婚約者に「いらない」と言われた私が、愛され妻を演じることになりました
* * *

 少し前に母が亡くなり、六歳になったばかりの私は毎日泣きながら過ごしていた。

 父は以前から自分に無関心で、たまに顔を合わせても声をかけてくれることはない。挨拶すらされず、言葉を交わすのは必要最低限のみ。

 父は母との仲も決してよかったわけではなく、在宅していることの方が稀だというくらい家に寄りつかなかった。

 通いで来てくれる家政婦さんがいるから、生活に困りはしない。長く務めてくれている、母親よりも少し年上の女性だ。彼女はいつだって私に優しくしてくれるし、自分がいないときを心配して私に家事のやり方を少教えてくれた。

 夜になって家政婦さんが帰ると、広い家にひとりきりになる。
 強風で窓枠がカタリときしむだけで、心臓が飛び出そうなほど怖い。寂しくて、心細くて、夜は布団の中で身を丸めて過ごしていた。

 ある日のこと。珍しく在宅していた父が私を呼んでいると、家政婦さんが声をかけてきた。
 彼女が終始伏し目がちなことには、すぐに気づいた。

 なにかあったのか不安に感じつつ、急いでリビングに向かう。

 扉の前で足を止めて、そこまで一緒に来てくれた家政婦さんを見上げた。

「この先はおひとりで」

 眉を下げて心配そうな顔をしながら、家政婦さんはキッチンの方へ去っていった。

 最後に父と話をしたのはいつだっただろうか。こちらから挨拶をしても、視線すら向けてもらえないのがいつものこと。父に対してどんなふうに話せばいいのか、もう忘れてしまった。

 ふうっと息を吐き出す。

 それから静に扉を開けて、中を覗いた。

 リビングには父だけでなく、亡くなった母と同じくらいの年齢の女性がいた。ふたりの間には、私よりも幼い女の子が座っている。

 私が顔を見せた途端に、三人の視線が集まる。
 父はいつものように無感情で、少女は前のめりになって興味深そうに見てくる。女性に至っては、睨むような恨みのこもった視線を向けてきた。

 少しつり目の、はっきりとした顔立ちの綺麗な人だ。体のラインを浮き立たせるようなぴったりとしたワンピースを身に纏っており、スカート部分は短くてすらりと長い脚があらわになっている。
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