人は頷いて、ほんの少しの沈黙の後に、「……それじゃあ」と踵を返そうとする。その刹那の沈黙に、私ははっとして言葉を続けた。

「お礼は改めて、……その、今度、ご飯とか、奢らせてもらえたらなって」

 とんだ薄情者になるところだった。私の提案に律人は目を見開き、それから、「……先を越されたな」と少し悔しそうに呟いた。

「え?」
「いえ、あの。……ぜひ、ご一緒させてもらいたいので、その」

 律人が、ポケットからスマートフォンを取り出す。

「連絡先、聞いてもいいですか」
「えっ、……あれ、交換してなかったっけ?」

 アルバイト仲間の女子間にはグループラインが存在しているし、シフトの融通などはそこを介して行っていたけれど、律人は当然そこには入っていないし、個人的に連絡先を聞く機会も存在しなかった。慌ててスマートフォンを取り出して、メッセージアプリの連絡先を交換する。確認代わりに送ったスタンプを見てだろうか、ほっとしたように律人が笑った。

「……ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。今日はありがとね」
「いや、勝手にやったことなんで。……あの」

 律人が、真っ直ぐに私を見据える。
 その真剣な眼差しに、思わず、息を飲んだ。なにもわからない、と言うつもりはなかった。そういう関係で、そういう空気で、……だから私は、ほんとうは、彼を家に誘うべきだったのかもしれない。
 でも。
 有り体に言えば、怖気付いている。そういう私のことがわかっているみたいに、律人は困ったようにくしゃっと笑った。

「いや。……あの。ご飯、奢ってもらわなくていいです。代わりに、店とか、俺が選んでいいですか。次の休み、ラインで教えて下さい」
「え、……うん、それはいいけど」
「良かった。それじゃあ」

 おやすみなさい。
 律人はそう言ってはにかんで笑って、──そうしてその翌週、彼が予約したちょっとおしゃれなレストランで、私はひどく緊張した様子の彼から、正式な、交際の申込みを受けたのだった。


 * * *


(……なんて頃もあったのになあ……)

 絡め手も何もあったものではない、素直で可愛い律人はどこに行ってしまったのか。私が小さくため息を吐くと、律人がなにか面白がるような顔でこちらを見た。

「幸せが逃げますよ? めでたい日なのに」

 可愛くない。私は思わずジト目になりそうなのをこらえて、スマートフォンを取り出した。

「そうだね。……あゆみ、綺麗だったな」

 披露宴から出ていた友人に送ってもらったウエディングドレス姿を見ると、思わず口元に笑みが浮かぶ。すいすいと画面をスクロールしながら、私は小さく付け加えた。

「だから、……その、ありがとう」
「──」

 律人が、驚いたような気配がある。私はそちらを見ないまま続ける。

「聞いてるかもしれないけど……地元に戻ってから、あゆみとも、殆ど連絡とってなかったから。律人くんが言ってくれなかったら、招待してもらえなかったかもしれないし……『絶対来て』って言われなかったら、来るのを躊躇ってたかも。だから、ありがとう」

 律人がどういう思惑で私を呼び寄せたにせよ、そのおかげで私がここに来られたことに変わりはない。私の言葉に、律人は僅かに絶句したようだった。少しの間のあと、律人が軽くため息を吐く。

「……そういうところがさあ……」
「え?」
「いえ。どういたしまして」

 律人が微笑み、同時に、タクシーがゆるりと速度を落とした。窓の外に視線を向けると、見覚えのあるマンションが目に入る。

「……引っ越してないんだね」
「まあ、引っ越す理由もありませんし」

 無事大手事務所への就職を決めたあと、律人は私に、『一緒に住まない?』と持ちかけてきた。私はそれを断った。当時の職場には借り上げの寮があり、住居費が格安だったのだ。だから律人は、自分の職場に近いこのマンションを選び、私はほんの一年前まで、週末ごとにここに通うような日々を送っていたのだ。場違いに懐かしい気持ちになる私を、当たり前のように律人が先導する。

「何も変わってないので。安心してご利用ください」

 一体、何を安心すればいいんだろう。わからないまま、電子キーのエントランスを通り抜け、エレベーターに乗り込む。かつて貰っていた合鍵は、後から郵送で返したんだっけ。そんなことを思い出している間に、私は、まだ記憶にある彼の部屋の中へと通されていた。

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