婚約者に「いらない」と言われた私が、愛され妻を演じることになりました
「あのさあ、足を引っぱるくらいなら婚約は白紙に戻そうか。正式な結納の場を設けたわけでもないし、なかったことにするのに手続きがいるわけでもない。まあ、君の親がなんて言うかは知らないけど」

 そんな辛らつなことを、いかにも人のよさそうな笑顔のまま告げる。先ほどゾッとした理由はこれかと理解した。

 対する彼女は必死で、今にも崩れ落ちそうな雰囲気だ。思わず手を差し伸べたくなるが、巻き込まれるのは面倒でしかない。
 そうわかっていても、どうしても気になって去ることができないでいた。

「凪はもう、いらないかな」

 明らかに、男の方が優位に立ったもの言いだ。実家同士の力関係に、差があるのかもしれない。
 とはいえあまりにも高圧的な様子に、聞いていて腹が立つ。

 なにか理由があるのか、この女性は鏑木に精神的に支配されているらしい。これほどひどいことを言われているにもかかわらず、なんとか縋りつこうとする。見ていて歯がゆくなるほどだ。

 しかも鏑木は、これからほかの女性に会いに行くという。
 必死になっている彼女だが、鏑木の言動を悲しむ様子は皆無。まして止める気も感じられない。ただひたすら、どうしたらいいのかと困惑しているのみ。その姿は俺には歪なものに見え、放っておいたら彼女は壊れてしまうそうだ。

 首を突っ込まない方がいいと、わかっている。それでも凪と呼ばれた女性に声をかけたのは、そんな不安に駆られたからだ。
加えてここまで人を追い詰める鏑木の態度が、他人事ながら許せなかった。

 そうして凪から聞いた話は、耳を疑うほどひどいものだ。
 彼女が誠実な女性だと、話している中で伝わってきた。自分に自信がないのは、これまで育ってきた環境のせいだろう。

 真面目な性格ゆえに、家族に反抗したり逃げ出したりできない。
 もちろん、そんな感情を抱かせないほど心身ともに痛めつけられてきたというのもあるだろう。大人になっても家族の言葉に従っているのは、精神的に縛りつけられている影響が大きいようだ。

 凪の境遇を不憫に思う。

 不安に瞳を揺らし、恐怖に声を震わせる様を見ていると、どうにも胸が苦しくなる。庇護欲を刺激されたと言われたら、そうなのかもしれない。あるいはひと目惚れだと指摘されたら、否定できない気がした。

 どうしたら彼女を笑顔にできるのか。話を聞いている途中から、そんなことばかりを考えていた。

 鏑木から解放してやっても、話に聞く限り両親は彼女をますます痛めつけるだろう。さらに悲惨な縁談を持って来られるかもしれない。そうなったら、ここで手助けしてやる意味がなくなる。

 乗りかかった船というか、こちらから強引に押し入った案件だ。事情を知ったからには彼女の未来まで救ってやりたいし、無責任な関わり方をするつもりはない。

 そうして考えを巡らせ、いっそのこと彼女が再び結婚できないようにしてしまえばいいと結論づけた。
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