婚約者に「いらない」と言われた私が、愛され妻を演じることになりました
 フロントで名前を告げると、すでに話は通っており部屋を案内される。

 ひとりになると、彰さんの顔が浮かんでくる。後日、彼になじられるんじゃないか。本当にこれでいいのかと不安がぶり返し、夕食を食べる気がしない。

 入浴を済ませて豪華なベッドにもぐり込むと、ようやくほっとした。心も体も、すっかり疲れきっていたのだろう。それほど経たないうちに、眠りについていた。

 久しぶりに味わう穏やかな眠りを遮ったのは、朝になって鳴り続けるスマホの着信音だった。
 メッセージも電話も、履歴には彰さん名前ばかりが並ぶ。すぐにマナーモードにしておいたが、少し後に再び確認すると履歴はさらに伸びていた。

 おそらく里奈さんと別れて帰宅したところ、ようやく私の不在に気づいたのだろう。そうして怒りまま連絡を寄越した。

 あらかじめ凌也さんに言われていた通り、いっさい応じていない。
 そう決めているが、本当に大丈夫だろうかとスマホが震えるたびに心が揺らぐ。いっそ視界に入らないようにしておこうと、バッグの底にしまい込んだ。

 部屋を出ないようにと指示された通りに、朝からゆっくりと過ごさせてもらう。
 そうしてランチを食べてしばらくした頃、来訪者があった。

「本条様から依頼された、弁護士の佐々(ささき)です。こちらは秘書の安藤(あんどう)です」

 訪ねてきたのは、父親ほどの年齢の男性だ。女性秘書を連れてきたのは、異性の滞在するホテルにひとりで出向くわけにはいかないという配慮もあるのだろう。

「早速ですが――」

 そうして、すぐさま彰さんとの婚約解消の話へ移った。

「ここまで堂々と証拠を残されるケースも、珍しいですね。隠す気がまったくない」

 彰さんから送られたメッセージには、もう何人もの女性の名前が見られる。彼はそれらに反応を示さない私に、次第に腹を立てていったのだろう。ときには、ホテルと思われる一室で女性と過ごしている写真すら送ってきた。

「なんというか……政治家のわりに、危機管理のできない人なんですね。不貞もですが、あきらかなモラルハラスメントも多分に含まれています」

 これまでは当たり前に受け取っていたが、私に命令するような理不尽な文もたくさんある。
 あまりにひどいと佐々木さんは呆れ、安藤さんは彰さんに怒りつつ私を案ずるように見つめてきた。

 あの人のこんな言動は、相手が私だからというのが大きいのだろう。世間には絶対に見せない顔だ。
 私が私情を他人にばらすはずがない。そんなことをする行動力がないと、侮られていたのだと思う。
 凌也さんに出会っていなければ、実際にその通りだった。私に、逆らう勇気はない。
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