キスしない約束の恋

第3話 名前の距離

 ――なんで、この人。

 

 放課後。

 

 廊下を歩いていると。

 

「沙奈」

 

 後ろから、声。

 

 びくっと肩が揺れる。

 

 振り向くと。

 

 九条くん。

 

 

「……何ですか」

 

「敬語やめなよ」

 

 近づいてくる。

 

 

「あと、それも」

 

「……?」

 

 

「“九条くん”じゃなくて」

 

 

 一歩、距離を詰められる。

 

 

「湊」

 

 

「……え」

 

 

「名前で呼んで」

 

 

 さらっと言う。

 

 

「……無理です」

 

 

 反射的に答える。

 

 

「なんで?」

 

 

「……そういうの、慣れてないので」

 

 

「へぇ」

 

 

 少しだけ、目を細める。

 

 

「じゃあ慣れればいいじゃん」

 

 

「……」

 

 

 逃げたい。

 

 

 でも。

 

 

 逃げられない距離。

 

 

 

「呼んでみて」

 

 

「……」

 

 

「ほら」

 

 

 

 視線が、外せない。

 

 

 

「……みなと、くん」

 

 

 やっと、出た声。

 

 

 

「くんいらない」

 

 

 

「……っ」

 

 

 

「湊」

 

 

 

 言い直させられる。

 

 

 

「……湊」

 

 

 

 その瞬間。

 

 

 

 ふっと、笑った。

 

 

 

「いいじゃん」

 

 

 

 満足そうに。

 

 

 

 

「距離、近くなった」

 

 

 

 

 その言葉に。

 

 

 

 

 少しだけ、怖くなる。

 

 

 

 

 

 ――その様子を。

 

 

 

 

 少し離れた場所から。

 

 

 

 

 神崎くんが、見ていた。

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 

 低い声。

 

 

 

 

 

 気づいたときには。

 

 

 

 

 こっちに歩いてきていた。

 

 

 

 

 

「何してんの」

 

 

 

 

 間に入るように立つ。

 

 

 

 

 

「別に」

 

 

 

 

 湊が肩をすくめる。

 

 

 

 

 

「名前で呼んでもらっただけ」

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 

 空気が、張り詰める。

 

 

 

 

 

「行こ、沙奈」

 

 

 

 

 神崎くんが言う。

 

 

 

 

 

 そのまま、手を引かれる。

 

 

 

 

 

 少し離れた場所まで来て。

 

 

 

 

 

「……あいつに関わんな」

 

 

 

 

 低く言う。

 

 

 

 

 

「……でも」

 

 

 

 

 

「いいから」

 

 

 

 

 

 強い。

 

 

 

 

 

 少しだけ、怖い。

 

 

 

 

 

「……呼んだの?」

 

 

 

 

 

「え」

 

 

 

 

 

「名前」

 

 

 

 

 

「……はい」

 

 

 

 

 

 一瞬、沈黙。

 

 

 

 

 

「……そっか」

 

 

 

 

 

 それだけ。

 

 

 

 

 

 でも。

 

 

 

 

 

 どこか、引っかかる。

 

 

 

 

 

「……神崎くんは」

 

 

 

 

 

 思わず、聞く。

 

 

 

 

 

「いいんですか」

 

 

 

 

 

「何が」

 

 

 

 

 

「……私が、そうやって呼ぶの」

 

 

 

 

 

 少しだけ、間。

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

「よくねぇよ」

 

 

 

 

 

 即答だった。

 

 

 

 

 

「……え」

 

 

 

 

 

「普通に、嫌」

 

 

 

 

 

 視線を逸らしたまま。

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 

 

 

 

 そんなふうに言われたの、初めてで。

 

 

 

 

 

「……じゃあ」

 

 

 

 

 

 心臓が、うるさい。

 

 

 

 

 

「どう呼べばいいですか」

 

 

 

 

 

 一瞬、止まる。

 

 

 

 

 

 それから。

 

 

 

 

 

「……別に」

 

 

 

 

 

 少しだけ、間があって。

 

 

 

 

 

「無理に変えなくていい」

 

 

 

 

 

 そう言う。

 

 

 

 

 

 でも。

 

 

 

 

 

 その声は。

 

 

 

 

 

 少しだけ、寂しそうだった。

 

 

 

 

 

 

「……蓮」

 

 

 

 

 

 ぽつりと、呟く。

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 

 

「呼んでほしいなら」

 

 

 

 

 

 顔を上げる。

 

 

 

 

 

「言ってくれないと、わかりません」

 

 

 

 

 

 まっすぐに言う。

 

 

 

 

 

 一瞬。

 

 

 

 

 

 沈黙。

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

「……蓮」

 

 

 

 

 

 小さく、言った。

 

 

 

 

 

「……俺の名前」

 

 

 

 

 

「……はい」

 

 

 

 

 

「……呼んで」

 

 

 

 

 

 初めて。

 

 

 

 

 

 少しだけ、弱い声。

 

 

 

 

 

「……蓮」

 

 

 

 

 

 呼ぶ。

 

 

 

 

 

 その瞬間。

 

 

 

 

 

 少しだけ、表情が変わった。

 

 

 

 

 

「……それでいい」

 

 

 

 

 

 ぽつりと、呟く。

 

 

 

 

 

 その横顔が。

 

 

 

 

 

 少しだけ。

 

 

 

 

 

 嬉しそうに見えた。

 

 

 

 

 

 ――名前。

 

 

 

 

 

 それだけで。

 

 

 

 

 

 こんなに距離が変わるなんて。

 

 

 

 

 

 知らなかった。
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