婚約者に「いらない」と言われた私が、愛され妻を演じることになりました
 出会った当初は、よく知らない異性だからと警戒していた。

 一緒にいる時間が長くなるにつれて、少しずつ彼のことを知っていった。

 凌也さんは黙っていると厳しそうな人に見えるけれど、実は甘いものが好き。仕事帰りにお土産だと買ってきたスイーツは、毎回一緒に食べている。
 私がなにかをすれば、必ず『ありがとう』とお礼を言ってくれる。

 意外と言っては失礼だけど、彼は動物に好かれやすいらしい。
 これまでに一緒に出掛けた先で、散歩中の犬にすれ違いざまに纏わりつかれることが何度かあった。飼い主の制止を振り切って近づく動物たちに、彼は迷惑がるでもなく、頭をやさしくなでてやる。そのときの楽しそうな表情は、どこか少年っぽさを感じてとても印象的だった。

 とにかく面倒見がよくて、私が必要なことを身につけられるように根気よく付き合ってくれる。
 彼のことで思いつくのは、プラスの面ばかり。考えてみると、凌也さんに嫌なところや不満が少しもない。

 初対面のときはずいぶん強引だったとはいえ、決して無理強いはされていない。むしろ私を救うことを前提にした提案をしてくれたし、彼の手を取ったのは自分だ。

 結果的に今の私は、凌也さんのおかげで穏やかに過ごせている。

 再び隣を盗み見る。
 整った容姿に、大企業の社長という立場。しかも、いずれは母体である本条グループを継ぐ身だ。今はその気がないから縁談をすべて断ってきたと話していたが、初対面のときに聞いた話からもその数は相当あったと想像できる。

 私なんかよりうんと条件のいい人がたくさんいただろう。すごく綺麗な人もいたかもしれない。
 私たちは契約の関係にすぎず、ずっと続く保証はどこにもない。いつか凌也さんが本気で結婚を意識したとき、相手はきっと私ではない。

 美人で家柄もよく、家族との関係も良好で会社同士のメリットも望めるお相手。人前で振る舞うことに慣れていて、社交的で一緒にいると明るい気分にさせてくれる女性。凌也さんはきっと、そういう人を求めるのだと思う。

 私を助けてくれた凌也さんには、幸せになってほしいと願っている。そのときがきたら、自分が身を引くべきだとわかっている。
 
 だけど……。
 
 彼のそばを離れると考えただけで、胸が苦しくてたまらない。

 そんな自分に、愕然とした。
< 30 / 55 >

この作品をシェア

pagetop