温厚柔和な若旦那さまは、愛のためなら喧嘩上等!

夜会の支度

  ❖ ❖ ❖


「――おい太一郎。お志乃(しの)(ウチ)に呼んでもいいか? 頼みたいことがある」

 小白波家に現れた徹の言葉に、太一郎はキョトンとした。仕事の書き物をしていた机から顔を上げ、ペンを置く。

「志乃? 勝手にしろよ。って……今すぐなのか」
「ああ」

 今日の徹は珍しく着物姿。ということは、このまま職人町へ顔を出すつもりなのだ。
 あそこは徹が育った場所のすぐ近く。子どもの頃の馴染みが多くいる。彼ら相手には、洋装よりこっちの方がウケがいい。

 洋裁師の志乃も、徹の幼なじみだ。職人町の実家に暮らしながら内職で服を仕立てている。
 彼女は徹を通じて太一郎と知り合い、そして好き合った。太一郎はおおらかに笑う。

「急ぎの仕立てとは珍しいな。別に僕に断らなくても、志乃の仕事に口は出さないぞ」
「許嫁みたいなものだろ。男の家に呼ぶんだから筋を通さないと」
「変なところ律儀だね、おまえ。あーあ、許嫁にしたいのはやまやまだが、うちの親が許してくれない。駆け落ちでもするかな」
「やめてくれ。お志乃がいないと俺の新事業が頓挫する」
「ふふん。さっさと志乃を出世させてくれ。職業婦人として親への通りが良くなるからな」
 
 ニヤリとする太一郎に片手を上げ、徹は「じゃ、お志乃は借りる」と部屋を出た。



 徹が通りに出ると、歩いてきた男に肩がぶつかった。というか向こうが当たりに来たようだ。徹は一見すると綺麗なやさ男なので、ガラの悪い者からしばしば因縁をつけられる。ここらには気の荒い船乗りも多かった。

「おう兄ちゃん、謝れや」

 すごまれたが、徹は無言でにらみ返した。
 こういう輩は弱そうな者を脅す遊びをする。自分の強さを誇示して悦に入るために。
 その鼻っ柱をへし折るのは徹の望むところだ。相手の腕を素早くねじり上げる。関節がゴリ、と鳴った。

「い、いでででっ」
「謝るのはおまえの方だよな?」

 低い声で詰めると、相手は痛みに顔を歪め「すみません」とうめいた。放してやったらすっ飛んで逃げる。徹はフンと顔をしかめた。くだらない。

 徹のこんな姿――茜が目にしたらひっくり返るだろう。どう見てもあの時の、酔っぱらいから助けてくれた男と同一人物だから。
 事実、あれは徹だ。

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