婚約者に「いらない」と言われた私が、愛され妻を演じることになりました
「申し訳ありませんでした。これからはもっと気をつけるので……」

 父としては、先代からなにかとつながりがあるらしい彰さんとの結婚を後押ししてきた。
 彰さんとしては、父を筆頭とした支援者をそのまま味方につけたかったのだろう。

 両家の思惑は一致している。
 ただ私の心が追いついていないだけ。

 それでも、自分なりに尽くしているつもりだ。もちろん、彰さんを不誠実だと責めたこともない。

「ちゃんと自分の立場をわきまえられるまで、帰って来なくていいよ」

 そう言って笑みを深めた彼の表情に、背中がゾクリとする。

「ま、待ってください」

「大きな声を出さないでくれないかな。誰が見聞きしているとも限らないだろ?」

 世間体を気にする彼らしい発言に、うっと詰まる。

 いかにも迷惑そうに言われるが、その顔にはやっぱり笑みが浮かんでいた。
 でもすっと細めた瞳の奥はあまりにも冷ややかで、背中を嫌な汗が伝う。

「じゃあね、凪。俺はこれから、里奈(りな)と会う約束があるからね」

 手をひらひらと振りながら、彰さんは待たせてあったタクシーにひとりで乗り込んだ。
 里奈さんとは、ここところ彼が頻繁に会っている女性だろう。

「そんな……」

 結局、彰さんは一度もこちらを振り向くことなく去っていった。

「どうしよう」

 うつむく横顔に、セミロングの黒髪がパサリとかかる。
 染めたり巻いたりいっさいのオシャレをしないヘアスタイルを、義妹の玲奈(れいな)に『ダサい』とたびたび嘲られてきた。
逆に少しでも飾り立てようとすれば、『似合わない』『凪のくせに生意気』と義母とそろって怒りをぶつけられる。

 政治家である彰さんは、彼女たちが野暮ったいと馬鹿にした私の黒髪を『清楚に見えるからそのままにしておいてよ』と言う。真夏の今でも、私の意思を無視して切ることを許さない。

 さらに母親譲りの色白な肌は、覇気がないように見えるから化粧でなんとかするようにとも言われている。

『温和そうな外見は、俺の妻として適しているね。顔立ちも穏やかそうで悪くないし、数少ない凪のいいところだ』

 だから派手なメイクはしてくれるなとは、初めて顔を合わせたときの彰さんの言葉だ。

 容姿は彼の求める条件を満たしていたようだけれど、それ以外の性格や振る舞い方などはとにかく気に入らないのだろう。
『人前でおどおどしないでくれる? 俺まで侮られるんだけど』と、連れ出されるたびにあきれられてしまう。
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