"Mr&Mrs Ogiwara detective office" 事件簿1
何年も前に果樹園の物置小屋の整理をしていて一番上の棚の奥に放置されていたニッカリンの乳剤入りの容器を見つけた。底に少したまっている位だった。

見たことがないものだったので翔はネットで調べてみたら、毒性の高い殺虫剤で今はもう販売されていないという事が書いてあった。

取り扱いも注意が必要という事だったので後で社長に処分をどうするか確認しようと思っていてすっかり忘れていた物だった。

そして果樹園を解雇されて出て行かなくてはならなくなった時、前日に果樹園を一回りして智子との懐かしい思い出をしっかりと胸にとどめようとしていた。

その時に小屋の棚の上に放置されていたその乳剤の事を思い出した。

それで小さな旅行用の化粧水ボトルにほんの少し入れて持ってきたのだ。

さよを殺したいとか思ったわけではない…と思う。

翔自身が死んでしまいたいと思った時いつでもその手段があることで、“いつでも死ねる。だからもう少し頑張ってみる“と思えるのを期待したのだ。

それまでは体がどんなに辛くても智子が側に居てくれるだけで安心だった。

働いてばかりでちっとも会えないしデートにも連れて行ってやれないが、2年前に大学を卒業した智子は、果樹園で事務として働いているのでいつでも顔は見ることができる。

それだけで翔は元気が貰えるのだ。いつも目が合うとにっこり笑ってくれる。

時々栄養剤やレトルトのお米や冷凍食品などを差し入れてくれる。

これからはそんな智子ともう会えなくなるのだ。だから死ぬのを思いとどまるのが難しいかもしれないと思ったのだ。

死ぬなら後の処理に迷惑はかけないで済むと思った。電車に飛び込むとか、首つりとか、海に飛び込むとかどれもすごく痛いのではないかと思うし、そして後始末も厄介なのではないかと思ったのだ。

富士の樹海に入って一人毒を飲めばちょっと苦しむだけであっけなく死ねるはずだ。そうして死体は見つからなければいつか骨だけになってしまえる。

翔には家族はいないのだから死んで悲しんでくれるのはたぶん智子だけだ。

そんな理由で持って出た乳剤は智子が来たことで家に置いておけなくなった。

何かのはずみで智子がボトルを開けて匂いを嗅いだり触ってしまうのは危険だからだ。

気軽に捨てられるものでもないので、いつも結局ズボンのポケットに入れてしまうのだった。

そしてこの日さよを前にして、思わずボトルを握りしめてしまった。

さよのただの昔馴染みに会ったような態度と翔に悪いとも思っていないような言動を感じて怒りが憎しみがふつふつと蘇る。

さよは翔の為に入れた珈琲をテーブルの前に置いて“ちょっと待っててね”と言って奥の部屋に消えた。

そして100万円の束を持ってきた。

「これだけしかないのよ。これで我慢してくれる。取りあえず半分返すことになるわね」

そう言うと小指を立てて優雅に珈琲に口をつけた。

「何言ってるんだ。闇金から俺の名前で250万勝手に借りただろう?だから550万円だ」

「あらそんなの知らないわよ。自分でサインして免許証もつけてあったでしょう?翔が勝手に借りたとしか思えないわよね。300万だって借用書もないんだから返す義理はないわ。昔馴染みが困っているようだからあげるのよ。優しいさよからね」

さよの言い分に腹が立った翔は、さよがもう一度キッチンに行った時についにニッカリンの乳剤を一滴コーヒーに入れた。
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