婚約者に「いらない」と言われた私が、愛され妻を演じることになりました
 鏑木さんは今からちょうど一年ほど前に、補欠選挙で初当選を果たしている。それまでの彼は父親の秘書を務めており、仕事を学んでいたと聞く。

 政治のことは、私にはよくわからない。ただ婚約していた頃に引き合わされた支援者たちからは、『若い君が新しい風を吹かせてくれ』『期待しているよ』と好意的な言葉をたくさんかけられていた。だから彼の政治家人生は順風なのだろうと捉えていた。

 おそらく、次の選挙でも当選できる。確信があるとまではいかないものの、どこか当然のように考えていた。

 しかし彼がプライベートで見せる顔を知るほど、これでいいのだろうかという疑問を抱くようになったのも事実。

『――ほかの候補者も勢いがありましたから、得票数は改選前の予想よりも伸びていない模様です』

「え?」

 解説者のコメントに、顔を上げる。

 前回はどうだった? 彼のお父様のときは、二位と大差をつけていたのだろうか。
 その辺りはまったくわからないけれど、今回の結果はたしかに他候補との得票差がそれほど大きくない。

 代替わりをしたのだからこういうものだと捉えるべきか、それとも求心力が低下していると見るべきか。そう考えかけて、もう自分には関係のない話だと首を横に振った。

 鏑木事務所の様子が、ワイプで映し出される。
 久しぶりにあの人を目にして、鼓動がドクリと嫌な音を立てて。

 鏑木さんは、私に対して腹を立てているだろうか。いずれ妻になると顔合わせをした彼の支援者たちは、婚約が解消になったなんて印象を悪くしているかもしれない。

 両親は、私のとった行動をどう思っているのか。
 私は連絡先を変えてしまったし、間には弁護士の佐々木さんが入っている。だから直接なにかを言われる機会はない。

 鏑木さんや両親は、佐々木さんになにか言ってきているかもしれない。でも心の整理ができていない状態で、私がそれを聞くつもりはない。それは凌也さんも同じ考えで、私には伝わらないようにしてくれている。

 今にして思えば、私はどうしてあそこまで言いなりになっていたのだろう。当時の自分が理解できない。
 あの状況はおかしかったとようやく気づけたが、画面越しとはいえ鏑木さんを見ただけで動揺したくらいだ。実際にあの人や家族を前にしたら、再び恐怖に支配されかねない。

 不安に疼く胸もとを押さえながら瞼を閉じて、そっとソファーに背を預ける。嫌な感覚は拭いきれず、幼少期の辛い日々が脳裏によみがえってきた。



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