婚約者に「いらない」と言われた私が、愛され妻を演じることになりました
* * *

 彰さんに突き放された後。私がまだ本条さんと話していたところに、彼からメッセージが届いた。

【今夜は里奈と過ごすから。凪も、どこかで反省しておいでよ】

 私が実家に帰れないと、わかっての言葉だ。
 そうは言っても、私もマンションの鍵を持っている。だから戻って来るに決まっている。彼はそう踏んでいたに違いない。

 翌日になって顔を合わせたときに、あの人は私のダメなところを笑顔で罵るだろう。これまで何度もされてきたことだから、そんな場面を容易に想像できた。

「それなら好都合だ。さすがにこのまま、凪を俺のもとに連れて帰るわけにはいかないが」

「え?」

 それまで〝君〟としか言わなかった本条さんが突然呼び方を変えたから、驚いてつい声が出てしまった。

「結婚するのによそよそしくしていては、さすがにおかしいだろ? 名前呼ぶくらいで不貞にはならないから大丈夫だ」

 そうだけどと、探るように本条さんを見つめる。

「凪も、これから俺のことは名前で呼ぶように。言葉遣いも崩してほしい。今後、妻として人前に出る以上は俺との良好な関係を見せることも必要だから」

 つまり、仲のいい夫婦を演じるということだろう。

「わかりました……凌也さん」

 小声で加えた私に、彼は満足そうに微笑んだ。

「とにかく、鏑木から突き放してきたんだ。この後、彼のもとへ戻る必要はない。凪は誰かの所有物じゃないし、もちろん未成年でもない。だから、自分の意思で行動を起こしていいんだ」

 本当に?と聞き返したくなるのは、家族や婚約者に従うのが当然だと、これまでの経験ですっかり染みついているから。

「今日から凪は、俺が用意するホテルに滞在してもらう」

 怖さはまだある。

「……わかり、ました」

 でもこの人は信じられる気がして、迷いながらも返事をした。

「なにも問題はないから、大丈夫だ」

 凌也さんはそれからすぐにタクシーを手配して、私ひとりを乗せた。

 すっかり話し込んでいたおかげで、もう夕方遅い時間になっていた。
 けれど外はまだ気温は高いままで、ひんやりとした車内の空気にほっとした。

 連れていかれたのは、そこからほど近いホテルだ。
 場違いじゃないかと恐れつつ、煌びやかなエントランスに足を踏み入れた。
 ロビーにはオシャレに着飾った国内外の多数の利用客が、そこかしこで談笑している。
 これまでの私は、華やかな場所は無縁だった。彰さんと婚約して顔を出す機会は増えていたが、まったく慣れない。
 今日は支援者に会うからと、ちゃんとした格好をしていてよかった。周囲に溶け込めているとはいかないが、浮いてはいないと思う。
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