温厚柔和な若旦那さまは、愛のためなら喧嘩上等!
 徹の腕は普段着の白いシャツ一枚だった。薄い布越しだと肌に触れているような気になる。
 茜としてはそれだけで再び赤面してしまうのだが、徹は茜の手に右手を重ねてきた。うつむく茜を下からのぞき込む

「当日は、僕も燕尾服を着ます。会場にあまり長居はしません。顔を見せていくつか挨拶をするだけにしますから、無理だなんて言わずに出席してくれますね?」

 これは、茜の思考力を奪おうとしているのか。
 徹の甘い仕草を見て笑いをこらえた志乃はサラリと訊いた。

「ダンスはどうするの?」
「しませんよ。踊りたいと父に言ったのは、伊都子を断る口実ですから。ああ、食事の作法もいりませんので心配ご無用。晩餐会ではありませんので」

 隣にいるだけでいいと優しく懇願され、押し切られた茜はうなずいた。


  ❖


 志乃が帰っていった後、茜は部屋の中をぐるぐる歩かされた。徹と腕を組んで、だ。
 草履のすり足と違い、靴だと足を振り出す。あまり内まただとおかしい。ドレスでの歩き方を習得しないと裾を踏んで転ぶと教えられた。
 でもいちばん苦戦したのは上半身の姿勢だ。肩を引き、胸を張る立ち姿なんてしたことがない。乳を突き出している気がして恥ずかしかった。ドレスの下に西洋風の胸バンドを着せられたのには意味があったらしい。

「うつむかないで下さい、茜さん」

 そっと横からささやいてくれる徹の声が近い。茜はつとめて顔を上げた。

「靴が気になってしまって。すみません」
「痛いですか。慣れないと靴ずれするので……つらかったら言って下さい」
「まだ、だいじょうぶです」

 茜は教えられたことを全身で意識する。黙々と茜に合わせて歩いてくれる徹に応えたいと思った。
 前を見て。
 微笑みを浮かべて。
 時おり隣の徹と視線を交わす。徹は満面の笑みでうなずいてくれた。

「そうです茜さん、いい調子ですよ。すっかり西洋風の貴婦人だ」
「……私など」

 褒められて、ついうつむきそうになる。自分で気づき、慌ててツンとあごを上げた。
 すると徹が茜の手を静かに引く。立ちどまった徹は茜と向き合った。

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