嘘つきな先輩は、エリート弁護士になった元カレにすべてを暴かれる

9. 明かされる秘密


「……『卵巣境界悪性腫瘍(らんそうきょうかいあくせいしゅよう)』って、知ってる?」

 律人が僅かに眉を寄せ、先を促すように私を見る。私は、医者から伝えられたことを思い出しながら、なるべく正しい情報を伝えられるように、と慎重に言葉を続ける。

「簡単に言うと……卵巣に、がんに似てるけど、がんほど悪性度が高くない腫瘍ができる病気。がんじゃないから抗がん剤治療は行わなくて、腫瘍を手術で取り除けば問題ない。私の場合も、片方の卵巣と卵管を摘出して……それからは、経過観察で通院しているぐらい。今は問題なく元気だよ」
「……がん」
「の、ようなもの、だよ。がんじゃない」

 元々生理が重いほうだった私は、定期的に婦人科に通院し、漢方薬などの処方を受けていた。その際に行われた検診で、偶然腫瘍が発見されたのだ。

「まだ二年目だったから、通院のために有給を使うのにも限界があって……病気のことを上司に伝えたら、『一人暮らしで通院は負荷も高いだろうし、一度実家に戻ったら』って、……まあ」

 私は苦笑した。

「遠回しにというか、退職を勧められてしまって」
「ありえない」

 律人ははじかれたように口を開いた。

「病気を理由に退職を勧告することは禁じられている。会社側には、業務内容を調整する義務があるはずだ」
「うん、わかってる。……でも、検査なんかで何度も仕事を抜けた挙げ句、手術で長期入院となると、単純に私の生活面での負荷も大きかったから。実家に帰るのは悪くないかなって、私も思ったし」
「それにしたって、辞める必要はどこにもない。休職という選択肢もあったはずです。いちかさん、せっかく頑張って入った会社だったのに。……それに」

 律人は辛そうに顔を歪める。

「生活面での負荷、って。……なんで、僕を頼ってくれなかったんですか」

 言われると思った。

「……総合病院に紹介状を書いてもらったとき、『おそらく悪性ではないと思う』っていう、曖昧な言い方だったから……自分でも少し調べたの。卵巣がんについて」

 当時の律人は社会人一年目で、とにかく忙しく日々を過ごしていた。とても相談はできなかった──というのは、私自身の逃げに過ぎない。

「五年生存率そのものは九割あるけど、再発可能性が高くて……早期再発の場合、生存率は一気に低下する。腫瘍の大きさや転移の様子によって、妊孕性を温存……ええと、片方の卵巣と卵管を残して妊娠可能な状態を維持することもできなくはないけど、抗がん剤治療も必要だから、残った卵巣の機能が低下する……有り体に言うと、子どもができにくくなる可能性があるんだって」

 これを言ったら、きっと、律人は怒るだろう。わかっていたから、私は俯いて視線を逸らした。

「……律人、子どもが欲しいって言ってたでしょ。自分が厳しい家で育ったから、子どもは甘やかして育てたい。楽しいことをたくさんしたい、って」
「……!」
「それでなくても……病気のことなんて伝えたら、絶対に私と別れられなくなっちゃうだろうなって、そう思って。……りつくんは、優しいから」

 律人に迷惑はかけられない──というより、ただ、律人を縛り付けたくない、という思いが、なにより強かった。
 社会人一年目の彼に、『闘病中の彼女』なんていう荷物を背負わせるわけにはいかないと思った。がんリスクがある、不妊の可能性が高い彼女なんていうものは、まだ若い彼に背負わせるには、重すぎる荷物だったし──子どもを望む彼の結婚相手としては、あまりに相応しくない存在でもあった。

 それでなくても、律人には、選択肢があるべきだった。
 はじめての相手である、というだけの私ではなくて。弁護士になった彼には、『大学時代のバイト先の先輩』なんていう毒にも薬にもならないような相手ではない、もっと彼に相応しい結婚相手がいるはずなのだ。
 そうであることに、私は、病気によってはじめて思い至った。
 顕在化していなかった、もしかしたら一生顕在化しないままだったかもしれない、それは、私の奥底にずっと存在していた、根本的な疑念だった。

(──私は、律人に相応しい人間なのだろうか?)

 一度思い至ってしまったら、もう、なかったことにはできなかった。
 だから、私の決断は──検査結果がでて、腫瘍が悪性ではないとわかってからも変わらなかったのだ。

「私は……律人の人生の荷物みたいなものになりたくなかったの。ただでさえ、律人、おうちとの折り合いが良くないって言ってたでしょう。……私は、律人にとって、安心できる……家の中にいれば、怖いことなんてなんにもない、みたいな、そういう家を作りたかった。子どももたくさん欲しかった。……でも」

 この傷跡によって『傷物になってしまった』と思っているわけでないし、律人が、傷跡を気にするような人間ではないこともわかっている。
 けれども──見た目より、もっと重大な問題があるのだ。当然ながら。

「……幸い、と言っていいんだけど。結局、私の病気はぎりぎりがんじゃなくて、卵巣と卵管も片方残ってるから、妊娠機能はどうにか維持されている。でも、不妊リスクはあるって言われたし、開腹手術をしたから、出産時は帝王切開になる可能性が高いんだって。……調べてみたら、帝王切開って、何回もやると、子宮破裂のリスクが高まるから……二回ぐらいで次の妊娠を止められる事が多いらしくて……」

 調べれば調べるほど、妊娠と出産はそもそもリスクが伴うものであること、私の病気は、そのリスクを飛躍的に高めることがわかった。

「そもそも、再発リスクを回避するなら、出産したら子宮全摘の手術を行うことも考慮に入れたほうがいいっていう話もあって。……律人はさ、やっぱり、子ども、たくさん欲しかったでしょう?」

 具体的な話をしたことはなかったけれど、一人っ子の律人が兄弟に憧れていることはなんとなく察せられたし、それは私自身も同様だった。律人がなにか言いたげな顔をするのを制して、急いで続ける。

「なにより、私は……こういう全部を、律人に、知られたくなかったの。『こういう私と生きる道しかない』なんて、律人に思ってほしくなかったの。……結婚もしてない相手に、人生を縛られる必要なんてない」

 律人には、律人の夢見る人生がある。
 そして私は、彼に、その人生を与えてあげられない。
 なら、彼が選ぶべき道は、私と共に生きる道ではなかった。けれども、その『正しい』道は、彼が私の病気について知ってしまったら、きっと、消滅してしまう。
 だから私は、彼の代わりに選んだのだ。優しすぎる彼の代わりに。私が漸く口を閉じると、代わりのように律人が口を開いた。
 長い──何かを押し込めるような、長い長い溜息が溢れる。そうして律人は、必死に何かを抑え込んでいるような、どうにか穏やかに聞こえるようにと努めている声で言った。

「……いちかさんの言い分は、よくわかりました」

 その瞳が。
 ぎらりとこちらを見た目に宿る──ぞっとするような怒りが、私の体を竦ませる。律人が私の腕を掴む。ひどく強い、痛みを覚えるほどの力だ。そうして律人は、私を見下ろして吐き捨てた。


「……ふざけるなよ」

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