婚約者に「いらない」と言われた私が、愛され妻を演じることになりました
 挨拶を終えて、会場を後にする。

 タクシーで帰宅し、自宅のソファーに座るとようやく肩の力が抜けた。

「お疲れ、凪」

「凌也さんこそ、お疲れ様。それにしても、不正が明るみになった上に、凌也さんの誤解も解けてよかった」

 にこりと微笑んだ私の手を、隣に座った凌也さんが握る。

「大丈夫か?」

 会場では、私が実川の長女だと知った途端に好奇の目を向ける人もいた。父らの断罪後は、そういった視線がさらに増えたように感じたし、いろいろと物申したい人もいたように思う。
 本条社長の妻が、罪を犯した可能性のある実川の人間でいいのかと。

 そのたびに凌也さんは私への愛情を見せつけ、相手を牽制していた。彼が守ってくれたから、直接なにかを言われるようなことは一度もなかった。

「うん、大丈夫……」

 答えたそばから、勝手に涙がこぼれ落ちてしまう。

「あれ、おかしいな」

 自分でも、なんで泣いているのかよくわからない。
 手で拭おうとするより早く、凌也さんが流れた涙に口づけていく。
 それから、その広い胸もとに私を抱き寄せた。

「これまでの関係がどうであれ、あの男は凪の実の親だ。あんなふうに言われて、苦しくないわけがないだろ」

 彼の方こそ声が辛そうで、たまらず嗚咽が漏れる。

 両親から大切にされる玲奈が、ずっとうらやましかった。
 どうして父は、私を無視するのか。義母や玲奈に恨まれるほどのことをしただろうか。理由がわからないから、幼い頃の私はひたすら困惑していた。

 いつかは認めてもらえるかもしれないと、信じていたときもある。
 でも期待をするたびに、精神的にも身体的にも傷つけられ続けてきた。だから実家にいた頃の私は、すべてを諦めてしまった。

 私を包み込む凌也さんの温もりが、忘れていた過去を思い起こさせる。

 クリスマスも誕生日も、ひとり寂しく部屋にこもっていた幼い頃の自分にさらに涙が溢れた。
 しばらくの間、凌也さんはなにも言わずに私に寄り添い続けてくれた。

「ごめんなさい」

 思う存分に涙を流して、ようやく落ち着いてきた。ずいぶん時間が経っているだろうし、凌也さんを困らせているかもしれない。

「謝る必要はない」

 優しい手つきで髪をなでてくれるのが心地いい。
 あの頃は誰からも愛してもらえなかったけれど、今は違う。

「ありがとう」

 濡れた瞳で彼を見上げると、優しい笑みが返ってきた。

 額に口づけた彼は、それから目もと、鼻、頬などに続けてキスを落としていく。少しくすぐったくて、思わず笑い声が漏れた。
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