婚約者に「いらない」と言われた私が、愛され妻を演じることになりました

不穏な影

 休日の今日、凌也さんは午後から仕事に出かけている。夜はそのまま取引先の人と食事をすることになっているため、夕食は私ひとりで済ませたところだ。

 コーヒーを片手に、ソファーに座る。

 凌也さんと結婚して、あっという間に二カ月ほどが経つ。
 長く続いた残暑は少しずつ緩み、十月に入ってようやく秋らしくなってきた。そろそろ夏物のファブリック類を片づけようかと、足下のラグに視線を落とした。

 ひとりで過ごすのはなんだか寂しくて、見る気はないもののテレビをつけておく。それから、購入したばかりのレシピ本を開き、次はどんな料理に挑戦しようかと眺めていた。

 物音は、すぐに耳に届かなくなる。

 彼のために新しい料理を試してみたい。季節ならではの、秋野菜を使ったメニューも増やしていこう。
 掲載された写真を眺めているだけで、『美味しい』と言ってくれる彼の優しい声が聞こえる気すらしてくる。自然と頬が緩み、凌也さんのためにもっとがんばりたいという思いが強くなった。

 ふと顔を上げて時計を見ると、二十時をすぎたところだった。

 今夜の彼の帰宅は、もう少し遅くなる。待ち遠しくて、時間の進みを遅く感じてしまう自身に苦笑した。

 気分転換をしようと、空になったカップを手に取る。立ち上がりかけたところで、つけたままにしていたテレビの音に気づいて画面に目を向けた。

「そっか、選挙だった」

 凌也さんの都合もあり、投票は少し前にそろって済ませてある。そのため、今日が投開票日だとすっかり忘れていた。

 カップを片づけて、ソファーに戻る。そのままテレビを見ていた。
 これまでだったら、選挙の結果にそこまでの強い関心を持っていなかった。それがほんの一時とはいえ鏑木さんと婚約関係にあったため、気になって画面を見つめる。

 当選が確定してそれぞれ一喜一憂する候補者を見ているうちに、握っていた手に力がこもる。

 どれくらい時間が経っただろうか。画面に〝鏑木彰〟の名前を見つけてドキリとした。その横に、当選を表す赤い花飾りが点灯する。

「当選、したんだ」

 ほっとするでも残念に思うでもない。ただ漠然と、焦燥感というかもやもやとした言葉にできない感情が胸に広がる。
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