婚約者に「いらない」と言われた私が、愛され妻を演じることになりました
 不安が膨らむ中、背後からふわり抱きしめられて全身がビクリと揺れる。

 異性にこれほど近づかれた経験がなくて、驚きと緊張に身を固くした。
 これはもしかして、夫婦らしく見せる練習だろうか。いきなり同伴をと言われても、私には妻の演技を上手くできそうにない。
 慣れない距離感に、鼓動が速くなる。それまで抱いていた不安を忘れて、ただひたすらうろたえた。

「凪が信じられるように、これから俺が毎日言ってやる。凪は気配りができる素敵な女性だ。控えめなのは、まずは相手の気持ちを聞こうという思いやりでもある」

 褒め言葉の羅列に落ち着かない。

 なにも言えずにそわそわする私にかまわず、彼はさらに続けた。

「温和な雰囲気は、隣にいて気を張らずにいさせてくれる。これが癒されるってことなんだろうな。急に一緒に暮すことになったが――まあ、それは俺が強引だったせいか。とにかく、凪のそばでは、俺も自然体でいられる」

 それは私のセリフだ。凌也さんが常に気を配ってくれるから、唐突に始まった生活も意外とすぐに受け入れられた。
 そう伝えたいのに、今は上手く言葉が出てこない。

「倹約家だってことも知っている。店は近くにもあるが、高級すぎるからとそれより先にある別の所で買い物をしているだろ? 俺も過度な贅沢はよしとしない質だから、その感覚は好ましい」

 凌也さんのような立場の人なら、もっといいものをと言われるかもしれない。そう思いながら、けれど私の食費も彼が負担すると思うと申し訳なくて贅沢なんてできない。

「毎日の食事も、俺の健康を気遣っていることがわかるメニューばかりだ。料理が上手いところも、凪の長所だぞ」

「あ、ああ、あの」

 ようやく声をあげると、凌也さんは私を抱きしめたまま顔を起こした。そして、横から私を覗き込む。

 その近すぎる距離に、痛いほど鼓動が打ちつける。羞恥心に襲われて、涙が滲んできた。

「は、恥ずかしいです」

 パッと両手で顔を覆う。
 褒められすぎるのも、これほど近づかれるのももう耐えられそうにない。

「なんだ、まだまだ言い足りないのに」

 不満げにそう言った凌也さんは、ようやく私を解放した。

「ほら、凪」

 髪をなでられて、潤んだ瞳のままそっと彼を見上げる。
 わずかに目を見開いた彼は、それからあらためるように咳払いをした。

「とにかく、今すぐ自信を持てなんて無茶は言わない。だが、忘れないでいてほしい」

 なにをと、視線で問い返す。

「凪は魅力的な女性で、隣にいて居心地のいい存在だ。俺は、凪と結婚してよかったと思っている」

 ここまでだって恥ずかしくてたまらなかったのに、真っすぐに伝えられた気持ちにますます顔が熱くなる。
 そんな私の反応に満足したのか、凌也さんは頭にポンポンと手を乗せて席に戻った。



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